最近手に入れたある資料に、アマチュアピアノ集団のコンサートプログラムが5年間分あった。 その中でフォーレのどんな曲が取り上げられていたか調べてみた。 1年で取り上げられるのは200曲強といったところである。
夜想曲第6番は人気があると思っていたら、やはりドリーがそれ以上の人気でした。しかもソロもある。
舟歌第1番もけっこう弾かれますね。あれは、左手のアウフタクトがいやらしいのですよ。
123456の拍子のうち、右手の重音の2と5に妙なアクセントがつきがちです。
編曲者のアール・ワイルドとパーシー・グレンジャーはすっかり忘れていました。
二人ともピアノを弾くほうでも、編曲するほうでも名手です。ただどちらも手許にないのが悲しい。
グレンジャーの編曲はその後手に入れました。
フランスのオーケストラで活躍していらっしゃる、 ヴァイオリニストの千々岩英一さんと少しおしゃべりをしたことがあった。 フランスではフォーレの初期の作品はともかく、後期の作品は敬遠されているんですよ、 後記の作品はむしろわび・さびと通じる物があって日本人に好まれるのではないですかね、 という話だった。
わたしは「そういえば、柔道は日本よりフランスが今は強いですからね」といいそうになったが、 話がしまらなくなるのでやめた。 そのあと、日本ではどうなのかという問いを受けて、わたしの閉鎖性が暴露された。 日本では、東京と神戸にフォーレ協会があること、 堀江真理子さんの主催になるフォーレピアノ・室内楽全作品演奏会も開かれたこと、 それほど日本人はフォーレ好きなのではないか、との千々岩さんの問いに、 フォーレ協会の会員でもないこと 全作品演奏会に行かなかったことを正直に言わざるを得なかったのである。 なるほど、どちらも私にとっての接点は一度ずつあったのだ。
日本フォーレ協会の主催するフォーレ演奏会には、何度か行ったことがある。 最初に行ったときは三重奏曲ほかを聴いたのだった。 受付には日本フォーレ協会の 申し込みやらなにやらがあった。そこでは「フォーレ手帖」の販売をしていた。 今思えば必死の宣伝策、販売促進策であろうが、当時の私は「何がいまさらフォーレ手帖か」 と見下していた。 よく内輪で結束を高めようとして、 Tシャツやトレーナーを作って共同体意識を高めようとしている集団がありますね。 あのような、間違えると閉鎖的になり意識を外に向けなくなる危うさを 「フォーレ手帖」に感じたのだった。 今となっては少し申し訳なく思っている。 そのとき入っていたら「ペネロペ」の日本初演(2台ピアノ版)にも 立ち会うことができたろうに、と後悔している。機会があれば今からでも入ろうかとは思っている。
付記:この「フォーレ手帖」を、わたしはてっきり「手帳」と勘違いしていた。 「フォーレ手帖」はフォーレ協会の会誌の名称であったことに、今気付いたので、慌てて直した。 「現代詩手帖」を昔たまに買っていたのだったが、全く類似性には思いもよらなかった。恥ずかしい。 ついでに「フォーレ協会」も「日本フォーレ協会」に訂正した。 (2000-08-08)
堀江さんの演奏会については、実は通して聴こうと思って準備だけはしていた。 第1回が開かれる一ヶ月程前 カザルスホールに席を予約しようと思ったら、既に売り切れです、 当日券はキャンセルが出ればあるかも、 との答えだった。私はそこでしょげてしまい、 そんなに聴きたい客がいるなら俺がわざわざ出る幕はねえ、 勝手に聴いてけろ、と以降すべての演奏会を聴く気をなくし、実際行かずじまいだった。 連続演奏会に先立って、堀江さんのピアノは一度だけ聴いたことがある。 ヴァイオリンの清水高師さんの伴奏として堀江さんがピアノを弾いていた。 このときはベートーヴェンのヴァイオリンソナタ他を聴いたのだった。 私はまあまあではないかと思ったのだが、 一緒に聴いた知人がいうには、 「ちょっと堀江さん大丈夫ですかね、ミスが目立って清水さんがあれっという 顔をしてましたよ」といっていたのを思い出した。そんなこともあって、 連続演奏会はいいやと投げやりな気持ちになった。 取れないブドウは酸っぱい理論である。 これまた今となっては後悔しているが、まあ私の目の黒いうちはもう一度ぐらい、 没後100年あたりに機会があるだろうから、その時に行けばいいだろう。
