甥は、毛虫。.... 佐久間學

(12/10/12-12/10/30)

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10月30日

BRUBECK
American Poets
Lynn Morrow/
Pacific Mozart Ensemble
SONO LUMINUS/DSL-92160(CD, BD)

SONO LUMINUS」というのは初めて聞くレーベル名でした。実は、これはかつてあった「DORIAN」というアメリカのレーベルが2005年に倒産したものを、「SONO LUMINUS」という会社が買い取って2007年に新たに発足したレーベルなのです。確かにマークはDORIANそのものですね。ただ、最初のころは「DORIAN SONO LUMINUS」と言っていたものが、最近ではこのようにマークが微妙に変わって「DORIAN」がなくなっていますね。かわいそうに。

そのSONO LUMINUSという会社は、録音を専門にしていたところなので、最近の新譜では録音面でかなりのインパクトのある製品を出してきています。実はジャケットのインレイには「Blu-ray Audio + CD」という文字と、BDCDのロゴが印刷されていることが、拡大すると分かります。

例えば、「2L」や「NAXOS」のように、ブルーレイ・オーディオはしっかり縦長のBDのケースに収まっているのではなく、これはただのCDケースですので、中に同じコンテンツのCDBDが2枚入っていることには気づかないかもしれません。ネットショップの案内にも、ただ「CD」と書いてあるだけですし。
そんな、まるで「趣味でやっているのだから、別に気づいてもらわなくてもかまわないさ」とでも言いたげにさりげなく入っているブルーレイ・オーディオですが、そのスペックはしっかり極限を追求したものでした。サラウンドが7.15.1の2種類、それに2チャンネルステレオが加わります。音声スペックは24bit/192kHzという、BDの規格の最大値を確保しています。7.1だけはさすがに24/96になっていますが、そうしないと1枚のBDには収まらなくなってしまうのでしょう。ただの「趣味」にしては、気合の入り過ぎ。
これはもちろん、「指環」のSACDのようなアップコンバートではなく、最初から24/192で録音されたものですから、同梱のCDと比較するのもかわいそうなぐらい、ものすごい音を聴くことが出来ます。合唱の肌触りと質感が、まさに別物、それこそ、ちょっと突っついたら果汁があふれ出てくるほどの豊穣さがみなぎっているのですからね。
そう、タイトルからはわかりませんが、これはデイヴ・ブルーベックの合唱曲を集めたアルバムです。いわゆる「組曲」のような大仰なものではなく、ほんの数分程度のかわいらしいピースが20曲程度集められています。その作風も、まるでロマン派の合唱曲のようなオーソドックスなものから、彼の本来のフィールドであるジャズっぽいものまで、多岐にわたっています。どんな曲の中でも、しっとりとした歌心が感じられ、聴く者を幸せにしてくれます。
と、最初の数曲を聴いているうちは、その包み込まれるようなみずみずしい録音にも助けられてうっとりとしていられたのですが、しばらくしてくるとなんだかこの合唱団の演奏はとても覇気に欠けるような気がしてきました。ただ流れに乗って歌っているだけで、そこから何かを表現しようという意思が全く感じられないのですね。本来は楽しいはずのブギ・ウギをベースにした曲でも、聴いていてつらくなるようなノリの悪さですし。
曲の中には、最初はインスト物として作られたものを合唱曲に編曲したものもたくさん含まれています。そんな中で、そもそもは弦楽オーケストラのために作られた「Regret」という複雑な対位法を駆使したかなり「器楽的」なイディオムが満載の難曲では、もろに合唱団のスキルでは手に負えないことが露呈されて、とてもひどいことになっていました。
この合唱団は、以前バーンスタインの「ミサ」にも参加していました。でも、あそこでの「合唱」はそれほど厳格さを要求されるパートではなかったはず、ライナーによると、彼らのレパートリーは「ブラームスからビーチ・ボーイズまで」なのだそうですが、ここではもろビーチ・ボーイズ寄りの軸足になっているようです。それではブルーベックは歌えません。

CD Artwork © SonoLuminus LLC

10月28日

WAGNER
The Ring Without Words
Lorin Maazel/
Berliner Philharmoniker
EUROARTS/2057607(BD)


