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三章 アジアの子供は皆仲良し
まず「大東亜共栄圈」とは、どのようなことなのか、から始めます。
今、手元に『大東亜戦争事典』(一九四二年・情報局記者会編・新興亜社)があります。
これは次のように説明しています。
大東亜共栄圈 日本を中核とする道義的新秩序建設完遂のため共存共栄を図るべきアジアの諸地域を総称するもので、支那事変の進展に伴い車亜共栄圈は大東亜共栄圈となり、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)の勃発により印度(インド)及び豪州(オーストラリア)の包含も明確となった。
すなわち日満支を中心とし仏印(仏領インドシナ)、泰(タイ)、マレー半島、ビルマ(ミャンマー)、東印度諸島はじめ西南太平洋諸島ヒィリピン、さらに印度、豪州を加えたる広大なる地域で従来の英米仏蘭の奴隷的搾取から解放し各々その民族 をして処を得せしめ真に我が肇国の精神に恭づく道義秩序の建設を理念とするものである。 |
つまり、これまで英米仏蘭列国支配下の植民地であった東アジア諸地域を解放し、原住民本来の姿に戻し、日本の肇国(ちょうこく)の精神八紘一宇(はっこういちう)による道義秩序建設に協力するものたちの区域ということです。
「我が肇国の精神=八紘一宇の精神」とは「四方八方国中を一軒の家のようにして、平和に睦(むつ)み合うのは良いことではないか」という、天皇第一代の神武天皇の橿原(かしはら)遷都の詔勅から来たもので、この場合の「八紘」は国の内、つまり大和国内でした。
ところが戦前右翼の総帥といわれた田中智学(ちがく)が一九〇三(明治三六)年に「八紘為宇」の原文から「八紘一宇」と造語し、「世界を制覇して一軒の家にして、家長である天皇の御稜威(みいつ)に浴させる」という凶暴なスローガンを唱導し、それを日本的世界統一の原理にしてしまったのです。
満洲事変を起こした日本の関東軍の高級参謀石原莞爾(かんじ)も田中智学に傾倒していて、関東軍の正式印判に「八紘一宇」を使用したことは有名です。
また「各々その民族をして処を得せしめ」という言葉は「植民地原住民が宗主国の軛(くびき)を断って本来の姿に戻る」ということですが、ここではもう「宗主国を排除した日本軍の支配下に入る」という意味になっていました。
当時子供向けに出された『教育新体制に即応せる少国民の常識読本』(一九四一年・辻正二・不二波梧郎共著・湯川弘文社)は、「南方共栄圏運動と大東亜共栄圏」について、
――日本は初め日満支だけで共栄圈を作ろうとしたのでありましたが、日独伊三国同盟の頃から高速度の国防国家を築くにはこれではみちたらぬ。
もっとその中心を南方へくり広げ蘭印をも併せ考える必要があるということに世論がやかましくなって来ました。
蘭印は日本の全領土の三倍半の地域をもっており、米でも石油・鉄・砂糖・ゴム・錫など豊富に産出するから蘭印のみならず仏領印度、祟国等をも加え日満支三ヵ国と併せ考えて、その自給自足の共栄圈を新たに築こうとする運動が行われているのであります。
これが日本の新目標であり、この大範囲が大東亜共栄圈であります。 |
と書いています。
これによると、日独伊三国同盟(昭和十五=一九四〇年九月に締結された軍事同盟)あたりから、日本は高度国防国家建設には日満支の資源だけでは足りないので、南方諸地域の軍事資源を獲得すべきだという世論がやかましくなってきたとしていますが、そうした世論は時の政府がマスコミに動員をかけて指導したものでした。
「蘭印」(らんいん)というのは、現在のインドネシアのスマトラ、ジャワなどの大小スンダ列島及びボルネオ、セレベスなど旧オランダ領植民地のことです。
ついでに「仏領印度」とは現在のベトナム社会主義共和国、ラオス人民民主共和国、カンボジア王国など、タイに隣接するインドシナ半島の大部分で、旧フランス領植民地のことです。
仏印(ふついん)へは日本軍が太平洋戦争開始の半年前に、その資源獲得のために武力進駐していました。
とにかく日本軍は、フィリピンを加えて、これだけの地域に武力侵攻したのです。
「大東亜共栄圏」とは「日本軍占領地ブロック」と言っても良いでしょう。ついでに、この『教育新体制に即応せる少国民の常識読本』で「八紘一宇の精神」を見ましょう。
――この精神は、天皇の御恩徳に従い奉らない一切の禍(わざわい)をなすものをうち払い国内はいうまでもなく、世界にまでも推し及ぼして互いに手をたずさえて助け合い、むつみ合って世界が一軒の家のような世界の平和を実現しようとする日本肇国(国をはじめたとき)の大理想であります。 |
要するに天皇の言うこと、つまり日本軍の言うことをきかないものを撃ち払い、天皇の威光にひれ伏すようにさせるということです。これまた「所を得しむる」同様に侵略を正当化するトリックでした。1
