フォーレ:月の光 Op.46-2

作成日:1998-09-24
最終更新日:

1. 「月の光」はなぜ代表作品か

フォーレの歌曲の中で「月の光」(Op.46-2)は、フォーレの歌曲の代表作品とされている。 しかし、有名という面からみれば「夢のあとに」には遠く及ばないようだ。 ではなぜ代表作品なのだろう。

ものの本には、今までの歌曲とは違う考え方をしているからだ、と書いてある。 この曲はピアノの導入部が長く、それにつきそうようにして歌がある、 そのような書き方が革新的だから、というのだ。 確かに、歌が堂々と威張っているという曲ではない。 といって寄り添っているだけでもない。 ただ革新的とまでいえるのかどうか。主張すべきところはしている。 そして不思議な旋法。 冷ややかな曲の作りに歌が温かさを盛り込まなければさまにならないような歌に聞こえる。 私が不思議に聞こえたのが出だしだった。曲全体は3/4拍子であることは楽譜を見てわかる。 最初の2小節は(2/4+2/4+2/4)*2に聞こえる。次の2小節も同様である。 ところが、さらに次の4小節は普通に(3/4)*4である。 これがわからないから未だにこの曲全体に対していうべきことばがみつからない。

フォーレの作品は、ごく有名なものと、有名だけれど今一つ浸透していないもの、 そしてほとんど知られていないものとがある。 月の光は有名だけれど今一つ、の部類に入るような気がする。 この曲は、テンポの揺れを自ずから拒否しているかのような作りになっている。 それというのも、左手のアルペジオが拍の頭にないからだ。 このような不安定な音型で妙なルバートを掛けてしまうとたちまちにして曲が崩壊する。 もっとも全くテンポの伸び縮みがないのも音楽として不自然だろう。その間をどのようにとるのか、 演奏家としての楽しみがあるのはこの微妙なつり合いをうまく制御することなのかと思う。

月の光(冒頭4小節)

2. 伴奏体験

先にかいたように、拍子の切れ目が不思議なので、伴奏には難儀をした。 それでも(それだからこそ)伴奏体験はよく覚えている。 私を伴奏者として歌ったDさんは、フォーレの中ではこの曲を一番よく歌った。私もそらで詩を覚えてしまったほどだ。歌と伴奏がずれる間隔は実際に歌ってみると本当に味わい深い。

一度このDさんが私の伴奏で、 上野の文化会館主催のオーディションを受けたことがある (彼も私も音楽大学出ではない)。 アリアから1曲、歌曲から1曲で、それぞれ2曲ずつエントリーしてその場のくじ引きでで1つを選んだ。 アリアは「オテロの死」と「星は光りぬ」を、 歌曲は「献呈」(R.シュトラウス)とこの「月の光」を用意していた。 彼はどちらも前者を得意としていたのにくじではどちらも後者が出て、 二人ともがっかりしたのを覚えている。 特に「月の光」は彼が歌いだして4小節も立たぬうちに演奏終わりの鐘がなってしまった。 結果はいうまでもないだろう。それでも、彼は「月の光」が好きで、 学生時代わざわざフランス語の先生を呼んで、発声について指導をお願いしていたくらいである。 お互い卒業して久しく御手合わせしていないが、またやってみたいものだ。

追記:その後 2000 年の5月のはじめあたりだったか、 この月の光を含めてフォーレの歌曲をいくつか伴奏したのだった。 (そのあたりのことは 2000 年の練習日誌に書いた)。 もうあれから1年も過ぎたのかと思う。Dさんは忙しい方だから、 次にお手合わせできるのはまたかなり先になりそうだ。

3. 演奏について

シュミーゲの歌唱は、潤いが足りない。テンポが一定であり、しっかりしているのはよいのに、 なぜだろう。多少速いからだろうか。

編曲など

ピアノ独奏版編曲、ヴァイオリン(あるいはチェロ)とピアノによる編曲がある。

まりんきょ学問所フォーレの部屋 > 月の光


MARUYAMA Satosi