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おわりに
先頃たまたま観たテレビの画面で、幼稚園児の集団が口を揃えて「チンオモウニ、ワガコウソコウソウクニヲハジムルコトコウエンニ……」と大声で唱えさせられているのがありました。
私はアジア・太平洋戦争末期に国民学校初等科を修了し、中等学校へ進学、翌年敗戦を迎えた世代ですから、戦時下の最高に過激な国体原理主義の教育を受けました。
その私でも、幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させるなどというアホな話は聴いたことがありませんでした。
もし当時、そのようなことをやったら「勅語を冒涜する不敬な行為」として批難されたはずです。
つまりわけもわからず唱えるなら阿呆陀羅経も同じで、「陛下の御諭である尊く有り難い教育勅語を阿呆陀羅経並に扱うとは言諳道断である」と責められて当然なのです。
昔の右翼と言われる人たちなら、たちまち乗り込んでいって、「天皇陛下に謝し奉れ!」と恫喝(どうかつ)をかけたことでしょう。
私は「教育勅語」がどれほど重いものであったかを体験させられた世代ですから、これをおちょくるような気分にはなれません。
あえて言えば、その幼稚園の経営者であるカゴイケナニガシ自身が〈教育勅語〉をその程度にしか認識していなかったのかもしれません。
そして、彼らとの関係で怪しまれている政権の閣僚も安倍晋三首相自身も、「教育勅語を教材として用いることを否定しない」という内容の答弁書を閣議決定してしまったのです。
これまで何度も書きましたが、「教育勅語」を小間切れにして使おうなんて、それは明らかに「教育勅語」の趣旨に反することです。
「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の徳目を欠いてはならないのです。
自民党の女性議員で「八紘一宇の精神で行きましょう」などと、とてつもないことを口走った人物もいましたが、わけもわからず戦前のスローガンを言えば「格好良いだろう」と思っているとしたら、救いようもありません。
しかも、靖国神社の例祭には、ぞろぞろと出かける閣僚や議員が後を絶だないのです。
戦前戦中、靖国神社は陸海軍主管の国家神道の機関でしたが、今は単立の一宗教法人に過ぎません。安倍晋三首相は参拝しない代わりに真榊(まさかき)を奉納していますが、それは明らかに宗教的行為であり、政教分離の原則に違反することなのです。
またこの政権(第2次・第3次安倍内閣二〇一二年十二月〜)は、日本国を戦争のできる国にすべく憲法改変も射程にいれています。やる気になれば、議席の数を頼りにどんなことでもやりそうな気配を示しています。
そして権力というものは御しやすい子供をアイテムに使いたがりますし、そうなれば、子供もまた容易に体制に組みされていくものです。
私たち子供にかかわる者たちに課せられたことは、それにいち早く気づき、何とか食いとめることです。
そんなとき、編集者の掘切リエさんと児童文化評論家の野上曉さんに企画を待ち込まれ、真の「教育勅語」体験者で戦時絵本の出版された状況そのものを体験した同時代人として、証言を残すべきだし、それが使命だと貞めたてられました。
そしてやっと一冊にまとめることができました。
叱咤激励してくれたお二方と、今この本を手にして下さっている読者のあなたに感謝します。
著者 山中恒(やまなかひさし)
1931年北海道小樽市生まれ。児章読み物・ノンフィクション作家。
1960年「赤毛のポチ」で日本児童文学者協会新人賞、1974年『三人泣きばやし』で第21回産経児童出版文化賞、1978年「山中恒児童よみもの選集」で第1回巌谷小波文芸賞、1993年『とんでろじいちゃん』で第31回野間児童文芸賞、2003年第38回エクソンモービル児童文化賞受賞。
映画化された作品に「サムライの子」、「転校生」、「さびしんぽう」、「はるかノスタルジイ」、「あの、夏の日」、、テレビドラマ化された作品に「あばれはっちゃく」、「ぽくがぼくであること」、「おれがあいつであいつがおれで」などがある。
戦時下を描いた代表的なノンフィクションに『ボクラ少国民』シリーズ(辺境社、1974〜1981)、ほか『少国民の名のもとに』『新聞は戦争を美化せよ!戦時国家情報機構史』『すっきりわかる[靖国神社]問題』(小学館)、「アジア・太平洋丿戦争史」(岩波書店)、「戦争ができなかった日本〜総力戦体制の内側」(角川書店)、「少国民戦争文化史」『現代子ども文化考』(辺境社)、『戦時児童文学論〜小川未明、浜川広介、坪田譲治に沿っ
て』『靖国の子』(大月書店)などがある。
*装丁・デザイン 松田志津子 |

山中恒(やまなかひさし)
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