安打のバラード。

(22/5/7-22/5/28)

Blog Version

5月28日

BACH
Mass in B Minor
Robin Johannsen(Sop), Marie-Claude Chappuis(MS)
Helena Rasker(Alt), Sebastian Kohlhepp(Ten), Christian Immler(Bas)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor(by Denis Comtet), Akademie für Alte Musik Berlin
HARMONIA MUNDI/HMM902676-77


ルネ・ヤーコブスは、2012年に「マタイ」、2015年に「ヨハネ」を、RIAS室内合唱団とベルリン古楽アカデミーを指揮してこのレーベルに録音していましたが、2021年になってやっと、同じメンバーでの「ロ短調」を録音しました。
ただ、この曲に関しては、これがヤーコブスの初めての録音ではなく、1992年に、やはり同じ合唱団とオーケストラと一緒に、BERLIN CLASSICSに録音していました。
そのCDは現在では入手できませんが、それをBRILLIANTがライセンス生産したものは、何種類かサブスクで聴くことができますから、今回の新録音との比較も可能です。
なにしろ、30年ものスパンがあったのですから、同じメンバーと言ってもその状況は変わっています。合唱団も、当時はマーカス・クリードが指揮者でしたが、今回はかつて「アクサントゥス」の指揮者も務めていたドゥニ・コムテというフランス人の方に変わっています。そして、もちろん、ヤーコブス自体のこの曲に対するアプローチもずいぶん変わったな、という印象を受けました。
たとえば、演奏時間でも今回は全曲が104分ほどでしたが、前回は112分でしたから、全体では少し短くなっています。とは言っても、全体のテンポが速くなっているというわけではなく、個々のナンバーで極端にテンポが変わっているものがあるせいなのではないでしょうか。たとえば、「Sanctus」は、前回は5分17秒だったものが今回は3分46秒と速くなっていますが、「Credo」の6曲目の「Et resurrexit」では、前回は3分51秒だったのに今回は4分24秒と、逆に遅くなっています。あくまで主観ですが、いずれも前回の方が納得できるテンポだったような気がします。今回は「Sanctus」はあまりに速すぎてほとんど冗談のようにしか聴こえませんし、「Et resurrexit」ではイエスの復活を素直には喜んでいないような屈折感みたいなものが聴こえてきて、なんとも不自然な思いが募ります。この30年の間に、ヤーコブスのテキストに対する思い、というか、解釈が完全に変わってしまっていた、ということなのでしょう。正直、こんなんでは、ついていくことはかなり困難です。
ヤーコブスは、ここでは合唱の編成についても、彼独自の考えを披露していました。そもそも、この曲の場合、楽譜の声楽部分にはそのパートが書いてあるだけで、それがソロなのか合唱なのかは全く指定されていません。ですから、それを真に受けて、ジョシュア・リフキンは「合唱とされている部分も、すべてソリストが歌う」という大胆な説を掲げ、1981年にはそれを実際に録音していたのですね。
もちろん、この「珍説」は歴史の篩にかけられて現在ではほぼ完全に葬り去られています。ただ、可能性としてそのようなこともありうる、ぐらいのユルさでは、かろうじてこれは生き残っている部分もないわけではありません。というのも、ここで歌っているRIAS室内合唱団は各パート6人ほどの編成になっているのですが、今回のヤーコブスは、普通は合唱によって歌われている曲の中を、「全員で歌う部分」、「1パート3人の小さな編成で歌う部分」、「ソリストによって歌う部分」という3つの形態で歌うというやり方を取っていたのです。つまり、部分的に先ほどのリフキンの説を取り入れているのですね。たとえば、「Credo」の中の「Et incarnatus est」などは、普通は合唱で歌われる曲ですが、ソリストだけによって演奏されています。
この合唱パートに様々な形態をあてるというヤーコブスの手法は、ナンバーごとに行うこともありますが、多くは、ナンバーの中で、彼が最も効果的だと思われるところで、この3種がランダムに登場します。
ただ、それがそれほど成功しているとは感じられないあたりが、この指揮者の限界なのかもしれませんね。
オーケストラのメンバーは、大活躍でした。ヴァイオリンやフルートのソリストは、とても自主的な表現が光っていました。1箇所しか出番のないホルンも、現在はベルリン・ドイツ・オペラのホルン奏者のマルゲリータ・ルッリという女性の方が、素晴らしいソロを披露してくれました。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.


