■□■ 郵便ポストが赤い理由 ■□■
最近は左の写真のような円筒形の郵便ポストを見かけなくなりました。都会ではほとんど四角いポストになってしまいましたね。ちょっぴり残念ですが、
色は昔のまま赤が使われています。

ポストを発明したのはフランス人と言われてますが、改良を重ねて全国に普及させたのは英国人です。英国では今でも昔ながらの楕円筒形のポストが現役で活躍しています。ポストの色はもちろん赤です。だって、その昔ポストの色を赤く決めたのは英国人だからです。郵便ポストは何故赤い?、その謎は下のエッセーを読めば解けますよ。

生徒さんの文章引用は自由ですが、評論家様等プロの方の場合は、著作権の問題がありますので無断転用はご遠慮ください。
       
郵便ポストは何故 赤い? 
(本エッセーは2002年11月時事通信テムズコープに掲載されたものを著者の了解をいただいてビップルがお届けするものです)

 「ロンドンはスタンダールの世界ですね」と気取って言った人がいる。フランスの文豪が1830年に著した「赤と黒」をイメージしての発言だろう。小説の題名が何故「赤と黒」なのか不明だが、ロンドンの色が「赤と黒」というのは言い得て妙だ。いたるところで目に付くから(カラー)だ。黒い色の代表は倫敦タクシー。街路灯の柱、歩行者フェンス、交通信号や標識の柱も黒いし、果てはゴミ箱まで黒色だ。赤い色の代表は何といっても倫敦バスと郵便ポスト。電話ボックスも赤い。バッキンガム宮殿の衛兵は赤い制服に黒い帽子をかぶっている。一般的にロイヤル・カラー(英国王室色)はパープル(紫)、ゴールド(金)、スカーレット(赤)の3色だ。ブラック(黒)を加えた4色は女王の「レーシング(競馬)カラー」と言われる。今回は英国の郵便(ロイヤル・メール)の歴史を概観しながら、郵便ポストが赤い理由を探ってみたい。

 
◇英国郵便事業は民営化の方向

 英国の郵便事業は、民営化に向けて動き出している。2001年3月、従来の郵政公社を100%政府所有の株式会社に変更した。社名にもこだわった。21世紀の郵便事業イメージにふさわしい名称とするために、民間コンサルティング会社に依頼して、「コンシグニア」と決定した。ところが、わずか1年半後の2002年11月4日、「21世紀のイメージよりも伝統が大切」と思い直した訳ではないだろうが、社名をロイヤル・メール・グループ(株)に変更してしまった。傘下に、「ロイヤル・メール(英国内の郵便を扱う)」など、3つの郵便事業会社を柱に20社以上の関連会社を所有する。
 英国の郵便をロイヤル・メールと呼ぶのには理由がある。その昔、読み書きが出来たのは王室と貴族くらいのもので、郵便などはなかったから、国王は王室専用の手紙の運び屋(メッセンジャー)を有していた。16世紀ヘンリー8世の頃、メッセンジャーは馬に乗って手紙を運んだが、遠い場所は馬も疲れるので、所々に馬を替える場所(ポスト)を設置した。そこの主人はマスター・オブ・ザ・ポストと呼ばれ、宿屋の主人も兼ねていた。ロンドンと地方のポストを結ぶ道路はポスト・ロードと呼ばれ、メッセンジャーや手紙そのものもポストと呼ばれるようになった。このように、もともと郵便事業は王室御用達(ロイヤル・メール)だったわけだ。
 王室専用の郵便サービスを一般の人に使えるようにしたのは、17世紀の清教徒革命で断頭台の露と消えたチャールズ1世だ。国民の便利を考えての事ではない。金儲けのビジネスとして始めたのだ。これが現在のロイヤル・メール・サービスの始まりである。今から約370年前、1635年の事だった。ところで、メッセンジャーが町に着くと、ラッパを吹いて皆に知らせたそうだ。この風習は英国以外の国でも同じだったようで、ドイツなど、今でも郵便局のマークにラッパが使われている。

