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カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版 見出し語 『 お 』
No.2645。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ お ● 事柄順。
〇 おは お初 (おはつ)。
(= 初(はつ)、常高院 じょうこういん)。
(1570年?〜1633年)。
○ 浅井三姉妹(茶々、初、江)
の一人。
○ 淀殿(茶々)の妹。
○ お江(おごう)の姉。
○ 京極高次(ぎょうごくたかつぐ)の
正室夫人。
○ 夫の京極高次を助けて、京
極家を隆盛に導く。
○ お坊ちゃんのダメ夫のシリを
たたいて夫を出世させた、頑張り
女性。
○ 実子はいなかった。
〇 おは お初 (おはつ)関連出来事
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■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典
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■ お初
(おはつ) (常高院)。
■ お初。
■ 生没年 : 1570年(永禄13年)?〜1633年(寛永
10年)。
■ 名称 : お初 (おはつ)。
● 別名 : 初 (はつ)。
● 正式名(本名)は、 浅井 初 (あざい はつ)。
● お初 (おはつ) は、落飾(らくしょく、出家)後、 常高
院(じょうこういん) と称した。
(注意) ○ 前近代日本では、女性は、通常、個人名のみで自他
呼称。 ○ 前近代日本では、夫婦別姓。 (⇒ 前近代日本の人名 )
■ 京極 高次 (きょうごく たかつぐ) の正室・夫人。
■ 夫の姉妹・京極 龍(竜)子と連携協力し 夫・京極高次を助けて、
京極家を隆盛に導く。
■ 坊ちゃんのダメ夫・京極高次のシリをたたいて夫を出世させた、
頑張り女性。
■ 京極高次との間に、 実子はいなかった。
■ お初(おはつ) は、 美貌の持ち主であった と言われている。
■ 近江(おうみ)の戦国大名・浅井長政の 次女。 織田信長の姪
(めい)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 戦国時代(室町時代後期)、安土桃山時代、江戸時代初期 の
女性。
■ 淀殿 (茶々、豊臣秀吉側室(夫人)) の妹。
■ お江 (おごう、お江与、江戸幕府2代将軍徳川秀忠正室(夫人)、
3代将軍徳川家光の生母) の姉。
■ お初(おはつ) は、 織田信長の妹・お市(おいち) と 近江(お
うみ)の戦国大名・浅井長政 との間に生まれた、3人の娘・浅井
三姉妹 ( あざいさんしまい、 お茶々 (おちゃちゃ)、淀殿)、 お初
(おはつ、常高院)、 お江 (おごう、江(ごう )、小督(おごう)、お江
与(おえよ)、崇源院(すうげんいん)) の一人 で、浅井長政の次女。
■ 父 は、浅井長政 (あざいながまさ)。
■ 母 は、お市 (おいち)。
■ 兄弟姉妹 は、 お茶々(おちゃちゃ、淀殿、姉)、 お江(おごう、妹)。
□ 小谷城 画像アルバム No.1。
■ お初 は、 夫の京極 高次を助け、 京極家を隆盛に導いた。
■ 京極 高次 は、 没落した名門・京極氏に生まれる。
■ 京極氏 は、 近江(おうみ、現在の滋賀県)の大名で、 臣下の
浅井氏の下剋上(げこくじょう)を受け、没落した。
■ 1582年(天正10年)に、京極 高次 は、 は、 本能寺の変で、
京極 高次の姉妹・京極龍(竜 )子の夫の若狭の武田元明と共に、
明智光秀に味方して、 羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍に敗れた。 京
極龍(竜)子は、 捕ら えられた後、 秀吉の寵愛(ちょうあい)を受
け、 羽柴秀吉(豊臣秀吉)の側室・夫人となる。
京極 高次 は、 秀吉の側室となった姉妹の京極龍(竜)子の
嘆願などにより許され、 秀吉に仕えることになった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 京極 高次 は、1584年(天正12年)には、近江高島郡2,500
石を、秀吉から与えられる。
■ お初 は、 1587年(天正15年)に、 いとこの京極 高次と婚儀
を結んだ (京極 高次の正室・夫人となった)。
■ 夫の京極 高次 は、 1595年(文禄4年)には、近江・大津城6
万石の領主 となった。
■ 1600年の天下分け目の戦いでは、 夫の京極 高次 は、居城
の大津城に、 お初(常高院)と共に、 籠城(ろうじょう)して(城に
たてこもって)、 一万を超える西軍を引き付けて、関ヶ原の主戦場
へ向かわせなかった。
夫の京極 高次 は、 戦い後、その戦功により、若狭(わかさ)
一国8万5,000石を、徳川家康より与えられ、 京極氏の再興を果
たした。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ お初 (おはつ)、初(はつ)) は、 浅井長政の次女で、 京極
高次 (きょうごくたかつぐ) の正室・夫人 となった。
● お初 (おはつ) は、 落飾(らくしょく)後、常高院 (じょうこう
いん) と称した。 京極高次との間に子はなかった。
■ お初(おはつ) は、 戦国時代(室町時代後期)、安土桃山時代、
江戸時代初期の女性 である。
■ お初 (おはつ) は、 生没年は 1570年(永禄13年)?〜16
33年(寛永10年) である。
■ お初 (おはつ)の、正式名(本名)は、 浅井 初 (あざい は
つ) である。
(注意) 前近代の日本では、夫婦別姓。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ お初 は、 坊ちゃんのダメ夫のシリをたたいて夫を出世させた、
