与七郎 無限の琴

KhasyaReport かしゃぐら通信  田内与七郎成伸という武士がいた  柏倉陣屋に田内与七郎成伸という武士がいました。安政十二年1800、成伸が十四歳のとき柏倉陣屋に代官として赴任する父に連れられて佐倉からやってきました。父を亡くして後、継嗣として代官を継ぎ六十年近くを柏倉に過ごし陣屋代官として過ごしました。柏倉陣屋四万石の米は江戸の佐倉の屋敷へ送られ幕政に関わる佐倉藩を支えました。  与七郎成伸の生き方を記した文書があります。江戸末期、佐倉藩の続簡という漢学の徒が残した記録です。行状記は成伸が佐倉で生を受けたところに始まり、柏倉陣屋代官として残した業績がつぶさに記録されています。いえ、正確に読み取れば行状記は代官としての業績の陰にある与七郎成伸の生き方に共鳴する響きが聞こえてきます。江戸から明治へと時代が大きく変わるその直前、社会の仕組みも人心も揺れていた幕末期、与七郎成伸という男は出羽の山里でどのように時代を見て、どう生きたか。
与七郎 無限の琴(上)
 
与七郎 無限の琴(上) キンドル本 3月29日発売 480円
与七郎 無絃の琴 著者;丹在 環 出版社 : かしゃぐら通信KhasyaReport (2021/3/29) 発売日 2021/3/29 ASIN : B091C4DX23
言語 : 日本語 ファイルサイズ : 1561 KB Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) 有効
与七郎 無弦の琴。 お求めはキンドルで。

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 与七郎 無限の琴 目次

一章
 与七郎の行状 --- 佐倉の朝 ---  柏倉の与七郎 --- 郷土史が突く --- 与七郎とは何者か --- 少年時代 --- 毘沙門堂の誓い --- 奈良絵本の毘沙門天 --- 成伸の行状 
二章
 田圃を取り戻せ --- 金貸しのたくらみ --- 助かる道はある --- 百姓に罪はない --- 敵地に乗り込む --- 舟町の孫市
三章
 飢饉が起こった --- 馬見ヶ先堤防破壊す --- 天保四年の大飢饉 --- 鉄砲で撃ち払え
四章
 富者の茶、貧者の茶 --- 囲炉裏で茶を炒る --- 富者に楽しみを、貧者に財を --- 絹と緑茶
終章
 白い道を行く --- 与七郎、その後に

 参考文献
 奥付

「与七郎 無弦の琴」 成り立ちのこと

 この本はkindle本とは別に「明源寺本 与七郎 無弦の琴」(自家本・非売品)があり、明源寺故玄神住職の本葬の日に焼香の御礼として明源寺が焼香に来られた方々に配付されました。
 この寺の新住職と共に一年半ほど前から、「与七郎 無弦の琴」執筆のための資料収集や、主に親鸞を中心とした仏教理解の道筋を討議をし、また、住職から仏教教義を習わせていただきました。
 羽州山形の明源寺に堀田下総佐倉藩士の墓碑、供養塔が数多あり、それも奇異なことながら、その不思議が時の流れの中に忘れ去られている。私たちは歴史に中に暮らしながら歴史に空白がある。それは物悲しいことです。
 下総佐倉藩の柏倉陣屋、その代官田内与七郎成伸に正面切って取り掛かろうと思い立ったのは明源寺の新しい住職との出会いがきっかけでした。
 ところが、書き出そうとしても与七郎のことがさっぱり分からない。佐倉市行政管理班に問い合わせても与七郎研究資料は佐倉市にないとのこと。翻って山形市にも与七郎の姿を追える資料は無い。そんな中で頼りにできたのは柏倉門傳村誌という大正時代の終わりに愚翁と名乗る先生の書かれた本の中の成伸之行状という一文だけでした。
 それは佐倉の続簡という漢学者が記した与七郎伝ですが、ちょっと簡易過ぎてそのままでは資料として扱えず、事実を検証する必要が多々あります。不明な部分を、推理して埋めてゆく必要に駆られて調べてゆくと…。
 調べて、ほかの資料と付けあわせをすると事実のようなものが浮かび上がってきました。そこに見えてきたのは百姓を守れという与七郎の信念、檄と言ってはばかることのない主張と強い行動力でした。与七郎がここに現れて、そのアバターの与七郎が繰りなす出来事からこの本は生まれました。  郷土史の体裁をかぶっていますが、この「与七郎 無弦の琴」が主張するのは強く生きよということです。誰にはばかることなく信念を貫けということです。邪を戒めよ、百姓を守れ。その信念を与七郎という人物に強く感じます。  昨今の迷いの中、邪が世間を蹂躙し闊歩し、人は不安に揺れています。羽州の田舎の柏倉。幕末の陣屋代官の行動を知り、強く生きるという信念を実行に移す与七郎の姿をこの本から見出していただけたらこんなうれしいことはない。