前回はBD1枚でワーグナーの「指環」全曲を聴いてしまいましたが、今回もやはりBD1枚の「指環」という企画です。ただ、こちらはしっかり映像も見られますから、さらにお買い得。
とは言っても、こちらは「全曲」ではありませんでしたね。さすがにまだそんなメディアは開発されてはいなかったのでした。要するに、「指環」のいいとこを集めてオーケストラで演奏した、というだけのことなのですがね。前例としては、そんなものは、1991年にデ・ヴリーガーが編曲したものがありましたね。正確には、今回のマゼール自身の編曲の方が先、1987年にアメリカのレーベルTELARCの要望に応えて編曲を行い、それをベルリン・フィルと録音したのですね。それ以来、この編曲はマゼールの「持ちネタ」となり、世界中のオーケストラとことあるごとに共演しています。つい先日も日本のNHK交響楽団と初めて共演した時にも、「名刺代わり」に演奏していましたね。
今回の映像は、マゼールと、この編曲を初演したベルリン・フィルとのコンサートのライブです。BDDVDともに昨年リリースされていたものなのですが、なぜか大幅に価格を下げて別の装丁になったものが出ました。BDとしては想定外の値段だったので、つい買ってしまいましたよ。
手元に届いたもののクレジットを見ると、なんだか日本人っぽい名前の人がディレクターやプロデューサーとして名を連ねていました。さらによく見てみると、これは「テレビマン・ユニオン」と「WOWOW」との共同制作であることも分かりました。「なんでWOWOWが?」という疑問は、録音年を見て氷解します。この映像が録画されたのは2000年だったのですよ。BDだからてっきり最近のものだと早合点してしまいましたが、これはそんな大昔の映像なのでした。いや、確かにこのころすでに「ハイビジョン」はありましたから、フルHDの素材があってもおかしくはありません。そして、今のWOWOWからは想像もできませんが、このBSチャンネルは、この時期にはベルリン・フィルの演奏会を定期的に収録して、それを放送していたのですよ。もちろん、技術スタッフは現地のメンバーですが、制作はしっかりテレビマン・ユニオンとWOWOW自身だったのですね。おそらく、当時はこの映像目当てにWOWOWに加入した人が、クラシック・ファンの中には結構いたのではないでしょうか。そんな映像が、今頃になってBDとして商品化されたのですね。そういう意味で、これは「歴史的映像」と言えるかもしれませんね。
実際はたった12年前の映像ですが、ベルリン・フィルのメンバーはかなり顔ぶれが変わっていました。コンサートマスターも、今はもういない人ですし、フルートパートには、やはりすでに退団しているピッコロのデュンシェーデとともに、なんか日本人のような人がいます。そう、この方は、日本人フルーティストとしては恐らく初めてベルリン・フィルの団員(産休団員の代わりを務める契約団員)となった庄田奏美(かなみ)さんです。
マゼールの編曲は、ごく素直に曲をつなげたものでした。「Without Words」とあるように、歌手が言葉をつけて歌う部分は楽器で演奏されているあたりが、ちょっと違和感があるぐらいでしょうか。でも、それぞれに「ソリスト」は健闘しています。「黄昏」でのラインの乙女のアンサンブルをクラリネット3本で演奏しているのなどは、大成功でしょう。曲のつながりもとても自然、「ワルキューレ」から「ジークフリート」に変わった部分などは、あまりの滑らかさに曲が変わったのにも気づかないほどでした。
例えば、オペラの「ラインの黄金」などは、オーケストラは2時間半の間全く休むことなく演奏を続けます。それはピットの中だから何とかなるものなのですが、ステージに上がって83分間全く休みなしという体験は、演奏する側はもちろん、聴く側にとってもかなりつらいものなのだな、と切実に感じてしまった映像でした。

BD Artwork © EuroArts Music International GmbH

10月26日

WAGNER
Der Ring des Nibelungen
Many Singers
Georg Solti/
Wiener Philharmoniker
DECCA/478 3702 2(CD, DVD, BD)


今年はゲオルク・ショルティの生誕100年、そして来年はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年ということで、こんなものすごいボックスが発売になりました。ジョン・カルショーによって制作された半世紀以上前の「指環」です。
まず、ボックスそのものがCDサイズのちゃちなものではなく、12インチ四方のLPサイズになっています。白いスリーヴを外すと漆黒のボックス本体が姿を現します。

なんと、箱のお尻にはシリアル・ナンバーが。

その中にあるのは、4冊のハードカバーのようなものですが、この形ですからまるでこの録音が最初にリリースされた時のLPボックスが4つ集まっているかのように見えはしないでしょうか。

まず驚くのが、カルショーの著書「Ring Resounding」の原書の復刻版です。もちろん装丁は違っていますが、この数多くのデータが満載の書物を、誤訳を気にせずに読めるのはとてもありがたいことです。表紙のこのキャラは「ワルキューレ」でしょう。

そして、メインの音声ディスクは、この「ラインの黄金」の巨人族が表紙になっている「アルバム」に収められています。

1ページごとにそれぞれの作品のCD、最後にはデリック・クックが監修したライトモチーフの音源集、

さらに「おまけ」として、同じ頃に録音されたワーグナーの「ジークフリート牧歌」などのコンピCD(既発売品)と、「指環」全曲を1枚に収録してしまったBDが入っています。しかし、このメディアは25GBの容量しかありませんから、24bit/96kHzの非圧縮PCMだったらトータル・タイムの14時間半はちょっと難しいのでは。

