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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK

 

 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 ふ 』。

 No.1296。

 

 

メ ニュー (目次)  #jpmenu     

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)    

□   

 ふじ  藤原 道長 

            (ふじわらの みちなが)。   《人名》。

            (966 年ー1027年)。

          FUJIWARA No Michinaga.

          ○ 摂関政治で日本を実質的に

          支配し、栄華を極めた貴族。

             ■ 藤原 道長 (ふじわらの みちなが、生

             没年:966年ー1027年) は、 摂関政治

              で日本を実質的に支配し、栄華を極めた貴

             族である。

 

 

□ 日本史 辞典 の 「ふ」 基本見出し語

   の 先頭ページへ。        

 

■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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◆ 日本史辞典

 

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□ 日本史 辞典の「ふ」 基本見出し語

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#fu

 

#fujiwaranomichinaga

 

■ 藤原 道長 

    (ふじわらの みちなが)。

 

■ 藤原 道長 

■ 生没年 : 966年ー1027年。 

■ 名称 : 藤原 道長 (ふじわらの みちなが)。

■ 平安時代中期の貴族、政治家。

■ 摂関家の藤原 氏を隆盛に導く。

■ 藤原兼家 (ふじわらのかねいえ、929年ー

    990年)  の子。

■ 1018年に、藤原道長の邸宅で、祝宴で道長

  が詠(よ)んだ歌。

  『 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 

    欠けたることも なしと思へば 』。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 91336。

 

□ 藤原道長と藤原氏の摂関政治

□ 藤原道長が登場する、興味深い 関

     連ドラマ、映画、ドキュメンタリー 

 

 

■ 藤原 道長 (ふじわらの みちなが、生没年:

  966〜1027年) は、 平安時代中期の貴族、

  政治家で、 天皇の外戚として権勢をふるい、 

  摂関政治の最盛期を現出する。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 藤原道長は、 内覧(ないらん)、摂政、太政大臣

  などになり(関白には就任していない)、 摂関政

  治の最盛期を現出した。

     藤原道長は、 藤原道長以後江戸時代後期

  まで、 摂関家として、 朝廷の摂政関白職を、藤

  原氏の御堂流(みどうりゅう、藤原道長の子孫)が

  独占する(で固める)基盤をきづいた。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 藤原道長は、 天皇の外戚として権勢をふるい、

  摂関政治の最盛期を現出する。 藤原道長以後、

  摂関家として、朝廷の摂政関白職を、藤原氏の

  御堂流(みどうりゅう、藤原道長の子孫)が独占す

  る(で固める)基盤をきづいた。

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 藤原道長は、 後一条(ごいちじょう)天皇、 

  朱雀(ごすざく)天皇、 後冷泉(ごれいぜい)天

  皇の3天皇の外戚(外祖父)として、権勢をふる

  った。 

 

■ 藤原道長は、 内覧(ないらん)、左大臣、摂政

 (就任1016〜17年)、太政大臣(就任1017〜

 18年)などになり (関白には就任していない)、 

 摂関政治の最盛期を現出した。

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 藤原道長の子は、 藤原頼通(ふじわらのより

  みち、992〜1074年) である。

 

■ 藤原道長は、 藤原兼家 (ふじわらのかねい

  え、生没年: 929〜990年) の子 である。

    藤原道長 は、政争に明け暮れる父・藤原兼

  家を見て、育った。

■ 藤原道長は、病弱で、いくつもの持病をかかえ

 ていた。 

 

■ 藤原道長は、 後一条(ごいちじょう)天皇、 

  朱雀(ごすざく)天皇、 後冷泉(ごれいぜい)天

  皇の3天皇の外戚として、 権勢をふるった。 

● @ 彰子(しょうし)、 A 妍子(けんし)、 B 

  威子(いし)、 C 嬉子(きし) ら4人の藤原道

  長の娘は、 @ 一条天皇、 A 三条天皇、 B 

  後一条天皇、  C 後朱雀天皇の4天皇 の妃

  (きさき、正室夫人)となって、 後一条(ごいちじ

  ょう)天皇、 後朱雀(ごす ざく)天皇、 後冷泉(ご

  れいぜい)天皇の3天皇を産み、 道長は、天皇

  の外戚として、権勢をふるった。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 次ぎの歌は、 1018年(寛仁(かんにん)2年)

