Web-Suopei  生きているうちに 謝罪と賠償を!

森村誠一さんの講演 (1995年12月11日、霞ヶ関弁護士会館「クレオ」にて)

 皆さんこんばんは。今日は、ここにお集まり頂いた皆さんの問題意識に敬意を表します。もっと他に楽しい行事がたくさんあると思いますのに、この寒い夜にわざわざこの無表情で殺風景な街にお越し頂いてほんとに感謝しています。「悪魔の飽食合唱団」の合唱や731部隊の被害者である敬蘭芝さんのお話の前に、予備知識として、731部隊がどういう部隊あったかという概略を説明したいと思います。

 

731部隊の成立

 731部隊は1933年にハルビンの背陰河というところに生まれた部隊です。当時「満州」(今の中国東北部)に展開していた関東軍が、旧ソ連軍の南下に脅え、これを阻止する決定的な兵器はないものかと模索しているときに、731部隊の創始者である石井軍医が、医学を兵器として使えないかと考えました。軍医は軍の第一線に立てず、中将以上に昇進できません。そういうシステムを石井は残念に思っていて、軍医でも軍の主力に立ちたいという野望を持っていました。 そこでソ連軍を阻止する決定的な兵器として細菌やウイルスを使うことを考えたわけです。その中で特に石井が着目したのは、非常に伝染性と致死性が高く、 ヨーロッパで忌み嫌われていたペスト菌です。ペストを兵器として使う大きなメリットは、大変コストが安いんですね。そして中国で実験をすれば日本に細菌が伝染する心配がないということで、満州のハルビン郊外に731部隊を創ったのです。731部隊は残酷オンパレードのように言われていますが、もっともそれが象徴されているのは、人間を「マルタ」と呼んで実験材料として使用していたことです。その使用の仕方が、まず健康な「マルタ」に細菌感染実験を施し、その結果感染した「マルタ」を今度は凍傷実験(日本軍にとって凍傷の克服は重要課題でした)に使い、最後に毒ガス実験で殺してしまう、全く無駄のないように徹底的に人間を実験材料に利用したわけです。731部隊の残虐性は、アウシュビッツとよく比較されますけれど、明確な違いはアウシュビッツの残酷は全て職業軍人によって実行されましたが、731部隊の場合は、約三千人の隊員のうち90%くらいは民間から集められた医者、化学者、薬学者、研究者といった一般市民でした。

 

隠されてきた731部隊の実態

 面白半分の実験も行われました。例えぱ私が隊員から聞いたところによると、血管の中に空気を注射してどのくらいで死ぬかとか、輸血に猿や馬の血を入れてみるとか、「胃腸返し」といって胃と腸の位置を逆転して吻合するとどうなるかといった実験もありました。私がこの「悪魔の飽食」を執筆するきっかけは、最初に「死の器」という小説を日本共産党機関紙の「赤旗」に連載中、そのことにちよっと触れたところ、元隊員から電話がありまして、「あなたの731部隊に関する記述は間違っている。もしもっと深く正確に知りたいなら取材に応じます」と言う申し込みがありまして、そこから取材が始まりました。それまで731部隊については断片的に知られていましたけれども、ほとんどその内容は公表されていませんでした。その理由は、石井部隊長以下高級幹部が、終戦に際してアメ リカ、特にGHQと取り引きしたわけです。当時のアメリカ軍としては731部隊の実験成果は非常にほしいデータだったんですね。ですから731部隊の隊員は全て戦争犯罪の犯罪者として訴追しない代わりにデータを全部アメリカに引き渡すという取り引きが行われたわけです。米国陸軍細菌化学戦基地のフォートデ トリック研究所のエドウィン・ヒルとジョセフ・ビクターという二人の学者がこういう事をアメリカ政府に提言しました。
 「石井部隊の資料は何百万ドルの出資と長年にわたる研究成果であり、このような資料は人体実験に付き物の良心の呵責に阻まれて我々(アメリカ)の研究室では得ることはできない。そのデータを入手するのにたった二五万円(当時米国ドルで七百ドル)のはした金。格安の買い物である。従って731部隊の隊員は戦犯として訴追しないことを求める。」
 その結果アメリカと731部隊との間に取り引きが成立して、戦後長い間731部隊の秘密は闇に封じ込められていたわけです。
 今日この後証言されます敬蘭芝さんは、ご主人が731部隊の「マルタ」にされた方です。「マルタ」というのは「特移扱い」として731部隊に連れてこられ、今申し上げたような実験を加えられた人たちのことです。「特移扱い」とはどういう人たちかと言いますと、まず無期懲役か死刑にあたる囚人、スパイ、阿片中毒者など、抗日遊撃隊員、それから反日活動を行なった者、その他日本軍の買収に応じなかった中国人。
 今でもそうでしようけれども医者にとっては人体実験は見果てぬ夢なんですね。マウスやモルモットに手を加えても隔靴掻痒の結果しか得られない。それが731部隊では人間に対してそういう実験ができる。これは医学者にとって非常に大きな魅力であったわけです。731部隊はそれを餌にして、人体実験が自由に出来るというコマーシャルで、大量に日本の優秀な医学者を吸収していった次第であります。
 731部隊のアウトラインと言うものはだいたいお分かりになったと思います。

 

