年末・年始今昔物語

生田泰忠

私は前にも述べたように、幼少時代を三重県の田舎町伊勢の国、三重県鈴鹿郡亀山町(現亀山市南崎705番地と言う武家屋敷の一隅で育ったのです。
 なにしろ、戦前・戦中・終戦と言った変動の激しい時代をすごしてきた私です。

 昭和16年12月8日、大東亜戦争(第二次世界大戦)勃発。
大勝利・大勝利のニュース(大本営発表)の内に国民は沸きに沸き酔いしれていた、
昭和17年亀山町亀山町立国民学校へ入学。
 まだこの時代は統制下にあったとは言え、それ程食べ物に対しても厳しさはなく、年末(28日ごろから)になると、あちらこちらから景気のいいお餅を搗く(つく)音が聞こえてきたものでした。

 私は母と二人暮し、そんな 訳で家でお餅を搗くと言うこともできず、近くのお百姓さん(同級生の家)のところで、ついていただいたのです。
お餅のつきあがるおいしそうな匂い、同級生と共につきあがるのを待ちかねていたものでした。
つきあがるや、いなや待ってましたとばかり、「卸大根・きなこ・餡こ)を腹一杯食べさせてもらったものでした。
親達は、餅搗きが終ると、大掃除・お節料理と、多忙を極めていた。そこで我々子ども達も窓拭きや廊下の拭き掃除等を手伝ったものだった。

大晦日の午後となると親に言われて、氏神様へ無事一年を過ごさせていただいた、お礼い参りに行かされたものでした。
もう、その時間になるとあちらこちらの門口(これはお店屋さん)には、大小様々の(正月飾り 〆縄・門松)も飾られていました。
そんな中の街中を通り過ぎ、元「家老)だったと言われているお屋敷の前に差し掛かると、目お見張るばかりの立派な門松が飾られていたものでした。その前を通り氏神様へ。
 私の家では、まだその時代には「ラジオ」もなく、すこし早い目の夕食(年越し蕎麦)をいただき一年の無事のお礼と、新しい年の無事をお願いしつつ、早めにすまし、床に就いたものでした。

除夜の鐘が鳴りはじめるころ、母は私を起してくれて、鐘を聞きながら、上から下までの新しい衣服に着替えさせてくれ、若水で顔を洗い、氏神様への初詣。
お参りをすませ、境内に赤々と燃えている「ドンド(焚き火」に手をかざし暖をとり、我が家へと。
帰って来て、家の神様と仏様へご挨拶をして、いよいよ雑煮をいただくのですが、その前に、母から手渡されるお年玉、嬉しい一時です。



ちょっとここで、私の家の伝統的なお雑煮についてご紹介します。

私の家では、母が名古屋育ちとあって名古屋風のお雑煮なんですよ。
お餅は、四角で、鰹節でダシを取ったおすまし仕立、それも餅菜のみと言うものでした。
いただく時は、鰹節を削ったけずり節を上にのせていただくと言った簡素なものでした。
しかし私の育った亀山地方のお雑煮は丸餅で里芋大根葱と言った多くの野菜を入れ、味噌仕立でした。
私の家では今でも伝統をそのままひきついでいます。
お雑煮には、みなそれぞれの地方によって、いろいろあると思いますが皆さんのところはどう言ったお雑煮で祝っておられますか?


 この時代のお正月の遊びと言うと、男の子は、凧揚げ・独楽回し、・それに竹馬。女の子は羽根つき。また家での遊技としてはカルタ「イロハガルタ・百人一首(これは坊主めくり)」・双六・福笑い。
これは大きな紙に描かれたお多福の顔かたちに、眉毛・目・鼻・口といったものを、目隠しをして順序よく並べて、顔を整えていくと言う遊びなんですよ。
なかなか上手には整わないので面白いし楽しい遊びなんですよね。
 また外での遊びとしては、男のこは当然のように凧揚げに興じまた独楽をまわし回わっている時間を競ったものでした。
また女の子は、羽根つき、みんな上手でしたよ。たまに男の子が挑戦するのですが、なかなか勝てず、顔に墨で「バツ印」をつけられたものでしたよ。
なにしろ女の子って強かったからなあ、もうこの時代から女性は強かったんですね笑い。
 またこの時代の遊びとしては、竹馬・缶けり・縄飛び、木登りそれに竹トンボを自分作り、男の子も女の子も競いあったものでしたよ。
室内では女の子の代表的な遊びとして、お手玉・おはじきと言ったところでした。
もう今では、ほとんど見えなくなり淋しいものです。

さてお正月の楽しみのひとつ、それは獅子舞いが見られると言うことです。
お正月のふつかともなると、ちょっとした「おたな(を店)」やお屋敷等で獅子舞いが見せていただけるからです。
どこからやって来るのか、舞い手(ふたり)はじめお囃子(笛・太鼓・唄い手さん)が揃って。
私はよく近くの大工さんの家の中庭で、今やおそしと待っていたものでした。
賑やかなお囃子とともに、ここ家の繁栄を願いをこめた舞いが奉納。舞いがすむと、ご主人からお祝儀を獅子の大きく開けられた口の中へ。
一軒を済ませると次の家へと、我々子ども達はその後にぞろぞろとついて次の家にと行くんですよ。
獅子のあの大きな口に頭を入れると、魔除となり健康ですごせるって言う(言い伝え)があるらしいんですが、恐くてそんなことはできませんでしたよ。あの大きな口を開けて迫ってこられると、恐くてみな一目散に逃げだしたものでしたよ。中には泣き出す小さい子もいましたよ。
でもあれもこれも楽しい思い出となり今でも、はっきりと脳裏に焼きついています。
 現在では、もうこう言ったしきたりとか、風習とか言ったものもほとんど見られなくなり本当に淋しい限りです。
 でも、ここ尾張、三河地方では細々(ほそぼそ)と門付け万歳が見られると言うか、聞かれる様です。私も一度聞いてみたいものと思っています。
こう言ったよき伝統はいつまでも残しておきたいものですね。