聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

1999.11.16-30

>12.01-15
<11.01-15
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★は借りた新着、☆は新規購入。


11/16 矢野顕子『LOVE LIFE』『ゴー・ガール』
ジョニ・ミッチェル『逃避行』
美容室のヒップホップなスタイリストのおにいさんと話したら、以前バンドでベース弾いてたそうな。彼がやっていたのは、かつてのBOOWYみたいな、ピックでガンガン叩くスタイルだったのだけれど、それでも「ジャコ・パス(トリアス)なんか」も常識として聴いていた、なんて話が出たので、家に帰ってから聴いてみる。
これのタイトル曲でのジャコのベースは、何とも譬えようがない。うねるようで、しなやかでリリカルな彼のメロディ弾きは沢山のフォロワーを生み出し、中には結構凄い人もいるけれど、この曲のジャコには匹敵するまい、と思ってしまう。序列づけなんてしても意味ないとは思うけど、ついしたくなるほどに。

11/17 東京ディズニーランド(TDLっつう業界っぽい略語が一般化したのはいつ頃からだったか)へ、両親および姪っ子と連れ立って。じつは初めて。予想していたとおりのところ(基本的にはなじめない)だったが、一方でミュージカルの国で築き上げられた精緻な演出システムとショーの定石とテクノロジーとの融合を見せつけられ、それにはさすがに圧倒される。というわけで、「埒外な遠足」久々の更新はTDL編。でもわりと既に言われてることのおさらいに落ち着いてしまったな。つまらなかったらすみません。

11/18 エグベルト・ジスモンチ『インファンシア』
肌に合わないような気がするけど、それが上手く言い表せないと何度でも聴き直さずにはいられない。でもやっぱり肌に合わない(笑)。ニューエイジのある一群について持つ感触とも似ている。それも「ヤマハ的音楽」といった括り方で語れるのだろうか。これは宿題。

イヴァン・リンス "20 Anos"
ジョニ・ミッチェル『逃避行』

11/19 東儀秀樹(1996)
今や人気沸騰の、ニューエイジ雅楽のスターのソロデビュー作。受けている一因には端正な顔立ちなんかもあるらしいが、ライナーのインタビュー読んでると、ニューエイジな発想のコメントに差し挟まれた、雅楽の伝統についての理解なんかも相当なものがありそうで、その辺が一過性でない根強い人気の一因かも。
この録音は、"Togism"以前だから、ってこともあるのだろうか、実は1、2曲目と、新作雅楽風の曲は結構いけた。もっともそれ以外は、おざなり打ち込み系ニューエイジと化してしまっているのだけれど。

ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"

11/21 ジョニ・ミッチェル『風のインディゴ』(1994)☆
やめなさいってば>邦題
だって、原題は"Turbulent Indigo"ですぜ。「荒れ狂う藍色」とかって意味でしょ。意訳を通り越して誤訳だよこれは(笑)。それはともかく。1つ前の『ナイト・ライド・ホーム』の奥行き間、広がりに比べると、もっと個人的な親密な感じ。ちょっと枯れたかな、とも思うが何度か聴くと染みてくるスルメ型。まあ、この人にしてみればごくごく当然のレベルであって、聴く側にしてみればもっと求めたい気もするが...。

パット・メセニー・グループ『スティル・ライフ』
ディック・リー『シークレット・アイランド』

11/22 東儀秀樹(1996)
ニューエイジだから駄目、という考え方について。または、BGM化されたドラムンベースとの相称性についてを別立てでコラムにまとめてみました。が、どうにもまとまらない。漫談だと思ってお読み頂きたい。いやほんとに。

イヴァン・リンス "20 Anos"
ディック・リー『シークレット・アイランド』

11/23 パット・メセニー・グループ『カルテット』
深夜に。

11/24 イヴァン・リンス "20 Anos"
北川純子編『鳴り響く性』(勁草書房)で指摘されている「集団唱の男性性」(5章、細川・8章、北川)を考えると、ブラジルの聴衆が一斉に歌うのをスゴイとばかりも言ってられないか。考えてみるとあれが一番顕著に出るのは、ご存知サッカーの応援。言うなれば極めて男性性のしばりが強い状況だ。ジョイスが自身のキャリアを振り返って、かつては自作曲を歌う女性シンガーというものが考えられないほどに、ブラジルの音楽界は男性的だったと記していた(Liner Note for "Music Inside")のを思い出す。

ジョニ・ミッチェル『風のインディゴ』
ミルトン・ナシメント『出会いと別れ』

11/25 ハイポジ『かなしいことなんかじゃない』
いや久々に聴くといいもんだいいもんだ。仕事の行き帰りとも聴いてしまった隅々まで。

11/26 マリーザ・モンチ『ローズ・アンド・チャコール』
矢野顕子『ゴー・ガール』
以上が今年中盤〜終盤にかけての元気の素であった。深謝。

エヴリシング・バット・ザ・ガール『アンプリファイド・ハート』(1994)
唐突に聴く気になったのは、TFJさんが彼らのこの辺の時代は今一つと書いていたからだろうか。確かに今一つ、なのだろうが、このアコースティックセットを奇妙にテクノ的、あるいはロック的に使うやり方はまるでロカビリーをサンプリング&打ち込みにしたかのような摩訶不思議な感触を実現していて、それは面白いし貴重だと思う。

11/27 佐藤竹善『コーナーストーン』(1995)
さあ土曜だ家事だ元気出そう、とか思って掛けてみたのだが勘違いだったようだ。確かにこれは1980年前後のAOR〜ブラック・コンテンポラリーのカバー集であり、それらしい軽快なノリはあって然るべきなのだが、しかし竹善が事後的に彼の考えるAORを再構築する際に入り込んでくる、痛々しさというか深刻さ(それは彼が普段シング・ライク・トーキングでやっていることについても言えることだが)がここでも横糸となっていて、聴く側を内向的な沈思黙考へと促してしまう。とはいえそれは一方では、SLTを単なるAOR真似ごとお坊ちゃんバンドだみたいな言い方をする一部の評論筋に対して、自分が反発する根拠でもあるのだ。

11/28 ドニー・ハサウェイ『エクステンション・オヴ・ア・マン』(1973)
これも、気合い入れにと半分くらいは思って掛けた。航空会社のCFコンペに落ちた曲とかもあるし(ちなみに通ったのはジム・ウェッブの「アップ・アップ・アンド・アウェイ」だったとか)。だが、言わずもがなのシリアスな内容なのでこれまた凹んでしまった休日の私である。ドニーごめん。

11/29 マリーザ・モンチ『ローズ・アンド・チャコール』
ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"

11/30 イヴァン・リンス "20 Anos"

 



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