①スリランカへ動詞活用を探しに行った
かしゃぐら通信2005.11.11 / 2007-Dec-23 / 2015-Feb-07 /2016-Feb-09













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 「シンハラ語の話し方」は日本語の文法を通してシンハラ語を学び話すためのテキストです。日本語のいわゆる学校文法で、どれだけシンハラ語が説明できて話せるようになるか。そんな冒険を試みた軽い本なのです(実際、本は薄い!)。それがどうしたことか、読者の方から反応を多く戴いてしまい、「話し方」の言うように実際に使ったら「話し方のカタカナ・シンハラ語が通じてしまった」とか、「話し方の文法説明で眼からうろこがとれた」とか、はたまた、シンハラ語の勉強をしているという九州の方からは、「私もかしゃぐら通信のようにシンハラ語を捉えているが動詞活用表のこの部分はこうしたほうが分かりやすいのではないか」と丁寧なご指摘をいただいて、「シンハラ語の話し方」を出したKhasyaReportがシンハラ語文法を読者の方に教示していただいて、ほんと、うれしいばかりです。おかげで「話し方」は何度か版を重ね、現在は「シンハラ語の話し方・増補改訂版」を発行するようになりました。
 シンハラ語の単語集を載せてくれるとありがたかった、という評がアマゾンに載っていましたが、これもすぐに使えるシンハラ単語辞典を今作成中ですので、あと1,2年のうちにどうにかなる、どうにかすると意気込んで目下、編集中です。

 ※シンハラ語の単語辞典は「日本語=シンハラ語小辞典」として2009年に発行され、現在2版が発売されています。  

 日本でのシンハラ語への取り組みも、細々とですが、盛んになってきました。安田女子大学の宮岸哲也先生によるシンハラ語のヴォイスに関する論文口語シンハラ語のヴォイス 安田女子大学紀要第N0.35,2007>が昨年春に提出されました。
 シンハラ語の動詞には能動態はあっても受動態がない。そのことをシンハラ動詞の特徴から捉え返した部分があって、そのところに痛く興味が惹かれました。宮岸哲也先生からは日本語との対照を試みたシンハラ語論文が数多く発表されています。なんせ、当世事情を俯瞰すれば、シンハラ語の研究といえば米国発の英文論文ばかりで、それらがシンハラ語の痛いところをよく突いていたりするので、何で日本語研究者の側からはそうした研究発表が出て来ないの?、日本語の研究者がシンハラ語に取り組めば米国初の研究より深いところに行き当たるはず!、と焦燥することしきりだったのです。
 そこへ宮岸論文のヴォイス論文の登場です。冒頭からインマンの「無意志動詞文は受動文ではない」という指摘Inman,MIchael Vincent, Semantics and Pragmatics of Colloquial Sibhala Involotive Verbs 1993を批判的に紹介してぐんぐん迫ってきます。わあぁ、びっくり。こんな指摘は日本のシンハラ語研究の現状では見いだせなかったものですから大いに刺激的でした。
 
 「シンハラ語の話し方」の動詞の章で、シンハラ動詞を日本語の動詞活用に照らし合わせながら解説しましたけど、ヴォイスという視点からシンハラ語動詞をとらえると、そこにアジア的な言語世界が見え隠れしてきます。
 「シンハラ語の話し方」に関して言えば、日本語文法(学校文法です)に準えるという視点でシンハラ動詞を解説しました。こんなシンハラ語本は以前にはありませんでした。でも、なんとか較べてみた。こうすれば誰でもシンハラ語が分かってしまいます。今回はその動詞活用の話の続きを「話し方」のフォローとして進めます。


シンハラ語の動詞活用


 シンハラ語を取り巻く環境は、そりゃ世間では「シンハラ語? 何それ?」という広まりのレベルですけど、この業界の方々の間では大層、理解の仕方が進化しています。一世を風靡したハグストロン流生成文法の「シンハラ語と日本語の係り結びは一緒だ」説を過ぎても、何やかやがあります。

