SCOUTINGのSCをとった75%はOUTING(野外・戸外活動)だとよく言われます。
ご存じの様に、ボーイスカウト運動は野外を主な活動の場とした教育運動です。
その中心となる野外活動・ウッドクラフトの基本を知って頂き、
ビーバー隊・カブ隊の活動に活用できるヒントに
つなげていきたいと考えています。(B-Pが考えた基本)
ウッド・クラフトには、トムソン・シートン方式、ダンベアード方式、ケフアート方式、
そして、べーデン・パウエル方式等があげられるが、他の方式は別の機会に詳述するとして、
今回はベーデン・パウエルの方式に絞って申し上げます。
ベーデン・パウエルは、男らしい男づくり為にボーイスカウティングを創造し、
女らしい女づくりの為にガールガイディング又はガールスカウティングを創始した。
B−Pは、男らしい男づくりのよりどころとして2つを選んだ。
一つは騎士道であり、今ひとつがウッド・クラフトである。
彼はこの二つを「神へのDuty」という言葉で結んだものである
ウッド・クラフトは入信への導きであり、
騎士道の方は信仰をつかんでからの行道であるとした。
こういう点でベーデン・パウエル方式は、
前述の他の方式とは格段に違ったウッド・クラフトとして発展したのである。
前述3人の方式のウッド・クラフトは、その人個人の時代だけのものであっって
後継者もなく、いわば個人プレーとして終わってしまったが、
B−Pの方式はスカウティングという形の中の核となり、その核は各地に分裂した。
そしてその核は、核融合して今日、そして将来永久に放射能を放つに至ったのである。
それは青少年の体内に働いて、生命力を増強し、可能性を増大し
「あるべきところに、あらしめる」・・・希望の光を、そして火を与えた。
そして、それは原子力利用みたいに世界的なものとなった。
クラフト(Craft)というと"技術"ではあるが、ベーデン・パウエル方式においては、
技術が技術だけに終わらずに、更にそれから放出するエネルギーが
男らしい男づくりとなるのである。
ウッド(Wood)とは森のことである。
しかし、森と言うだけでなく、日本的に言えば"大自然"である。
英語には、この日本的、東洋的の"大自然"という語がない。
それだから、woodだのジャングル(jungle)というような
魅力のある言葉を採用しているのである。
ベーデン・パウエルは"ローバリング・ツ・サクセス"において、
ウッド・クラフトについての新しい解釈を示している。
それは"美"と"驚異"との発見をしなかったら、
ウッド・クラフトは単なる技術に終わってしまうということである。
この、"美"と"驚異"の感得はそこに神の存在を信じさせて、
神のはたらき、みわざ、を発見させるのである。
人間の作った文字で書いた聖書(バイブル)には、誤りがあるかもしれないが、
"大自然"というものがいろいろのサインで書いたバイブルには全く嘘がない・・・
と、B−Pは記し、これがウッド・クラフトの神髄である、と述べている。
このベーデン・パウエルの言葉は彼の信仰から生まれているのである。
スカウティングが戸外、野外の活動を重視する理由はここにあるのだ。
特に、ローバーリングとは、戸外活動と奉仕活動の仲間活動であると
ベーデン・パウエルは定義している。
この、戸外活動とは男づくりだと私は受け取っている。
それは、他の人達の幸福に奉仕することから、自己の幸福を感じ取るもの
である考え方だからである。
"日々の善行"だの、"奉仕"だのという言葉は、一見なかなか立派であるが、
そういう立派なものほど偽物が多いし、裏道も多いのである。
人は常にそうした分岐点に立っている。
邪念や、利欲や、誘惑に負けると邪道に踏み込みたがるものである。
神や佛の歩み給う方の道をフォローすれば間違いはないのである。
それは、相対から絶対へ帰入する道であると思う。
たった一歩の踏み出しの間違いで邪道に入ることもある。
どちらを選ぶかは自分の価値判断の如何で定まるものである
ウッド・クラフトとはそうしたものを含むところの教育活動である。
野営とは英語でCampingである。
キャンピングと野営とは形の上では違いはない。
けれども、心の面では少々違うようである、何故なのであろうか?