 
◇郵便事業は国が独占

 エジンバラやプリマスなど6カ所に郵便局が設置された。 郵便料金は手紙の枚数で決められ、封筒も一枚にカウントされたから、誰も封筒を使わなかった。料金を節約するためだ。手紙を折りたたんで蝋で封印した。民間でも郵便サービスを始める人が出てきたが、間もなくそれは禁止され、郵便事業はロイヤル・メールの独占となった。禁止令を出したのはオリバー・クロムウェル。チャールズ1世を処刑した革命の指導者だ。英国本土だけでなく、コモンウエルス全域で民間の郵便事業を禁止したというのだから恐れ入る。
 1660年には、王政復古で戻ってきた国王チャールズ2世が、郵便の行政当局(GPO=General Post  Office)を設置した。
 当初は受取人が郵便料金を支払った。受け取り拒否も出来たそうだ。いつの時代にも悪知恵の働く者がいるもので、住所の部分にメッセージを示唆する暗号を記して、料金を払わずに仲間内で連絡用にタダで郵便を利用してた輩もいたという。郵便配達人はポスト・ボーイ(ガール)と呼ばれた。インチキをするポスト・ボーイもいたそうで、1661年には、日付印が押されるようになった。配達された郵便が本物だと言う事を証明するためにGPOの日付印を押したのだ。この日付印は、初代GPO長官ヘンリー・ビショップの名にちなんで、ビショップ・マークと呼ばれた。

 
◇ペニー・ポスト(ペニー・郵便)とベル・メン

 こうして、遠距離はロイヤル・メールが庶民向けにも郵便サービスをしていたが、ロンドン市内は手付かずだった。一般庶民は私設メッセンジャーを雇う余裕などない。1680年、ウイリアム・ドクラという人が庶民対象に「Penny  Post」を始めた。1ペニーで市内何処でも手紙を運んだ。彼は市内7カ所にペニー・ポストの集配所を設置し、400カ所の商店や居酒屋と提携した。当局の営業許可も取得し、評判も良かったが、集配所とか提携商店が近くにない利用者のために一件一件御用聞きをして回ったから、効率は悪く人件費もかさんだという。
 1709年になると、チャールズ・ポビィという人が「Half−Penny  Post」なるものを始めた。人件費を抑えるために、郵便集配人に手持ちベル(鐘)を持たせて、町を歩かせた。鐘の音を聞くと、手紙を出したい人は家から出てきて彼に手紙を渡すのだ。現在の日本でも、焼芋屋さんや青竹売りがスピーカーを鳴らしながらやって来る。それと同じ発想だ。ちなみに彼らはベル・メンと呼ばれた。郵便ポストがなかった時代、わざわざ郵便局まで行かなくても良いベル・メンは重宝された。

 
◇切手は英国人の発明

 19世紀になると、読み書き出来る人が増え、手紙の大衆化に伴って郵便取扱い量も増えていった。1837年に、ローランド・ヒルという学校の先生が、旧態依然のやり方を続けているロイヤル・メールに対して改革(リフォーム)を提唱した。彼は後に世界の近代郵便の父と言われるようになった人物で、いくつかの改革案を提示した。その中に「差出人が料金負担」するべきであるとの発想もあった。もっとも、ペニー・ポストは料金前払いだったので、特に画期的なアイデアというわけではなかった、と思うのだが…。
 当局もこの改革案に大いに賛同して、懸賞金付きで一般大衆のアイデアを募集した。裏に糊の付いたシール(切手)のアイデアは、応募作品の中にあったという。ちなみに、料金を手紙の枚数や距離ではなく、重量で決めるべきだとしたのもヒルの提案だ。
 1840年1月、世界初の切手「ペニー・ブラック」が発行された。ビクトリア女王の頭部をデザインした黒色の切手だ。このペニー・ブラックは僅か9カ月で姿を消す。紙質があまりにも良かったので、消印をこすって消して、何回も使う輩が出てきたからだ。代わって登場したのは、同じデザインで色が赤い「ペニー・レッド」だった。(英国人はやはり赤と黒がお好きなのだ)。

   
 