5月26日

IVES
Holidays Symphony, Symphony #2
Eugene Ormandy/
The Philadelphia Orchestra
DUTTON/CDLX 7391(hybrid SACD)


オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の1970年代の「4チャンネル」録音盤がハイブリッドSACDでサラウンド再生ができるようになったアルバムの最新リリースは、以前からきっちり聴いてみたいと思っていたアイヴズの交響曲「アメリカの祭日」に、やはりアイヴズの「交響曲第2番」がカップリングされていた「2 on 1」でした。
もうはるか昔のことになりますが、FMでこの「アメリカの祭日」を聴いたことがあって、びっくりしてしまったことがありました。まずは、そのぶっ飛んだ作風。それこそジョン・ケージの音楽のようなでたらめにしか聴こえないようなコラージュの手法、そして、それをあのオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団という「王道」のオーケストラが演奏している、という2つの点で、驚いたのですね。
その後、オーマンディは決して保守的な指揮者ではないことは分かってきて、ショスタコーヴィチあたりのものは聴くようになったのですが、アイヴズに関してはなかなか聴く機会がありませんでした。それが、なんとサラウンドで聴けるというのですから、待っていた甲斐がありました。
まずは、今回のジャケットに注目です。このレーベルでは、このように別のアルバムをカップリングした時には、その両方のジャケットの顔を立ててそれぞれのデザインを半分ずつ取り入れたように合成したデザインにしていて、結果的にはかなり雑然とした仕上がりになっていたものですが、ここではほとんどが「祝日」のデザインで、「2番」の方は小さくロゴだけが入っている、というコンセプトだったので、この素敵なジャケットを存分に楽しむことが出来ました。それは、手作りの刺?で、この曲のコンテンツを見事に表現した、何とも手の込んだものでしたからね。
もちろん、うれしかったのは、このおもちゃ箱のような曲をサラウンドで聴けることでした。おそらく、これは最初からサラウンドで聴いた時の効果を狙って録音されていたはずですから、オーケストラの各パートは、フロントに弦楽器、リアに管楽器のように、周りを囲むような音場が設定されています。1曲目の「ワシントンの誕生日」などは、木管はフルートのソロだけですから、リアの左からしっかり聴こえてきます。そしてサプライズが、オプションのジューズ・ハープ。効果音などで使われる「ビョン・ビョン」という音の楽器ですが、これが真後ろから聴こえてきたときには、そのリアルさにぶっ飛びました。
この楽章では、オーケストラ全体の音色も、前半の静かな部分と、後半のにぎやかな部分では意図的に変えていたようですね。後半では、弦楽器の音がとても生々しく聴こえてきます。終楽章の「感謝祭と清教徒米国上陸記念日」では、グロッケンが出てきたときには、スマホの音かと思ってしまいましたよ。ただ、合唱の音は、マスターテープの劣化がもろに出ていましたね。
弦楽器に関しては、「2番」の方がよりゴージャスな仕上がりになっていて、まさに、この時期のオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団のなんとも瑞々しいサウンドがたっぷり味わえます。もう、プレーヤー一人一人の音自体がそれぞれになまめかしくて、それが集まった時に押し寄せるインパクトは、まさに録音でしか味わえない豪華なサウンドです。それが、さりげなくほかの作曲家の曲の断片を、このサウンドで演奏しているのですから、うれしくなります。
余談ですが、この録音が行われた1970年代には、ケニー・ギャンブルとレオン・ハフという作家チーム(ギャンブル&ハフ)がフィラデルフィアで設立したレーベルが世に送った「フィリー・ソウル(フィラデルフィアのソウル)」というフィーリングたっぷりのソウル・ミュージックが一世を風靡していました。このレーベルの売りは、華麗なストリングス・アレンジだったのですが、それを演奏していたのがフィラデルフィア管弦楽団のメンバーだったとも言われています(山下達郎が言っていたのですから、多分本当でしょう)。

SACD Artwork © Vocalion Ltd


5月24日

噂のザ・チャイチーズ
根本要(Voc, Guit)、佐橋佳幸(Guit)、難波弘之(Key)
根岸孝旨(Bass),河村"カースケ"智康(Drum)
COLUMBIA/COCP-41747-8