  に、 藤原道長の邸宅で、威子(いし)の立后

  (娘の威子(いし)を後一条天皇の中宮となした)

  を祝い、 諸公卿(くぎょう)を集めた祝宴で道長

  が藤原実資(さねすけ)に向かって詠(よ)んだ歌

  である。

    『 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠

  けたることも なしと思へば 』 (この世は道長の

  ためにある。 だから満月も欠けることもない)。

  (公卿・学識人の藤原実資(ふじわらのさねすけ、

  957〜1046年)の日記 『小右記』 (おうき・しょ

    うゆうき)より)。

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 藤原 道長は、999年に、娘の彰子(しょうし)を

  入内(じゅだい)させ、 一条天皇の正室夫人(女

  御)とした。 翌年には、中宮となる。

     しかし、宮中では、清少納言(せいしょうなご

  ん)を侍女(女房)とするライバルの夫人の定子

  (ていし、977〜1000年)が、一条天皇の寵愛

  (ちょうあい)を受けていたため、当初は、彰子へ

  は一天皇の通いが 少なく、 彰子には皇子(み

  こ)ができなかった。

     その後、ライバルの定子は、1000年に、難

  産で死去し、さらに、 道長は、1004年(寛弘2

  年)または1005年(寛弘3年)に、  彰子の入内

  5 、6年後に、 源氏物語作者で教養もある紫式

  (むらさきしきぶ)を彰子の侍女(女房、1005

  〜1012年頃)とした。 すると、条天皇は、彰

  子のもとに頻繁に通うようになり、 1008年に、

  彰子入内9年後に、道長の娘の彰子は、敦成

  親王(あつひらしんのう、後の後一条(ごいちじょ

  う)天皇)を産む。 1009年には、  彰子は、

  良親王(あつながしんのう、後の後朱雀(ごすざく)

  天皇)を産む。 この2人の皇子(みこ)が、 藤原

  道長家(御堂流藤原氏、藤原道長の子孫)の繁栄

  の基盤となった。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

#fujiwaranomichinaga-hisstratagem

 

◆ 藤原道長 と 藤原氏の摂関

   政治。

■ 摂関家(せっかんけ)の藤原道長は、 日本政治

  の実権獲得を望み、計略を実行した。

    平安時代中期の当時、 日本政治の実権獲得

  をめぐり、 藤原氏の近親同士の、 兄・藤原道隆

  (ふじわらのみちたか) と 弟・藤原道長(ふじ わ

  らのみちなが、生没年:966〜1027年) の権

  力闘争があった。 

     文学青年の、一条天皇(いちじょうてんのう)