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もう一つ『初等絵本 第四集興亜ノ春』に見られるような「興亜」(こうあ)です。
これは単純に字面だけで見れば、アジアを興(おこ)すという意味ですが、これまた内容は日本の中国侵略を正当化するものでした。
一九三七年(昭和十二)十二月十九日、日中戦争開始半年後、中国国民政府首都南京を日本軍が攻略した直後、近衛文麿内閣の有田八郎外相は在京外人記者団を外相官邸に招待して、日本の今後の方針について開明しました。
翌日の東京朝日新聞トップのキャッチ・コピーは「興亜外交・中外に声明(外人記者―外相会見)」でした。
そのステートメントが『時局認識辞典』(一九三九=昭和十四年・福田俊雄編・日本書院)に収録されていますが、長文なので冒頭の部分だけ引用しておきます。
一、東亜建設の大業遂行については帝国が指導的役割を演ぜざるを得ない必然性並びに帝国の抱懐する大理想を強調し、帝国の指導的役割並びに帝国の高邁なる理想は十九世紀末に列国がその植民地に対して行えるが如き自国のみを利せんとする帝国主義的搾取的態度とは、根本的に相違し、東亜の真の平和を実現すべき健全なる秩序を建設しもって全世界に範を垂れんとするものであることを認識せしめる。
一、日満支三国の提携の内在的必然性を強調し、東亜新秩序建設の積極的目的達成のため即ち赤化(共産主義化)勢力の防衛、民度の向上、文運の振興等のためには日満支三国の政治、経済、文化の諸分野に亘って互助連環の関係樹立の要あることを明らかにし、同時に右は世界に於て列国が経済ブロックを形勢するが故に日満支もまたかかるブロックを形成せざるを得ずとなすが如き消極的なものでなく列国の動向如何に拘わらず日満支三国の互助連環関係の確立は東亜新秩序建設には無条件必要なることを認識せしめる。(後略) |
これは日本側の占領地域での政策を、米英列国が利己的ご都合主義的であると批難したことに対応する態度釈明でしたが、釈明どころか開き直りの強弁でした。
しかも外人記者との一問一答で「日本は九国条約を廃棄する意向であるか?」の質問が出ます。
九国条約というのは、第一次世界大戦後、一九二二(大正十一)年ワシントン会議で日・英・米・仏・伊・蘭・ベルギー・ポルトガル・中の九国間の条約で、中国の領土保全、門戸解放、機会均等などを保障するというものでした。
これに対して有田外相は「すでに対米回答にも述べた通り古い観念及び主義は今日の事態に於いて無条件には適用出来ぬ、又九国条約の規定中支那自身がこれに違反して実行しないものが相当ある」と答え、九国条約については「未だ正式に廃棄されたことを聞かぬが、現状に適しない条項は多々あり次第に時代遅れとなりつつありと思われる」と無視していることを明らかにしています。
つまり「興亜」というのは日本が満中二国を率いる高度国防国家を興すということに他なりません。
このあと興亜の亜には東南アジア諸地域を含めるようになりました。2
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この精神を子供たちに伝える絵本として『科学絵ばなし 南洋の自然』『コドモノヒカリ“ノビユクダイトウア”号』のような絵本が刊行されます。
また日本の興亜外交に理解協力しない第三国を中国市場から閉め出そうとしたのです。
「支那新政権の育成補導」というのは、中国の正統な国民党政権を否定し、日本の言うままになる傀儡(かいらい)政権を育てるということです。
当然、米英からの批判反発が出てきます。この段階で大日本帝国は軍事、経済、外交のすべての面で米英と敵対関係に踏み切る体制に入ったのです。
もう一つ「一億民の教養」という冠を付けた『時局新語辞典』(一九四一年・野田照夫・法学書院)で「興亜」をひいてみます。
――興亜とは新支那の建設、東亜の新秩序を具現し新しい亜細亜(あじあ)を建設することを謂う。
興亜の精神は八紘一宇の肇国精神に発祥し二千六百年の日本歴史を貫流し、満洲、支那の両事変を通して其の世界史的展開を示しつつある日本民族理想画期的飛躍的発展の相なり。
支那の厚生、並に日満支三国間の提携の上に立つ新東亜体制を確立して支那民衆をして日支提携の合理性と正義性を自覚せしめ政治、経済、文化の各般に亘り互助連環の実を挙げ東洋永遠の平和を確保すべき東亜を建設することが興亜の大業なり。 |
文中の「新支那の建設」とは、日本の傀儡政権が支配する中国という意味で「東亜の新秩序を具現」というのは、東アジアに日本を盟主(めいしゅ)とする日本軍の支配体制を確立することです。
この『時局新語辞典』は太平洋戦争開始直前のものなので、まだ「日満支三国間の提携の上に立つ新東亜体制」となっています。
これを受けて日満華語入りの絵本も盛んに刊行されます(二つ上の『日満華語入 児童絵本』)。