スターダスト☆レビューのリーダー根本要が、「ちいちゃい人を集めてバンドを作ろう」と言って結成されたのが、この「ザ・チャイチーズ」なのだそうです。ネーミングはガクタイ語ですね(「ちいちゃい」→「チャイチー」)。ジャケ写のメンバーはみんな笑ってますね(それは「ハイチーズ」)。
メンバーは、それぞれスタジオ・ミュージシャンとして大活躍の人ばかりです。中でも、佐橋佳幸と難波弘之は、山下達郎のツアー・メンバーとしても知られていますね。一度だけ達郎のライブに行ったことがありましたが、この二人はその時も参加していました。特に佐橋のギターには強いインパクトを与えられました。とても音色が豊富で、フレーズも自由なんですよね。ほかの人たちもそれぞれに若いころから外国のロック・アーティストたちの音楽を聴いて育ってきた、という「ロックおたく」ばかりです。
そんなバンドが、「日本のロック」のカバーだけでライブを行い、その模様が映像と録音によって配信、さらにはDVDやCDとしてもリリースされました。なんでも、そのように大々的にリリースすることになると、外国の曲をカバーした時には許諾を取るのが大変なので、すべて日本の曲だけにした、ということなのだそうです。でも、その結果、とても面白いアルバムが出来上がっていました。というか、ここで演奏されている曲は16曲、それが2枚のCDに収められていますが、その半分以上は、メンバーのいずれかが実際にオリジナルのレコーディングの時にミュージシャンとして参加していたものだというのですから、ただのカバー集とはクオリティが全く違ってくるはずですからね。
とは言っても、オープニングで演奏されているのはザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」という1967年のヒット曲ですから、メンバーは誰もプロ・ミュージシャンにはなっていませんから、そういうのは「日本の名曲としてチョイス」というくくりになっていますね。
これは、当時のアイドルだったグループサウンズが歌っていた曲ですが、それを還暦を迎えたオジサンたちがノリノリで演奏している、というのが、ある種の感動を呼びます。
そして、そのリード・ヴォーカルだった沢田研二がソロとなって放った「時の過ぎゆくままに」も、イントロや間奏のギター・ソロを、佐橋がとてもメロウに再現しているのを聴いて、目頭が熱くなりました。というのも、かつてバンドをやっていた時に、この曲を完コピしようと思ってこのあたりのフレーズを全部譜面に落としたことがあるものですから、もうそれらは体に染みついているのですよ。
パフィーの「アジアの純真」では、レコーディングに参加したベースの根岸孝旨が、当時と同じ楽器で演奏、そこに、難波が、なんとすべての打ち込み部分をシンセの手弾きで再現しています。合いの手のヴォコーダーも、難波が演奏していたのでしょうね。
後半になって、今度は難波がセッションに参加していた達郎の「Bomber」です。佐橋もツアーでは参加してますし、根岸も、セッションやライブのベーシストのファンキーなグルーヴに迫ろうと頑張っていましたね。後半にメンバーがソロを「回し」始めますが、そこでは根本もギター・ソロをたっぷり聴かせてくれました。彼は、やはりギターを弾いているほうが生き生きとしているようですね。それにしても、難波と佐橋が繰り出すソロの数々には、圧倒的に魅了されてしまいます。
アンコールだったのでしょうか、根本が佐橋のアコギだけをバックに小田和正の「たしかなこと」を歌いだしたのは、ちょっとしたサプライズでした。小田とは声の質は全然違うのに、そこからはしっかり小田の音楽が聴こえてきましたね。根本は、毎年小田の「クリスマスの約束」に出演して、小田とのコーラスを聴かせてくれていましたから、そこで小田のテイストを学んでいたのでしょうか。このナンバーが、最も心に沁みました。

CD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.


5月21日

BERNSTEIN, SONDHEIM
West Side Story
Ancel Elgort(Tony), Rachel Zegler(Maria)
Gustavo Dudamel/
New York Philharmonic, Los Angeles Philharmonic, Additional Musicians
Steven Spielberg(Dir)
Walt Disney Japan/VWBS-7364(BD, DVD)


今年のアカデミー賞では7部門でノミネートされ、最終的にはアニタ役のアリアナ・デボーズが助演女優賞でオスカーを獲得したスピルバーグの映画「ウェスト・サイド・ストーリー」の映像ソフトです。日本での公開は2月でしたから、たった3ケ月でBDが見られるようになったのですね。
映画館で見てきた人たちは一様に素晴らしかったと言っていたので、ぜひ見に行きたかったのですが、そんなところで油断してコロナに罹ってしまったらいやだな、と、我慢してたら、こんなに早く見られようになったなんて。
しかし、正直なところ、これを見始めてしばらくしたら、これだったらわざわざリスクをおかしてまで映画館で見なくてよかったな、と、変な安心感が生まれました。もちろん、これは1961年に同じタイトルのミュージカルを原作にして作られたもののリメイクなのですが、そのテイストが今回は全く期待外れだったのですよ。オープニングは61年版を意識したような空撮っぽいシーンで始まりますが、そこに広がるのは荒涼たる瓦礫の山、前作の整然たる街並みのカッコよさに比べたら、その景色はまるで別物です。
そんな思いは、そのあとのジェッツのダンスでもわいてきます。前作のジェローム・ロビンスの流れるような振りと、それを見事に画面に収めた映像を踏襲しているかに見えて、今回のものは何ともスマートさに欠けるんですよね。そのあとの乱闘のシーンも、本当に殴り合いをしてましたからね。前作では、ダンスの一環として、とても美しく見られたというのに。
こんなことになってしまったのは、間違いなく、この作品に対するアプローチの違いなのでしょう。今回はあまりにリアルさを深く掘り下げてしまったために、原作が持っていた「ショー」としての魅力が完全に削がれてしまっているように思えてなりません。
そんな違和感は、体育館のダンスでトニーとマリアが初めて出会うシーンにもありました。前作では、周りでほかのみんながダンスに熱中している中で、二人にだけ光が当たって、まるで外の世界が見えなくなっているような設定の中でとても美しいデュエットが繰り広げられていたものが、今回は、二人はわざわざ客席の裏の物置みたいなところまでやってきて、そこでこそこそ、そのデュエットを始めるんですよ。信じられません。
そのうち、これはもしかしたら「読み替え」なのではないか、と気づきました。オペラの世界では最近の潮流、去年のバイロイトでドミトリー・チャルニャコフが「オランダ人」を救済の物語から、救いようのない復讐劇に変えてしまったような手法です。スピルバーグも、この物語に現代社会が抱えるありったけの苦悩を織り込もうとしていたのでしょうね。そんなの、おら、やんだ
そのためには、キャストの設定も変えなければいけません。トニーはムショ帰り、ベルナルドは、なんとプロボクサーですって。さらに、「クール」では、ソンドハイムの歌詞はそのままに、その設定を変えていましたね。そもそも原作ではこれはリフのナンバーで、決闘の前にジェッツの逸る心を抑えるために歌われます。それを、今回はトニーが、その決闘をやめさせようと歌うのですから、かなり無理があります。
キャスティングにしても、そもそも、エルゴートは、こういうナンバーには向いていないような。というか、サントラ盤を聴いた時にはなかなかのもの、と思ったのですが、実際にゼグラーと一緒に歌っているシーンでは、明らかに見劣りしてしまいますね。彼女が、うますぎるんでしょうけど。
逆に、リタ・モレノは、サントラ盤では全く魅力を感じなかったものが、この映画のコンテクストの中で「サムウェア」を聴くと、前島秀国さんではありませんが、泣けますね。
でも、そんな大胆な読み替えなどをせずに、エンディングのように、前作の演出に素直に従ったところの方が、なんと言っても感動的だったのは、当然のことでしょう。