頑張り女性 である。
● お初の夫の京極高次 (きょうごく たかつぐ) は、 武将で、名家
(近江(おうみ)源氏で室町幕府の四職)の京極氏の当主であったが、
下克上(げこくじょう)の戦国時代の末期には、 京極家 は、 既に、
衰退していた。 しかし、初(はつ) が、 安土桃山期、江戸初期に、
京極 高次の姉妹・京極龍(竜)子と共に、 覇気(はき)のない京極高
次を助けバックアップして、 京極家を隆盛に導く。
■ お初(おはつ) は、 近江(おうみ)の戦国大名、浅井長政の次女
で、 織田信長の姪(めい) である。
■ お初の生母、お市 は、 「戦国一の美女」と謳(うた)われた美女
であり、 その次女・初(はつ)も、母の面影を受け継いで、 美貌の
持ち主であった と言われている。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ お初 は、 織田信長の妹・お市 と 近江(おうみ)の戦国大名
・浅井長政 との間に生まれた、 3人の娘・浅井三姉妹 (あざいさ
んしまい、 茶々(ちゃちゃ、淀殿)、 初(はつ、常高院)、 江(ごう、
小督(おごう)、お江与、崇源院)) の一人で、 浅井長政の次女 で
ある。
■ お初 は、 浅井長政 (近江(おうみ)の戦国大名) の次女 で、
織田信長の姪(めい) である。
● お初 は、 近江国(おうみのくの、現在の滋賀県)の生まれで、
父は、浅井長政で、近江の戦国大名、 母は、お市で、織田信長の
妹 であった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
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♪♪ 初 (はつ、常高院) が登場する、興味
深い、ドキュメンタリー、ドラマ、映画。
★ お初 (おはつ、常高院) が登場する、興
味深い関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。
歴史のドラマ、映画 は、史実(歴史上の事実) と
架空の出来事が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 真田丸 (さなだまる) 』 。
(NHKテレビ・2016年大河ドラマ)。
■ 日本の安土桃山時代や江戸時代初期の時代
を描く。
■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』
(NHKテレビ・2011年NHK大河ドラマ)。
● お初 (おはつ、常高院)を演じる女優 :
水川 あさみ (みずかわ あさみ)。
● お初の夫の京極 高次を演じる俳優名 :
斎藤 工 (さいとう たくみ)。
● お初の夫の姉妹の京極 龍(竜)子(たつこ)
を演じる女優名:鈴木 砂羽 (すずき さわ)。
■ 『 寧々〜おんな太閤記 (ねね
おんなたいこうき) 』 。
(テレビ東京・2009年制作・テレビドラマ)。
● 初 (はつ、常高院)を演じた女優 : 小林 涼子。
■ 『 茶々 天涯の貴妃 (ちゃちゃ
てんがいのおんな) 』 。
(日本の2007年製作・東映映画)。
● 初 (はつ、常高院)を演じた女優 : 富田 靖子。
■ 『 功名が辻 (こうみょうがつじ) 』。
(NHKテレビ・200 6年大河ドラマ)。
● 初 (はつ、常高院)を演じた女優 : 吉川 麻衣子。
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■ お初(おはつ)関連出来事
(おはつかんれんできごと))。
◆ お初(おはつ)の生涯(年代順・詳細)。
■ 1570年(永禄13年)?に、お初(おはつ) は、 父の浅井長政
の近江(おうみ、滋賀県)の小谷城(おだにじょう)で生まれ、その後、
そこで育つ。
■ 1573年(天正元年)の小谷城落城時、父・浅井長政は自害し、
小谷城落城後、 お初 は、母・お市と共に、以後、織田家の庇
護(ひご)をうける。
■ 1582(天正10年)年に母・お市が、柴田勝家と再婚すると、 お
初 は、越前(えちぜん、福井県東部)の北ノ庄城(きたのしょ
うじょう)へ移る。
■ 1583年(天正11年)の北ノ庄城落城時、母・お市は自害し、北
ノ庄城落城後、 お初 は、以後、羽柴家(豊臣家)の庇護(ひご)
をうける。
■ 1587年(天正15年)に、 豊臣秀吉の計らいで、 お初 は、
京極高次(きょうごくたかつぐ) と婚儀を結ぶ(結婚する)。
■ 1600年(慶長5年)の天下分け目の戦いで、 京極高次 は、
大津城で籠城(ろうじょう)し、西軍を足止めした功績で、徳川家康
より、 若狭(わかさ)一国(若狭小浜8万5000石)を与えられる。
■ 1609年(慶長14年)に、夫の京極高次が亡(な)くなると、 お
初(おはつ) は、 落飾して (剃髪(ていはつ)・出家(しゅっけ)し
て)、常高院 (じょうこういん) と称す。
■ 豊臣方と徳川方の対立が露呈するようになると、お初 は、
豊臣方の使者として、仲介に奔走(ほんそう)する。
● 豊臣秀頼は、 お初の姉の淀殿(茶々)の子で、 徳川家康
は、 お初の妹の江(ごう)の舅(しゅうと) である。
■ 1614年(慶長19年)の大阪の冬の陣では、お初 は、 徳川
方の阿茶局(あちゃのつぼね)とともに、 和議の取りまとめに尽
力(じんりょく)した。
■ 1615年(慶長20年)の大阪の夏の陣で豊臣家が滅亡し姉の
淀殿(茶々)を失った後は、 お初 は、 妹の江(ごう、崇源院)と
よく会っていた (江(ごう)が没する1626年(寛永3年)まで)。
■ お初 は、 1633年(寛永10年)に、 京極家の江戸屋敷で、
死去する。
■ お初の墓所は、 福井県小浜市(若狭(わかさ)の小浜)の常
高寺にある。
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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上