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   人物編Ⅰ 【し】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【鹿津部 真顔】(しかつべ の まがお)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「八日、すきやがし狂歌堂をとふ
 岩にかきがらはなれぬ中を洲崎そば切きれたがる  狂歌堂
 升屋が居たらはからうか酔て望汰欄ちよいとねたへ 杏花園
 懐旧の心もてつくれり
 情を通し矢矢かずにゐれど木場のおき場できが多い 狂歌堂
 弓矢八まんひきよせてなさけの深川ちよいと酔たへ 杏花園
 あるじ熱海の温泉を、樽もてはこびたるを、こよひのまうけに、湯桶でわかして浴せしむ」
「穀日、友人宅に宴す。分ちて真韻を得たり
 熱海温湯分得新 浴来微酔別生春 披衣試臥梅花下 明月閑窺是美人
 【主人、熱海の温湯を分ちて之を東都に致す】」
「又 題罷双鈎玉字新 三絃一曲勧觴頻 春前已賭陽春曲 殻日還為避穀人 【席上、歌ふ者有り】」
細推物理
南畝集13
漢詩番号2216・7
⑧342
④243
享和3年
1803/01/08
「五月望、馬蘭亭・狂歌堂・山東窟・鳥亭と同じく竹柳塘の亀沢の別業に集ふ。瞽八重川勾当箏を鼓す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
「亀沢別業の会。烏亭焉馬・狂歌堂真顔・山東京伝・馬蘭亭高彦来、八重川勾当来弾箏(中略)帰路(中略)月清く風すゞし。柳橋より舟にのりて神田川の月みんと、高彦・八重川とともに舟にのる。酔心地にふしぬ。月はいかゞなりけん、しらず」〈『細推物理』⑧374「狂歌堂真顔【北川嘉兵衛】」〉
南畝集13
漢詩番号2286
細推物理
④263
⑧364
享和3年
1803/05/15
「(九月)七日 すきやがし狂歌堂真顔、するがのくにゝ行んとす。けふ別筵をひらくとて、むかへらる(後略)真顔が旅よそひする羽織のうらに、旅の事書てよといふに筆とりて
 それ天地は万物の問屋場なり、光陰は百はたごの旅人なりとは、沈香亭でもてあつかひし 生酔の名言なり (中略) 松原松と榎の一里塚、つかみじかなる棒鼻に筆をとゞむ
 狂歌堂の壁に題す 幽篁賀燕翔 新築狂歌堂 雛在閭閻裏 芳名流四方」
南畝集13
漢詩番号2338
細推物理
④276享和3年
1803/09/07
「送真顔旅行詞
 むかし丁寛とかやいへるもの、田阿に従ふて易をうく。其東にかへるにのぞみて、易すでに東すと田阿はいへり。今狂歌堂のあるじ鹿津部真顔、たはれたる業すでになりて、四方の春秋に遊んとす。これなむ狂歌東西南北すともいふべし」
〈『細推物理』⑧392 九月七日、狂歌堂真顔の駿河行の送別宴記事〉
四方の留粕①193
「北川生の駿河に遊ぶを送る 歌鬟佐酒客盈堂 旅服新裁昨夜霜 万仭芙蓉回雪嶺 千村収穫及秋場」南畝集
漢詩番号2344
④278享和3年
1803/09/
「狂歌堂の庭に秋草植へたるをみて ことのはの六くさの庵は秋くさのひとつふたつはたらいでもよし」をみなへし
千紅万紫
②27
①255
文化4年
1807/07/
「元日狂歌堂にて加茂の葵盆を会津漆にぬりたる折敷に鶴の吸物を出しければ
 二葉より千とせの春にあふみ盆かもにもまさる鶴の吹物」
をみなへし②30文化5年
1808/01/01
「五月十七日、狂歌堂にて其子礼蔵有卦に入りしを祝すときヽて
 今日の祝とわれにささげ飯師走をうけに入りし礼蔵」
「さつき十七日、狂歌堂にてわらわのうけに入たる祝歌よみしに、同十九日身まかりければ
 思ひきや涙をひと目うけにいる七年の夜の雨ふらんとは
 たらちねの親のまなこのおきつきはかのちゝのみの大きなる寺

 小石川、中台山円光寺なり」
あやめ草②73
②74
文化7年
1810/05/17
1810/05/19
「送四方歌垣真顔西遊
 乾坤無処不狂歌 南北東西山又河 段尻長過天満祭 灯篭恐及吉原俄
 口にひく津々浦々の果までもみそぢひともじよものうた垣
 神路山きびの中山ひえの山のち瀬の山をとはん四方山
 旅衣ひっぱりだこにあひぬともつましき宿のいもなわすれそ」
放歌集②180文化9年
1812/03/
「四方歌垣が子真言院慈光子三回忌
 父は旅子はよもつ国ほとゝぎすともに帰るにしかじとやなく」
放歌集②194文化9年
1812/05/19
「狂歌堂のめのきみ折々むねをいたみあれば、ざれうたよみてくれよといふに
 屠蘇のさけ此春よりはどこへやらむねのいたみもいけ田諸白」
紅梅集②382文政3年
1820/01/
「狂歌堂主人の愛子の十三回忌に 十あまりみかかえほども年やへんちゝのみひとつのこしおきつき」をみなへし②47文政5年
1822/05/19