私の体力作り

永田敏男

「月日は矢の如し」とか言われますが、正月が過ぎると、すぐ次の正月が、隣に座っているような感じを受けるのは私だけでしょうか。
 こんなに早く過ぎる月日をなんとか健康で、ある程度の体力を維持して生活しなければ、生きているという意味も失ってしまうことになるでしょう。

昨年の10月ころ、私の体調に思わぬ不調を訴える症状が現れたのです。
 歩くとふらついて真っ直ぐに歩けず、一度など、犬の散歩中にふらついて転倒してしまいました。仕事中もふらつきがあり、疲労感も強く、時間があると横になって休みたくなったり、ひどく眠たいときもあったりしました。
 これは小さな脳梗塞が起きたのか、耳の中の平行感覚の異常なのかといろいろ考えてみましたが、不安と、それに伴うストレスとで症状は悪化する一方でした。
 ご承知のように、その夏の暑さはひどく、熱帯地方に変化したのではないかと思われるほどの暑さで、それによる夏ばてだろうかとも思いました。
 また、糖尿病の発病でもあろうかとも考えました。体の倦怠感や疲労感は、その影響を考えるに十分でした。

私が最終的に考え付いたのは、体力不足、運動不足ということです。
 以前にも書いたように思いますが、「体内時計」は、25時間の周期で我々の生活のリズムを刻んでいるようです。それを24時間にリセットするには、朝、光を充分に受けるか、運動をするか、それが生活に合ったリズムをもたらすと言うことだそうです。我々眼の障害は、光の刺激は無理ですので、運動を行うと言うのが当然の選択でしょう。
 運動不足は、血液中のコレステロールを増加させ、脳血管の狭窄をも誘発し、動脈硬化を起こし、その部分の血瘤も悪く、当然酸素不足もあって、ふらつきや疲労感、眠気、記憶力の減退も感じさせるという原因にもなると思います。

私のできる運動には当然限界があります。家の中でできること、そうすれば、雨降りでもできますし、人の手を借りなくてもできます。
 一昨年の夏にやはり運動不足の解消を目的に、鉄アレーを用いた筋力運動、腕立て伏せ、階段の昇降のくりかえし運動など、5箇月くらい続けたのですが、疲れ果てて1日休んだのをきっかけで止めてしまいました。
 それを思い出して、階段の昇降だけをやってみようと、10月の終わり頃から始めました。

我が家の階段は32段あります。半月くらいは、5往復、それ以降は10往復、12月に入って15往復にだんだんと増やしていきました。現在は、20往復を行っています。
 しかし、その間には紆余曲折があり、もう止めなければならないかと思うことも度々でした。
 十往復にしたときに、右膝の強い痛みに襲われ、一歩一歩がずきんとする痛みを感じました。仕事中も、やはりその痛みに悩まされました。
 しかし、腫れて来ない事、数往復すると、多少痛みが和らぐこと、などを判断して、行くところまで行ってみようと重い、継続しました。
 ついに階段を上がるのに手すりにつかまらなければ上がれないところまで悪化をしてしまいました。
 不思議なことに平地では膝の後辺りに激痛があり、階段の昇降には膝の下辺りに痛みを感じるのです。
 おそらく半月版には異常がなさそうでした。というのは、膝の内外は痛みがなかったからです。
 湿布をしたり、サポーターをつけたり、いろいろやってみましたが、あまり効果がありませんでした。それでも腫れもなく、やはり運動の半分辺りでは痛みが少しは和らぐのです。そして、痛くてもなんでも続けてみました。
 だんだんと痛みが楽になり、今も少しは痛みますが、会談の上がり降りは、走ってできるようになりました。もう2箇月以上になります。体も快適ですし、倦怠感も今はありません。
 疲れによる眠気はありますが、異常な常に眠たいということはなくなりました。
 そして毎年、年末には風邪を引くのが私の恒例でしたが、昨年末は風邪もひきませんでした。
 毎年正月の二日・三日には、寒風を突いて箱根駅伝が行われるのを楽しみにテレビ観戦をするが、彼らのデッドヒートが私にはたまらない魅力を感じさせる。
 ふらふらになって走れなくなるランナーもあるし、13人も抜いてぐんぐん順位を上げる人もいる。スポーツの厳しい世界をまざまざと見る思いです。

私の患者でトライアスロンの選手がいる。鉄人レースと言われるこのスポーツは、ちょっと記憶が定かではないが、フルのトライアイスロンは、水泳が4km、自転車が180km、そして走るのが42.195kmだそうです。彼らの足の筋肉たるや、中身のない強力なゴムかと思われるほど柔軟でいて脂肪がないような触感を受ける。いわゆる筋肉質といえる体に鍛え上げられるのだろうと思います。

あの国鉄スワローズ時代に、無類の活躍をしたプロ野球選手・金田投手の400勝は、将来に渡ってこの記録が塗り替えられることはないと思いますが、全盛の彼の練習方法は、コーチの与えたメニューは他の選手と同じように消化し、選手が帰ってからも、一人を負ぶって坂を何度も往復するという鍛錬をしたということです。

これを読んでくださる皆さんは、いったい何が言いたいんだと思われると思います。それと私の階段の昇降運動と比べるのは、なんという思い上がりかと思われるでしょう。
 もちろん比べるだけの価値はありませんし、比べるつもりもありません。
 私の運動が、膝の激痛を訴えたり、心臓が、その心拍数を増加させて、いずれは動脈瘤か、心臓の負担による心筋梗塞かなどを起こすかもしれません。
 しかし、肉体はいずれは、遅かれ早かれ滅びる運命にあります。
 そういう自分の限界に挑戦するのも利点が多いのではないかと考えるからです。
 上記のスポーツ選手の限界が、1メートルの長さとすれば、私の限界などはおそらく数ミリに違いないでしょう。その自分の限界に挑戦することによって、何か得るものがあるように思います。

健康もその一つでしょうし、スポーツの理解も少しは深まるでしょう。
 運動をした後に感じるさわやかさと一種の達成感は、やはり一つの賞品ではないでしょうか。

あまり大げさに皆さんに報告して、行き詰まってすぐ止めたのでは恥ずかしいので、自らを戒める思いで書いたものです。簡単に言えば、苦し紛れの原稿というのがこの中身でしょう。

食べるだけ食べて、運動をしないのが、いつかなんらかの不調を起こしてくるかを、私自身、身をもって感じ、この快適な暮らしがいつか損なわれる時が来るとしたら、その大きな要因として運動不足が上げられるのは必定だろうと思います。