BD & DVD Artwork © 20th Century Studios


5月19日

BRUCKNER
Symphony #4
Markus Poschner/
Bruckner Orchester Linz, ORF Radio-Symphonieorchester Wien
CAPRICCIO/C8083


マルクス・ポシュナーが2つのオーケストラを使って進めているブルックナーの交響曲のすべてのバージョンのツィクルスは、順調にリリースが続いているようですね。なにしろ、膨大なアイテムですから、果たして予定通りブルックナーの生誕200年となる2年後の2024年にすべてが終了できるかは、誰にもわかりません。
今回のアイテムは、交響曲第4番の第2稿(1878/80年稿)です。この作品は、多くのバージョン(稿)が存在していますし、さらに今回のツィクルスでは最新のエディション(版)を使うということですから、業界人でも混乱してしまうこともあるようです。実際に、サブスクでリリースされているタイトルにとんでもない間違いがありました。5月13日の時点での画面が、こちらです。
どの段階でこんな間違いが起きたのかは謎ですが、おそらく、「コーストヴェット版」というところで引っかかったのではないでしょうか。つまり、これまではブルックナーの交響曲の最新の研究に基づく楽譜は「ノヴァーク版」だ、という認識が広く行き渡っていたために、このような音楽配信に携わるような人々の間でさえもそれ以上の知見は持ちえなかった、という現状があったからです。それに関しては、こちらに詳細な解説がありますから、ぜひ参照していただきたいのですが、国際ブルックナー協会では、すでに「ノヴァーク版」の次の段階の原典版、「新アントン・ブルックナー全集(NBG)」の制作に着手しているのですよ。もっと言えば、国際ブルックナー協会に反旗を翻して、独自のブルックナー全集「アントン・ブルックナー原典版全集(ABUGA)」を刊行し始めている出版社だってあるのです。
そこで、コーストヴェットです。彼は、レオポルド・ノヴァークの没後も「ノヴァーク版」のスタッフとしてノヴァークがやり残した仕事を引き継ぎますが、その中で従来は「弟子たちによって改竄された」ということで原典版とは認められていなかった交響曲第4番の第3稿を、十分に作曲家の意思が反映された楽譜として、正式にノヴァーク版の一環として出版したのです。それが2004年のこと、ですから、ちょっと新しい情報としてそれを知っている人の場合は、「コーストヴェット=第3稿」という概念が頭にあったはずです。そこで、資料にコーストヴェットの名前があれば、それは当然第3稿(1888年稿)だと思い込んでしまっていたのでしょうね。
ところが、さっきの画面はいつの間にかこんな風に変わっていました。でも「1881年版」って、何なのでしょう。恥の上塗りですね。
実際、コーストヴェットは「新ブルックナー全集」として、新たに交響曲第4番の第1稿と第2稿をすでに出版しています。そして、その第2稿では、フィナーレが1880年に改訂されたものと、その改訂前の1878年のものが両方印刷されているようです。このCDは、その楽譜を使って初めて録音されたものとなるのでしょう。ですから、通常の1878/80年稿がリンツ・ブルックナー管弦楽団で演奏されている次のトラックに、この1878年のフィナーレがウィーン放送交響楽団によって収録されています。ところで、同じ第2稿でもハース版とノヴァーク版ではもとになったソースが異なるので、かなりの相違点があったのですが、聴いた限りではこの「コーストヴェット版」ではノヴァークが採用したソースが使われているようですね。そうするほうが妥当だと考えたのでしょう。
ポシュナーの演奏は小気味よいテンポで進み、楽譜に書かれていないところでもかなりエモーショナルな表現を取り入れています。一番驚いたのは、第1楽章の「F」の部分の金管のファンファーレです。
ここでは、1小節ごとにディミヌエンド/クレッシェンド/ディミヌエンド/クレッシェンドという、かなり「くさい」ことをやっていましたね。
初めてきちんと聴いた1878年のフィナーレは、まさに第1稿と第2稿との中間点、という感じでした。ご参考までに、このフィナーレは616小節(第1稿)→477小節(1878年稿)→541小節(1880年稿)→507小節(第3稿)という変遷をたどっています。