3枚目の表紙は、ラインの乙女なのですが、「ラインの黄金」ではなく「神々の黄昏」のキャラとして使われているのでしょう。

これには、さっきのライトモチーフ集の譜例と、

なんとも貴重なショルティが実際に使った書き込み入りのスコアの「ワルキューレの騎行」の部分のファクシミリが入っています。

その他に5枚の写真、発売当時の音楽雑誌の広告紙面と、ハンフリー・バートンが制作した「神々の黄昏」の録音セッションの記録映像のDVDThe Golden Ring」まで入っていますよ。

そして、最後は「ジークフリート」に飾られたリブレット集です。あいにく、英訳しかありませんが。

と、ため息が出そうになるほどの豪華絢爛なボックスですが、なんと言っても購入のきっかけとなったのはBDによる音源です。もちろん、映像ではなくいわゆるBlu-ray Audioと呼ばれる、ハイレゾPCMの音声ファイルが収められているものです。一応「24-bit」とか「higher bit-depth」という文字が見えますが、今回のリマスタリングに使われたマスターは、オリジナルのアナログマスターテープではなく(劣化が進んで、もはや使い物にならないのだそうです)、1997年にそのマスターテープから「CDよりは広いダイナミック・レンジ」でトランスファーされたデジタルテープなのだそうです。ですから、具体的に数値が示されていない限り、サンプリング周波数についてはCDと同じ44.1kHzだった可能性もありますね(DECCA24bit/96kHzでリマスタリングを始めたのは1999年?)。これなら、楽々1枚のBDに収まります。
そんな、数字上のことは何も考えずにこのBDを聴いてみると、まるでLPを聴いているようなアナログ的な生々しさがたっぷり味わえることに驚きます。「ワルキューレ」の前奏曲などは、最初にLPを聴いたときの感動がまざまざと甦ってきましたよ。これは、SACDでも体験できなかったことです。
実は、このボックスからは、そのESOTERICSACDのソースについても知ることが出来ます。DECCAでは2009年に「日本の会社」のためにデジタル・マスターを作った時も、やはりこの1997年のマスターを用いたそうなのです。いま改めてこのBDと比較してみると、確かにより繊細なところはありますが、アナログ録音が持っている「中身の詰まった」感じがあまりしないのは、CDより少しはマシ程度のスペックのものをSACDにアップコンバートしたせいなのかな、などと漠然と思ってしまうのですが、どうでしょうか。

Box Artwork © Decca Music Group Limited

10月24日

BACH
Brandenburg Concertos
Jeanne Lamon/
Tafelmusik Baroque Orchestra
TAFELMUSIK/TMK1004CD2


カナダのトロントを本拠地に活躍しているピリオド楽器のオーケストラ、ターフェルムジーク・バロック・オーケストラが設立されたのは、1979年の事でした。その後、1981年に音楽監督兼コンサートマスターとしてジーン・ラモンが招かれて以来、さらなる飛躍を遂げ、カナダ国内だけではなく世界中で活躍するようになります。今はどうしているのでしょう(それは「レイザーラモン」)。
録音も積極的に行い、これまでに多くのレーベルから100枚近くのCDをリリースしてきました。その中でメインとなっているのは、SONYのサブレーベルであるVIVARTEからのものでしょう。ラモンの指揮による演奏のほかに、ブルーノ・ヴァイルが指揮をしたものは、「バロック」にとどまらずベートーヴェンあたりまでのレパートリーをカバーしていました。
しかし、そのようなメジャー・レーベルは、もはやクラシックの録音に対しては全く消極的な態度を取り始めています。いや、彼らはすでに、クラシックの新しい録音からはほとんど撤退を完了した、と言っても構わないような状況に陥っているのが、現在の音楽業界なのですよ。
そんな状況を見据えて、いち早くメジャー・レーベルを見限ったのが、シンフォニー・オーケストラでした。先日取り上げたサンフランシスコ交響楽団を皮切りに、今では世界中のオーケストラが、メジャーをあてにしないで独自のレーベルを持つようになり、多くの録音を行うようになっています。その波が、ターフェルムジークのような室内オーケストラにも及んだのでしょう、2011年、ラモンの音楽監督就任30周年を機に、独自のレーベル「Tafelmusik Media」を世に送り出すことを決意、2012年の3月からは、実際にこのレーベルから新譜がリリースされるようになりました。
その新譜のラインナップは、大半は新録音ではなく、VIVARTEからリリースされていたものの、すでに廃盤となっていて入手できない状態になっているアイテムの移行品でした。そうなんですよね。これがまさに自主レーベルを立ち上げるもう一つの理由、旧譜がSONYの手元にあるうちは、アーティストがいくらリリースしたいと思っても自由にはならないのですが、このように自分たちのレーベルに移行すれば、いつでも入手できる状態にしておけるようになるのですからね。そのうち、自主レーベルではオリジナルアルバム、メジャーではコンピレーションみたいな棲み分けになってくるのかもしれませんね。
今回のアイテムも、そんな旧譜、1993年に録音されて、1994年にVIVARTEからリリースされたものです。ジャケットがすっかりリニューアルされて、このレーベルのカラーでしょうか、ちょっとどぎついものに変わっていますから、まさに「新生ターフェルムジーク」といった感じですね。
VIVARTEのものは聴いたことが無くて、今回が初めての体験ですが、これはラモンのもと、とても伸び伸びと演奏された「ブランデン」でした。
編成は、別に「1パート1人」にはこだわらず、適宜リピエーノの弦楽器は複数重ねて演奏しています。ただ、「6番」は指定されたように各パート1人ずつ、さらに「5番」ではリピエーノもひとりずつになっています。この曲は中間楽章が完全なトリオソナタですので、ほかの楽章もバランス上そのようにしたのでしょう。フルートを吹いているのはマルテン・ロート、フィンガー・ビブラートを多用してちょっと変わった味を出しています。チェンバロのシャルロット・ニーディガーのソロは、流麗そのもの、気品すらたたえた素晴らしいものです。
録音もとても素晴らしかったので、クレジットを見たら、エンジニアはトリトヌスのノイブロンナーでした。それぞれの楽器の質感がとても立体的にしっかり伝わってくるものですから、全く古さを感じさせません。もう少しすると、このレーベルの新録音が手元に届きます。そこでもおそらく同じチームが録音を担当しているのでしょうから、期待してもいいのでは。

