聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

1999.10.16-31

>11.01-15
<10.01-15
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★は借りた新着、☆は新規購入。


10/16 ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"
MPBの最良の部分を集めたような...というのは興奮してたがゆえの説明不足であって、この中にボサノヴァの洒脱やバイーアの鮮烈を求めても、実はあまりない。選曲を見ればわかるのだが、これは実はいわゆるミナス派の洗練の一つの極なのだ。(ミナス= ミナス・ジェライス州。バイーアとリオの間の内陸部の高原地帯。ミナス派の中心人物ミルトン・ナシメントらはここの出身。)

彼ら自身、ミルトンを中心としたミナス派の大同団結(?)作『クルビ・ダ・エスキーナ(街角クラブ)』から出たグループらしいし(この盤まだ聴いていない、買わねば買わねば)、その複雑で繊細ながら、ジャズ和声とは違った融通無碍さを持ち合わせるコード進行やメロディライン、決して叫び切らない抑制された唄いっぷりなどは、ミナス派の最大公約数的な指向性と言える。各トラックの作者を見ても、ミルトンや両ボルジスはもちろん、かつてトニーニョ・オルタらとグループを組んでいたジョイスや、明らかにミルトンの影響を受けているメセニー=メイズなど、広義でのミナス派と言っていい面々でほぼ埋まっている。ミナス、どんな土地だ。ビデオでいいから見てみたいぞ。

レニーニ&スザーノ『魚眼』
ジェームズ・イングラム『グレイテスト・ヒッツ パワー・オブ・グレイト・ミュージック』
(1991)☆
わざわざCD NOWで買うかー? と言われそうだけど、だって安いんだもん。というわけでブラック・コンテンポラリー(という言い方も既に死語だが)界の大御所ボーカリストのベスト盤。「ベイビー・カム・トゥ・ミー」のようなベタベタのバラードなんかもあるけど、その他のミディアム・テンポものなんかが良好。一方でミッシェル・ルグランの筆による"How Do You Keep The Music Playing?"(邦題失念)は、ベタベタなんだけどそれだけじゃ終わらないっつうルグラン節を堪能できる佳品。

コクトー・ツインズ『トレジャー』(1984)☆
コクトー・ツインズと言えば私にはこれなのだが(で、それっきりほとんど投げ出していたので今回購入)、TFJさんによるとこの直前まで、リズ・フレイザーが喉を痛める前がお薦めのようだ。そうなのかー、この囁き浮遊感オカルト・サイケ・ボーカルはそういう成り行きから生まれたものなのか。彼らのトレードマークのように思っていたが、違うみたい。しかし今聴くと、無理にコンプレッサーか何かかけて潰したドラムマシンにガンガンのエコー、てのは安手だし耳障りだなあ。「ローレライ」、こんなにうるさかったっけ? まあそれでも「パンドラ」なんかは、聴けるし、やっぱり好きだな。
しかし思う、この歌詞本当に英語? この音声の連なりはどこの土地のものともつかないヘンな感じだ。

パット・メセニー・グループ『ファースト・サークル』(1984)
タイトル曲をボカ・リヴリ版と比較。うーん、あっちは構成を縮めてるからフェアな比較ではないけど、原曲の勝ち。ギターの巧さとかピアノのあるなしじゃなくて、流れとかが。

深夜、外付けHDD、名づけて「頑強2号」と格闘する。既に稼働中の内蔵HD「頑強1号」をどうやって新しいパーティションに丸コピーするかで悩む。「起動ディスクなので」とメッセージが出れば起動ディスクを変更し、「仮想メモリが設定されています」と言われれば解除し、しまいには「使用中なので変更できません」て...あーた、立ち上がっているパソコンのディスクが使用中なのは当たり前でしょーが、と途方に暮れる。これは「頑固1号」に改名か。とほ。

10/17 ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"

本をたくさん買ってくる。といっても、読むのが遅い私の「たくさん」は4冊だったりする。1、2、3、たくさん。あらら。とにかく議論するアタマがついて行かないのは、半年も読書を怠けているせいだ、ということで、北川純子編『鳴り響く性』など音楽書3点プラス別冊宝島の『Jポップ』3を購入。言うなれば「積ん読作戦」。これで読まなかったらどんどん家が狭くなる...じゃなくて、目につくところに置いておけばプレッシャーがかかるだろう路線。なおかつ、ここに記しておけば他人の目も気になって読まざるを得ないかも知れない計画。上手くいくんか?

