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■B−Pの残した言葉は今も生きています。
■B-Pの言葉一つ一つに新しい発見がある。
B−Pの言葉

☆ベーデンパウエルの残した言葉☆

スカウト運動の創始者、「ロード・ベーデン・パウエル・オブ・ギルウェル」は、
その著作「スカウティング・フォア・ボーイズ(SFB)」
「ローバリング・ツウ・サスセス」を始め、
様々な文章を私たちに残してくれました。

私たちはこれらの文章や、スピーチの内容に触れることで、
B-Pがスカウティングをどのように考えていたか知ることが出来ます。
イギリスでこの運動が始まってからまもなく100年が立ちますが、
今でも新しく、読むたびに新しい発見があります。



「基本編 スカウティング・フォア・ボーイズ」

■SFB1932年版 巻頭の言葉■

私にも少年の日があった。

少年のころいちはん楽しかったのは、4人の兄弟といっしょに
海洋スカウトになって、イングランドの沿岸をあちらこちら旅した時だ。
そのころはまだ海洋スカウトはできていなかったから、
私たちは正式の海洋スカウトだったわけではない。

しかし、私たちは自分の帆船を持っていて、
四季を通じてどんな天候の時でもその舟で生活もし、
航海もし、苦しい時も楽しい時もあったが、
おしなべていえばすはらしい愉快な時を過ごした。

そのあと、学生時代の余暇に、ウサギをとって料理したり、
鳥な観察したり、獣の足跡をたどったりして、
森の中でスカウティングを満喫した。

後に陸軍に入ってからは、インドとアフリカのジャングルで野獣狩りをしたり、
カナダで山奥の男たちといっしょに暮らしたりして、
限りない楽しさを味わった。

それから、南アフリカの軍隊生活におけるキャンプで、
ほんとうのスカウティソグを経験することができた。

さて、このような生活が非常に楽しかったので、
私は「本国の少年たちにも、この楽しさを味あわせたらどうだろうか」と考えた。
共に赤い血潮のたぎる少年なら、
だれでも冒険と野外生活を熱望していることが私にはわかっていたから、
君たちにその方法を教えようと思ってこの本を書いたのだ。

ところが、この本が出版されると、君たちがすぐにこれをとりあげて、
今では世界中に 何十万どころか、
何百万人のボーイスカウトがいるようになった。

ほんとうに辺境で暮らせる人になるのには、
いうまでもなくその人たちの使うむずかしい技術や
習慣をいくつか覚えなければならない。
この本にはそのやり方の秘けつが書いてあるから、
これを研究すれば先生がいなくても自分で覚えることができる。

そして、有能で腕のいいボーイスカウトになる目的は、
ただ楽しんだり冒険をしたりするだけではなく、
君たちがあこがれている辺境こ住む人、探険家、開拓者と同じように、
国のために働き、助けを求める人たちに手助けができるような人になることなのだ。

これこそいちばんりっぱな人たちが進んでやろうとしていることだ。

真のスカウトは、信用できる人として、
どんな危険に直面しても自分の義務を果たす人として、
ほかの少年や大人から尊敬されるのだ。

君たちが、このようなりっぱなスカウトになるのに
必要なことはすべてこの本に書いてある。
だから、さっそくこの本を読んで、覚えたことをみんな実行したまえ。
そして私がスカウトのころに知っていた楽しさのせめて半分でも、
君たちに味わってもらいたいというのが私の心からの願いだ。

(スカウティング・フォア・ボーイズ1932年版 より)


■SFB1940年版 巻頭の言葉■

スカウティングは、いままで、一再ならず、
多くの熱心家によって教育の革命だとして論述された。
けれども、そうではない。
それは、楽しい戸外でのレクリェーション、
教育のための訓育的な目的をも達するよう求められたレクリェーションとして、
冒険的に投げられた単なる示唆にすぎないものである。

それは、学校の訓育への補足になることが出来、
学校の正科のカリキュラムに避けられない割れ目を満たし得るものともいえよう。
手っ取り早くいうならばウッドクラフトを通じての公民精神学校である。
その、割れ目をうめる指導の主題は

