インド ネパール 旅行記

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マラリアの囚人

脇道に入ると細い路地が迷路さながらに絡み合ってたりする
「荷物盗られても俺のせいじゃないかんね(PRAKAS茶屋)」

朝飯を食べ終えた途端、ヨシとアベちゃんはマラリアン・サドゥーのことは一切無視します、赤の他人です、あっしらには関わりねぇことでござんす、といった木枯らし紋次郎的態度で外に出て行ってしまった。

彼らがドライなのではない。こんな状況に慣れきっているのだ。
ましてや本来なら隔離されるべき病人とは接したくない、といのも多少あるのかもしれない。
バックパッカーという人種をひとまとめにすることは出来ないけれど、彼らの多くは過干渉を嫌う。
仕事は何をしているのか? なぜ国を飛び出したのか?家族の関係はどうなっているのか?趣味は?血液型は?バストは何カップですか?
そういった質問はタブーである。そいつの領域に土足で踏み込むようなマネをしてはならないし、それぞれ持っているであろう世界を尊重しなければならない。そして、そもそも世間話とはおよそ縁遠いバックパッカーにそんな質問は、何の意味も持たないのだ。
すなわち、サドゥーは“世界”を持っていたのだった。

けれども私はその“世界”を垣間見るのが何よりの楽しみである。
そこで私は、ふと使い捨てカメラ“写るんです”でマラリア患者と記念写真を撮る、というギャグで触れ合おうか迷いつつ、軽くジャブを出してみる。
「なんか食いたいものある?」
身動きがとれず、食欲もないような病人には最適の前振りだと思ったのだが、反応はまったくない。じろりと一瞥され無視されてしまう。実に無愛想な奴め。よくもこれでドミトリー(多人共用部屋)なんかを選んだものだ。とはいえクミコハウスは格安宿としても有名なのである。恐らくは値段で選んだに違いない。

サドゥーからは相当な異臭が発されていた。それが病気のせいなのかどうかは分からない。ぐちゃぐちゃに絡み合った長髪が表情を覆い隠し、垢の溜まった黒肌のせいで異彩がより際立って見える。
 
そっちがそういう態度なら、こっちも知ったことか。すぐに仮眠を取るつもりだったのだが、これでは腹が立って眠れないのだ。
外を飛び出し、ミネラルウォーターを買い、またすぐ宿に戻り、サドゥーの枕元に放り投げて、寝た。
  
1時間ほどで目を覚ます。サドゥーの寝床を見ると、ミネラルウォーターの中身が空になっていた。これでようやく会話の糸口が出来た。
「生きてるか?」
「…………」
「病院に行く気はないのか?」
「…………」
「水、欲しいならまたもってくるぞ」
独り言状態になることを覚悟で話しかけていると、サドゥーがようやく言葉を漏らした。
「…………いいんだ」
「なんだって?」
「……もう終わってるんだよ」
「終わった?なにがだ?」
「死にどきなんだ。今がちょうど」

死ぬのは勝手だ。私にとめる権利はない。ただ死ぬならガンジスのほとりに行って野たれ死ねばいい。それこそ死を待っているインド人が山ほどいるじゃないか。ただこいつは自暴自棄になっているだけなのだ。
なんだか会話をするのもバカらしくなり沈黙が続いた。ヨシたちが関わろうとしない理由もよくわかる。
私は最後にかける言葉のつもりで言った。
「なら、韓国に戻って体直せよ」
「……もう戻るつもりはない。そう決めた」
「どういうことだよ?」
 