これらを見てもわかるように、当時の時局関係出版物は大日本帝国の侵略政策をすべて美壁朧句を並べ立てて隠蔽したのです。
これまで述べてきたように、「大東亜共栄圜建設」といい「興亜」といい、これらは国体原理主義に基づく帝国主義的「軍国主義的な対中侵略戦争を正当美化するための用語でした。
それをまさに観念的に子供にたたき込もうとしたのが、この章で取り上げる大東亜共栄圈・興亜絵本です。3
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この内、『大東亜の国々』は一巻目の『神の国 日本』を含め全八巻シリーズだったようですが、全巻完結したかどうかは不明です。
『神の国 日本』の巻末には「おうちのひとによんできかせていただきましょう」という注意書きがあり、編集部(大同印書館編集部)の次のようなメッセージが掲載されています。
―― 一番初めにある「日本は神の国」のお話でも知る様に、日本は、昔々神様がお造りになられた、ありがたいお国で、大八洲(おおやしま)とも言い、豊葦原(とよあしはら)瑞穂国(みずほのくに)ともいいます。
一番東のはしは、千島列島の占守(しゅむしゅ)島で、東経一五六度三二分、西は新南群島の姫饑堆西崎で、東経一一一度三三分、南は新南群島鴎礁南崎で北緯六度五四分、北は占守阿頼度(あらいど)島の最北崎の北緯五〇度五五分です。
四方海に囲まれた日本、東は太平洋をへだてて、にくいにくいアメリカと対し、西は黄海、南支那海の彼方に新しい国支那、北は日本海をへだてて仲良しの満洲国があります。/日本全体の広さは、およそ六八万方キロメートルと言われ、ここに住む人の数は一億万人余りもおり、神代から永くつづく大和民族を中心に、朝鮮人、北海道のアイヌ人、その他台湾、樺太、南洋に住む土人等が働いています。
美しい日本の国、緑の山々、川の水は透き通る様に澄んでいて、すがすがしく、この自然は私達に、国を愛する心をやしなってくれます。
農業、工業、商業漁業、その他、いろいろの仕事に、国民は休みもなく、奮い立っています。
火山は温泉に、川は発電、運輸、灌漑に、海に、陸に、自然はよく利用されているのです。
□天皇陛下を父とあおぎ、国の政治を行う日本内地は三府四三県に、北海道・樺太・朝鮮・台湾・関東州・南洋諸島等と、皆それぞれ治めているのです。
古い長い立派な歴史をうけついで、生き生きと発展する日本は、日清、日露の戦役に、多くの人々の血を流し、尊い魂をなくして受けた、台湾・樺太の半分と関東州・南洋群島・新南群島等と領土は広くなりました。
神の国日本。□天皇陛下の御威光のもと、益々栄えゆく日本。
正しい道に進む日本。大東亜戦争だけなわの今占領地域は国土の十倍半にもなっているのです。
南に北に伸びゆく日本。さあ私たち日本国民は手に手をとって、日の丸の旗の向かうところ、古くして新しい日本を建設して行きましょう。
(□は一字アキ。天皇の活字の上には何ものせない当時の不文律でした) |
これはもう衣の下の鎧(よろい)どころか、天皇の名のもとに抜き身を突きつけているような恐ろしい文章です。
これらの絵本では正式国名「中華民国」を無視して、江戸時代からの蔑称「支那=シナ」を使っています。
教科書も例外ではありません。
日本の権力中枢の国体原理主義者は「中華」、つまり「大陸中心の華」の意味が気に入らなかったのです。
相手国を蔑称で呼んで憚(はばか)らなかった当時の日本は、思い上がっていたのです。4
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『初等絵本第四集興亜ノ春』の巻末にも初等絵本研究会から、子供読者へ向けてメッセージがあります。
――日本は今、シナの悪い軍隊と戦争をしています。日本々お隣の満洲国やシナなどが仲良く立派に暮らしていくには、どうしてもこの悪い軍隊に勝たねばなりません。
そのために日本の兵隊さんたちが大勢ご苦労なさっていることは皆さんがご存じのことです。
そのおかげで今では、シナの悪い軍隊も段々追いつめられてきました。
皆さんが安心して学校へ行ったり、遊んだりできるのも、みんな兵隊さんのおかけです。
いつでも「兵隊さんありがとう」と思う心を忘れないようにしましょう。
兵隊さんに慰問のお手紙や慰問袋をあげたり、兵隊さんのお留守の家を手伝ったりするのは、皆さんの勤めです。 |
幼い子供たちは、やみくもに日本軍は「シナの悪い軍隊」と戦争していると信じ込まされることでしょう。
それがまた、この絵本の狙いでもあったのです。その一方で『マレーノジャングル』(65、68〜69頁)のように、当時としてはめずらしいポップアップの仕掛けまで使って、子供たちに巧みに国威発揚をうったえかける絵本もありました。
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