幸福の木
永田敏男今から8年くらい前には、将棋の好きな人4人ほどで回り番で会場を受け持ち、それぞれの家出将棋を指し、楽しんだものです。
正月の二日はこの行事でいつも1日が早々と暮れてしまうことが不思議にさえ思ったことでした。
ちょうどその日は会場を私の家が受け持ったものですが、その中でK先輩は、奥さんに連れられて真っ先にやって来られました。
奥さんは、穏やかな方で、我々盲人の立場に立ったいろいろな話題をお話されたものです。
その時も大変お元気で普通に話をされていたのに、それからまもなく入院されたということを聞き、お見舞いにも行きました。
「もうだめかもしれない」とやはり元気がなかったように思います。
そしてそれからあまり日にちをおかずに亡くなられたように記憶しています。
それにしても、いつ亡くなられたのか、季節はいつだったのか、葬儀に出席したかどうかも、総て私の記憶から消えてしまったのです。
私の家で将棋の会場を持った前の歳の10月に私の新築が完了し、入居したのですが、その時にk先輩が、奥さんと一緒に来て「幸福の木」を花屋さんに届けてもらうように頼んだからとお祝いに来てくださいました。それからまもなく直径30cmもあろうかという鉢に、これまた2Mもあろうかと思われる「幸福の木」が届きました。
細長い葉っぱが天を指し、真っ直ぐに立ったこの木は、やはり名前に相応しく幸福を象徴しているように感じました。
この木が、9年もの間私たち家族の幸福を与えているかのように見守ってくれていたのですが、最近葉っぱが、先のほうから枯れてきて、それが木全体に及んで、捨てざるをえない状態におちいり、処分をしてしまいました。
K氏の奥さんが、悪病にさいなまれながら届けてくださった「幸福の木」と、薄情にも奥さんの最後を記憶から消し去られた記憶、それは、生と死の悲しい対比であり、そんな大事な人を忘れるという薄情を、時間の経過の中にどれだけ繰り返して来たことか!
もちろんその悲しみが、同じ強さで我々の脳に再現されたとしたら身はもたないでしょう。しかも、それが幾つも重なったとしたら長生きはできないでしょう。
もしかすると、近しい人出、悲しみの大きい人ほど記憶から削除しようと働いている「自然治癒能力」があるのかもしれません。
「幸福の木」が倒れたとき、我々の幸福もどこかへ逃げたようにも思います。
幸福とは、自分が自分を好きにならない限り、与えられないように思います。自分が自分を嫌っているようでは、他人を愛する資格がないように思うからです。
「幸福の木」は、その姿の真っ直ぐな状態が、その木自身の正しさを誇っているようにも感じます。それがこの木の名前になったのだろうと思われます。