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六章 日の丸のもとに

 「日の丸」を国旗に制定したのは、戦後も半世紀以上経った一九九九(平成十一)年、小渕恵三内閣の時に政府・自民党が「戦前戦中、昔から日本人は〈日の丸〉を大切にしてきた」などとウソをついて、ごり押しで決めてしまったのです。

 日中戦争開始当初でも「日の丸」の普及率は低く、当時結成され万国民精神総動員運動中央連盟が一九三八(昭和十三)年二月十一日を期してキャンペーンを張ったのが国旗掲揚運動でした。ここでは「日の丸」を国旗としていますが、これは慣習で、戦前に「日の丸」が国旗として制定されたことはありません。
 けれども一九一一(明治四四)年五月に発行された文部省教科書の『尋常小学唱歌 第一学年用』のトップの教材曲が「日の丸の旗」でした。
   一、白地に赤く/日の丸染めて、/
     ああうつくしや、/日本の旗は。
   二、朝日の昇る/勢見せて、/
     ああ勇ましや、/日本の旗は。

 というものでしたが、一応「日の丸」を「日本の旗」とうたっただけでした。
 これは単純なメロディーラインで覚えやすかったので、一九四一(昭和十六)年の国民学校教科書初等科一年生用『ウタノホン上』にまで引きつがれました。
 ただし歌詞の一番の歌い出しの部分は「アオゾラタカク/ヒノマルアゲテ」と改訂されました。


『大東亜共栄唱歌集 ウタノエホン』

(朝日新聞社 昭和18年9月10日)より
「ヒノマル」(三好達治・詩 黒崎義介・絵)

一 アジヤの山に アジヤの海に
  ひらひら日の丸 ひるがえせ、
  ひるがえ世、ひるがえせ、
  日の丸は みんなの旗だ。

 つまり一九一七(大正六)年以降に小学校・国民学校に入学した子供たちは、皆この歌を習ったということです。
 それは同時に「日の丸=日本の旗」という観念を定着させられたと言ってもよいでしょう。1 top

 この時期に絵本にも国威発揚のために国旗を扱った作品が、たくさん登場してきます。
 戦時統合によって『幼稚園』から誌名を変更した『ツヨイコヨイコ』(右上の絵)は、小林純一の文章に絵をつけた「ススムヒノマル」を特集しています。
 今、私の手元に『日の丸由来記』(一九二八=昭和三年・東京日日新聞社諞・東京日日巡回病院)、『日の丸と君が代〈その由来と意義』(一九三四=昭和九年・東京日日新聞社戸大阪毎日新聞社)という六〇〜七〇ベージほどの小冊子があります。
 これには、明治維新の主力となった薩摩が最大の海軍力を持っていたことから、幕府が藩主島津斉彬(なりあきら)に船舶の識別の国の総印の制定を命じたとのことです。
 これに付き、色々な案が持ち込まれて彼は悩んでいたそうです。

 ――甲論乙駁(こうろんおつばく)容易に話しがつかないが、その間にも斉彬公は懸命になってこれを考え続けている。
 或夜厠(かわや=トイレ)に入っているうちふと総印のことでいい思いつきがあったので、ぷいと飛び出して来て驚きあわてる小姓に目もくれず、自室へ入ると頻りに国旗に関する何事かを書きつづけたという話がある(由来記)

 これを読んだとき、私は島津斉彬はことによると、切れ痔をわずらっていたのかなと思ったくらいです。
 とにかくトイレで思いついた「日の丸」案が決定し、幕府は「大船製造に付而者、異国船に不紛様、日本総船印者、白地日の丸幟相用候様、被仰出候」と一八五四(安政元)年七月にお触れ書を出しました。
 しかしそれは戊辰戦争のごたごたで反故(ほご)になりました。

 ――明治三(一八七〇)年正月二七日布告第五十七号をもって日本船舶に掲げる国旗は白布地に日の丸とす。
 旗は大中小三つに分けてその寸法を定め祝祭日には大旗を、常日は中旗または小旗を掲ぐること(由来と意義)

 と定められたのですが、問題はその寸法でした。
 「大旗 長さ一丈三尺 幅九尺一寸/日の丸径五尺四寸六分/日の丸先明三尺九寸/乳方明三尺六寸四分」というのです。
 一応これをメートルに換算すると、長さ約四メートル弱、幅約三メートル、日の丸直径約一・六メートル。

 日の丸向かって左空き一・一五メートル弱、右空き一・一メートルでなんとしても計算が合わないのです。
 日の丸の径に左右の空きの寸法を足すと、どうしても幅を超えてしまうのです。
 じつは長さというのは縦横で見て横のことだったのです。
 それにしても、どえらい大きなものでした。
これに準じて中旗・小旗の寸法を見ますと、中旗=長さ三メートル、幅二・一メートル、小旗=長さ一・八メートル、幅一・二メートル強というものでした。
 一八七二(明治五)年三月、東京府知事大久保一翁がお伺いを立てて、一般家庭でも祝祭日には「日の丸」を各戸に掲揚するようにしました。
 当初東京市民はそんなものを「門扉に掲揚させるなんて、お上は何を考えてるのか」と嫌がりました。
 その後大きさも規制はなくなりましたが、旗に対する赤丸の比率などは便宜的に、最初の太政官布告により戦時下にあっても、比率など正式に制定されませんでした。
 つまり「日の丸」は国旗として制定されなかったのです。
 しかし、私たち少国民は「日の丸」について、次のように学ばされました。


