TOMOCAの噂eats-2 KhasyaReport



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eats spring 1990-04-10


カレーではありません
正統派スリランカ料理のお店です
トモカ(四谷)


   四谷駅前のしんみち通りを入って約50メートル。入り口はちょっと目立ちませんがビルの3階にある、こじんまりとしたお店。
 開店して7年ほどになりますが、「ウチはカレーというよりは、スリランカ料理です」と店主の丹野さんが言うほど本格派。年に1度は現地に材料を買出しにいっています。
 夜のみで、料理7品とアーッパ(米の粉を薄く焼いたもの)、サフランを炊き込んだご飯、紅茶のディナーコースのメニューのみ。
 ククルマス(鶏肉)、エルマス(マトン)、マール(かつお)などが3,200円、ハラクマス(牛)は3,500円。
 気持ちがぐっと落ち着くお店です。
 ■新宿区四谷1‐7‐27 第43東京ビル 電話+++
営業18時~22時(21時ラストオーダー) 日・祝日休

EATS 1990‐4‐10 No32掲載


【解題】
 テーブルに並ぶ料理はいたって少量、克つシンプル。お客さんの好みの皿をお代わりできる。自分の好みを伝えて味の変化を求めるお客さんはスリランカの人や英国の人に多かった。トモカは自分流でスローな料理を提供する。お客さんも自分流にアレンジを要求して料理を楽しむ。
 トモカのアーッパはこのEATSの取材の頃が最高の出来栄えだったとディープなお客さんは評する。
本来、スリランカではラーで発酵させるアーッパの種はイースト菌で発酵させていた。椰子の生酒ラーは椰子の生える土地じゃないと手に入らない。アーッパの種はでんぷんの鎖の短い南方種の米粉で作るのだけど、そうしないとアーッパらしさを表す底はふんわり柔らか、周りはパリパリ、サクサクに仕上がらないのだけど、でんぷんの鎖が長いジャポニカ種でも工夫次第で何とかなる。スリランカのアーッパより深い味わいに仕上げることもできる。
 90年代に入ってもエスニック・ブームに陰りはなかったけど、本来のエスニックのシンプルさは消えていった。それぞれの店が作っていたそれぞれの独立した味は業界の味としてまとまり、段々とひとつの方向に収斂してゆくようだった。
 いたって少量、克つシンプルという方向へトモカは進んでいった。それはバブル下の風潮とは真逆だった。それでも東京のしっちゃかめっちゃかな喧騒を厭う人はそこそこ居て、トモカのドアを開けて店を訪ねてくれていた。
 このEATSの記事が掲載された翌年、1991年にジュリアナ東京が東京湾岸に倉庫を借りてオープン、バブルはすでに弾けて地上げの跡地にはセイタカアワダチソウが茂っていたものの浮かれ柳は風にそよぐ。騙すつもりじゃなかったけどの歌の文句がこの4年後に、大きな災禍を引き連れてやってくる。

 EATSの写真にはスプーンとフォークを並べているが、常連さんはたいてい指食を楽しんだ。開店7年目のトモカは閉店後、お客さんがそのまま残って店主と取りとめもない話を始めるのが習慣のようになっていて、ツケだと言って無銭飲食を決め込むアジアの探検家が友人や仕事相手を連れてきてモルディブやスリランカ南部の仏教遺跡の話にのめりこんだりしたのもこの頃だった。どうも、バブルの東京からは縁遠い。
 いや、バブルっぽい話しも転がっていた。まあ、こんなのはアラックが呼び込んだお伽話なのだけど。
 たとえばこんなことがある。TOMOCAが店を構えるしんみち通りにはかつてスリランカで宝石ブローカーをしていた男がいた(とする)。彼はビルの屋上に建てた仮小屋で暮らしていた。日曜日にトモカのベランダの熱帯植物に水をやりに行くと、その彼が二軒先のビルの屋上に歯ブラシを口にくわえて出てきて、ああ、おはようございます、と互いに声を掛け合う。
 彼はトモカで自慢したことがある。昼と夜に輝く色を変えるアレクサンドライトをスリランカで手に入れて途方もない高額で売りさばいたと言った。アレクサンドライトの輝きの話は何度も聞かされて、それが何で仮小屋に暮らすとは思いをめぐらせたけど、むちゃくちゃな話にはいつか聞きほれていた。バブルより以前にスリランカでバブルだった男の話だ。
 こんな話もあった。赤坂のPホテルで部屋を借り切って住んでいたムスリム系のスリランカ人がいる。彼はトモカの閉店間際を狙っては遣って来て料理を食べた。彼はサファイヤなどを扱うかばん屋(と個人宝石商を呼ぶ)の元締めをしているようだったけど、とても温和な人だった。
 彼は料理自慢をする。アッチャールはモスリムがスリランカにもたらした料理だ、といつも鼻高々に宣言した。その証拠だ、と言ってある日、モスリム仕立てのアッチャールをプレゼントしてくれた。その次にえびのサンバルを小さなプラスティック容器につめたものをいただいた。シンハラ料理にはない発酵臭がして珍味だった。
 やけに料理のアイデンティティにこだわって、独自性ばかりを主張するのは日本料理の習い性だと思っていたが、自己同一性を料理に求めるのは日本人ばかりじゃない。スリランカを故郷とする人々もまた、同じこだわりを強く持つ。  毎日がおもちゃ箱をひっくり返したように雑多で、にぎやか。柔らかに。淑やかに。
 「気持ちがぐっと落ち着く」と評してくれたEATS。そうかも知れない。バイタリティ溢れるアジアの冒険家たちと商人が、トモカの閉店時間をすぎた後、店の中でゆらゆら揺らめいていた。私はそんな雑多なお伽話が好きだった。


スリランカ料理トモカの評判
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