インド ネパール 旅行記

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» アーグラ 1

もう騙されてなるものか

写真提供:http://www.euzim.net/
定員外乗車なんて言葉は存在しない。日常的風景なのである

僕は無口で逆上しやすく簡単に人を殴ってしまうけれども、凄いキレものである―――― という人物を装うことに決めた。
会話の要所要所には汚いスラングを散りばめ、「あのクソ野郎はぶっ殺してやりてぇ」と連発する。ムジャにあらかじめ威嚇しておこうという作戦だ。もっとも入学したての学校で虚勢を張るなんちゃって不良のようで情けない。
そして、やはりというかムジャは悪徳旅行会社の一味だったらしく、色々と案内を受けるうちに段々と手口が読めてきた。それというのも、彼は有名な観光スポットにはとりあえず連れていってくれるのだが、それとは別に土産物屋にも何十件も連れまわす。つまりは連れて行く店先で高額な土産物を買わせておいて、後からそのリベートを受け取るという仕組みなのだろう。

ムジャは土産物屋の前に車を止めると、入口まで僕を案内する。それから土産物屋の主人に僕を引き渡し、主人は押し売り同然に強引な商売を始める。この間、僕は軟禁状態である。
僕が土産物屋から帰ると、ムジャは決まって「何か良いもの買ったか?」と聞いた。すると、僕は決まって「な―んにも買ってないね」と答えた。その時にムジャが表情の裏に垣間見せる"残念そうな面"を観察するのがたまらない。
とはいえ、この土産物屋攻め尽くしも満更ではない。シタール、サリー、彫刻、それらの民芸品に対し、買う気満々の振りをして質問すれば、主人は作り方や民芸品の背景、意味などを事細かに講義してくれる。一旦商談に移ると、インドでは定価というものが存在しないので、延々とした交渉が始まる。このおかげで“買い物の仕方”を覚えることができた。
インド人の交渉術は大した物で、どんなに値切っても定価で買うことは不可能に近い。まず最初はあまり興味がないような顔つきをして、途方もない値段を振るのである。それを簡単に書くならば、次のような手順になる。

「こんなものいらねぇよ。10ルピーだったら買うけどな」
「わはは。ジャパニ、冗談キツイね。これ500ルピーするよ」
「わはは。おっさん、冗談面白いな。俺は本当の値段を知ってるもんね」
「分かた、あなた賢い。本当の値段言おう。これ300ルピーね」
「おっさん、もっと正直になろうよ。俺帰るよ」
「仕方ない。あなたトモダチ。特別にトモダチプライス。100ルピーね」
「絶対買わないね」
「あなた私に首吊れ言うか。ええい、私ニホンジン好きよ。だから50ルピーにするよ」
「ダメだ。サヨナラ」
「分かた私負けた。ラストプライスで40ルピーよ。もうこれ以上ダメよ」
僕は財布を中身を見つつ、しばらく考えるフリする。
「うーん、やっぱりダメだ。買えないな」
「畜生、あなたはビジネスマン。30ルピーで手を打つね」
「ああ、どうしようかな。欲しいけど、高いもんなァ」
と、しばらく悩んだ末に店を出ていこうとする。すると大抵土産物屋は後を追ってきて"適性価格"を提示してくれるのである。
この意識下で行なわれる壮絶な心理戦はちょっとしたゲームだ。稀に、
「ジャパニ。六百ルピーで買わない?」
「馬鹿言え。二十ルピーなら買ってやる」
「よし、売た!!」
という困った展開になることもあり、これは焦る。この時は、三十六計逃げるに如かずで、タマに店主が逆上して追い駆けてくることもあるけれども、知ったことか。強引に入り口を突破する。どんな値段であろうが、悪徳旅行代理店とグルになっているような店の商品を買うつもりはまったくないのである。

そんなことを続けているうちに、ムジャが段々と大人しくなってきた。予防線を貼っていた効果も現われ始めたのだろう。楽なもんだ。こっちは黙って大人しくしてればいいだけで、するとムジャはああ、コイツいつキレるのだろうとビクビクしている。内心「ヒドイ日本人を掴まされたな」と思っているに違いない。ザマァ見ろだ。


入場料が恐ろしく高いタージ・マハル。10日分の生活費に相当!

