インド ネパール 旅行記

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» バラナシ 2

クミコハウス

脇道に入ると細い路地が迷路さながらに絡み合ってたりする
脇道に入ると細い路地が迷路さながらに絡み合ってたりする

宿を変えることにした。クソガキ2人組に紹介された宿に泊まるのも胸糞悪いし、ここバラナシでどうしても体験してみたい宿があったからだ。
クミコハウス、という。クミコハウスはその名の通りクミコさんという日本人女性がインド人の画家・シャンティーさんと共に経営している安宿だ。価格帯に関しては、朝飯・晩飯食い放題で一泊200円程度と相場的にもかなり安い。そのためか貧乏旅行者のたまり場となっているという。時折、日本のテレビ局からも取材されることもあって「バラナシ」という地名は知らないながらも、「クミコハウス」ならば知っているという日本人も多い。もっとも、あそこはインドで一番汚い宿だ、と断言する人もいる。
また妙な決まりもあるそうで、例えば宿泊希望者は面接に合格しないと泊めてもらえない、だとか、壁に張った宿泊者の心得を毎日朗読せねばならない、だとか、夜間の外出は一切禁止、早朝シャンティーさんの発する奇声によって起される(目覚まし時計のつもりらしい)、というものがあるという。その過剰な管理体制のおかげでそれこそインドそのものと同じく評価が真っ二つに分かれる宿であるものの、つまるところ「面白い変な宿」であることには変わりがない。

脇道に入ると細い路地が迷路さながらに絡み合ってたりする
みんなヒマ人なんだろう?そうだろ

とは言えクミコハウスに行きつくまでが一苦労を要するようだ。クミコハウスはコミッションを支払わない、つまり殆どの宿主は客引きが旅行者を連れてきた場合に仲介料として謝礼金を支払うのだが、このクミコハウスは珍しくもこのような制度を取っていない。そのため、インド人に場所を尋ねても、クミコハウスの場所は伏せ、別の場所に連れて行こうとすることも多々あるようだ。
自力で探すしかないな、そう思いながら周囲をさ迷っていたら、若いインド人青年がすり寄ってきた。
何でも「現世のカルマ(罪業)を消したい。その為には善行を施すんだ」とのことである。怪しい。こいつは怪しい。
「いいことをしたいんだよぅ。クミコハウスに行きたいの?案内してあげるよ」うそ臭い。
私はずっと無視し続けることにしたものの、青年はカルマの浄行を訴え続ける。案内なんて必要ないといってもこれがまたしつこいのだ。振り払い、諦めて着いて行くそぶりを見せながら逃げようとしても、またどこからか現れる。善意もここまで行くと、いよいよ信用できない。
終いに私はその執念に折れ、案内ついでにチャイを奢ろうという彼の提案を受け入れることにした。さぁ、何でもきやがれ。 が、何もなかった。ごく当たり前に奢ってくれた。なるほど、これから別のところに連れて行くつもりなんだな。ははは、どこにでも着いていってやるぞ。 が、案内された先はクミコハウスだった。 「ここだよ。さよなら、気をつけてね」 その手にはのるか。いったん帰るふりをして安心させておいて、再び舞い戻り「てめぇ案内してやったんだから、100ドル寄越せ」だろ。お決まりのパターンだ。 しかし、結局こんな事態は全く起こらなかった。何だ、本物のいい人だったのか。これだからインド人はややこしい。性善説、性悪説行ったり来たり。

そしてクミコさん

鉄格子の掛かった入口から中を覗くと、部屋の暗がりからやたらと恰幅の良い中年女性が出てきた。彼女がクミコさんなのだろう。こういっては何だが、名前と見かけのギャップがあまりにも激しい。
「なに、泊まりにきたの?」
ぞんざいでぶっきらぼうで久しぶりに聞く日本語。ほっとするところが、クミコさんり鋭い眼光に思わずたじろぐ。既に一次面接は始まっているのに違いない。身形の怪しい旅行者はここで不合格となる。と、
「いいよ、泊まんなさい」
意外だった。絶対に断られると思ったのだ。日本の空港を出国する時点でいつも闇ブローカーと間違えられて検査を受ける私である。精一杯の爽やかな笑顔を振り撒いたのが、効を奏したのだろうか。いや、クミコさんの人を見る目が確かなのだろう。そうに違いない。
「こんな時期だからね、宿泊者が誰もいやしないのよ」
何だ、単に営業不振状態であるからして歓迎されているだけではないか。
まだ朝の7時だった。クミコさんに案内されたドミトリーには、三人の薄汚い旅行者が寝ていた。時には部屋に溢れるほどの旅行者が押し寄せ、その時は屋上に泊めるのだという。なるほど、それを考えれば今の状況は確かに大層な不振ぶりだ。
部屋は想像してたほどには汚くない。しかし布団の上にウンコが落ちていた。まさか人糞じゃないだろうな。

やがて朝メシの時間が来た。同時に他の旅行者も起き出したので、朝メシを食いつつ自己紹介を済ます。優男風の饒舌な男がヨシと名乗り、薩摩勇人風の朴訥なスキンヘッドの青年はアベちゃんと呼んでくださいと言った。共にインド入りして以来、初めて出会う日本人旅行者だ。
ヨシは食パンに食らいつきながら「いやァ、よく残りましたねェ」と苦笑した。何でも先日、日本政府からの緊急帰国用のチャーター便が来たばかりで、約半数の日本人が帰っていったという。日付を聞けば、私がインド入りした日と同日のことであった。なるほど、更に言えば、旅行者相手の詐欺師も稼ぐに稼げず必死になっている訳で、私自身は食料危機にある土地に飛びこんだアンパンマンのようなものだ。いつもながら私は素晴らしいタイミングで異郷の地を踏んでしまう。
かくしてお互いにその愚行ぶりを自嘲ぎみに称えつつ、朝メシをもそもそと食っていたところ、未だに全く起きるそぶりのない旅行者がいる。ざんばら髪のヒッピースタイルであたかもインド修行僧のような風体。ヨシもアベちゃんも私と同年齢ぐらいなのだが、このサドゥーに至っては年令の検討が全くつかない。
彼の食事も残しておいた方がいいだろう。お節介かとは思ったものの彼に声をかけた。何故かヨシが止めようとしたが、もう遅い。私はサドゥーに近寄った。
「メシ、食わないのか?」
が、サドゥーは弱弱しい声でうめくばかりで返事がない。ヨシが彼はコリアンだと言いながら、ほっとけと言わんばかりに首を振った。
「大丈夫か?」
次は英語で話しかけたものの、彼はただひたすらに「ノー、ノー」と辛うじて振り絞ったような声で答えるだけである。
「彼は、コレラかマラリアにかかっているんだ」
と、ヨシが口を挟むと、サドゥーはゆっくりと口を開き、たとたどしい英語で言った。
「……もし、オレが、明日に、死んでも、放っておいてくれ」