■□■ 日本と英国が左側通行の理由 ■□■

日本では車は左側を走るのがルールです。英国やオーストラリアは日本と同じ左側ですが、
アメリカやドイツは右側通行ですよね。一体全体そんなルールは誰が決めたのでしょうか?
その謎は18世紀の馬車の時代にあったのです。下のエッセーを読めば解けますよ。

生徒さんの文章引用は自由ですが、評論家様等プロの方の場合は、著作権の問題があります
ので無断転用はご遠慮ください。
       
日本はなぜ左側通行? (本エッセーは2002年5月時事通信テムズコープに掲載されたものを著者の了解をいただいてビップルがお届けするものです)

 人間の心臓は左側にあるから、右手で心臓を守ろうとする本能が働く。だから人類は「右利き」になった。日本の武士も右利きだったから、刀を抜きやすいように腰の左に差した。武士同士がすれ違う時に、刀のさやが当たらないように道の左側を歩くようになった。馬の乗り降りも、左側からすれば刀が邪魔にならない。こうして日本では人も馬もかごも大八車も左側通行になったという説は説得力がある。左側通行の慣習を法律にしたのは、明治初期の陸軍大将西郷隆盛と言われている。この法律は戦後の昭和24年まで存在した。明治初期の陸軍はフランス式の右側通行を採用したので、これを機に日本も右側通行にしようと考えたが、慣習にこだわる人々の反対であきらめたそうだ。「車は左、人は右」という標語は、戦後できたのだろう。英国では「車は左、人は歩道を歩きましょう」だそうだ。歩道では左右どちらを歩くかルールがないから、すれ違う時にお互い一瞬どちらに避けるか迷うことがある。そんな時は相手の目を見て、あうんの呼吸で判断するのがよろしい。

▽右側通行のルール、ナポレオン犯人説が有力

 英国では、1722年ロバート・ウォルポール首相の時、ロンドン・ブリッジの左側通行に関する規則が初めて出された。その後、1735年に全国の左側通行が立法化された。だが法律が出来る前から馬車は左側を走っていた。英国人も右利きだったからだ。馬車を操る御者は、利き腕の右手に長いむちを持って馬のお尻を叩いていた。御者台の中央に座ってむちを振り上げたら、後ろに座っているご主人様やお客様に当たってしまうし、キャビン(囲いの客室)がある場合は、振り上げたむちがキャビンに引っ掛ってよろしくない。
 だから御者は右端に座るようになった。これで一安心と考えていたら、今度は振り下ろしたむちが道行く歩行者に当たってしまった(当時は歩道がなかった)。そこで、できるだけ道の左寄りを走るようになった。左側を走れば、狭い道で馬車同士がすれ違う際も便利だ。互いの間隔をぎりぎりまで確認できるからだ。現在英国で車が左側通行なのは、こうした歴史的背景があるんですよ、とうんちくを傾けていると、「ドイツやフランスは説明がつかない。彼らも右利きだ」、と鋭い指摘が読者から飛んできそうだ。ちゃんと答は用意してある。実は、大陸でも18世紀末に「ある人物」が登場するまでは左側通行だったのだ。七年戦争当時の貴族の生活を描いたスタンリー・キューブリック監督、ライアン・オニール主演の映画「バリー・リンドン」(英 1975年)に、プロシアの首都ベルリンで馬車がすれ違うシーンが出てくる。確かに左側を走っている。
 では、「右側通行」という、人間の習性を無視したルールは一体だれが決めたのだろうか。いろいろな説があるが、どうもナポレオン・ボナパルト犯人説が有力だ。彼が左ぎっちょだったからではない。パリの士官学校で学んだナポレオンは、学業はいまいちだったが(卒業成績は58名中42番)、砲兵士官として着任してから名を上げた。大砲の活用に優れており、その戦術が巧みだったといわれている。当時の常識に反して、敵の左翼を集中攻撃する戦法で連勝した。騎兵も歩兵も軍隊全体が右寄りに動いて勝利をもたらした結果、戦闘以外の時も右側を歩くようになった。かくして、ナポレオンが制圧した大陸各国は右側通行に変わってしまった、という説だ。
 ただし、チェコスロバキアなど、一部の中欧諸国はその影響を受けなかった。1939年ヒトラーが侵攻するまでは左側通行だった。ちなみにスウェーデンは比較的最近の1967年、一夜にして右側通行に変更された。日本も終戦直後、マッカーサーが右側通行に変えようとしたらしい。進駐軍の持ち込んだジープが走りにくかったからだ。ところが、当時国民の足になっていた木炭バスのドアが左側に付いていたので、ドアを付け変えるわけにもいかず、マッカーサーもあきらめたという。沖縄は1972年米国から返還されるまでは右側通行だった。
 歴史にもし(if)は無いけれど、もしナポレオンが居なかったら、現在世界中の車は左側通行になっていたのだろう。フランスやドイツやアメリカも左側通行で、世界の自動車は全部右ハンドル。自動車の設計や生産用の部品も右ハンドル用だけですむので、車の値段はもう少し安くなっていたのに違いない。