 …と言うのも、「シンハラ語の話し方」を出した後に”シンハラ動詞の活用形”という論文のあることを9月2005年にシンハラ語関連のホームページで知って、本を出してから知るんじゃ遅いぞと叱られそうですが、それは、繰り返しますが9月2005年のことなのです。「話し方」を出して4ヵ月後だった。
 サイトの一画面が映し出されて、そこに「シンハラ動詞の活用形」という論文のあることがリファランスに書かれています。でも、そのホームページが何処から発せられているのか、分からない。どこかの言語系学部が掲載していることはわかるのだけどHomeにアクセス不能。よくある幽霊ページで、ホスト・コンピュータに削除されずにページが一枚残ってしまったって感じです。どうにも出所がわからない。アドレスからケラニア大学の言語学部の何かのセミナーの資料だと分かったけど、それ以上はつかめません。
 ケラニア大へのコネもない。それで、その論文を出版した本屋さんへ直接出掛けて行って、探し出して読んでみようと、10月下旬なのですが、そう思い立った訳です。で、その本屋さんへ行った。

 そこはマラダーナ通りの675番地。店構えはそれほど大きくないが良書の出版も手がけるS・ゴダゲー兄弟社という書店。近くにはアーナンダ・カレッジがあります。不屈のジャーナリスト・ターラカが夜に拉致されて翌朝、銃殺されて発見されたけど、このあたりでの出来事です。そのテロルの直前に日本の外務省がターラカを非公式に日本へ招いて、彼を通じてスリランカ内戦の終結への道を探ろうとしていたけど、暗殺によってそれはあっけなく霧散してしまった。やだな。ジャーナリストも市民も巻き込んで殺し合いを繰り返すってのは。
 朝、雨模様だったけど、キリバッジョレの友人の家からマラダーナの本屋さんへバスで出掛けました。
 「動詞活用を説明した本はないかしら。ネットで探したら’シンハラ動詞の活用形’という本がお宅から出されているとホームページに載っていたんだ。お宅さぁ、ネット広告出していないし、詳しいことわからなくて」
と訊いた。
 「探しているのは何?」
と恰幅のいいマネージャー。この本屋の蔵書は何でも知っているという感じ。いいね。なつかしいね。こうした生き字引みたいな本屋のおやじさん。
 「ジャヤスーリヤさんの書いた本で、’シンハラ動詞の活用形’というやつ。これだけど」

The Conjugation Marker in Sinhala Verb Forms 2002 M.H.F.
Jayasuriya Felicitation Volume S. Godage and Brothers Colombo

 いかにも人がよさそうに、私の差し出したメモを見て、
 「これは確かにうちから出したことになっているなぁ、2002年発行か。彼がうちから出した本は1冊しかない。でも違うなあ。文学の解説書でシンハラ語の文法書ではない」
 ジャヤスーリヤの論文の出所にはこの本屋の名があったが、スリランカでは本屋が印刷しただけと言うのもたくさんある。ISBNが分からないからどうしようもない。
 「じゃぁ、ジャヤスーリヤ先生に限らないで、動詞活用を説明した本はないかしら?」と訊いた。マネージャーは店の狭い通路を奥に入ってシンハラ語関係の書棚に案内してくれた。そして、「御覧下さい」とにっこりとした。
 うええ。たくさんある!こんなにあったか。シンハラ語は死語だ、なんて言われて、それはもう昔のことだけど、小説を書いたりマスコミでシンハラ文化擁護の論陣を張ったりしたマーティン・ウィクラマシンハはまじめに長々と、シンハラ語は死語ではない、と反駁する記事を新聞に出していたっけ。シンハラ語は死語じゃないね。シンハラ語文法本、結構あるもの。
 書棚にはずらっと4、5冊のシンハラ語学習本が並んでる。それに、シンハラ語解説書も。やっ、やっ、やっ。まて。なんだ、こりゃ。どの本にもウサス・ペラと表紙に書いてあるじゃないか。これも、あれも。
 どれもウサス・ペラってぇことは大学受験用ではないか。

 これらのシンハラ語文法書は、つまり、全国共通試験の参考書だ。
 つまり、受験シンハラ語以外にシンハラ語の本はない。
 あのころ、日本では美しい日本語ブームが真っ盛りでした。出版界では日本語本を出せば売れて売れて、不況出版界はそこだけけったいな売上を稼いでいました。「声に出して読みたいシンハラ語」みたいな本はないのかしら? 「間違いだらけのシンハラ語」という本はないかしら? スリランカのPHPで「シンハラ語の品格」を出してないかしら…。棚を覗き込んだけど、そうした本はないのでした。