私が尋ねなおすと彼はぽぽつと語り始めた。
聞けばサドゥーは兵役義務を拒否し、故国を飛び出してきたのだという。徴兵に断固として拒否するかぎり、彼は収監されるしかない。「数年ぐらい我慢すりゃ、いいじゃないか」と思わず口にしてしまったが、すぐに後悔した。
「そんな問題じゃない」と、サドゥーは言葉を荒げた。
兵役から逃げたんじゃない。韓国という国のあり方に嫌気が指してしまったのだ、という。
金のある人間、地位のある人間は兵役につかなくてもいいんだぞ。韓国に教育なんてものはない。あるのは思想教育だ。ナショナリズム(国家主義)とパトリオティズム(愛国主義)の区別すらない。何もかもがおかしい。何もかもだ。おれは自分の国が嫌いだ。国家に飲まれたくないんだ。
彼は何の脈絡もなしに次から次へと不満を漏らし続けた。つたない英語で漠然とした内容ではあったが、故国への絶望と反抗心を抱いていることだけはひしひしと伝わってくる。
実直すぎるのだ。蚊帳の外から見れば、「そんなものほっとけよ」なのであるが、そんな言葉を軽々しく口にすることは出来なかった。
結局、吐き出せた言葉はこれだけだ。
「じゃあ、なおさら死ぬなよ。こんな所で」 
それでも万感の思いをこめたつもりだった。

たぶん、年は若い。22,3歳ぐらいだろう。
彼を見ているうちに「生き急ぐ者」という造語を思いついたが、戦後のロシア文学者がスターリン獄の日本人をさして言ったのが最初だったらしいということを、しばらくしてから知った。サドゥーもまたある種の囚人なのだ。

 

 

道と海と砲弾と


インドの老人は何故かみな眼光鋭くカッコいい

階段をどたばたと駆け上がってくる音と共に、太った哲学者風の白髭インド老人がいきなり部屋に飛び込んできた。クミコさんの旦那さんのシャンティーさんだ。
シャンティーさんのことは旅行記によくよく書かれているので、本当にいたんだ、と素直に驚く。
シャンティーさんは階下から上がってくるなり、いきなりサドゥーを叱り飛ばしたのでまた驚いた。極めて温厚な人だと聞いていたからだ。
「ふざけちゃいけませんヨ!!」
「そうよ、あんた。何言ってるのよ」
クミコさんも一緒だ。
「死にたい?死にたいならさっさと死んでくださいネ。デモここで死なれると迷惑なのです。ガイジン死んだら警察も来るのですヨ。今すぐ出て行ってください」
シャンティーさん、ムチャクチャである。
「あんたねぇ知らないだろうけど、宿泊客が死んじゃったらこっちは大変なのよ。昔、客のジャンキーがおっ死んだ時はしばらく営業停止くらったんだから!」
クミコさんもひどい。
と、シャンティーさんが口調を変えて言った。
「出て行くか。この薬を飲むかどっちかにしなさい」
なんのことはない。どうもヨシやアベちゃんは、サドゥーの病状を逐一報告していたらしく、それでシャンティーさん達は処方箋を探していたのである。
彼らはサドゥーをいくらなだめても病院に行かないだろうと判断していたのだろう。「金の問題は心配しなくていいから、落ち着いたら病院へ行きなさい」というクミコさんの言葉どおり、サドゥーは素直に薬を飲み、それから病院で治療を受けることが決まった。

「マラリアなんてたいしたことないわよ。ホント子供みたい。世話が焼けるわ」
こんな人だからクミコさんは誤解されるのだろうな、と苦笑いするしかなかった。



その後、サドゥーとはまた再会を果たした。街をぶらついていた所、偶然バックパックを背負った彼と出くわしたのだ。
サドゥーは相変わらず汚い風貌そのままであったが、顔色は見違えるほど良くなっていた。そこで、どこへ向かうのか、と尋ねたところ、彼はあっちだと空の方向を指差した。
彼が示した方向は東の方角だった気もするし、西だったかもしれない。私は方向音痴だから分らなかった。いや、どこに行こうが関係ないのだ。
だからとりあえず「良い旅(travail)を」とだけ声をかけると、彼は何も言わずにニコリと笑った。
彼の笑顔を見たのはそれが初めてのことだった。