インド ネパール 旅行記

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» アーグラ(発の列車の中) 3

12人いた

案外、大したことねぇなァ。
と、思ったのは初めの一時間だけであり、何てことはない、ややもするとインド列車の真骨頂をどっぷりと味わうこととなった。やっぱそうこなくちゃな。

アジア最古の歴史を持つインドの鉄道は事細かに等級が分けられており、例えば1000キロ間(東京から鹿児島の直線距離)の車両種別運賃は次のようになる。ついでについうと“AC”とはエアコンのことであり、さらについでにいうとここらで可愛く表現しておいたら若い女性読者に受けるんじゃないかと思ったのだが、媚びを売りすぎても良くないなと思いなおしささやかに抵抗してみたところ、取り返しのつかないことになってしまったような感じがするのは気のせいです。



             ■ 列車料金の目安   
     2002年,頃の列車料金


「エアコン一等車」と「二等寝台車」の料金において10倍の開きがあるのが何ともインドらしい。それだけ貧富の差が大きいのだ。国民総所得の半分は、上位カースト(全人口の20%程度)の所得が占めているという。

ムジャには一等車を勧められていたのだけれど私(心情の移行により、今章から人称代名詞が変化を遂げます)は二等寝台車を選んでいた。「旅は金をかければかけないほど見えてくるものがある」という信条と、それ以前に貧乏だからという前提もある。そして、そうは言いながらも最低クラスを選べるほど根性が座ってないという高尚な理由に基づく結果だ。
幸運なことにも私の座席は窓際になっており車窓眺めてゆったりまったり夢気分で万歳である。というのは初期限定の話しなのであり、駅を経るごとにひ〜とり、ふ〜たり、さんにんのいんどじんと続々とインド人が現われては分裂増殖を重ねていき、気がつけば五人のインド人。対面の座席には七人のインド人がいた。そして座席の端っこで圧縮されている一人の日本人はさもあらん、この私だ。
三人用の席に六人で座るという、量子物理学における幾何学的位相上の問題を完全に無視しているインド人には猛省を促したい。ましてや列車はコンパートメント(区画)形式となっているのだ。計十二人のインド人が小部屋でひしめき合うという状況は異国情緒溢れすぎなんじゃないのか。190cm近くある身の上としては、大層な拷問だ。
列車はもちろん鈍行である。バラナシまで何時間かかるか分からないが、その行程を思うと気が遠くなった。偶々通りかかった車掌に到着予定時刻を尋ねると、
「あしたの昼だ」
との返事。分かりやすい回答、恐れ入ります。

車内は砂埃まみれで真っ白だ。インドは未だ舗装されていない道が大半で、列車の窓も開きっぱなしである。この酷暑のなかではどうしても窓を全快にしておく必要があるのだ。
鉄格子にチェーンロックでバックパックを結びつけ、さぁ眠ろうと思ってもこんな状況下では眠られるはずもなく、そのうち我が膝に何だか生温かい感触を覚えた。おっさん、それはアンタの膝じゃない、俺の膝だ。手を置くな。そして撫でるな、掻くな。
12人のインド人はそれぞれ互いに身も名も知らぬ初対面同士らしく初めは慎ましく密やかに世間話しなどをもっさりと行っていたのだけれども、時が立つにつれ、談笑は次第に叫喚へと移り変わり、段々とやかましくなってくる。私は精一杯の反抗のつもりで寝たフリを試みるが、インド人それに構うはずもなくますます騒がしい。
と、ふと目を開ければ、皆楽しそうにトランプなんぞしていやがる。何てヤツらだ。まったく理解の範疇を越えている。どういう神経をしているのだろう。ところで面白そうですね、俺も混ぜてください。
ヤケクソになってババ抜きに参加する。ヤケクソになってババ(クソ)抜き、わはは面白いじゃないか、とやや自嘲気味に笑っているうちに、私はしっかりと12人のインド人に受け入られた様である。喉乾いたか?、飲め飲めとばかりに薄汚いペットボトルを差し出される。
果たしてこれを素直に飲んでいいものかどうか、とりあえず飲むフリをしてやり過すが、やがて喉の乾きに耐え切れなくなり、気がつけばそれを飲み干していた。


日常風景。このまま走り出すのだから勇気と根性も要される

駅を通過するたびに入れ替わり立ち代りに人が入れ替わる。乗客の九割は男性で、どうやらインド人女性というものはあまり外を出歩かぬものらしい。
無口なインド人というのは極めて稀有な存在ようだ。大抵のインド人は臆面なく私に話し掛けてくる。インド訛りのきっつい英語だ。「どこから来た」「名前はなんという」「年はいくつだ」「結婚しているのか」「仕事は何をしている」「セックスは好きか」ホントにどうでもいいくだらぬ質問ばかりである。
日本でタカは25だが、していなくて運送業は大好きだ、などと適当に答えているうちに、私は唐突に睡魔に襲われた。ねっとりとしていて重圧感のあるこの睡魔は何か異質で、いくら抗おうがじんわりと身体に浸透していく。もしや先ほど飲んだペットボトルの水にヘンなものが混ぜられていたのかもしれない、そんな疑惑が浮かぶ。もしそうだとしたら余計に寝てはいられない。

そこで血が出る程に内腿をつねり続け、睡魔に耐えることにした。それでも意識は依然として朦朧とし、視界は次第にかすんでくる。私は内腿をつねっていた左手に更なる力を加え、右手はしっかりと財布を握り締める。辛うじて意識を保てそうだ。
よし、何とかいける。そう思ったのは何時のことか、気がつけば車内は真っ暗になっており、窓の外を見るとすっかり日が暮れていた。やはり寝てしまったのだ。
しまった。我に返り慌ててポケットの財布を確認したところ、やはり財布が消えている。畜生、テメェか、と隣にいたインド人を睨みつけるが、そしらぬ振りである。クソ、頭に来たぜ。
「俺の財布を盗ったクソ野郎は何処だ!?」
私は思わず立ちあがり、大声で喚きちらす。反応はない。
「誰か知ってるヤツがいるだろ? 」
車内の電灯はかぼそい光りを放つばかりで、ほぼ闇に近い状況である。その闇の中から一人のおっさんインド人が私をなだめた。
「ジャパニ、とりあえず落ちつけって」
「財布だ。財布を盗まれたんだよ。犯人は絶対にここにいるはずなんだよ」
「分かった分かった。心配するな。ちょっと待ってろ」
待ってどうしろというのだ、そう言い返す前におっさんは何処かへ消えていく。
間もなくすると、おっさんが戻ってきた。
「ジャパニ。無くしたのはこの財布だろ」
と、おっさんが差し出してきたのは間違いない私の財布だった。何と中身もそのままである。
「おお、確かに俺の財布だ! ありがとう。でも、どこにあったんだ?」
「車掌が紛失物を預かってたんだよ。良かったな、ジャパニ」
本当に良かった。何ていい人なんだろう。おかげで助かった。ここはお礼の一つでも差上げなければならないところだ。ありがとう。
……ってちょっと待て。あまりにもあっさりと見つけすぎなんじゃないのか。どうして一発で俺の財布を見つけ出したんだ。これって実はお前が財布を盗んでいたんじゃないのか。私が騒ぎ立てるから返しただけなんじゃないのか。
どうも腑に落ちない点が多すぎるが、これ以上は追求しないことにした。いくら疑惑があろうとも、彼がホントに善意のヒトであったら大変失礼な話しだし、第一ここは、インドだからだ。

列車はスピードを落とすことなく闇の中を走り続けていく。バラナシまではあと半日だ。