  の正室夫人には、 藤原道隆の娘・定子(ていし、

  藤原定子(ふじわらのていし、夫人期間:990年

  〜1000年))と、 藤原道 長の娘・彰子(しょうし、

  藤原彰子(ふじわらのしょうし、夫人期間:999年

  〜1011年) がいた。

     清少納言 (せいしょうなごん) は、 紀元

  (後) 993年頃から1000年頃まで、 朝廷の、

  宮中で、 藤原道隆の娘・定子(ていし) の女房 

  (にょうぼう、側仕えの上級女官)) として仕えた。 

     一方、 紫式部(むらさきしきぶ)は、 紀元

  (後)1005年頃から1012年頃まで、 朝廷の、

  宮中で、 藤原道長の娘・彰子(しょうし)の女房 

  (にょうぼう、側仕えの上級女官)) として仕えた。 

      藤原道隆の娘で天皇・正室夫人の定子(て

  いし)には、 993年頃より、清少納言(せいしょ

  うなごん)が仕(つか)えた。 清少納言や他の女

  房(にょうぼう、側近の上級女官)は、 宮中で、 

  文化サロンを形成し、 随筆(後の枕草子)、

  、その他様々な手段を使い、 後宮で文化宣

  伝活動を行い、 文学青年の、一条天皇は、

  子のもとに頻繁に通い、 一条天皇と定子は、親

  密な関係となり、 999年に定子は、敦康親王

  (あつやすしんのう)という皇子(みこ)をもうけた。 

     しかし、995年に、関白であった定子の父・

  藤原道隆が死去し、996年に、定子の兄弟も藤

  原道長に失脚させられた(長徳の変)。 1000

  年に定子も死去し、 清少納言は、 1000年頃

  に、宮中を去った(宮中から身を引いた)。

    定子死後、定子を愛し忘れられない一条天

  皇は、 藤原道隆の娘・定子(ていし)の生んだ

  皇子(みこ)の敦康親王(あつやすしんのう)を、 

  皇太子(東宮(とうぐう)、次期天皇)にしたいと

  考えていた。 しかし、藤原道長の計略により、 

  藤原道長の娘・彰子(しょうし)の生んだ皇子が、 

  皇太子(東宮、次期天皇) となった。

     藤原道長は、 自分の娘・彰子が生んだ子

  を、皇太子(東宮、次期天皇)にするため、 

  学青年の、一条天皇の気持ちを彰子(しょうし、

  藤原彰子)に向けさせ、 自分の娘・彰子にも

  皇子をもうけてもらうため、 藤原道長の娘で

  一条天皇・正室夫人の彰子には、1005年頃

  から、紫式部 (むらさきしきぶ)を仕(つか)え

  させた。 

     紫式部和泉式部、他の女房(にょうぼう、

  側近の上級女官)は、 宮中で文化サロンを形

  成し、 物語(後の源氏物語)、和歌、その他様

  々な手段を使い、 宮中で文化宣伝活動を行

  い、 文学青年の、一条天皇は、 彰子の元に

  頻繁に通い、一条天皇と彰子は、 親密な関係 

  となり、 彰子は、1008年に、敦 成親王(あつ

  ひらしんのう)という皇子(みこ)をもうけた。 

    敦成親王(あつひらしんのう)は、1011年

  に、皇太子となった。 敦成親王は、 三条天

  皇 (天皇在位、1011〜16年、冷泉天皇と

  道長の妹・超子(ちょうし)との皇子) の皇太

  子 (東宮、次期天皇予定者) となった。 

     その後、敦成親王は、1016年に天皇に

  即位して、後一条(ごいちじょう)天皇 となっ

  た。 藤原道長は、 天皇の外戚(生母の父)

  となり、内覧(ないらん)となって、 日本の政

  治の実権を握(にぎ)った。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 藤原道長 と 藤原氏の摂関政治。

■ 平安時代中期の、一条天皇 (いちじょうてん

  のう、天皇在位:986〜1011年、生没年:98

  0〜1011年) の時期に、一条天皇の正室夫

  として、 藤原定子 (ふじわらのていし、97

  7〜1000年) と 藤原彰子 (ふじわらのしょ

  うし、988〜1074年) がいた。 

     藤原道隆の娘の定子(ていし)は、 990

  年に入内(じゅだい)し、 清少納言 (せいしょ

  うなごん) が仕えた。 清少納言は、 993年

  頃から1000年頃まで宮中で宮仕えをした。 

     995年に関白であった定子の父・藤原道

  隆が死去し、 996年に、定子の兄・伊周(これ

  ちか)や弟・隆家(たかいえ)も藤原道長に失脚

  させられ(長徳の変)、 定子は、有力な後ろ盾

  を失った。 しかし、一条天皇は、 定子を寵愛

  し、 999年に、定子は、一条天皇の第一皇子・

  敦康(あつやす)親王を出産し、一条天皇は喜

  んだが、 定子は、 1000年に死去した  (

  条天皇の第二皇女出産時)。 清少納言は、

  ほどなく、1000年頃に、宮中を去った。

     藤原道長の娘の彰子(しょうし)は、999年

  に入内(じゅだい)した。 その後、彰子は、しば

  らく、一条天皇の子をなかなか懐妊(かいにん)