『キネンビ』
(国枝金三監修 岡本ノート鰹o版部 昭和18年
4月25日より「ケンコクサイ」=穏正造・絵)

御国の柱 橿原に 建て了世界に輝く日本
みんなの心を合わせて進む
日の丸にっぽん ばんばんざい

 ――このように、肇国の皇祖神として、日の神の御光を永遠に仰ぎまつるのが、われら日本国民である。
 従って日本の標章である国旗日の丸の中にも、私共は常に必ず天照大神の霊光を拝し奉るわけである。
 日の丸を仰げば仰ぐほど尊い神々しい感じがするのも、けっして偶然ではないことがわかるであろう。
 ことに私共が心に天照大神を念じ奉るときには、日の丸は何とも神々しくなるのである。
 明治天皇の御製に
 『くもりなき 朝日のはたに あまてらす 神のみいつを あふげ国民』/(旗・明治三十八年)と仰せられてある。
 おそれながら、この御製は「一点のくもりもなく、浄らかに明るく照りのぼる、あの朝日を象った日の丸の旗に、皇祖天照大神の、このうえなく尊い御威光を仰ぎ奉れ、わが国民よ」とお諭しになったものと拝し奉るのであるが、日の丸の国旗には、こんなにも厳かな神々しさがあるのである。
これほど神聖な国旗が、世界のどこにあろうか。
            (『日の丸の国旗』 一九三九=昭和十四年・亘理章三郎・実業之日本社)
――我が大日本帝国の国旗は白地に日の丸を染め出しかもので、世界無比なる我が国体と、我が国民の美しい精神とを表したものであります。
 全世界を照らしている、かの太陽のそれの様に、かくも崇高な国旗は世界にいま一つとしてありません。
         (『絵入少国民作法読本』 一九三九=昭和十四年・大日本儀礼研究会編・清教社)

 これを見てもわかるように、「日の丸」というのは、国体原理主義の象徴だったのです。2 top

 『ツヨイコヨイコ』(上の絵)の「ススムヒノマル」は、まさに「日の丸」を日本軍の進軍の象徴として扱っています。
 関英雄の文章による幼児向け絵本『ハタ(右上の絵)を見ても目の丸の役割がよくわかります。
 日本陸軍の旗は軍旗で「日の丸」ではありませんが、満洲事変や支那事変では、友軍との同士討ちをさけるために、遠くからでもわかりやすい「日の丸」も携行したのです。
 しかし、日中戦争開始後に国民精神総動員運動中央連盟が国旗掲揚運動を始めなければならないほどに、一般の「日の丸」に関する認識はうすかったのです。
 先に引用した『日の丸の国旗』は、「我が国旗は皇室中心の国体、国民がそれに奉仕する日本魂の標章であるから」取扱い注意として八項目を挙げています。

 一、国旗は必ず正用すべく、濫用してはならない。
 二、国旗は国家的な公の意義を持つ以外に、これを私に用いてはならぬ。
 三、国旗は装飾用として用いてはならぬ。
 四、国旗は卓子(テーブル)掛・窓掛(カーテン)・壁掛・天井覆・風呂敷などに用いてはならぬ。
 五、国旗を服章・徽章などに私に用いてはならぬ。
 六、国旗を手拭・風呂敷・椅子布団(クッション)などの模様に染めだしたり縫いつけたり、紙拭片(かみナプキン)などに印刷してはならない。
 七、国旗を広告その他営利の目的に用いてはならぬ。
 八、国旗に文字や画を書き入れてはならぬ。絵画にした国旗でも、その中に文字や画を書き入れてはならぬ。

 正直、私の体験でも、これらの注意事項は守られていませんでした。
 こんなものを本気で守ったら、戦時下の副食無しの日の丸弁当だって作れなかったはずですから。
 日中戦争が始まったとき、出征兵士を送るパレードには紙の「日の丸」の小旗が配られ、それを振りながら駅まで送ったものです。
 駅前広塲のすみにちぎれた紙の日の丸が落ちていたのも覚えています。
 かって中国人は「日の丸は東洋鬼の旗印だ」と恐れたそうですが、「日の丸」は国体原理主義や世界制覇の八紘一宇のシンボルであったことは歴史的事実なのです。3 top

 幼児向けの絵本『キジノヒノマル』(右上の絵)は浜川広介の作ですが、「国民のしるしの日の丸を、いかに大切にしなければならないかの観念を、童話で子供たちに植えつけたい」と、作者の言葉にはっきり書かれています。
 敗戦後、アメリカ占領軍が「目の丸」掲揚を禁止したという話がまことしやかに語られましたが、これはウソです。
 アメリカ占領軍は「日の丸」が国旗でないことを知っていたからです。
 ということで、「日の丸」の戦時絵本の数々を見ると、私にはかなり複雑な思いがよみがえってきます。

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