 ウサス・ペラって、そういう受験参考書の類を読んでもあんまり興味が沸きません。受験用は大体、世間で使おうとしても役に立たないみたいで。
 そう言えば、日本へ来るシンハラ人は、留学や大学での研究、それから、企業研修、これは名目だったり実質だったり、中には出稼ぎ目的だったりすることもあるのですが、多くはウサス・ペラの試験を合格して難関の大学を抜けたインテリジェンスの固まりという人が多いのです。ずっと昔は、千葉の東京湾に面した港辺りから貨物船で密入国するとか、ネゴンボのモスリムの手配に大金を払ってビザ付きスポンサー入国とか、今は日本語学校が充実したから正規のビザで入国するとか、そんなあれやこれやで日本に紛れ込むこともあったようなのですが。
 とにかくスリランカってすごく教育熱が高くて、みんな真剣に勉強しています。理系が多くて文系は少ないから、母国語のシンハラ語にはあまり興味がないみたいで、それはスリランカの国内事情そのものでもあって、シンハラ語は死語というレッテルが剥がされたり付け替えられたりしていて、みんな、ウサス・ぺラ受験でもなければシンハラ語は勉強しません。

 ま、ウサス・ペラでもしかたがないか。受験参考書の1冊を手にとってぺらぺらめくって、さて、動詞のワラナギーマ(活用)は何処、と探してみました。
 どこどこ。あった。で、そこにはお決まりの「文の主語が一人称単数の時の動詞語形、複数のときの動詞語形、二人称、三人称のときの…」という説明が動詞変化一覧表とともに延々と続いています。日本語の古文の文法みたいで、日常使わないし、地球上のどこでも役立たないし、受験じゃなければ目に触れることもない。これは文語シンハラのガラパゴス文法です。シンハラ文語文法はウサス・ペラに細々と生きていたんだなぁ、と感心します。文語シンハラはその昔、パーリを基礎にして生まれましたから優れた美術品です。が、いま、探しているのは動詞の文語活用じゃない。それは日常会話に使えない。探しているのは「今、生きてる」シンハラ語。


 J・B・ディサーナーヤカの本を買う


 日本の言語学事典を開くと、そこには「シンハラ動詞は屈折する」とあります。ですから、「シンハラ動詞は活用する」なんて言ったりすると、何だこの無知の輩は、とか、変なこと言うから相手にするのやめよー、とか、無視を決め込まれます。シンハラ語が活用するものか。カツだ! シンハラ語は屈折だ!と何度一蹴されたか。とほほ。当方は日本人のシンハラ語専門家や日本人のお坊さんにお目玉を食らったものでした。
 それでも、シンハラ動詞は活用するのです、としぶとく呟いてシンハラ語会話本「シンハラ語の話し方」を出してしまったら、片仮名でシンハラ語を書くな、とか、あんたはカレーライスだけやってなよ、なんて鼻くくられました。さらに、とほほ。

 でも、断固シンハラ動詞は活用する、と言い張っていました。めげないから。
 「シンハラ語の話し方」ではシンハラ動詞を徹底的に日本語の学校文法で教える動詞活用の倣いで活用させてしまいました。そしたら、それが、シンハラ語を実際に話している人たちからは歓迎されてしまいました。「この本、使える」と言うのです。そんな反応に気を強くしたものですから、CD-ROMで「解説・シンハラ語の話し方」をつくってしまい、アニメーションでシンハラ動詞の活用と日本語動詞の活用を並べて動かして、それと一緒にシンハラ語の声も聞いてもらおうとスリランカの各地でICレコーダーで録音したシンハラ語の声もCDに焼きこみました。「シンハラ語の話し方」のシンハラ例文を音声化したのです。これは「音が悪い」などとアマゾンに書き込まれましたが、いろんな人の声が入っていて面白い、とか、結構聴けるという書き込みもアマゾンに寄せられました。あまりその辺がうるさくなるのは好きではないのでCDの配布は取りやめました。今はキンドルのペーパー・ホワイトが音声付でうまく再生されるようになったらCDのシンハラ音声をそちらで再現したいと思っています。

