■□■ 倫敦(ロンドン)バスが赤い理由 ■□■
ロンドンの市営バスは赤い二階建てバスです。ロンドンの二階建てバスの歴史は古く、第一回万博(1881年ロンドン博)の時代にまでさかのぼります。当時はまだ馬車の時代でしたが、産業革命により都市部への大量人員輸送が必要だったため二階建てバスが開発されたといわれています。二階へ上る梯子が設置されるまでは、バスに乗り切れない乗客が、屋根の上によじ登って乗車したそうです。(降りるときはどうしたのかな?)

では車体の色は何故赤いのでしょう?
ロンドンの市内観光バス(ロンドン版「はとバス」)のボデーはクリーム色です。側面に広告が描かれた車両もたくさん走っています。でも市営バスは現在も赤色の伝統を守っています。前回の「郵便ポストは何故赤い?」に続いて、今回は倫敦バスが赤い秘密に迫ります。ロンドンっ子も知らない謎の答えは
下のエッセーに書いてありますので読んでください。

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倫敦バスは何故赤い? (本エッセーは2002年8月時事通信テムズコープに掲載されたものを著者の了解をいただいてビップルがお届けするものです)

消防車の色が赤いのは常識だが、倫敦バスが赤いのは何故だろう?好奇心は人の脳を活性化する。脳が活性化すれば、受験勉強もはかどるというものだ。今回は好奇心のおもむくままに、ロンドン名物倫敦バスが赤い理由を探ってみたい。

 ロンドンに初めてバスがお目見えしたのは1829年、ビクトリア朝の始まる8年前のこと。G.シリビアさんという馬車大工が馬車バス(ホース・バス)運行を始めた時だった。バスがタクシーと違う点は、同じ方向に行く人を乗り合わせて、一定の路線を走るところにある。これは、馬車(ハード・ウエア)を使ったアイデア商売(ソフト・ウエア)であり、画期的な発想だった。この乗合バスを当時はオムニバスと呼んだ。余談になるが、モスクワでは現在でもハイエース級の小型バス(ロシア製ガゼリ)を使った乗合バス(通称ルート・バス)が市民の足になっている。

 

 
バスはフランス人のアイデア

 さて、このオムニバスなるアイデアを考え出したのは、残念ながら(?)英国人ではない。フランスの哲学者パスカルと言われている。オムニバス(ラテン語でfor all=みんなのため)と命名したのも彼らしい。現在使われている「バス」はオムニバスの省略形だ。

 こうしてロンドンに登場した最初の馬車バスは、お客を沢山乗せる為に、図体がかなり大きかった。大きくて重かったので、3頭の馬に引かせた。夜間走行用に、ランプが左右に装備されているのには感心する。乗降用の観音ドアが真後ろに付いていた。車掌が乗って運賃を徴収した。ところがこのバス、図体が大きすぎてロンドンの狭い道を走るのには不便だったので、すぐに姿を消してしまった。

 代わって登場した車幅のスマートな2頭立てバスが主流になった。バス運行を開始した当初は、抵抗勢力(馬車タクシー業界)の反対で、市内乗り入れは許されなかった。最初は、パディントンとバンクの間を往復するだけだった。利用客の強い要望もあり、市内乗り入れが晴れて許可されたのは2年後の1831年のこと。

 

 
▽二階建てバス登場

 最初の二階建て馬車バスがロンドンに登場したのは、1851年世界最初のロンドン万博の時だと言われている。各地から万博見物にやってきた大勢の観光客を効率的に運ぶための知恵だった。日本でも2005年に愛知県で「愛地球博」が開かれる。「自然の叡智」をテーマに、環境に優しい乗り物が来場者の足になる予定だ。
(ビップル注:本エッセーは2002年11月時事通信に掲載されたものです)

 二階建て馬車バスが本格的に運行されるのは、1860年代に入ってからのこと。車体後部に取り付けた「はしご」で二階に登った。二階席は一階屋根の出っ張りを利用したから、乗客は背中合わせに横向きに座った。屋根の上に座るのだから、さぞやお尻が痛かったことだろう。