CD Artwork © Tafelmusik Media

10月22日

MOZART
Symphonies Vol.3
Adam Fischer/
The Danish National Chamber Orchestra
DACAPO/6.220538(hybrid SACD)


2007年に「第5巻」からスタートしたアダム・フィッシャーとデンマーク国立室内管弦楽団とによるモーツァルトの交響曲の年代順全集は、今までに全部で11巻のうちの7巻までがリリースされています。最新の「第9巻」はあいにく国内では来月にならないと入手できませんから、今の時点では「最新」となる「第3巻」で我慢してください。
現時点では、最も初期の作品が集められているこのアルバムには、1769年から1770年、つまりモーツァルトが13歳から14歳の時に作られた交響曲が収められています。収録されているのは「9番」、「10番」、「11番」、そして番号が付いていない3曲の計6曲です。しかし、それらにも実は「44番」、「45番」、「47番」という番号が付いていた時代があったことを知る人は、今となっては少なくなってしまいました。
以前こちらでも書いたことですが、モーツァルトの交響曲やさらにはソナタや協奏曲の番号は、全くモーツァルト本人のあずかり知らないところでつけられたものでした。そもそも、作品番号にしても、モーツァルトの死後70年以上も経った1862年にやっとルートヴィッヒ・ケッヘルによって付けられたものなのですからね。そのケッヘルは、単に作品の目録をつくるだけではなく、モーツァルトのすべての作品をきちんとオリジナルの形で出版したいと考えていました。結局、ケッヘルは志半ばで1877年に亡くなりますが、まさにその年からブライトコプフ・ウント・ヘルテルからブラームスやライネッケなどという大作曲家なども協力してモーツァルトの作品全集の刊行が始まっています。それは、「補遺」も含めると1910年まで続き、全部で24の「編」、およそ65巻から成る全集が完成します。これが、今では「旧モーツァルト全集Alte Mozart-Ausgabe」と呼ばれているものです。その時に交響曲などにはしっかり番号が付けられました。交響曲は「第8編」として、3つの「巻」に収められています。ここで付けられたのが、41番までの番号です。最後のハ長調の交響曲は、この時以来「交響曲第41番」と呼ばれるようになったのですね。
しかし、交響曲の出版が終わった後も、新たに「交響曲」と認められるものが現れます。それらが第24編の「補遺」の中に集められ、42番以降の番号を付けられることになりました。それらは、作曲年代などはあまり考慮されず、いともホイホイと付けられてしまったのでしょうね。
その後、研究が進んで作品の正確な作曲年代が分かるようになってくると、最初に付けた交響曲の順番もいい加減だったことも分かってきますし、偽作であることが判明して欠番になるものも出てきます。ですから、1955年から刊行が始まった「新モーツァルト全集」(ベーレンライター)では交響曲の番号はなくなり、付くのはケッヘルの番号だけになっています。まあ、それでは不便だというので、普通は便宜的に旧全集の番号を併記していますから、このアルバムのように「番号なし」という不公平な目に遭う交響曲も出てくることになるのですね。
このあたりの交響曲はまともに聴くのはおそらく初めての事ではないでしょうか。なかなか新鮮な気持ちで味わうことが出来ました。しっかり、それぞれの曲のキャラクターが際立っているのもさすがです。「45番(K6=73n)」では、ニ長調アレグロの第1楽章がD7という属7の和音で終わっているのですね。もちろん、それは全然終止感がありませんから、そのまますんなりト長調の第2楽章に続いていくのです。モーツァルトが、こんなラジオドラマみたいな終わり方をやっていたなんて。第3楽章も、メヌエットはニ長調ですが、トリオではなんとニ短調になってますよ。
「9番」などは、こんな若いころの作品にもかかわらず堂々たる風格を与えてくれるのは、フィッシャーの颯爽たる指揮のおかげでしょう。なにしろSACDですから、弦楽器の生々しさまではっきり味わえるとびきりの録音、存分に楽しめます。

