(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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きくう 麹塢 (佐原) | 「麹塢のもとにて | 七々集 | ②300 | 文化13年 1817/02/ |
きくち こうがく 菊池 衡岳 | | |||
きくち ござん 菊池 五山 | | |||
きくち はくほ 菊池 博甫 | | |||
きざん 耆山 | | |||
きし 岸 | 「岸 道 (二字欠) 春蘭を寄す | 南畝集16 漢詩番号3058 | ⑤69 | 文化4年 1807/03/ |
きし しんさい 岸 慎斎 | | |||
きし りょうえもん 岸 良右衛門 | 「櫟園の寄せらるゝ韻に和す【欄外。岸良右衛門、土岐家臣】 功名已に金銭と共に擲ち 日月徒に質物に随て流る 桔梗の御紋瓦を看て入り 櫟園の言葉狂を学で稠(シゲ)し 先生寐惚て臍を噛むこと久し 未だ毛唐の四百州に到らず 原詩 蜀山人寝惚子に寄す 櫟園狂生 一段の機嫌酒浴るかと疑ふ 百篇の狂詠筆流るが如し 近郷在町風を聞て起ち 遠国波濤社を結ぶこ稠し 犬を打つ児童も寝惚を知る 名は六十有余州に高し」 | 七々集 万紫千紅 巴人集拾遺 | ②254 ①289 ②493 | 文化12年 1815/09/ |
きしもと ゆづる 岸本由豆流 | 「三月初六、大窪 行 天民・高田 与清 松屋・岸本 弓弦 ◯園・清水 元長 浜臣と同じく重ねて東睿山に遊び、花を看て句を聯ぬ | 南畝集19 漢詩番号4006 | ⑤349 | 文化12年 1815/03/06 |
「(三月六日、東叡山にて大窪天民・高田与清(松屋)・岸本由豆流・清水浜臣らと花見せし折)浜臣、松の屋は和歌の事につきて近来不快なるよし、けふは花の本にゆくりなく相見へしかば、中直りせんにはおの/\をのはじめをくらべて、大なる方を勝と定んと興じければ、うたひめに糸ひかせ◯園を角力の行司だつものにして扇をひらきて左右をあはせしに、浜臣のものふとくたくましきにいきほひを添て出しければ、人々の目ををどろかせり。松の屋もをさ/\おとるまじきが、いきほひなくなへ/\として出せしかばおとりて見ゆ。人々めでくつがへりてとよむ事になん。鳥羽僧正などの書る絵巻物みるこゝちして古代なる戯れ、今の代にはありがたうなん覚へし と心のうちにおもひ侍り。(中略)杏花園主人」 | 半日閑話3 | ⑪237 | ||
きしんてい 窺辰亭 | | |||
きたがわ かへい 北川 嘉兵衛 | | |||
きつ 吉生 | 「夜雨、書堂の集ひ。吉生の酒を沽ひて至るを喜ぶ | 南畝集5 漢詩番号0841 | ③290 | 安永9年 1780/08/ |
きつぎほう 吉義方 | | |||
きつしつう 吉至通 | 「吉至通、信陽に帰る。一壺酒を留めて青山社友に恵む。此れを賦して謝と為す 怪来今日蓮華社 還似高陽一酒徒」 「送吉至通の信中に帰省するを送る | 南畝集2 漢詩番号0284 0285 | ③98 | 安永3年 1774/06/ |
きつしえい 吉子衛 | 「夏日、井子瓊・滕伯慶を携へて海福寺に遊ぶ。吉子衛・鷲尾山人と同じく賦す | 南畝集5 漢詩番号0803 | ③276 | 安永9年 1780/05/ |
きつはくけい 橘伯慶 | 「橘伯慶の高尾山に遊ぶを送る【山、武州八王子に在り】 長夏碧雲吟不尽 山中日対六朝僧 | 南畝集4 漢詩番号0649 0650 0651 | ③226 | 安永8年 1778/04/ |
「春日、諸子に寄す | 南畝集5 漢詩番号0932 | ③320 | 安永10年 1781/03/ | |
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きむら けんかどう 木村 蒹葭堂 | 「木世粛の蒹葭堂に題す | 南畝集12 漢詩番号2058 | ④188 | 享和1年 1801/10/08 |
「蒹葭堂木世粛を哭す 「其の二 【墓は小橋村大応寺に在り】 〈穀日は八日、この日蒹葭堂は南畝の質問に自ら答えた草稿を持参して来訪、面談数刻に及んだ〉 「壬戌穀日、攜答所草本来。予時飲酒劇談数刻。翁雖不嗜飲、亦自調暢薄暮而去。越十一日臥疾、至廿五日不起。穀日之宴遂為千古」 | 南畝集12 漢詩番号2090 遡遊従之 | ④199 ⑰391 | 享和2年 1802/01/25 | |