人格(性格)
健康及び
各個人々々でする手技と
奉仕によって
自分の仕事を能率化することから生まれる
公民精神の発展を通じて養われる
個人々々の能率という点にある。

これらの主題は、ウルフカブたち、
スカウトたち及びローバーたちの
三段階の進歩過程の訓練に適応されている。

本書が諸君に示す如く、彼等の発育というものは、
主としてキャンピングやウッドクラフトのような、
指導者にとっても、少年たちにとっても
同様に楽しまれるものを通じてなし得られる。

実際に指導者が、少年と興を共にするところから、
彼等はリーダーとか、年上の兄貴とかいう適当な名をつけられ、
そして、少年たちは、自分が自分を教育しつつあるのである。
これが、スカウティングが、教育の革命だと呼ばれる所以であろう。

その点では、正にその通りである。
しかし、それは普通の学枚でなし得る訓育とは違った訓育を狙っているからである。

スカウティングは、少年たちに、生き方を教えることを目的とする。
これは只、単に食べて生きるのではない。
もし他の人々に対する奉仕ということを伝授しないならば、
個別指導というものは、少年をして受賞とか、
奨学資金の獲得などへの野心や、給料、地位への成功に、
彼を導く危険が横たわるものである。

社会の、全ての階層における、利己の指数に伴って、我々は一国内に
対立が生ずる結果を招いていることに驚かされることがある。
即ち、自分勝手な者たちが優越感を巡って、
互いに無法な敵手となり合い、
同じことが、徒党や政党、宗教宗派や社会階級にもあって、
全てこれらは、挙国的利益やー致への損失となるものである。

であるから、スカウト訓育の狙いは、
利己を奉仕に置換えるのである。
そして、若者たちの個々の、道徳的、肉体的の能率というものを、
地域社会への奉仕のために用いる能率とすることに目標をおいたのである。
とはいえ、このことは単なる兵隊や海員のサービス(勤務)を
意味するものではない。

我々は、この運動に軍事的な目的や訓練をもたないのである。
人間同士に対する奉仕という理念だけである。

言葉を変えれば、我々は日常の生活や交際に、
キリスト教信仰の実習をすることを目的としたもので、
毎週の日曜日にだけ神学的な告白をするのではないのである。

現在に至る31年間の、
スカウト運動の顕著な成長は、
その推進者並びに外部からの支持者たちの、共に驚くところである。

小さい一つのキャンプに発足し、
そして本書もまた、1908年、そのキャンプから生まれたのだが、
この運動が、なんら政府の補助金なしに自力で成長し拡大して、
今日(1938年)までに、英本国で460、234人、
大英帝国としては1、009、671人の加盟員をもつに至った。

これは二つの点に帰する。
第1は、スカウティングが少年たちを魅了すること、
第2は、我が国の教育が自我中心に向って誤り導いていたに拘わらず、
世の男女成人たちの間に潜在していた、
生来の愛国心の容量のためである。

即ち、社会の各階膚からの、79.000人を超える人士が、
有志(ボランティヤー)として一団を形成し、
その時間と労力とを、この運動に捧げ、
少年たちが善良な公民となるのを助けることに満足する以外に
何らの報酬をうけない、ということからである。

教示は、実例を以ってなされ、
少年たちは即刻、奉仕について学ぶがそれは、
スカウトマスターによってなされる実例による説明が、
彼等の面前に示され、その場において学ばれるからである。

かような、訓育の効果というものは、
充分な助力者の手によってなされる限り、
幸福にして健康な、そして有能な公民を作ろうとする、
全ての期待を達成して余りあるものである。

これらリーダーたちの意図は、
単に見込みのある少年たちだけを助けるのではなく、
もっと、特に純な少年たちをも助けるにある。

我々は、このような少年に生活の喜びや、同時に、
或る種の属性及び或る機会を、
出来の艮い兄弟が与えられているものと同様に与えてやりたい。
そうすれば彼等は少くとも生涯において公平なチャンスを得るにちがいない。