SACD Artwork © DRS 11

10月20日

オーケストラは未来をつくる
マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦
潮博恵著
アルテスパブリッシング刊
ISBN978-4-903951-59-1

最近、マイケル・ティルソン・トーマス(MTT)とサンフランシスコ交響楽団が録音したマーラー全集が注目を集めています。そんな時に見つけたのが、この本です。これを読んで、この指揮者とオーケストラが今まで思っていたのよりはるかに先を行った高みに達していることを知りました。
著者は、音大は出ていますが、現在は音楽の演奏やビジネスとは全く関係のない仕事に就いている一介の愛好家なのだそうです。6年ほど前にたまたまCDで聴いた彼らの演奏に感銘を受け、その足でサンフランシスコに渡り、実際の演奏を体験してその感銘を確固たるものにし、彼らを応援するウェブサイトを立ち上げました。それが人の目に触れ、この出版が実現したということなのですね。
そのような、愛情あふれる筆致からは、このオーケストラの現在の多方面での活躍がつぶさに語られます。このあたりの、アメリカのオーケストラ特有の組織の話などは、日本のオーケストラにとっても大いに参考になることでしょう。それは、現在の音楽監督のMTTの代になって大きく花開くわけですが、実はその2代前の音楽監督、エド・デ・ワールトの時代からの息の長い積み重ねの賜物だということも語られます。ずいぶん昔からなんですね(それは「エド時代」)。
まあ、そのあたり、オーケストラの経営や、教育プログラムなどに関しては、しかるべき人に読んでいただいてそれぞれの分野で役に立てていただければよいことなので、ここでは、あくまで彼らの音楽、そして彼らが自ら立ち上げたレーベルについての言及にとどめたいと思います。
いかに組織や活動内容が素晴らしくても、演奏される音楽のクオリティが高くないことには、オーケストラとしての意味はありません。その意味で、巻末に収録されている、コンサートマスターのアレクサンダー・バランチックへのインタビューは興味深いものがあります。彼はロンドン交響楽団時代からのMTTとの「相棒」ですが、彼が語るには、MTTは同じ曲を演奏すると、常に前とは全く別の演奏になっているのだそうです。これこそが、クラシック音楽がいつも「同じ」ものなのに、演奏ごとに感動を与えられる原点なのではないでしょうか。伝え聞いた日本の某中堅指揮者O氏の話(客演したすべてのオケで、全く同じ個所で同じ注意をするというリハーサルを行っている)とは全く反対の地点に、MTTはあるということなのでしょう。そんな人に率いられているオーケストラに、活気がないはずがありません。
マーラーですっかり有名になったレーベル「SFS Media」ですが、実はこれがオーケストラの自主レーベルとしては世界初のものであることも、本書で知ることが出来ました。さらに、2001年に立ち上げられたレーベルは、最初からDSD録音によるSACDというフォーマットで出発したというのも、注目すべきことです。この時期は、まだDSD自体が開発されたばかりのものですから、その開発者であるSONYとの協力のもとに始められていたのですね。そもそも、このレーベルを立ち上げることになったのは、それまでのパートナーであったRCAがマーラーのリリースをためらったためでした。もはやそのようなメジャー・レーベルは自分たちの望むものをリリースできる状態ではなくなっていることを察して、早々に見限ったのも、先見の明があったということでしょう。その後、世界中のオーケストラが追従して自主レーベルを立ち上げることになりますし、メジャー・レーベルの淘汰はさらに進んで、RCASONYに買収されてしまうのですからね。
このマーラー・ツィクルスの23枚組「ヴァイナル・エディション」に関して、「LPレコード、45回転」(187ページ)とあるのは、誤解を招く記述です。実際に45回転なのはボーナス盤1枚だけ、残りの22枚は通常の33回転盤なのですから。

Book Artwork © Artes Publishing Inc.

10月18日

MAHLER
Totenfeier, Lieder eines fahrenden Gesellen
Sarah Connolly(MS)
Vladimir Jurowski/
Orchestra of the Age of Enlightenment
SIGNUM/SIGCD 259


