詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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「前一日、杏園主人を訪うて此の数集を借り、携へて以て家に帰る。今夕、風雪に門を杜して出です。燈下に細かに読めば、衣ざるに自ら煖かなり。復た春寒の室を瞰ふを覚えず。庚午二月念二□、五山桐孫」 | 南畝集17 | ⑤152 | 文化7年 1810/02/ |
「春雪、天池戸川君、詩仏・五山二子過らる。半江翁を期するに至らず 陰晴不辨長昏飲 終少半江微月生」 | 南畝集17 漢詩番号3333 | ⑤152 | 文化7年 1810/02/ |
「十四夜、新たに晴る。花禅老人 万彦・池 桐孫 五山・鈴木 恭 白藤・井 玖 子瓊・鱸 文 猶人・中村 亮 子寅過らる | 南畝集17 漢詩番号3389 | ⑤169 | 文化7年 1810/08/14 |
「河 世寧 寛斎の集ひ。天民・五山・谷文晁と同じく賦す | 南畝集17 漢詩番号3403 | ⑤173 | 文化7年 1810/09/ |
「春日、蓬萊楼の集ひ。喧甚だし。席を逃れて小山書屋を過り、五山の韻を和す 「原詩 頑仙今日会蓬萊 不耐群喧逃得回 誰識人間別成趣 梅花樹下酔銀盃 五山」 | 南畝集17 漢詩番号3482 | ⑤195 | 文化8年 1811ウ02/ |
「中秋、諸君と同じく釣伯園に集ふ 「中秋、河 世寧 寛斎・池 桐孫 五山と同じく釣伯園より歩して大窪 行 詩仏の玉池の池亭に過る 借問此盟誰是主 海東詩仏字天民」 | 南畝集18 漢詩番号3666-7 | ⑤251 | 文化9年 1812/08/15 |
「壬申杪秋十九日、五山桐孫批す。前一夕、翁と玉池の上に痛飲して、宿酔未だ散ぜず。翁自ら所謂頭千金の重きを挙ぐる者にして、乃ち再び酒を呼ぶ。且つ飲み且つ批す。興も亦勃発す。人間復た此の如き解酲湯有らず。謝して以て璧を還す」〈十八日、南畝と五山お玉が池に韻、十九日、五山南畝集を批点して返却〉 | 南畝集18 | ⑤255 | 文化9年 1812/09/18 |
「五山堂の集ひ。時に詩話六編刻成る | 南畝集18 漢詩番号3698 | ⑤261 | 文化9年 1812/10/ |
「初冬、石川(二字欠)大浪、建 広載 釣伯・佐 万彦 花禅・池 桐孫 五山・藤 守重 正斎と同じく、重ねて仁正寺侯の別業に遊ぶ | 南畝集18 漢詩番号3703- 3705 | ⑤262 | 文化9年 1812/10/24 |
「十月廿四日、仁正寺侯山荘、床上掛る所の画賛【欄外、謝安携妓遊山図、立舳】 糸竹雲林、妓女冥壑、此亦一安石、鬼域老姦、風鶴勁敵、此亦一安石、蓋太虚之雲心、而空谷之響無跡、 要未易窺敵手之綦、而訾折歯之屐 右、方秋厓撰、蕉亭主人録【欄外、焦亭ハ阿部主計頭殿也】 黯澹前宵不見星 何図今日得茲晴 雲林糸竹謝安石 谷響虚雲亦有情 五山 同日、二歌妓舟に盪けて篙を失す、大浪子戯れに其の状を画く、五山二句を題して云ふ 自慚不似一篙竹 唯我求渠々不求」 | 壬申掌記 | ⑨558 | |
「甲戌の春 (「大つごもりの装束榎に狐火見んといひ、~」の狂文省略) | 巴人集拾遺 | ②480 | 文化11年 1814/01/ |
「池 桐孫 無絃の五山詩話八編成る。一日、諸老先生を邀へて百川楼に宴す。世人、詩話の歳々一編を成すを以て、戯れに諸れを一九生の海駅小説の嗣ぎて幾編をか出だすに比す。故に七八之に及ぶ | 南畝集18 漢詩番号3922 | ⑤322 | 文化11年 1814/08/17 |
「天民・五山・西湖・雲潭諸子、熊谷に遊び、墨渓酔態有りと聞き、戯れに一絶を賦す | 南畝集18 漢詩番号3929 | ⑤325 | 文化11年 1814/10/ |
「三月十一日、讃藩の赤木氏・菊池桐孫五山と同じく妓を携へて舟を墨水に泛べ、花を看る 女三為粲者 人百己千之 歳々年々興 看花不愆期」 | 南畝集19 漢詩番号4020 | ⑤353 | 文化12年 1815/03/11 |
「歳暮、菊池 桐孫 五山に過る | 南畝集19 漢詩番号4239 | ⑤412 | 文化13年 1816/12/ |
「菊池 桐孫 五山、災後白銀坊に僑居すると聞き、席(むしろ)を贈る | 南畝集20 漢詩番号4488 | ⑤488 | 文政2年 1819/07/ |
「池 桐孫 五山、災後百川楼を借りて諸賢を邀ふと聞き、賦して贈る 未得肩輿扶脚疾 徒歌伏櫪撫胡床」 | 南畝集20 漢詩番号4499 | ⑤491 | 文政2年 1819/08/ |