キャンピングとカタカナで書いたのではそこに東洋的な香が出てこない、
野営という言葉には"大自然の匂い"がする。
"大自然"という言葉が持つニュアンスは東洋人だけにわかるものなのではないだろうか。
さりながら、野営もキャンピングも同じようにウッド・クラフトの一部分である、
その点においては両者は同質であるといえる。
それは、大自然の中に没入して大自然の声を聴いたり、その呼吸を皮膚に感じたり、
その匂いを嗅ぎ、その味を味わい、その美観を見ることが出来るのである。
すなわち、人間の聴覚、触覚、嗅覚、味覚、視覚のすべてに大自然を感得することである。
木の葉のざわめき、風の感触、森の匂い、水の味、そして全天の星の光・・・。このような、千差万別、森羅万象の巡り合う相対世界の構成の奥底に唯一つの原理、
絶対の生命力、宇宙エネルギーが空間を超え、時間を超えて、
現在自分の眼前に現れているということに気がつくのである。
その事が、自分が絶対者との関連の中に生かされている、ということである。
野営というものは、そうしたものの発見の導きをするものである。
野営工作、野営技能、野営調理、等というものは
それぞれに基本的訓練としては必要であるが、究極的な目的ではないのである。
夜の世界は昼間とは違って人を感動させるものである。
殊に営火を囲んでの感銘は非常に大きく、深いものである。
営火及び営火夜話については後述します。
ハイク又はハイキングは英語である。Hike―Hikingは一時、英国に於いて
死語になってしまったものをスカウティングがそれを蘇生させたものである。
いや、ベーデン・パウエルによって復活されたものである。
これを日本語にしたいというので、俳駆だの、俳徊だの、行脚だの、野狩りだの、
いろいろな訳語が試行されたが今もってピッタリとしたものは出てこない。
ある時期、これを行軍と受け取って、健脚訓練だとはき違えたこともあった。
俳徊、行脚、等が直訳ではないという理由は、
"ハイキング"いわゆる世間一般で言うハイキングとは異なって、
スカウトのハイキングは観察、推理を要素としているからである。
観察と推理はいわばパトローリングである。
それは、斥候ということ、即ち、スカウティングにつながっているのである。
言い換えれば、ウッド・クラフトの中の一科目である。
そのウッド・クラフトは、ベーデン・パウエルによって一段と展開されたというわけは、
騎士道における騎士の修業(武者修行)において期待せられた"信仰による善行の旅"
というものに結びつけられているからである。
この意味に於いて、日本の信仰による旅、お遍路とか、僧の行脚、
僧でなくとも芭蕉等俳人や文人墨客などの旅と似たところがある。
スカウティングを日本に初めて(1909年9月)紹介した、北條時敬先生がスカウトを
"少年武者"、ハイキングのことを"武者旅行"と翻訳されたのは
このことから来ているのである。
昔の歴史の中の武者修行もやはり観察、推理を重視したものである。
特に戦国時代にはそれをおろそかにしたら、敵に勝てないのである。
その為に忍者という特技者までをおいたのである。
スカウトのハイキングはリクレーションや物見遊山ではない。
"力試し"、"アドベンチャー"(Adven−ture)である。力試しが高度になってくれば、
それは"冒険"ということになる。
その"力試し"は、スカウト技能の面の"力試し"もあるが、精神面の"力試し"でもある。
"おきて"、"ちかい"に対する"力試し"は
とにかく難しいので、敬遠されているのではないだろうか。
・ハイキングと一口に言ってもカブスカウトのピクニック(野狩り)や
ボーイスカウトのハイキング、一級旅行、シニアースカウト(ベンチャー)の
エクスプロアリング、ローバースカウトのローバーリング等、いろいろな段階がある。
それは自然観察を中心としたウッド・クラフトの段階に始まるが、それが
追跡・忍び寄り・方位・読図・信号・結索・縛材・計測
パイオニアリング・野外調理・木樵法・開拓作業・救助作業水上作業・救急法・
等の体験を積み重ねることによって男らしい男づくりを進め、
そして絶対者との関連による基本的な人間(公民性)を養うことになる。
そこで今試みつつあるのは、以上の諸段階の中のどの段階であろうかという検討を
常にする必要がある。それをスカウト自身が測定したり、リーダーもまた評価するために、
進歩制度という物差しがもうけられているのである。
進歩制度による信仰への奨励は後述する。
ハイキングのコース寺院、神社、教会などの聖域等を結んでそこに舎営をして、
宗教上の手ほどきを住職、神主、神父、牧師などから受けるということになれば
申し分ないことであろう。