マーラーが1888年に作った交響詩「葬礼」のCDです。もちろんこの作品は1894年に完成する「交響曲第2番」の第1楽章として、今では多くの人に知られています。1990年に若杉弘と東京都響が録音したものを始め、現在では多くのCDが出回っていますから、マーラー好きの人なら一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。そして、その最終の形である交響曲での第1楽章との細かな違いについても、ご存知の方は多いことでしょう。
もしご存じない方のために、その「違い」について一言。まず、「尺」そのものが変わっているところが2か所あります。最初は、練習番号13番(208小節目)から始まるフルートの大ソロが終わる少し前の222小節目(14番の4小節前)から16番の前の253小節目までの32小節が、26小節増えて58小節になっています。もう1か所は19番の先の「Nicht eilen」の前が2小節増えています。ただし、この2小節には「vi - de」(この間はカットしても構わない)という表記があります。いや、正確には、それらの逆の作業をマーラーは行って、「葬礼」から「交響曲第2番」へと改訂したことになるのですが。
そのほかにも、細かい音型が異なっていたり、オーケストレーションが違うところはたくさんあります。打楽器などは、かなり違っています。特にシンバルは目立つので、違いがよくわかります。
今回、ユロフスキが指揮をしているのは、1986年に設立されたピリオド楽器のオーケストラ「エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団」。つまり、これはピリオド楽器によって最初に録音された「葬礼」ということになります。いや、実際は、ほかの交響曲でもモダン・オーケストラによる「ピリオド・アプローチ」という「まがい物」(その最たるものが、ノリントンとシュトゥットガルト放送交響楽団のツィクルスでしょう)はあっても、ちゃんとした「ピリオド」はヘレヴェッヘの「4番」ぐらいしかないのですから、これは貴重なものです。
実際、およそ120年も前に作られた曲なのですから、使われている楽器は今とは微妙に異なっています。フルートあたりは、この時期のマーラーの指揮のもとではまだベーム管ではなく円錐管が使われていたはずです。確かに、先ほどの208小節から始まる大ソロなどは、ここではいかにもバランスが悪く聴こえてしまいます。それと、特徴的なのがハープの音色です。モダン・オケの中でのハープの音には、なにか無理をして強い音を出している、という印象があったものですが、ここではそんなことはなく、ハープ本来のサロン風の優美さが見事に聴こえてくるものでした。おそらく、弦の材質が違っているのでしょう。弦楽器も、やはりガット弦なのでしょう、どんなに強い音でも決して暴力的にならない、柔らかい響きがとても魅力的です。
実は、ユロフスキが演奏している「交響曲」は、以前聴いたことがありました。今回は、それに比べると全く異なる印象が与えられたのには、ちょっと驚いてしまいました。ロンドン・フィルとの時にはかなり攻撃的でついていけなかった部分が、このOAEではすっかりなくなっているのですね。逆に、こちらではあまりの軽さに、マーラーらしさが感じられないほどでした。でも、マーラーの時代には、このぐらいで十分にインパクトがあったのかもしれないのかも、などと思ったりもします。
カップリングの「さすらう若人の歌」(これは、コノリーが張り切り過ぎで、ちょっと引いてしまいます)と合わせても、38分しか入っていないので、価格も通常版の半分というのは、ありがたい配慮です。シグナム(シングル)CDですね。

CD Artwork © Signum Records

10月16日

Schubert and the Flute
Marieke Schneemann(Fl)
Francine van der Heijden(Sop)
Bart van Oort(Fp)
QUINTONE/Q10003


2006年頃からリリースを始めたオランダのレーベル「QUINTONE」は、一時日本のディストリビューターの都合でしょうか、国内では見かけないようになっていましたが、最近になってまた流通しているようですね。このレーベルは、品番が非常にわかりやすく、最初の2桁が年号の末尾、そのあとがタイトル番号となっています(頻繁に眺めているうちに発見しました)。それによると、2006年には1タイトル、2007年には2タイトル、その後は年間5〜7タイトルがリリースされていたことが分かります。ですから、今回のシューベルトは、2010年にリリースされていたことになります。
ただ、以前こちらで発覚したように、SACDハイブリッドという情報を信じて購入したらノーマルCDだったというようなことがありますから、なんだか胡散臭いところがあります。今回一緒に入手したものの中には、ウェーバーのアルバムのように実際にSACDもあったのですが、それは公式サイトではCDとなっているんですよね。そのSACDにしても、確かにいい音なのですが、CDレイヤーとの音の違いがあまりにはっきりしすぎていて、これもちょっと信用できません。ジャケットのセンスなどは抜群なのですがね(Q09001)。

このシューベルトは、企画のおもしろさが光ります。ここでは、シューベルト自身の作品は、彼が想定した楽器に近いもの、そして、テオバルト・ベームによるシューベルトの歌曲の編曲は、そのベームが発明したシステムによる楽器という、2種類の楽器によって演奏されているのです。厳密には、1824年に作られた「しぼめる花変奏曲」で使われているのは、1825年に製作されたウィルヘルム・リーベルの11キーの楽器のコピーなのですが、実際に友人のフルーティスト、フェルディナンド・ボーグナーが使っていたのはシュテファン・コッホの9キーだと言われています。もっと若いころのヴァイオリンソナタ第1番のフルート版でも、同じ楽器が使われています。