諸外国においても、スカウティングの有用さを認めること、速かなものがあった。
そして本書の与える線に沿うて、その国々の特質に従って採用され、発展していった。

その結果、今やボーイスカウト兄弟愛は全世界にひろがり、
現在約3,305.149人のメンバーをもち、
同じちかいと、同じおきてのもとに、同じ理念で活動している。

相互に兄弟と考え、手紙を交換したり
訪問したりして、お互いに知り合おうとしている。
これは相当大規模になされている。

この丈夫に育った兄弟愛が、
近い将来にもたらす成果について、
広汎にわたる国際的可能性を予見するには、大した想像を必要としない。

国際連合は、それが批判されている如く、
魂のない立法機関として、ここ当分の間は行くだろう。
しかし、その背後にある国々の未来の公民の間に、
個々に結ばれた友情の精神と善意の寛い心とはそれに魂を入れるだけでなく、
将来の国際戦争の危機に対しても、尚、
強い保険を立証するであろう。
これは一見迷夢であるかに思われるが、
たとえ、迷夢であってもよろしい。

このささやかな本書が300万人を超えるボーイスカウトたちの
兄弟愛を結果づけ、約、1,444.000人のガールガイドたちに、
姉妹愛を交信させる結果に今日なっていることを、
30年前に誰が予想したことであろうか。

だが、それだけではない。
それに加うるに、もし成年の男女が、この仕事の推進に、
一層彼等の分担を励むならば、
このような見方は可能性の限界を超えた妄想ではなくなるのである。
いとも小さい海の虫の協力でさえ、珊瑚礁の島を形作るにいたる。
善意と協力の働くところ、大きすぎるという企業はない。

我々は、毎日々々、少年たちが、この運動に加入することから外れるのを心配している。
それは、少年たちをつかんでいる成年の男女が少ないからである。
ここに、今日、我が国民の間に眠っている愛国心と、
キリスト教徒精神とに訴える莫大なものがある。
そしてそのことを訴える直接的な機会が
得られないことが、その主な理由である。

しかし、この楽しい兄弟愛にほ、莫大な機会があって、
その機会は幸福な仕事の全面に開かれており、
その仕事とは、諸君の手によってその結果が示されるものであり、
そしてそれは、彼の仲間や神のための奉仕の機会として、
万人に与えられているという理由によって、
やり甲斐のある仕事なのである。

昔、ソクラテスは次のようにいったが、その言や真実である。

『自分の子供だけでなく、他人の子供にまでも、
正しい教育をしようと心を砕く人にまさる善い目的に向って進む人は、
この世にいない』

(スカウティング・フォア・ボーイズ1932年版 より)



「活用編 スカウティングの基本的な書籍から」




■ウルフカブ・ハンドブック■

■巻頭の言葉■

こどもは、みな、オオカミのこどものような、
ものすごい食欲(しょくよく)をもっているものです。

この本は、ある1ぴきの、年よりオオカミが、
わかいオオカミどもに、あげる、ごちそうなのです。
おいしい肉もあるし、かみごたえのする、かたい骨もありますよ。

けれども、これに、むしゃぶりつく、カブは、
やわらかい肉ばかりでなく、かたい骨もよく、かみくだき、
あぶらみや、あぶらのないあかみといっしょに、
きれいにたべおわるでしょう。

私は、カブが、1食ごとに、よろこんでたべ、
からだを強くすることを、のぞんでいます。  ベーデン・パウエル


■本文より■

訓育するに当たっては、まずその少年自身を知ることである。
何が好きで何が嫌いか、それに長所と短所などを知り、
それに応じて訓育をしていくことだ。

(ウルフカブ・ハンドブック より)


■パトロールシステム 巻頭の言葉■

最初、多くのスカウトマスターや、その他の人々は、
パトロール・システムを用いたいと思っても、
その真価をあげ得ることが出来るほど、それに対する
充分な理解と、認識をもっていなかった。

周知の如く、「パトロール・システム」というものは、
少年たちを、その仲間で選んだ1人のリーダー即ち、
パトロール・リーダー(班長)を頭(かしら)とする
恒久的なグループに托するものである。