このことは、かって私も若い指導者としての時代に感銘深い体験をしたことがあり、
忘れられないものとして思い出に残っている。
最近では多くの寺院(特に曹洞宗、浄土宗、浄土真宗が多い)が、
そのような目的の者に施設を開放してくれたり、利用させてくれるところが多くなったことは
有り難いことである。
営火についての教育的意義については、すでに経験を重ねておられるリーダーの諸君に
ここで詳述するまでもないと思うので省略するが、これは本来野営にはつきものであって、
営火がもし無かったとしたら、その野営の価値は大幅に滅損するのである。
というものの、営火のために野営をするわけではない。
それは、帯を締めるために着物を着るのではない、というのと同じ理屈である。
野営を着物に、営火を帯と見立てると両者の関係がよくわかる。
営火とは、野営火ということの略語で、英語のCamp−fiyeの和訳である。
これはスカウト用語であって、一般の人の間には通用しないかもしれない。
火は人間だけが作ることが出来るものであるし、人間だけが使うことが出来るものである。
そして、火は絶対者との関連を感得させるものである。
それ故に祭祀のときに火は多く用いられ、特に火の祭りもある。
営火は祭りというものの別の形だとも言われている。
夜のしじまに営火の明かりを目指して集まってきて、
美しい炎に、立ち登る煙、燃える木の匂い、静中に動あり、動中に静あり、
人の心と火のエネルギーとが一体となった時の雰囲気は本当に別世界である。
不浄なものを焼き尽くし、自己焼身の薪木の崇高な姿を見るとき、そこに崇高な2犠牲"の
姿を見るのである。営火の庭は黙って火を見つめているだけでも感銘の深いものである。
我々の存在は宇宙の幾多のものの犠牲によって支えられていることに気がつくのである。
営火場は礼拝堂か?地に、空に、大自然の啓示(サイン)をもって書かれたバイブルは、
目の前にある。實に、信仰への大いなる接点なるかな!
さて実際に野外活動(ウッドクラフト)プログラムのヒントを考える前に、
あなたの自然児度・自然体験度をチェックしてみましょう。
このチェックポイントをスカウトへのプログラムに応用することも出来そうですね。
1.野山を一時間以上休まずに歩いたことがありますか?
2.土(砂浜、水田)の上を裸足で歩き回ったことがありますか?
3.海や川で連続30分以上泳いだことがありますか?
4.真っ暗闇の野道を独りで30分以上歩けますか?
5.背丈以上ある草原の中を10分間歩けますか?
6.天然の池や川に落ちたことがありますか?
7.崖や木に登ったり、落ちたりしたことがありますか?
8.ナイフ、カナヅチ、のこぎりでけがをしたことがありますか?
9.これ以上大きな声を出せない大声を出したことがありますか?
10.元気なのに朝・昼・夕の三食を抜いたことがありますか?
11.アケビ、桑の実を食べたことがありますか?
12.自分で取った(釣った)魚を食べたことがありますか?
13.自分で育てた野菜、果物を食べたことがありますか?
14.雨にずぶぬれになって30分以上歩けますか?
15.夏に飲まず食わずT時間以上歩くことに耐えられますか?
16.冬に手がかじかんで困ったことがありますか?
17.柿、梨、栗を自分でむいて食べたことがありますか?
18.生魚を自分で料理して食べたことがありますか?
19.焚き火を自分で起こしたことがありますか。
(雨が降ったときの火のおこし方、火の後始末を知っていますか)
20.野山でワラビや山菜を採ったことがありますか?
21.野山で大便を3回以上したことがありますか?
22.野山で小便をするこつを知っていますか?
23.箸でご飯粒を一つづつ取ることができますか?
24.藁や紐などで縄をなうことが出来ますか?
25.目を閉じて本結び、蝶結びが出来ますか?
26.蛇・蛙・トカゲを自然の姿で見たことがありますか?
(捕らえたことがありますか?)
27.鋸で竹や木を切ったことがありますか?
28.毒虫や毒魚に刺されたことがありますか?
29.風速20m以上の中に立てますか?
30.流速5m、深さ1mの川を渡ることが出来ますか?
31.1時間30mmの雨に遭ったことがありますか?
32.山の中で道に迷ったことがありますか?
さて、あなたはいくつ"はい"と答えましたか?
この中の幾つかはあなたのスカウトに是非体験させてみたい
と思われたのではないでしょうか。
ぜひ、安全対策をしっかり考えて、自然の中での体験をプログラムしてみて下さい。
アウトドアでの活動を暖かく守るのは、最新の技術力です。
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