CD Artwork © Capriccio


5月17日

SCHMIDT
Brass Concertos
Gábor Tarköv(Tp), Jesper Busk Sørensenj(Tb)
Jens Bjørn-Larsen(Tub), Stefan Dohr(Hr)
Giordano Bellincampi/
Aalborg Symphony Orchestra
DACAPO/6.220702(hybrid SACD)


1928年に生まれ、2010年に亡くなったデンマークの作曲家オーレ・シュミットは、デンマーク王立音楽院でピアノ、作曲、指揮法を学びました。彼は、その3つのジャンルでそれぞれに大成したようです。指揮者としては、のちにチェリビダッケやクーベリックにも師事し、世界中のオーケストラでのポストを得ています。1974年にロンドン交響楽団を指揮して録音されたニルセンの交響曲全集(UNICORN)は、名盤として広く知られています。作曲家、ピアニストとしては、クラシックに限らずジャズや映画音楽までに渡って幅広く活躍していました。
彼が影響を受けたのは、バルトークとストラヴィンスキー、そして、フランスの作曲家たちでした。そこに北欧のテイストが加わって、彼の個性となったのでしょう。
このアルバムで聴けるのは、彼の、ちょっと珍しい楽器のための協奏曲の数々です。これは、おそらく、オーケストラのほぼすべての楽器のための協奏曲を作った同じ北欧、フィンランドの作曲家カレヴィ・アホの仕事の前兆となっていたのでしょうね。
まずは、「協奏的小品」というタイトルの1楽章だけの曲が登場です。これだけではソロ楽器が何なのか分かりませんが、これにはサブタイトルもあって、それは「トランペットとトロンボーン、弦楽器、ハープ、打楽器、そしてチェレスタのための」というものです。なんだか、影響を受けたというバルトークの作品「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」と似たタイトルですね。
一応、これは最初のトランペットとトロンボーンがメインのソロ楽器ということになっていて、この二人だけのカデンツァなども用意されていますが、残りの打楽器とチェレスタも堂々のソロが出てきたりします。弦楽器はトゥッティなので、「ソロ」という感じはありませんが、アンサンブルの要という役割なのでしょう。
音楽自体も、そのバルトークとよく似た味があって、とても爽快でエキサイティングです。先ほどのカデンツァは、もうこの二人が目いっぱいのテクニックを駆使して、壮烈なバトルを展開しています。
2曲目は、なんと、チューバのための協奏曲です。指揮者だったシュミットはこの楽器のことはとてもよく知っていますから、ここではそれにふさわしいこと、そして、ふさわしくないことまでも平気で使って、最大限にその魅力を引き出そうとしています。アレグロ・レント・アレグロという、典型的な協奏曲の形をとった3つの楽章で出来ていますが、その最初の楽章は、複雑な変拍子も交えて、ソロ楽器の低音を強調した、ちょっと「ゴジラ」みたいな音楽になっています。その途中で、オーケストラの中のフルートが、カデンツァを演奏しています。
第2楽章でも、そのフルートは美しいオブリガートを演奏して、ソロ楽器の精いっぱいの甘美なメロディを盛り上げています。ソロがなくなってオーケストラだけの間奏になったら、そこではまるでラヴェルの「ボレロ」に見られる、たくさんの楽器で倍音を出して、まるでオルガンのような響きを出すオーケストレーションが現れます。その後には、今度はオーボエの美しいソロが聴こえてきます。もしかしたら、これは美女(フルートとオーボエ)と野獣(チューバ)のメタファーだったのかもしれませんね。なぜか二股ですが、たまたまだったのでしょう。
そして、終楽章は、軽快なシャッフルのリズムに乗って、チューバも軽快に歌います。再低音から最高音までグリッサンドで続ける、などという裏技も披露して、楽しませてくれています。
最後はホルン協奏曲、ソリストはベルリン・フィルの首席奏者、シュテファン・ドールです。ゆっくりした第1楽章では、まさにホルンが世界を作るのだ、と言った感じでの押し出しがすごいですね。速いテンポの第2楽章では、目まぐるしくリズムのパターンが変わります。
いずれの曲も、オーケストレーションがとても見事、このレーベルならではの音の良さで、とても楽しめました。

SACD Artwork © Dacapo Records


5月14日

MOZART, HUMMEL, VANHAL
Bassoon Concertos
Sophie Dervaux(Fg)
Mozarteumorchester Salzburg
BERLIN CLASSICS/BC0302341