◇郵便ポスト登場

 アンソニー・トロロープという人物がいた。後に小説家として名を馳せるのだが、当時は西イングランドを統括する郵政審議官(Riding Surveyor)のアシスタントだった。1851年、ロンドンで世界最初の万国博覧会が開催された年、彼はイギリス海峡に浮かぶチャンネル諸島に派遣された。郵便サービス向上調査が目的だった。そこはフランス本土の近くだったこともあり、フランスではレター・ボックスなるものが使われている事を知る。(バスはフランス人の発明だと以前ご紹介したが、ポストもフランス人の発明か!)。
 彼の偉いところは、ソフトをしっかりと考えた点にある。「郵便ポスト、使わなければただの箱」である。彼はポストを活用した郵便の安全かつ定期的な運用方法を考え出し、上司から試験運用の了解を取り付ける。既に切手(料金プリペイド)が登場していたことも幸いした。こうして1852年、英国の第一号郵便ポスト(ピラー・ボックス)はジャージー島のセント・ヒリア市街に設置された。形は六角柱、色はダーク・グリーン。翌年から英国本土の幾つかの都市で試行された後、1855年、フリート・ストリートにロンドン第一号の郵便ポストが設置された。形は四角柱、色は?、ジャージー島と同じダーク・グリーンだった。

   
 
◇郵便ポストが全部赤くなった

 そもそもポストの色や装飾は全国6地域にいる郵政審議官に任せられており、各々の趣味・趣向で決めていたから、色に大した意味は無かったのだ。ただし、ポストが製造された年の国王の名は刻印しなければならなかった。現在最も多く見掛けるのは、当然の事ながらエリザベス2世女王のものだ。郵便ポストに「EIIR」(Elizabeth 2 Regina)と刻印されてるのをご存知の方も多いだろう。ビクトリア女王時代のポストも現役で活躍している。「VR」と刻印されてるので、注意して歩くとどこかで見かけるかもしれない。
 英国初の「赤いポスト」は、1874年ロンドンのトラファルガー広場など六カ所に設置された。これが大変な評判になった。「やっぱりロイヤル・カラーは目立つし、よろしいなあ」ということになって、当局は「郵便ポストの色は赤にする」と正式に決めたのだ。全国のポストを赤に塗り変えるのに、その後10年の歳月を要したという。

 
◇1870年、日本にもポスト登場

 ちなみに、日本で最初の郵便ポストは1870年(明治3年)に設置された四角柱の黒い箱だ。大阪万博開催のちょうど100年前のこと。赤いポストが登場したのは1901年のこと。「欧米への視察団がロンドンから持ち帰ったアイデアかも知れない」(デジタル・パーク郵政館調査)。ちょうど翌年の1902年に日英同盟を結んでいるから、秘密裏に郵便ポストの色条約も結んでいたのかも知れない(これは冗談)。いずれにせよ、日本の郵便ポストが赤いのは「英国の真似をした」との説は正しいのだろう。
 郵便物は当初馬の背に乗せて運んでいたが、18世紀の終りには武装した護衛付きの郵便馬車が登場し、やがて19世紀半ばには鉄道に取って変わる。20世紀に入ると、自動車の時代が始まる。第一次大戦の後、1919年に初めて軽商用車のバンが50台導入された。現在は車体を真っ赤なロイヤル・カラーに染めた3万台の郵便配送車が郵便ポストの回収や全国への配送に活躍している。使用している車両はLDV(Leyland Daf Vans)社製バンだ。
 最近はTVコマーシャルにも登場するかっこ良い郵便配送車だが、パワステもエアコンもサンルーフも付いていない(今年からやっとパワステが付いたそうだ)。セキュリティー上、車から離れる時に窓を開けてはいけない規則になっている。真夏の暑い日に駐車しておくと、車内は蒸し風呂状態になるそうだ。給料は安いし、労働環境は悪いしで、このままでは地下鉄運転士や消防士のストに続いて、ロイヤル・メールのストが発生するかもしれない。快適なトヨタの商用車に換えればストが回避できるかも知れないのだが…。
 ところで、真偽のほどは不明だが、明治初期日本に始めて郵便ポストが置かれた時に、「厠(かわや)」と間違えて用足しを試みた御仁が居たそうだ。文字が読めるインテリだったようで、郵便という文字を「便を垂れる」と解釈した。郵便「差入口」から用を足そうとしたらしい。何度かトライしたが、届かない。「輸入品はいかんのう。早く国産品を作って欲しい」と呟いたそうな。

著作:
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