↑9キー

11キー
一方の1870年に作られたベームの作品では、しっかり同じ頃に作られたルイ・ロットの木管のベーム管が使われています。
この2種類の楽器は、音色にはそれほど違いがあるようには感じられません。どちらも低音から高音まで、とてもやわらかい響きを聴くことが出来ます。しかし、音程とか音の滑らかさでは、明らかにベーム管の方が勝っています。特に3オクターブ目の高音域では、リーベルの11キーはかなり悲惨、高音のG♯などは音になっていません。
そのせいかどうか、シューベルトの作品でも、最後に入っている「岩の上の羊飼い」では、ベーム管が使われています。この曲は本来はピアノ伴奏によるソプラノの歌曲に、クラリネットのオブリガートが加わるものですが、それをフルートで吹いているのですね。やはり、クラリネットと同じ滑らかさと音量を得るには、ベーム管の方がいいのでは、という演奏家の判断だったのでしょうか。
その演奏家は、マリーケ・シュネーマンというオランダのフルーティストです。ピリオド楽器でもモダン楽器でもきちんとした教育を受けた人のようですね。ゲルギエフが指揮者を務めていた時代のロッテルダム・フィル(現在の指揮者はネゼ=セガン)で、首席フルート奏者だったこともあるそうです。彼女の演奏は、とてもユニークなもの、息に思い切り感情を込めて、とても多彩な表現を繰り広げています。時には語るように、そして時には歌うように、ちょっと過激ですが確実に心に届く演奏が、そこからは聴こえてきます。それは、モダン楽器に比べて「ムラ」のあるピリオド楽器の特性を逆手に取った、最大限に変化にとんだ演奏です。
「岩の上の羊飼い」でのソプラノ、ファン・デア・ヘイデンも、きっちりとピリオドのツボを押さえたとても素晴らしい歌です。フォルテピアノのファン・オールトも、しっかりとしたサポートです。

CD Artwork © Quintone Records
Flute Images © Rick Wilson's Historical Flute Page

10月14日

LIGETI
Le Grand Macabre
Chris Merritt(Piet the Pot), Inés Moraleda(Amando)
Ana Puche(Amanda), Werner van Mechelen(Nekrotzar)
Frode Olsen(Astradamors), Ning Liang(Mescallina)
Barbara Hannigan(Venus), Brian Asawa(Prince Go-Go)
La Fura dels Baus(Dir)
Michael Boder/
Symphony Orchestra and Chorus of the Gran Teatre del Liceu
ARTHAUS/108 058(BD)


リゲティが1977年に完成させた彼の唯一のオペラ「ル・グラン・マカーブル」は、そもそもはそれまでの伝統的な「オペラ」という概念に対してのアンチテーゼとして作られたものでした。当時の「現代音楽」界では、オペラのような演奏形態はもはや同時代の音楽とは相いれないものとなっており、リゲティは、そのような旧態依然としたものへの揶揄を込めたパロディを作り上げたということなのです。言ってみれば、オペラを実際に上演して、そのばかばかしさをあざ笑うという、極めて屈折した動機に基づく作品だったわけですね。なんといっても、前奏曲が自動車のクラクションだけで演奏されるという、人を食ったものなのですからね。
この作品の録音は、初演の指揮者エルガー・ハワースによる1987年のウィーン上演のライブ(WERGO)と、1998年ザルツブルク音楽祭でのピーター・セラーズの演出、エサ・ペッカ・サロネンの指揮によるライブ(SONY)が知られています。なんでも、2009年には、日本初演も行われているそうですね。
そして、ついに映像ソフトの登場です。2011年にバルセロナのリセウ大劇場で行われた上演が収録されています。パッケージには何の表示がありませんが、しっかり日本語の字幕が入っていますから、何のストレスもなく、この荒唐無稽の「オペラ」を「鑑賞」することが出来ますよ。
まず、映像では一人の巨乳の女性がキッチンでファーストフードをがつがつ食べているシーンが出てきます。会場では、紗幕に投影したのでしょうか。幕が開くと、その女性そっくりの巨大な張りぼてが全裸で横たわっています。それは、例えば目とか口、さらには乳輪のあたりが穴になっていて、そこからキャストが出入りできるようになっています。まるで、ヒエロニムス・ボスの絵画に出てくるような不気味なセットです。それだけではなく、その張りぼてにはいろいろな仕掛けがあって、ある時にはこのジャケットにあるように、中に仕組んである骨格が透けて見えるようにもなります。さらにいやらしいことに、これ全体が回るようになっていて、後ろの「穴」(もしくは「溝」、なんだかわかりますね)からも、堂々とみんなが出入りできるようになっているのですよ。
最初に登場するのは、狂言回しの酔っ払いピート。そのあとに出てくるのが、アマンドとアマンダというカップルです。パパゲーノとパパゲーナみたいなものでしょうか。そして、この二人の衣装が、筋肉の人体模型というのがすごいですね。二人はピートの目の前で「筋」を絡ませながらいちゃいちゃし始めますが、それはもうエロの極致です。そのうち、「行為」に及ぶのですが、アマンドが「突く」のに合わせてアマンダがよがり声をあげるのが、しっかり「歌」になっているのですからたまりません。こんな感じで、決して「お子様には見せられない」シーンが延々と続きます。メスカリーナの衣装もすごいですよ。
これは、世界が終わってしまうという物語のようなのですが、そこで登場するゾンビたちが、「スリラー」を踊ったりという「引用」はあちこちにみられます。いや、実は音楽自体が、リゲティの自作を含めての「引用」の塊なのですが、最後の「パッサカリア」が、ベートーヴェンの交響曲第3番のフィナーレの引用だ、などといわれても戸惑うばかりです。
作曲家の意思とは裏腹に、オペラは今でも上演され続けていますし、あろうことか「アンチ・オペラ」であったはずのこの作品までもが、しっかりと世界中のオペラハウスのレパートリーに入ってしまっているのですから、なんとも皮肉なものです。「オペラ」を壊そうとした企ては、その「手段」だけが肥大された形で、まんまと「オペラ」に取り込まれてしまいました。「オペラ」とは、それほどにしたたかなものだったのです。したたか(しかたが)ありません。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH

