インド ネパール 旅行記

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» 序章

死んでもしりません

目の前にA4サイズの分厚い書類の束がドサリと置かれた。目を落とすと“緊張激化”とか“武力衝突”とか“過激派爆弾テロ”とか“死者3456人”等の物騒な単語が一斉に目に飛び込んでくる。

「これら全てに目を通して頂けます」
「読まなきゃならんのですか?」
「はい」
「これ、全部ですか」
「そういうことになっておりますので」
「……読みましたよ」
「現況では外務省からの退避勧告が出ていること。それから日本政府指定の帰国便が出ており、続々と帰国者が出ていること。"この地"が大変切迫した状況にあり、危険であること。ご理解されましたか?」
「うん、まぁ……」
「それでも行くつもりですか?」
「えと、まぁ行くつもり……です」
「それではこちらの書類に一筆願います」
差し出された書類を見ると、こう書かれていた。
「渡航先にて何が起ころうとも一切の責任は追及しません――」

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「死んだ場合の連絡先も書いて下さいね」
美人社員がニコヤカに言った

正直言って外務省からの通達事項を呼んだ時点でいっきに気分が萎えてしまった。本来、旅行会社で航空券の手配をするという作業は、未知への期待と待ちうける開放感と少しばかりの不安が入り混じって、結果ワクワクドキドキ居ても立ってもいられない高揚感に包まれるものだ。しかしながらどうしたことか、この時ばかりは不安感に打ちひしがれそうになった。
ところが、何故かその時の僕は突如として焼けクソな気持ちに襲われ、勢い任せに「オリャオリャッ」と署名をし、そしてその数日後、インド行きの航空券をガッチリ手に入れてしまったのである。
新聞では毎日のように、うんざりするほど「インド・パキスタン緊張激化」の文字が紙面の上を躍り、政府チャーター便による帰国者が続々と日本へ戻ってきていた時のことだ。


前々から、漠然とではあるけれどもインドには行きたいなとは思っていた。
狂ったように旅行記を読み漁っていた十六、七歳の時分、特に興味を抱いたのはインドについて書かれた旅行記であった。何か良く分からん国なんだな、というのがその第一印象で、以来いくらインド関係の旅行記を読もうが、この印象は変わることがなかった。
それというのも、どの旅行記を読もうが書かれていることは一緒であり、曰く、
「インドは世界最低最悪の国である。犯罪はやたら多いし、マラリア、肝炎、コレラ、チフスと超一級の法定伝染病がウジャウジャしている。テロ事件は日常茶飯事で、毎日のように大勢の人が死ぬ。熱射病で人が死ぬ。寒波で人が死ぬ。乞食はそれこそ吐いて捨てるほどいて、この国は間違いなく世界一汚い。よって、インドは素晴らしい」。
全く理解不明である。論理破綻である。
そして、全ての旅行記のおける締めの意見はキレイに二分している。
「あんな素晴らしい国はない。あぁ最高の国なるかな、インド」
あるいは、
「あんな最低の国はない。くたばれインド。滅びよインド」
中間はない。最高か最低か、評価はその二つに絞られる。インドは二元論でしか語れないのだ。
ちなみに漫画『ちびまるこちゃん』の作者、さくらももこは紛れもなく後者の立場だったようで、クソミソにインドをけなした挙句にこう言い放ち、即帰国している。
「インド人が偉大だったのは0(ゼロ)の発見とタージ・マハルを建てたことだけだ。それ以外にはなにもない。もうインドには用はない」


インドの“何か”って何なんだよ

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インドには“何か”があるという

面白い話がある。
世界で一番忙しい航空会社は何処か、というと国際便の到着がその殆どを占める二都市、カルカッタとデリーのオフィスだという。その多忙さともなると、それはもう殺人的なものらしい。
なぜかというと、この二都市の航空会社は航空券の予約変更書き換え業務が毎日のように殺到し、それだけで仕事が手一杯となるからだ。
つまり旅行者の多くが入国初日に「こんな国に居られるか」と早々に脱出しているという訳である。

では逆に、これと対照的な旅行者 ――インドを愛してやまない人々――にインドを語らせるとどうなるかというと、
「うーむ。何が良いかって聞かれると困るんだけど、とにかくインドは良いんだよ。よく分からないんだけど、とにかく良いんだなァ。インドには"何か"があるんだ。よく分からないけど」
と言う。
これについては瀬戸内晴美が書いた『インド夢幻(文春文庫)』の文章を一例として取り上げたい。彼女がインドへのツアー旅行に参加した際に、ツアーガイドが彼女に語った言葉だ。

「少なくとも、インドに旅行に来る人は、女を買うのが目的ではない。美味しい食物を食べようと思って来るのでもない。買物だって廉いけれど、ヨーロッパやアメリカでする買物とは全く性質が違う。
それじゃ、彼等は何をしに来るのか、と考えると、やはりインドに"何か"を需めてきているんですよ。"何か"っていうのが何だか分からない。分からないから"何か"なのです。一度インドに来れば、その"何か"の手ざわりを感じ、もう少したしかめたくて、また来たくなる…そんなことじゃないですか」



 

実はもうひとつの選択肢には「東南アジア行き」という方向も用意していた。やばそうだったら、インドはやめにしよう。そう思っていた。
その僕がインド行きにあたってその気持ちを突き動かされたのは、インドのメシでもなく、ガンジス川でもなく、ヒンズー教でもない。この"何か"というヤツのせいであった。焦りに何た気持ちがあった。
今を逃せば、次のチャンスはいつ来るか分からない。そうなると、この“何か”というモヤモヤしたものは、ずっとそのままだろう。 何だかか分からない"何か"。インドを愛する旅行者すべてが感じる"何か"。どんな作家や小説家も文章にすることが出来なかった"何か"。訳の分からない"何か"。
この"何か"とは一体何なのか。あまりにも抽象的すぎるじゃないか。この曖昧な"何か"とは、僕は作家の稚拙な表現力が生み出したごまかしにすぎないのじゃないのか、とすら思う。
旅の目的なんぞは一切考えずに旅に出るのが僕のスタイルではあったが、今回ばかりは旅の目的があった。

"何か"を体感し、理解し、言葉に換えたい。
たったそれだけのことであった。