 シンハラ動詞の多くは語幹と活用語尾に分けることができます。語幹は変化しない。活用語尾が変化します。変化した活用語尾が動詞の意味を様々に方向付けして様々な態を作ります。
 「シンハラ動詞は屈折する」と日本語で書かれたシンハラ語解説にあるのはシンハラ文語の動詞の場合です。回りくどくなってしまうけど、古代のインド仏教文化の影響を受けたパーリ語の文法を拝借したシンハラ仏教の書き言葉です。日常の口語シンハラのシンハラ動詞は古代も現代も屈折しない。活用します。
 私にはシンハラ動詞の変化が活用で理解できるし、そうやって理解したらシンハラ動詞が実際面白いように簡単に使えます。簡単にと言うのは私が日本語を母語として話す人だからです。
 だから、と次に考えました。そうだったなら、活用という切り口でシンハラ動詞を解説するシンハラ人のためのシンハラ語教本があってもいいはず。いや、絶対にあるはず。
 信の一念です。成田からコロンボへ飛んで、コロンボのマラダーナの本屋さんでシンハラ文法の本探しを始めたのはそんなことから始まりました。
 ジャヤスーリヤさんの”シンハラ動詞の活用形”という本は動詞活用のことに触れているよ、きっと。そう直感したのだけど、当てになるかな。でも、その本はS・ゴダゲー兄弟社の書棚では見つかりませんでした。ふうッと息を吐いて、ウサス・ペラのためのシンハラ語受験参考書が置かれた棚の下を何気に見やったら、薄っぺらいパンフレットみたいな冊子の並んでいるのが眼に入りました。
 手を伸ばして取ったら、細かい文字でラ‐カーラ サンマタヤと書いてある。なんだ、これ。背表紙にクリヤー・パダヤとあったから手にしてみたのですけど。クリヤー・パダは動詞のことです。
 著者はディサーナーヤカとあります。ジェー・ビーとシンハラ語の二文字が前についています。シンハラ語ではイニシャルもシンハラ文字表記します。日本語の場合、お役所文書ならアルファァベットをカタカナ表記しますが、普通ならアルファベットのまま書いておきますが。
 その冊子は日本でも高名な(シンハラ語に関わるごく少数の日本人にとって高名な、ということですから大多数の方はご存じないと思います)シンハラ語学者J・B・ディサーナーヤカ先生のご本です。シンハラ語を品詞別に解説した文法シリーズ本だったのです。
 早速、ページを綴って立ち読み。表組みのページが目立ちます。あれぇ。これってよくあるシンハラ動詞の屈折一覧表と違うよ。日本語の動詞の活用変化表にたいに組まれてる。そうだよ、日本の学校文法で教えるときの動詞語幹と活用の一覧表じゃないの?

 探し物があった。シンハラ語受験参考書の下に。
 本は岩波ブックレットみたいでペラペラ。だけど150ルピー。為替レートなら120円ぐらいにしかならないけど、庶民の物価レートで正しく検算すると1,200円の感覚。高ぁ~。スリランカの物価は上がるばかりだけど、本はホントに高い。昼飯をマラダーナのこぎれいな食堂で取れば、2回分の値段。スリランカはツナミ被害以降に無償の援助外貨がドクドクと無尽蔵に注入されました。気前の良いドナーは日本ばかりじゃなくなりました。世界中が良質なドナーとしてお金を貸してくれるし、ただでくれる国だってあるものだからから、お金が巷に海岸に空軍にあふれています。みんなの給料も上がって、公務員のためには臨時のボーナスもマヒンダ政府から出たし、だから、その結果、何でもかんでも高くなりました。
 昼の贅沢な外食を2回やめればこの冊子が買えます。昼飯は友人の家に帰ってから庭のバナナを取って食おう。マンゴーはまだ実をつけてないけど、確かパパイヤは家の脇の奴が三つばかり熟れていたっけ。今朝、二つは鳥に食われていたのを確認したけど一つは健在だ。そうだ、役所を休んだ友人の姉さんがマンニョッカーを煮ていてくれたっけ。これはルヌ・ミリスで食いたい。日本ではお金に窮すれば飢え死にするしかないようなご時世ですが、お金がなくてもスリランカで飢え死にする人はいません。先祖伝来のスリランカ・アーユルウェーダで自身の健康を自身で守りさえすれば貧しく、優雅に生きていける。ナチュラル・ライフは快感さ。
 私にすれば飛行機代を払ってスリランカまで飛んで来るけど(サーチャージで料金を余分に支払わないと飛行機に乗れなかった)、スリランカでは一切余計なお金を使いません。お金を持ってない変な日本人という眼で物珍しく観察されるけど、これは当たり前のシンハラ人の暮らし方です。言い訳が長くなったけど、本を買うというのはすごく勇気がいることなのです。
 でも、買っちゃった。
 本をビニール袋に詰めてもらいプライベート・バスで家に帰りました。このときはまだ、シンハラ語の動詞活用と驚くような出会いをするなんて、いや、これからのシンハラ動詞との出会いを記念して表現するなら、驚くような出会いになるなんて。思ってもいないことがここから始まりました。


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