今では信じがたいことですが、かつては、オーケストラというものは完璧な「男社会」で成り立っていました。それを象徴していたのが世界最高峰のオーケストラと言われるウィーン・フィルで、女性の団員は全く認められませんでした。
もちろん、男女平等が謳われる現代社会ではそんなことは通用するわけもなく、多くのオーケストラでは徐々に女性奏者に対して門戸を開いてきて、文句をかわそうとし(ウソ)、例えば日本の中堅どころではヴァイオリン奏者は女性の方が多くなっているところも出てきました。そんなオーケストラに対して、評論家たちは「このオーケストラは女性が多いので少し迫力に欠ける」などと言った暴言を吐いていたこともありましたね。昔の話です。
そんな中でも、このウィーン・フィルだけはかたくなに女性奏者を拒み続けていました。もちろん、ある時期からはそのような流れに逆らうことは無理だと悟ったのでしょう、ほんの少しですが、女性奏者に入団を認めるようになってきます。それに対して、世間は一様に驚きの声を上げたというのですから、それはまさに「大事件」だったのです。
しかし、最近では、特に弦楽器の中ではこのオーケストラでもかなりの人数の女性奏者を見ることができるようになりました。やっと、ウィーン・フィルも、そのような面では世界的に通用する団体になれたのですね。
しかし、管楽器に関しては、その壁は依然として立ちはだかっていたようです。ただ、首席奏者でなければその壁も次第に取り払われてくるようになり、2012年には、カリン・ボネッリが、ウィーン・フィルの母体であるウィーン国立歌劇場管弦楽団の2番フルートとピッコロ奏者として入団、2015年には、晴れてウィーン・フィルの団員となったのです。
おそらく、木管楽器の首席奏者として初めて入団したのが、今回のアルバムのリーダー、ファゴット奏者のソフィー・デルヴォーではないでしょうか。彼女は、2013年にすでにベルリン・フィルでの首席コントラファゴット奏者に就任していたのですが(もちろん、普通のファゴットも演奏します)、2015年にウィーン国立歌劇場管弦楽団の首席ファゴット奏者に就任、2018年にはウィーン・フィルの正式メンバーにも就任しています。
彼女の後を追うように、2016年にはシルヴィア・カレッドゥという女性フルート奏者が、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の首席フルート奏者に就任しています。順当に行けば、そのままウィーン・フィルの正式団員となれたのでしょうが、試用期間が終わった2019年に彼女はクビになってしまいました。やはり、ウィーン・フィルの「壁」は、厳然として立ちはだかっていたのでしょうか。ただ、あくまで私見ですが、ウィーン・フィルの中で演奏していた彼女には、特別なオーラのようなものを感じることは出来ませんでした。
ソフィー・デルヴォーの方は、何の問題もなくウィーン・フィルの首席奏者として大活躍しています。レコーディングも、すでに2020年には今回と同じBERLIN CLASSICSからピアノ伴奏によるファーストアルバムを録音しています。
そして、2021年に、モーツァルトのファゴット協奏曲をメインにしたアルバムを作った時には、なんと彼女は指揮者としてもデビューしていたのです。つまり、オーケストラを指揮しながら、同時にソロのパートを演奏していたのですね。
ジャケットでは、ファゴットの他に指揮棒も。
1991年生まれの彼女、まだ30歳を少し過ぎただけですから、無限の可能性を秘めているのでしょう。これからが楽しみです。
ここでのモーツァルトの協奏曲は、テンポを早めにとって、颯爽たる演奏を披露しています。モーツァルトの弟子のフンメルの協奏曲は初めて聴きましたが、彼女はこの曲に漂うモーツァルトのエッセンスをとても大切にしているようです。ヴァンハルはモーツァルトの先輩、この「協奏曲第2番」はこれが世界初録音なのだそうです。両端楽章にトランペットとティンパニが入る華やかな曲で、ソロパートも速弾きの嵐、それを、彼女はいとも鮮やかに吹ききっています。

CD Artwork © Edel Germany GmbH


5月12日

Romantic & Virtuoso Music for Flutes & Piano
Noémi Györi, Gergely Madaras(Fl)
Alexander Ullman(Pf)
RUBICON/RCD1078