もちろん、作曲家の節目の年にこだわらずにフォーレの作品が 数多く聴けるようになればいいのに、とは思う。そして、私のおしりももっと軽くしなければ いけないということも。財布の軽くなるのは致し方ない。
付記:その没後 100 年を迎えた 2024 年には、フォーレ室内楽の連続演奏会は私の聞く限りなかった。がっかりである。次は生誕 200 年だろうが、
さすがに生きていないと思う(
ふと思い立って、Yahoo の掲示板を見てみることにした。クラシックのページにたどり着くと、 結構フォーレについて500件近くの投稿があり、盛り上がっているのだった。 私もこっそりと参加することにした。その後、この掲示板は投稿されなくなり閉鎖されてしまった。
SNS の大手である Mixi にはフォーレのトピックスがあり、 けっこうな書き込みがなされている。(2012-06-03)
こちらはフォーレに関するスレが続いている。 2ch のサーバ(awabi.2ch.net)と、 logsoku のサーバにあるスレ(logusoku.com) を挙げておく。 (2014-03-30)
現在はどちらもリンク切れである。現在続いているスレッドは次のものがある。(2024-12-06)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1728819982
週刊金曜日という硬い週刊誌の中に、いくつか柔らかい記事が混じっている。 その中に、指揮者の岩城宏之さんの随筆がある。現在は F で始まる作曲家が取り上げられていて、 それがフォーレなのである。岩城さんは、F で始まる作曲家で有名なのは、 ファリャ、フランク、フォーレの3人であり、 その中では上位に挙げた順に有名であろうと考えていた。 ところが、ある音楽辞典の記述量でくらべると、フォーレがもっとも多く、 次にフランク、 ファリャの順番であったという。 この違いは、まさに岩城さんがオーケストラの指揮者であるがゆえだろう。 岩城さん自身も述べているのだが、ファリャのオーケストラ作品は「三角帽子」、 「恋は魔術師」、 「スペインの庭の夜」という傑作があり、 オーケストラ作品で有名な作曲家という印象が強い。 フランクも、長大な交響曲で有名であるとともに、 泣く子も黙るヴァイオリンソナタの印象も強い。 一方フォーレは、オーケストラの曲はほとんど演奏されない。岩城さんも、 フォーレをレクイエムのイメージで捉えていて、なおかつ 日本におけるフォーレのレクイエムの好感度を過小評価していたようだ。 これは、当然のことと思う。
その後で、岩城さんは自身の幼い頃の体験を延々と述べている。 体験自身はフォーレとは何の関係もないが、 そのときに聞いた「夢のあとに」が強烈な印象に残っているという。 きっと岩城さんは、「夢のあとに」を聞く度にその幼い頃を思い出すのだろう。 私は実をいうと、フォーレの音楽に幼い頃の思い出はない。 しかし、他の音楽ではいくつかある。岩城さんにとって 「夢のあとに」はたまたまだったのだろう。 これもいいと思う。
岩城さんの感想で、改めてフォーレに関して気付いたことがある。 それは、フォーレはオーケストラ作品では知られていないことだ。 フォーレの作品はピアノ独奏曲、室内楽曲、歌曲という3本柱が強力で、 これらの作品の力がフランクやファリャを圧倒するにしても(私はそう考える)、 オーケストラ作品の質量感で指揮者は判断するのだと残念に思った。
なお、岩城さんは、Fauréは「フォレ」と発音すべきことをていねいに書いている。 下線部はアクセントがあることを示す。
SNS の mixi で、フォーレに関するコミュニティがある。 そのなかの好きな曲というトピックに現れた曲を数えてみた。 数え方はいろいろあるが好きという文脈で解釈で来たものを列挙した。 2012年6月3日現在で、順序はこうなった。 コロンのあとの数字は得票数である。
ピアノ五重奏曲が2曲とも入っているのは、 フォーレに関していろいろ聞いている人が多いからだと思う。 音楽批評家より一般大衆のほうがよほどフォーレに関しては進んでいる。
それから、2位となったパヴァーヌだが、 こちらは独特のひんやりした感じがあって、正直遠ざけておきたい雰囲気の音楽だ。 その感じがまさに人気のあかしなのだろう。
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