 二階席は料金も安く、貧乏人の席だったから屋根なんて付いてない。そもそも、貴族や金持ちは自家用馬車を持っていたから、バスは中産階級の移動手段だった。当時の絵を見ると正装した女性も二階席に座っている。おしゃれをした女性が「はしご」を登る姿は、とてもコミカルで愉快だ(失礼!)。
 1890年代になると、進行方向にベンチを並べた本格的な二階立て馬車バスが出てくる。らせん階段が設置され、現在の二階建てバスの原型になった。

 
▽コスト高で馬車バス消える

 馬車バスはやがて消えていく運命にあった。消えた理由が面白い。人件費ならぬ「馬件(券ではない)費」が馬鹿にならなかったからだ。

 「馬の落とし物」もひどかったらしい。「横断掃除屋」なる商売もあって、道路を横断する人の前をほうきで掃いて糞を退けたそうだ。風の強い日には糞が舞い上がり、糞害に憤慨してた人もいたに違いない。馬動力(ホース・パワー)に代わる動力捜しが始まった。時代はちょうど電力の時代になろうとしていた。

 1863年に開通した世界初のロンドン地下鉄(蒸気機関車)は、1903年には電化され、路面電車も1901年に登場した。馬車バス会社も蒸気エンジンや、蓄電池バスの開発を試みたが失敗に終わった。

     

 
▽エンジン動力のバス登場

 そこに救世主として現れたのがガソリン・エンジンだ。19世紀も終りに近い1898年、ロンドン初のエンジンを動力にしたバス(モーター・バス)の営業が開始された。5.3リッター4気筒30馬力のガソリン・エンジンで、ボデー・デザインは馬車バスと同じ、屋根なし二階建て。おまけに運転席も、御者と同じ無蓋の雨ざらしだった。馬車バス屋さんが競ってモーター・バス運行に参入したという。その中で、ロンドン・ジェネラル・オムニバス社(LGOC)が勝ち残って、バスの製造から運行まで手掛ける大手になった。

 1920年代に入ると、バス会社ブームが再燃、大小のバス運行会社が乱立した。各社は車体に目立つ色を塗って客の目を引く工夫をした。車体を茶色に塗ったチョコレート・エクスプレス・オムニバス社とか、緑色とか、オレンジ色とか、様々な色のバスがロンドンを走った。大手のLGOC社は赤色だった。こうしてロンドンには、需要をはるかに上回る6000台のバスが走り、乗客獲得の熾烈な運賃値下げ競争が発生した。大手のLGOC社といえども利益は低下し、車両開発・改善に回す金はなくなり、もってサービスは低下した。

   

 
▽ロンドンのバスが全部赤くなった

 事態を憂慮した当局は1924年、新規参入を禁止してバスの運行台数を制限する法律を出した。1933年には、LGOC社を母体に各社を吸収して、市営のロンドン・パッセンジャー・トランスポート・ボード(LPTB)が設立された。母体になったLGOC社は赤いバスを運行していたので、各社から集められたLPTBのバスも赤く塗り変えられた。かくして、ロンドンを走るバスは全部赤くなったという訳だ。

 市内コベント・ガーデンにある交通博物館には、ロンドン最初の馬車バスや地下鉄も展示されており、乗り物の歴史に興味のある方もない方も是非行ってみることをお勧めする。

 ところで、冒頭「消防車が赤いのは常識」と書いたが、最近英国人から聞いた話によると、消防車の色はEU規則で黄色と定められたらしい(誤情報ならイエロー・カードものだが・・)。英国人は朱に交わっても赤くならない国民だから、消防車の色(赤いので話がややこしいが)が黄色になるのは、いつの日かわからない。でも、単一通貨ユーロ導入の方は、EUの一員として一日も早く実現して欲しい。

著作:
ビップル事務局(無断転用禁止)


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