1980年代後半の国の政策は、大規模改造工事の対象を20年以上経過した校舎にしていました。吹田で行われた大規模改造工事は、右の表のように1987年から1992年までの6年間に32校に36億円しか使わないもので、スポーツ施設に使われた予算額の大きさに比べあまりに小さい金額でした。
10年前に完了した吹田市の学校教育施設改修事業は、 限られた予算を広い範囲に使うという長期的見通しを欠いた不徹底なものになっていました。公共建築物の良好な保全・維持管理は適切な計画と財政部局の大局的判断が欠かせません。現場からの予算要求は、見事にカットされ無惨な改修工事にとどまる結果になりました。
当時の現場を知る私たちの目に見えたのは、学校施設の老朽化が進む中で、現場の声は切実であったにもかかわらず、同じ校舎の北側のサッシがアルミサッシに替わりながら、南側の窓は昔のままペンキを塗られるだけで終わるという、「大改修」とは名ばかりのものでした。
ひどい場合は、教室廊下側の アルミサッシが隣の教室と異なるという事例や、上階の窓は改修されながら下階はそのままという、何とも不可解なものでした。トイレなどの設備関係も、ほとんど手つかずのままでした。
そうした不徹底な改修工事は、結局10年経過した現在の時点で残りの部分を継ぎ接ぎ工事しなければならないところに追い込まれることになっています。現在、毎年数億円の予算を組んで、トイレの改修を年次計画を立てて進めていますが、これも過去の負の遺産が放置され、どうしょうもなく手をつけざるを得ない段階になったための事業ですが、これとて全体のトイレ設備の20%に満たない一部だけを改修するという将来展望をどのように描いているのか、疑問の残るものです。 |