▽左側通行守っているのは日本と英連邦

 英国や日本のように左側通行の国では右ハンドル、ヨーロッパやアメリカは右側通行で左ハンドル、というのは今では常識だ。追い越したり、すれ違う時に前方が良く見えて安全だからだ。この常識も、車が発明された当時にはなかった。世界最初のガソリン自動車は1886年ドイツのカール・ベンツが発明した「パテント・モーターワーゲン」だが、ハンドル(と言うよりレバー)は座席中央に付いていた。同じ年にゴットリープ・ダイムラーが発表した「モータークッチェ(モーターコーチ」)」も、座席中央にレバーが付いていた。その後20世紀に入り、本格的なハンドル付きの自動車が出てくるが、意外なことに、右側通行のドイツやフランス車も、ハンドルは右に付いていた。当時の車は、金持ちの乗り物で、お抱え運転手がいたからだ。この運転手が主人のドアマンも兼ねていたわけで、道路の右側に止めた車の運転席(右側)からサッと降りて、後席右側に座っている主人のドアを開けたのだ。
 当時は車の数も少なく、他車を追い越したり、すれ違ったりすることもまれだったので、何の問題もなかった。その後、車が増えて現在のハンドル位置になったが、高級車の運転席は長い間逆に付いていた。現在左側通行の国は、意外なほど結構多い。トヨタ車は200カ国以上で走っているが、4分の1以上が左側通行国だ。そして、その大半が英連邦(コモンウエルス)加盟国なのだ。伝統的な左側通行は、日本と英連邦が守り続けているというわけだ(カナダなど、一部の英連邦は右側通行)。
 ところで、万国共通に、左側を走っている乗り物がある。鉄道だ。信号確認がしやすいように、運転席も左側にある。追い越すことはないし、すれ違う時に相手との間隔を気にする必要もないから、左側に座るのは合理的だ。ナポレオンの影響が鉄道にまで及ばなかったのは不幸中の幸いだ。もしフランスで列車も右側通行になっていたら、今日ユーロスターは走っていなかったかもしれない。ロンドンを発車して左の線路を走るパリ行きと、パリを発車して右の線路を走るロンドン行きのユーロスターが、ユーロトンネルあたりで正面衝突してしまうから…(もちろん冗談です)。

著作:
ビップル事務局(無断転用禁止)

■トップページ ■先生発見/登録 ■無料紹介 ■授業料 ■ビップル概要 ■相互リンク ■サイトマップ
       
休 憩 室
・逆さ富士のミステリー
・日本は何故左側通行?
・郵便ポストは何故赤い?
・倫敦バスは何故赤い?
・英国エデンプロジェクト
・誰でもバイリンガルに
・万博の歴史
・万博年表
・万博関連情報


                         ビップルは受験生を応援します
                                
             Copyright(C) 2005 VIPLE Japan . All Rights Reserved

トップページ先生発見/登録無料紹介授業料ビップル概要相互リンク受験相談サイトマップ