戦争は経済学だ

 アメリカ軍が日本の街を空爆する時、日本の都市の模型を作って、どういう爆撃方法がもっとも効率よくたくさんの家を破壊し、たくさんの人間を殺傷できるか ということを研究しまして、結局4マイル×3マイルの短形を作って短形の外側にまず先導機が火の壁を築いて、その後B29が33メートル間隔で横に並んで、だいたい一機で約五千個の焼夷弾を搭載できるので、それを隙間なく落す、これが日本の都市に対して一番有効な空爆方法であると分かったんです。こうい う空爆方法を考えだした会議に列席したアメリカ人は、コーヒーやコーラを飲みながら討議をしたとアメリカ在住の731部研研究者のジョン・パウエル氏から聞きました。これは日本でも同じ状況だったと思います。731部隊でもどういうふうに「マルタ」を使用したらもっとも効率よく人間を実験材料として使っ て、戦争にとって有益なノウハウが得られるかと言うことを、お茶を飲みながら、人間を殺傷する会議を行っていたと思います。我々が今日、企業が新製品を開発する会議と全く同じ気持ちで人間や都市を破壊する会議が行われていた。そういう意味では戦争というのも経済学なんです。
 

平和の意味

 現在の日本は取り敢えず平和です。しかし、本当の平和というのは、単に戦争がないというだけでなく、戦争が再発しない予防装置が確立されていなければなり ません。戦争責任を清算するのと同時に、二度と戦争が再発しないような予防装置を確立することが日本の戦争責任の重大な取り方ではないかと僕は考えています。
 現在の世界には、戦争の予防システムは確立していません。フランスの核実験を例にとっても、今、世界は核のバランスの上に成り立っています。日本の改憲論議で、一番最初に出て来るのは憲法九条の問題です。日本も自衛のための最小限の武器を持てるようにしようということですけれども、この専守防衛というのは 核のバランスの上ではナンセンスな防御方法です。核兵器のバランスにおいては、先制攻撃以外に生き延びる方法はありません。
 仮に通常兵器による戦争が起きたとします。敵機が日本の上空に侵入して、爆弾をどかどか落してから日本の自衛隊機が迎撃しても、敵機が領海の外に逃げたら 専守防衛の場合は追跡できないですね。敵機が待機している航空母艦に行って、燃料と爆弾を補給してまた来るまで、日本の自衛隊機は手をこまねいて待っていなければならない。これが専守防衛の実態です。そのように最初から負けることを想定しているのです。
 それからもうひとつは自衛のための最小限の兵器を持つことができるという条文ができた場合、最小限というのは字引を引くと、これより少なくてはいけないけれども多いのは差し支えないという意味です。ですから自衛のための最小限の兵器というのは、これより少なくてはいけない、しかし多くすることは全然差し支えないというふうにいずれ解釈されていきます。
 憲法が時代に合わなくなったから、専守防衛、憲法九条を自衛のための最小限の兵器を持てるように改めるべきであるとする日本の今日の方向は、太平太平洋戦争の教訓を全く無にしている。そして日本が侵略した近隣諸国に対する責任の清算をしていない間にそういう姿勢になるということは、日本人として大変恥ずか しく思います。
 

民主主義の原則

 民主主義の三つの原則は平和を前提として成り立っています。一つ目は合議原則、みんなでディスカッションをして政治をやりましょうということです。二つ目は公開原則といって政治をガラス張りにする。三つ目は思想の自由です。戦争になりますと、まず合議原則を貫くと立ち遅れます。それから公開原則も、敵が攻めてきている時に政治を公開したら軍機、戦略が敵側に漏れてしまいます。三番目の思想の自由というのは、民主主義に反する思想も許容しなければなりませ ん。ですから民主主義に反する思想を許して、一旦その思想に民主主義が倒された場合、今度は思想の自由を制限しますから、もう一度民主主義を取り戻すためには、莫大な時間と大量の血を流さなければならなくなる。ですから、私はそうは思いませんが、アメリカでは共産主義は民主主義の敵に見えるようで、非合法になっています。そういう意味では、日本の民主主義というのは完全な、理想的な民主主義です。そのように一旦戦争になった場合に、どんな民主主義国家で も、民主主義の合議原則、公開原則は制限されざるをえない。これが全体主義国家ならば、多少あった民主主義は、戦前戦中の日本国家のように一片の思想的自由、政治的自由、人間的自由も許されなくなることは火を見るよりも明らかであります。
 

戦後50年に想う

 戦後50年国会決議の中で「深い反省の念を表明する」「人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する」という文章がありますけれども、ここに「深い反省の念と戦争責任の清算と被害者の救済を表明する」「人類共生の未来を切り開き、二度と戦争をしない決意を」と入れて欲しかった。中国以下アジア諸国に与え た侵略の害を考えた時に、こういう具体的な文言を是非とも盛り込むべきであったと考えています。
 現在私たちは、もう一度50年と言う時期を振り返り、思いを新たにすベきだと思います。50年というのは百年より意味があります。何故ならまだ体験者が生 存しているからです。例えぱ犯罪でも百年を経た遺体は考古学的な存在として捜査の対象にならないそうです。私たちは戦後50年を深く肝に命じて、この戦争の記憶が風化しつつある現在、日本の戦争責任、日本の戦争で被害を被った人々に深く思いをいたすべきであると思います。どうもありがとうございました。(1995年12月11日、霞ヶ関弁護士会館「クレオ」にて)
 

(文責 事務局)

Copyright © 中国人戦争被害者の要求を実現するネットワーク All Rights Reserved.