2016年に創設されたというイギリスの新興レーベルRUBICONは、これまでの6年間に80タイトルほどのアルバムをリリースしています。月産1枚というところでしょうか。まあ堅実に良心的な製品を作り続けている、という印象は与えられます。ただ、国内での代理店がないようなので、普通のショップでは入手できませんから、もっぱらサブスクで聴くことになります。
今年の4月のリリースは2枚だったようですが、そのうちの1枚がこんなフルートの名曲を集めたアルバムでした。ドップラーとクーラウという、フルートのための曲を大量に作ってくれた2人の作曲家の曲が集められています。特に、フルートが2本使われているものがメインなので、愛好者には喜ばれることでしょう。
ここでのフルーティストの一人は、以前こちらで聴いていたノエーミ・ジェーリというハンガリーの演奏家です。縦長の顔が印象的だったので、そのジャケットは覚えていますが、演奏に関してはほとんど記憶には残っていません。
もう一人のフルーティストは、やはりハンガリーの方ですが、もっぱら指揮者として活躍しているゲルゲイ・マダラシュという人です。そこに、このレーベルからソロアルバムも出しているピアニスト、アレクサンダー・ウルマンが加わります。
まずは、ドップラーの2本のフルートとピアノのための「ハンガリーの主題による幻想曲」です。ウルマンのピアノ前奏は、まるで光線でも出しそうな(それは「ウルトラマン」)元気のよいものでした。いや、そもそもこれはほとんどラジオ体操か、と思われるほどのとても健康的な音楽です。そこに入ってくる2人のフルートは、そんな陳腐さとは一線を画した、とってもお洒落なテイストを持っていました。それぞれの音もよく似ていますし、何より一緒になった時の細かい表情が、見事に揃っているのですね。あまり期待しないで聴き始めたのですが、これはなかなかの拾い物なのでは、と思ってしまいました。
ところが、次の、やはりドップラーの有名な「アンダンテとロンド」になったら、ちょっと困ったことが起きていました。この曲では、ピアノの前奏に続いて、まず2番フルートがソロで演奏を始めるのですが、それを吹いているマダラシュが、あまりに稚拙なんですね。音程は悪いし、何より音に輝きが全くありません。先ほどの曲ではアンサンブルの中だったので分からなかったのですが、やはりフルーティストとして身を立てるだけのスキルは持っていなかったのでしょう。
ですから、続く、これはフルート1本とピアノのためのドップラーの「愛の歌」では、「本職」のジェーリがしっかりお手本を見せてくれるのでは、と思っていたら、こちらもなんだか怪しげな演奏でした。まだそんな年でもないはずなのに、ロングトーンではまるで老人のような深くてコントロールされていないビブラートが付いているのですよ。
そこに、ドップラーの半世紀ほど前の作曲家、クーラウの、やはり3人で演奏される「トリオ」の登場です。3つの楽章でできている「ソナタ」ですが、その真ん中のゆっくりした楽章では、この作曲家の得意技の、2番フルートが分散和音を演奏しているところに1番フルートがメロディを奏でる、という場面が現われます。当然、1番はジェーリが吹いているのでしょうが、これがさっきの「アンダンテとロンド」でのマダラシュのようなお粗末さなんですよ。もしかしたら、ここではパートを交替していたのかもしれませんね。
そして、またドップラーに戻り、超有名な「ハンガリー田園幻想曲」が、もちろんジェーリのソロで演奏されます。これも、ちょっとユニークな演奏、もしかしたら、「ハンガリー」というところを自らの出身地として、それなりのデフォルメを施していたのかもしれません。
最後は賑やかに、「リゴレット幻想曲」と、「アメリカの主題によるデュエット」で締められます。「アメリカ」で国歌が出てくるのが、いつものことながら笑えます。

CD Artwork © Rubicon Classics


5月10日

Alt hva mødrene har kjempet
Eva Holm Foosnæs/
Kammerkoret Aurum
2L/2L-167-SACD(hybrid SACD)


ノルウェーの高音質が売り物のレーベル「2L」では、様々なジャンルの音楽の録音を行っていますが、なんと言っても合唱関係のレパートリーが充実しています。これまでに、数多くの合唱団が紹介されてきましたが、演奏面でも録音面でも一つとして「ハズレ」がないというのは、驚異的なことです。
今回の「アウルム室内合唱団」は、以前の「UR」というアルバム以来の登場です。2006年にトロンハイムにあるノルウェー科学技術大学の音楽学部のメンバーを中心にして結成された団体で、現在の指揮者のエヴァ・ホルム・フースネスも、この大学で作曲を学んでいました。
このアルバムのためのレコーディングは、2019年と2020年のともに11月に、トロンハイムのそばのセルビュ市にあるセルビュ教会という、このレーベルが良く使っている場所で行われています。そこは、写真で見るととても小ぢんまりとした建物のようで、そのちょうど真ん中あたりにセンターアレイを立てて、その周りを囲むように合唱団のメンバーが並んでいます。
そのアレイには、マイクが全部で11本ついています。
下に7本、上に4本という、いわゆる「7.0.4」という配置ですね(真ん中の数字はサブウーファーの数)。下のマイクは前から3本、2本、2本となっていて、一番前だけ左右とセンターのために3本になっています。ここでは、「前」というのは、祭壇に向かって椅子に座った時の「前」になります。ですから、これを再生すると、その「3本」のマイクの先がリスニングルームでもまさにその椅子に座って、合唱団の間に座った時の音場となるのですね。ここでの合唱団は、主に前に男声、後ろに女声が並んでいて、その間に指揮者がいる、という配置のようです。
ですから、それをサラウンドで再生した時も、リアスピーカーからは女声、フロントスピーカーからは男声が聴こえてくるような定位となっています。ただ、上の写真でもわかるように、曲によってその配置は変えられていますから、もちろんそれに従ってリスニング時の定位も変わります。
このレーベルは、音は素晴らしいのですが、アートワークに関してはあまり感心できませんでした。まあ、趣味の問題なのでしょうが、ちょっとその感性についていけないところがあったのですね。今回のジャケット、そしてブックレットの写真も、その最たるものでした。けばけばしいメークを施された女性の顔に、植物や動物の画像をコラージュとして貼り付けたというものですが、そのコラージュの処理がとても幼稚なんですよ。
ですから、音楽までそんなテイストだったらいやだな、と思って聴き始めたのですが、それは良い意味で裏切られたのは幸せなことでした。
アルバムのタイトルは、ノルウェー語で「私たちの母親たちが戦ってきたすべてのもの」という意味です。これは、2曲目に演奏されているトーネ・オーセという人の作品のタイトルになのですが、アルバム全体が、そのような「戦ってきた女性」というものを前面に出す、というコンセプトで作られています。
まず1曲目、指揮者のフースネスが作った、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユフスザイを素材にした「マララ」という曲では、冒頭のとても質感のあるハーモニーによって、この合唱団の実力がもろに伝わってきます。徹底的にビブラートが抑えられているのですが、個々の声自体に存在感があるので、それが集まった時には得も言われぬエネルギーが発生しているのですよ。
ここでは全部で6人の作曲家によって作られた曲が歌われています。6人のうちの5人までが女性というのも、アルバムのコンセプトに沿ったものなのでしょうが、唯一の男性であるトロン・クヴェルノが作ったのが、古典的なテキストに基づく「スターバト・マーテル」でした。そのような「母親」の代表ということでの選曲なのでしょう。これが、この中では最もオーソドックスな作風で、ア・カペラの合唱の魅力がストレートに味わえる曲でした。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS


5月7日

STRAVINSKY
Ballets
Simon Rattle
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO5096(hybrid SACD)


2002年から2018年までベルリン・フィルの首席指揮者と芸術監督を務めたサイモン・ラトルは、その任期の途中の2017年に、ロンドン交響楽団の音楽監督にも就任しました。そして、その就任を記念して、「これがラトルだ」というタイトルの音楽祭が、10日間にわたって開催されたのだそうです。そのオープニングとして、9月21日に、ストラヴィンスキーの初期の3つのバレエ音楽を演奏するというコンサートが行われました。さらに、全く同じコンサートが、9月24日にも行われました。このSACDは、その2回のコンサートをライブ録音し、編集したものです。
しかし、「火の鳥」(1910年)、「ペトルーシュカ」(2011年)、「春の祭典」(1913年)という、いずれもディアギレフの「バレエ・リュス」のために作られた音楽は、編成もとても大きく、演奏も非常に難しいものばかりですから、これらをすべて1回のコンサートで演奏するというのはかなり困難なのではないでしょうか。
実際、ラトルの場合も、40年ほど前にフィルハーモニア管弦楽団にこの曲目のコンサートをやりたいという提案をしたら、そのオーケストラの責任者は「こんなんで演奏会ができるか。それはばかげたアイディアで、話し合う気にもなれない。実際、どの曲も、あなたに指揮をさせる気は全くない」と言い切ったといいますからね。
まあ、現在では、それぞれの曲をプログラムに入れたコンサートは、世界中のオーケストラで行われています。プロのオーケストラだけではなく、アマチュアだって、楽々演奏するようになっていますね。とは言っても、やはりこの3曲をすべて、というプログラムは、依然としてハードルが高いことは変わってはいないはずです。
もちろん、この3曲を1枚のハイブリッドSACDに収めることは出来ませんから、これは2枚組になっていて、1枚目は「火の鳥」だけで47分、2枚目はあとの2曲を併せて69分となっています。もちろん、サラウンドにも対応しています。ただ、このアルバムで驚いたのが、録音フォーマットがPCM(24bit/96kHz)になっていたことです。これまではずっとDSDで録音されていましたし、これ以降のものもDSDのようですから、このコンサートだけがPCM、しかも、それほどハイスペックではないフォーマットが使われているのですね。エンジニアはジョナサン・ストークスとニール・ハッチンソンというおなじみのメンバーですから、もしかしたら、DSDのシステムに何かエラーがあって録音できなくなり、急遽バックアップのPCMを使ったのかもしれませんね。
とは言っても、SACDになってしまえば、その違いなどは分かるはずもありませんから、ここではこの複雑なオーケストレーションの極みの大作を3つ、極上のサラウンド・サウンドで堪能できます。
確かに、今回の録音のクオリティはかなりのものでした。サラウンドの音場も、これまでのものとは幾分違っていて、コンサートのライブ感よりは、もっと突っ込んだ生々しさが感じられます。特に打楽器群の粒立ちの良さは際立っています。
1曲目の「火の鳥」は、なじみのある組曲版には入っていない部分にも、とても魅力的なところがたくさんあることが再確認できます。首席フルートのギャレス・デイヴィスのパワフルな音が、そんな中で存分に堪能できます。
「ペトルーシュカ」では、トランペットのとても難しいソロを、いとも楽々と、しかもとても表情豊かに吹いているのが、とても印象的でした。
ただ、最後の「春の祭典」になったら、何となく疲れが出てきたのか、ちょっとしたところで緊張感が途切れるようなことが起こっていたような気がします。アルトフルートのソロも、ちょっとブレスが多すぎたような。
何しろ大編成ですから、メンバーの中にはたくさんのエキストラが入っていたようです。その中に、ホルンとワーグナー・チューバのパートで、ベルリン・フィルのサラ・ウィリスの名前がありました。そういえば、ラトルはこの時はまだベルリン・フィルの指揮者だったんですよね。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra


おとといのおやぢに会える、か。



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