この制度を、最善に結果づけるためには、
そのリーダーに、本当の、手ばなしの責任を与えなければならない。
もし、諸君が彼に、1部分の責任しか与えないならば、
その結果も亦、1部分しかあがらない。

そこで貴隊の班長の用い方を、このようにオフィサーとして用いるならば、
諸君は日常起こる煩雑な、多くの面倒なことがらから手が省けることになる。

けれども、この制度の目的は、
責任を班長に課して隊長は安逸をむさぼるためにあるのでほない。
責任を与えるというわけは、人格を築きあげる全ての方法の中で、
最上の方法だからこれを与えるのである。

グループとか、児群とかいうものは、
少年仲間では自然の単位であって、
彼等は、遊ぶ時でも、いたずらをする時でも、この単位でやっている。
そして、仲間のうちの一番すぐれている者がリーダーとして、
頭(かしら)になるのが通則である。
この自然的法則を、諸君の最後的手段として採用するならば、
最上の結果が生まれて来る。

隊長が、この狙いを、数個のパトロールにそれぞれ施して、
たがいにそれに到達させるならば、
彼等の制度と能率とは、何ごとについても、
自動的に基準を高めるものである。

これと同じ原理が、学校のためにも用いられる。
嘘ではない。事実、ワーウイックシヤーの23枚で、
「プレフェクト」システム(組長制度)という名称で行われている。

この制度の、実際的の効果については、
ボーイスカウト運動においても、数個の例証がある。
それはスカウトマスターが、最初からこの制度で出発した場合、
どこでもそうであって、その隊は、
責任を強められた班長たちによって、実にうまく運営されている。

ローランド・フィリップス氏によって述べられた本書の各章は、
この制度についての、実際的な、有益な示唆を記したもので、
私は、少年の訓練を担当する各位に、衷心より推薦するものである。

1914年4月ロバート・べ−テン・ポウニル

(パトロールシステム1915年版 より)


■班長への手紙 巻頭の言葉■

この本の長さを気にしないでいただきたい。
スカウティングは深遠難解な科学ではなく、
間違いなく理解すればむしろ楽しいゲームなのである。
同時にこれは教育的で、(M−erey−あわれみ−のように)
それを受けるものと同じく与えるものにも役立つことが多い。
(訳者註:Mereyは17世紀イギリスの小鋭家
ジョン・パンヤンの"天路歴程"中の寓話的人物。)

 "スカウティング"という言葉は、
ゲームによって少年或は少女のために公民教育をする一つの方式、
という意味を持つようになっている。

少女は大切な人たちである、
何故なら、一国の母親たちがよい公民であり、
品性ある婦人であれば、
その息子たちをもそういう点で欠陥がないように注意するであろうから。
現在の状態では、スカウト訓練は男女両方に必要であるから、
それをボーイスカウト運動、
ガールガイド運動として両方に与えている。
根本の主旨は大方同じである。違うのは細部においてだけである。

A・S・M・ハッチンスンはその小説の中の一つに、
青少年が必要とするものは背景であるとほのめかしている。
さて我々は、スカウティングとガイディングにおいて
彼らに一つの背景を与えているが、
それは神がすべての者のために備えて下さった背景
−野外と幸福と人の役に立つ、これである。

実際、隊長は少年をこの背景へと案内して行くうちに、
その同じ幸福さと人に役に立つことの分け前に
はからずも自分もあずかるのである。
隊長はこの仕事をはじめた時に恐らく予期したよりも、
もっと大きな仕事をしていることに気がつくが、
それは彼が人間と神に対して
生命をかけるに値する奉仕をしていることが分かるからである。

諸君がこの本の中に、知識を完ぺきにするような
一揃いのはっきりした手段を見出したいと思うなら、
これほ案外な本だと思うだろう。

私はただ、我々に成功すると分った方法とその理由を、
示唆として述べようというのである。

ひとはその目的を理解すると
一層専心して示唆の数々を実行するものである。
それで、この本の大部分はいろいろの手段の詳細というよりも、
その手段のための目的として取り上げてほしい。
これら手段は読む人の器用さに応じ、
またその人の働いている地方の事情に応じて充足されてよいのである。

(班長への手紙 より)




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