「予、蒹葭堂木村翁の為に竈北瑣語を借すを許す。其の書、東に在り。郵致して未だ達せず。会其の書至れば、則ち其の人已に亡し。春分の日、齎して翁の墓に謁す。情、辞に見はる 【竈北瑣語(一字欠)巻、尾張恩田仲任の著す所】 | 南畝集12 漢詩番号2106 | ④203 | 享和2年 1802/02/20 | |
きゅういこう 宮惟孝 | 「夏日、井子瓊・鈴一貫・田敬事と同じく宮惟孝に宴す | 南畝集6 漢詩番号1265 | ③435 | 天明5年 1785/04/ |
「四月三日、宮惟孝に飲す | 南畝集8 漢詩番号1534 | ④15 | 寛政1年 1789/04/03 | |
「七夕、宮惟孝に集ふ。陽韻を得たり 白雲結為幄 素霓裁作裳 歓情難具陳 契濶安可忘 感彼霊匹意 会此友人堂 対酒且言志 沈吟夜未央」 「七夕、宮惟孝に集ふ。侵韻を得たり 傾尽銀河天井水 百罰之盃不辞深 今日病余尋旧業 茫然無復昔時心 斉諧荊楚何荒誕 猶伝旧俗至于今」 「七夕、宮惟孝に集ふ。麻韻を得たり 「七夕、宮惟孝に集ふ。魚韻を得たり 乞巧人争得 開顔笑自舒 何須曬錦綺 但欲論琴書 逸興偏瀟灑 玄談転湛如 合樽時促坐 染翰或臨除 俯仰情無尽 留連意有余 不知衣露冷 簷外落蟾蜍」 「七夕、宮惟孝に集ふ。青韻を得たり 千載長伝緱氏鶴 人間糸管不堪聴」 「七夕、宮惟孝に集ふ。元韻を得たり 「七夕、宮惟孝に集ふ。真韻を得たり | 南畝集8 漢詩番号1560- 1566 | ④23 | 寛政1年 1789/07/07 | |
「十四夜、井子瓊・鈴一貫・紀菶仲・雪山師と同じく宮惟孝に集ふ。白字を得たり 清光千万里 喬木百余尺 団団綴露華 皎皎流空碧 陰虫鳴有声 浮雲去無迩 聊舒窃糾情 如謝攀籠役 鸞鳳翔霄漢 竜蛇隠草沢 何必歎升沈 逍遥各自適 染翰当言志 飛觴数移席 賞会且難常 良時真可惜」 | 南畝集8 漢詩番号1685 | ④66 | 寛政2年 1790/08/14 | |
きゅうえん 休円 | 「早夏、井玄里・関之輿・山士訓・島子諒・(三字欠) 松竜川と同じく染井の西原に遊び、休円の山荘に過りて牡丹を賞す | 南畝集2 漢詩番号0275 | ③95 | 安永3年 1774/04/ |
きょうじょにゅう 橋汝入 | 「橋汝入の豆州の海島を巡視するを送る 【小田原北條氏臣板部岡江雪斎、始めて豆州七島を闢く。故に起句之に及ぶ】 | 南畝集16 漢詩番号3154・5 | ⑤96 | 文化5年 1808/03/13 |
きよかわ げんどう 清河 玄同 | 「清河玄同といへるくすしと岩井杜若のうはさしければ、杜若によみてつかはしける | をみなへし | ②39 | 文化6年 1809/05/ |
「早春、清河氏の宴集。優.杜若・三紅坐に在り | 南畝集17 漢詩番号3311 | ⑤145 | 文化7年 1810/01/ | |
ぎょくしかん 玉芝館 | 「冬夜、太田氏の玉芝館氏宴す | 南畝集4 漢詩番号0743 | ③256 | 安永8年 1779/10/ |
ぎりゅうし 義竜師 | 「東漸院に義竜師に贈る。師、讃岐の人なり | 南畝集5 漢詩番号0971 | ③333 | 天明1年 1781/閏5 |
きんこうじょうじん 近郊杖人 | 「独遊篇。近郊丈人を送る 自有湘中松魚美 撃鮮更勧一酒巵 酒闌為君指客路 請君一言聴我吐 函谷夏雲桑海波 鈴鹿晴陰土山雨 朝尋神廟仰茅茨 五瀬二覧供詞賦 夕観文物入平安 三条九陌如碁布 浪華江上蒹葭蒼 赤石浦辺多煙霧 目送半天玉芙蓉 千里行行逐杖屨 丈人聞之暫夷猶 満酌無辞飲無籌 莫道廓落一羇旅 不吝去留得自由 勝情勝具探勝地 独往独来任独遊 号矣遠遊無知独 独遊之楽自悠々」 | 南畝集8 漢詩番号1545 杏園詩集三 | ④18 ⑥90 | 寛政1年 1789/04/ |
ぎんこうろう 吟香楼主人 | 「春日、吟香楼主人に寄す | 巴人集拾遺 | ②490 | 文化12年? 1815? |
きんけいどうじん 金鶏道人 | 「秋日、金鶏道人の贈らるるに和答す | 南畝集7 漢詩番号1469 | ③505 | 天明8年 1788/07/ |
きんしほ 金子保 (二本松) | 「錦子保の二株松に還るを送る 極天関塞如相憶 好託飛鴻一寄声」 | 南畝集2 漢詩番号0233 | ③80 | 安永2年 1773/08/ |
ぎんせん 吟蝉 | 「吟蝉女二十七回忌 北馬のもとめによりてよめり」 | あやめ草 | ②71 | 文化7年 1810/04/ |