  しなかった。 1002年より、一条天皇の政治的 

  配慮により、 彰子は、亡くなった定子の敦康

  (あつやすしんのう)を養育していた。  

     藤原道長は、焦(あせ)り、 紫式部の 宮中

  への出仕を望み、 1005年頃より、紫式部は 、

  宮中にいる、彰子(しょうし)に仕えた。 

     藤原道長の娘の藤原彰子(ふじわらのしょ

  うし) は、 999年に入内 (じゅだい、天皇の

  室夫人として宮中の天皇の後宮に入ること) し

  たが、 一条天皇 (いちじょうてんのう、在位9

  86〜1011年) の御渡りが少なく (彰子のも

  とに来ることが少なく)、 藤原道長は、 一条

  天皇に、藤原道長の娘の彰子にもっと関心をも

  ってもらい、 彰子のもとに頻繁に来てもらうこ

  とを望む。 そこで、藤原道長が目をつけたのが、

  教養があり文才にとんだ紫式部であった。 

     藤原道長の要請で、 紫式部は、1005年

  頃、藤原道長の娘の彰子(しょうし)の女房(にょ

  うぼう、側仕えの上級女官) 兼家庭教師として

  仕え、 その後、1012年頃まで彰子に仕えた。 

     平安時代の当時は、現在と違い、娯楽が少

  なく、物語などは、現在の人気のテレビ、映画、

  ゲームほどの人気があった。

     彰子・女房の紫式部の、教養や 物語(後の

  「源氏物語」 )は、 一条天皇の興味をそそり、一 

  条天皇は、 紫式部の物語、詩歌などを聞きに、

  彰子のもと(居室)に前より多く通うようになった

  と推測される。 

     そして、一条天皇は、藤原道長の娘の藤原

  彰子と親密になり、 彰子は、 1008年に敦成

  親王 (あつひらしんのう、後の後一条(ごいちじ

  ょう)天皇) を生み、 1009年に敦良親王 (あ

  つながしんのう、後の後朱雀(ごすざく)天皇)を

  生み、 一条天皇の、二人の皇子を生んだ。 

     その後、 1011年に敦成親王  (あつひら

  しんのう)は、 立太子となり  (東宮(皇太子)に

  なり)、 1016年に天皇 (後一条(ごいちじょう)

  天皇) になった。 

     これにより、 藤原道長は、 天皇と外戚関

  係ができ、 内覧となって朝廷の実権を掌握し、

  日本の政治の実権を握り、摂関政治を行い、栄

  華を極めた。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#fujiwaranomichinaga-appearingscenes

 

♪♪ 藤原道長 が登場する、興味深い

    関連ドラマ、映画、ドキュメンタリー。 

 

★ 藤原道長 が登場する、興味深い

   ドキュメンタリー。 

 

■ 偉人たちの健康診断 

  『 平安貴族 VS.糖尿病 藤原

     道長の憂うつ 』。

      (NHKテレビ・2018年2月18日・

    本放送ドキュメンタリー番組)。

 藤原道長を詳細に述べる。

 藤原道長の健康状態、糖尿病、

   体内時計などについて述べる。

 

 

★ 藤原道長 が登場する、興味深い、関

   連ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 

   歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実) 

   と 架空の出来事が 混じって描かれています。 

   また、 現代風 にアレンジしてあります。

 

■ 『 源氏物語 千年の謎 』。 

     (2011年日本映画)。

□ 「 源氏物語 」 (映画 源氏物語 千年の謎)

  画像 NO.1

■ 光源氏の前半生を描く (源氏物語・三部作の

  第一部を描く)。

■ 平安時代中期に活躍した人々 や 源氏物語

  などを描く。

■ 「源氏物語」の作者の紫式部、 摂関家の藤

   原道長、 道長の娘の彰子、 道長の顧問の

   安倍晴明 も登場する。

 

● 藤原道長を演じた俳優 : 東山紀之。

● 紫式部を演じた女優 : 中谷美紀。

 

■ 『 千年の恋 ひかる源氏物語 』。 

   (英語題名:GENJI−A THOUSAND 

    YEAR LOVE) 

   (2001年日本映画)。

□  源氏物語 」 (映画 千年の恋 ひかる源

  氏物語)  画像 アルバム No.1

■ 光源氏の前半生と後半生を描く (源氏物語・

  三部作の第一部・第二部を描く)。

■ 平安時代中期に活躍した人々 や 源氏物語

  などを描く。

■ 「源氏物語」の作者の紫式部や摂関家の藤原

  道長も登場する。

 

● 藤原道長を演じた俳優 : 渡辺 謙。

● 紫式部を演じた女優 : 吉永小百合 (よしな

  がさゆり)。

 

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