しかし、いつ逆襲劇が訪れるか分からない。僕は用心に用心を重ねた。
遺跡観光に回る際、ムジャは「重いだろ。車に荷物置いてけよ」と言う。ここで「ハイ、そうですか」と荷物を車に放置し、そのままムジャに逃げられればこの勝負はムジャの勝ちだ。金を搾り取ってやろうと、今は従順になっているムジャだけど、いつ牙を剥いてくるか分からない。
デリーを出て以来、僕は殆ど飲まず食わずの状態だ。「腹を壊しているから」と僕はムジャにうそぶいたが、実際はムジャが連れて行く食堂には一ルピーたりとも払いたくなかった。
あるいは、入った店で睡眠薬混じりのインド紅茶を出され、つゆ知らずそれを飲んで撃沈。目を覚ましたら、身包み剥がれて通りに放置されていた、という事態だって起こりうる。
「これは弟がやっている店だ」と言って、ムジャに連れていかれた店では紅茶を出されたものの、僕は出された紅茶を突っぱねた。そして代わりにムジャが飲もうとしていた紅茶を奪い取った。
ここまで来たんだ、ヤラれてたまるか。
僕は交換した紅茶を平然と飲み、テーブルの上に乱暴に置いた。ムジャは何とも言えない複雑な表情を浮かべ、僕を見つめる。その目を見るとさすがに心が痛んだが、僕は慌ててその思いを振り払った。

その日の夜、雑貨店に入ったところ、意図的な停電を起こされ、気がつけば財布を摺られていた。

おれは何をしにインドまで来たんだ?

もうこれ以上騙されるのはうんざりだった。
早朝、ムジャが寝ている所を見計らって、僕は兼ねてからの計画を実行に移すことにした。
本来ならばこれからムジャと供にアーグラを観光し、その後は彼からバラナシ行きの列車チケットを貰い、そこでムジャとはお別れ、ツアー終了……という流れになっているのだけれども、実際はそんなに真っ当なコースのはずがないのだ。
案の定ムジャは「列車のチケットを取るためにパスポートを貸してくれ」だとか「急用が出来たので、これからのガイドは別の人間がやることになった」などと無茶なことをほざきだす。僕は経営者に電話をかけさせてまで、全ての申し出を拒否することにした。

僕は早速ホテルを脱出することにした。どうせホテルの人間もグルになっているのだろう。とはいえ、僕は一人で外出する際には必ず全ての荷物を抱えて出歩くことを務めていたため、従業員にはまったく怪しまれること無くホテルを後にした。
問題はムジャが目覚めた後だ。そこで僕は予め昨日の会話で始終、ジャイプルに行きたい、と言い続け、ジャイプルに対する憧れの念を散々語っていた。ジャイプルはバラナシとは全く正反対の方向にある街だ。ホテルの部屋には「やはりジャイプルの街に行く。ムジャ今までありがとう」との置手紙を残している。手紙に気がついたムジャは慌てて僕の後を追うだろう。カモが逃げたのだ。しかし、まさかアーグラの木賃宿に僕が潜伏していようとは思うまい。
まったく、ザマァみろだ。何時までも騙され続けてたまるものか。




写真提供:http://www.euzim.net/
舗装されている道路の方が少なかったりする

それにしてもやはりインドだ。早朝にしてこの殺人的な日差しは、数分歩いただけでも頭がフラフラになってくる。
昨日、念入りに逃亡ルートをチェックしておいたはずだったが、実際はなかなかそうはいかない。ようやくのことで目当ての貧乏宿に到着する頃には、僕は息も絶え絶えになっていた。
「ザマァみさらせ、クソインド人め!!」
僕はここで快哉をあげるつもりだったのだが、どうしたことか、何故か暗鬱とした気持ちで一杯だった。開放感なんて微塵の程もない。ただひたすらに虚しくて、暗澹とした気持ちだ。こんなことをしたところで、むなしすぎるのだ。

宿の窓から通りを見下ろすと、惨酷なほどにみすぼらしいインド人の連中が何をするわけでもなく無気力な目をしたまま腰を下ろしていた。彼らは不可触民(ハリジャン)と呼ばれる人々で、四大カースト制度のさらに下層に位置付けられている人々だ。
さらにその先では野良犬たちが生ゴミを漁っている。否、野良犬だけじゃない、そこではハリジャンの女と野良犬が一緒になってゴミを食っていた。
インドでは別段、珍しい風景じゃない。けれども、その時僕は突如としてやりばのない怒りに包まれた。憐れみを感じ直視できなかったのだ。初めは女を侮蔑的に見てしまった自分に対する怒りかと思った。
それだけじゃなかった。僕はインドという国から目を背けようとしていたのだ。
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いろいろと考えるうちにとある決意が固まった。それはある種、開き直りに似た気分だった。この先、ずっと人を疑いながら旅をして何が面白いんだ?いや、そこまでは達観できなかったが、くだらないことに意固地になりすぎていた自分に気がついたのである。
途端に僕は居ても立っても居られなくなり、慌てて荷物をまとめて潜伏していた宿を出た。何だか妙におかしくてたまらない気分だ。
僕はムジャのいるホテルに再び向かうことにした。