10月12日

WINGS
Harmonia Ensemble
BRAIN/OSBR 29010


日本のアマチュア合唱界の雄、ハルモニア・アンサンブルが、昨年リリースしたCDに続いて、またもやニュー・アルバムを出してくれました。なんでも、前のCDは合唱ものとしては異例のセールスを記録したそうですね。確かに、これは最近にない満足のいく音楽を届けてくれた素晴らしいものでした。それから丸1年たってのこのCDは、前作以降のコンサートでのライブ・レコーディングを集めたものです。
この中には、なんと、昨年の11月に青森市で行われた全日本合唱コンクール全国大会で演奏されたものまで入っています。なんか、とても身近なところでの音源がこんな形で発表されるなんて、ちょっと変な気がしてしまいます。
そのほかは、自前のコンサートでの録音です。まずは、相澤直人という、以前のアルバムにも登場した若い作曲家の新作「宿題」では、まさに今の合唱界の潮流そのもののような「聴きやすい」音楽が、完璧なディクションとハーモニーで演奏されています。その中に、ちょっとこの合唱団には似合わないポルタメントが出てきますが、おそらくこれはきちんと指定されたものなのでしょう。
それに続いて、今度は1970年代の作品、柴田南雄の「追分節考」という懐かしい「シアターピース」が聴かれます。作品自体は、当時の「前衛」であったものが、時を経て新たな魅力を加えられた、という素晴らしい演奏です。ほんと、これは初演を行った田中/東混の、ある意味「権威的」な演奏からの呪縛を、気持ちがいいほど解き放っています。こうして、この作品はまた別のファンを生むことになるのでしょう。
そして、アルバムタイトルの「翼」を含む、武満徹の「うた」からの数曲です。ほとんど「鼻歌」に近いほどシンプル(言い換えれば「稚拙」)なメロディをまるで作曲者自身が恥じているかのように、大仰な編曲で覆い隠すという屈折したこの作品を歌う時には、多くの合唱団はその「隠れ蓑」に惑わされてしまいがちです。複雑に入り組んだ和声にばかり目が行ってしまって、結局「現代音楽」みたいな仕上がりになってしまうと。しかし、この合唱団はそんな武満の企みなどお構いなしに、あくまでそのメロディを、あるがままに聴かせようとしています。これは、かなりすごいこと、そこからは、「鼻歌」がまさに「鼻歌」として聴こえてくると同時に、武満が施した姑息な手段までもが透けて見えてくるというとてつもない仕上がりが達成されてしまっています。
そんな「最近」の作品ばかりが集められた日本人作曲家のパートを経て、ヨーロッパの古典を取り上げた後半に入ったとたん、それまであふれるほどに感じられたエネルギーがスッパリとなくなってしまったのはなぜでしょう。まず、少人数の編成でのモンテヴェルディが、ひたすら中に向いた表現に終始しているのに、戸惑わされます。そして、コンクールの自由曲として演奏されたバッハのモテット(オルガンの伴奏が入っていますが、サンプリング・キーボードを持ってったのでしょうか)も、真っ向からバッハに挑もうとしている気持ちは痛いほど伝わってくるのに、演奏が全然面白くないのですね。聴衆に向けてではなく、あくまで審査員に向けての演奏だったことも、そのつまらなさに拍車をかけていたのでしょうか。
ただ、定期演奏会で演奏されていたブルックナーでも、そんなつまらなさしか味わえないとなると、事態は深刻です。彼のモテットの中には、あの巨大なシンフォニーのエキスが詰まっています。この曲から「ブルックナーらしさ」を引き出すことが出来るようになりさえすれば、おのずと「バッハらしさ」や「プーランクらしさ」も備わった演奏ができるようになるのではないでしょうか。いや、そんなことになってしまったら、もうこの合唱団にはだれも「勝てなく」なってしまいます。

CD Artwork © Brain Company, Limited

おとといのおやぢに会える、か。


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