10/18 エグベルト・ジスモンチ・グループ『インファンシア』(1991)☆
今やカエターノ・ヴェローゾのブレインの一人であるチェロのジャキス・モレレンバウンらが参加したグループの作品。ソロ作『輝く水』(パーカッションでナナ・ヴァスコンセロスが参加)と同様、共演者に惹かれて選んだのだけれど、どちらの盤も正直言ってあまり自分の趣味ではないかも。『インファンシア』のうち数曲は、乱暴に言えば「ヤマハ・ジュニアコンサート」的な、器用な調性音楽に過ぎない感じで、興をそがれる。「ヤマハ的音楽」というのはそれだけで語り甲斐のあるトピックなのでここでは深入りしないが、ああいうものがポジティブな意味でのinfancyに聞こえず、ただのimmaturityとして響いてくるのはどうしてなんだろう。

エグベルト・ジスモンチ『輝く水』
『インファンシア』ほど割り切れていない分だけいいかも。ジスモンチを評価するコメントをネット上でもいくつか探してみたけれど、典型的だったのは、技術志向的なフュージョンの聴き方の上に、超絶ギタリストとしての彼を位置づけているもの。ジョン・マクラフリンだったらこっちが上、みたいな。でも自分がフュージョンを遠巻きにしていたのは、まさにそういう聴き方がされていたせいだった、ということを思い出す。

ジョニ・ミッチェル『ミンガス』
ゆったり聴いて、自分自身もほどけてみる。うーん、これは美酒だ。

10/20 『フィアー・オヴ・ポップ ボリューム1』
DJクラッシュ『覚醒』
(1998/9)☆
CD NOWで海外リリース盤を逆輸入。だって安いんだもん、なんつーのはアーチストに失礼なんだろうか。おまけにボーナストラックで「ファイナル・ホーム」のボーカル・バージョンが入っていて、えらいカッコいい。ラッキー。

ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"

10/22 エルメート・パスコアル『神々の祭り』
ミルトン・ナシメント『アンジェルス』
『彩なす島の伝説 沖縄島唄 嘉手苅林昌 Vol.1』
遅ればせながら嘉手苅林昌氏の訃報を、久万田さんのサイトで知ったのはいつだったか。即刻、琉球新報につないで記事を確認したっけ。仕事の関係上、asahi.comの訃報くらいは注意しているが、林昌氏くらいになればそこに載ってもいいのではないか。初代高橋竹山氏みたいに記事にしろとまでは言わないけど。なんて、朝日ごときに言っても仕方ないんだろうが、他紙も同じだろうし、何だかなあ。

10/23 子連れでHMV。息子はヘッドセットをすることそのものが楽しいらしく執着するが、ぞんざいに扱ってコード伸びたりしてたのであたり憚らず叱りまくる。そのうち使い方を覚えておとなしく聴いていたが、何故かデヴィッド・ボウイーの新譜が気に入ったらしい。しかもボリューム自分で最大に回して。やめろっての成長途上の身体のくせに。
それはともかく、この日の収穫から2点。

小松亮太&スーパー・ノネット『来たるべきもの』(1999)☆
NHKのピアソラ・リバイバル特集で一番目を引いていた。バンドネオン奏者だが、彼の演奏のシャープさや強引とも言えるドライブ感に比べると、フアン・ホセ・モサリーニの楽団なんて腑抜けたイージー・リスニングにしか聞こえなかった。
とはいえ暫くはピアソラ熱もおさまっていて自演以外はフォローしていなかったが、これはののさんのお薦があったのと店頭の試聴とで即購入。彼もすごいが、この9重奏団のメンバーにも、こんな腕っこきが集まるとはと驚嘆。

アントニオ・カルロス・ジョビン&エリス・レジーナ『エリス&トム』(1974)☆
ブラジルの異種格闘サミットとでも言うべき歴史的共演。エリスの唄いっぷりはあまりに気っぷよくショーマン然としていて、ボサノヴァに合うんだろうか、しかもジョビンのボソボソ歌唱に...と思うがこれが絶妙な好対照を成す。笑いがはじけるのが目に見えそうなほど奔放に歌うエリスに、これまた穏やかに微笑み返すがごときジョビンのつつましやかな応答。

深夜、「道義リンクス」を開設。思い立ってから1ヶ月以上も掛かってしまった。仕事が期末締め後で忙しかったせいもあるが、家で使える時間の読めないことと言ったら。9月末に風邪ひいたのもこたえた。今年の秋の訪れ方は乱暴で体にわるいことこの上ない。なんつうとホントにおっさんですね。いや、そうですけど。

10/24 『すくすくどうよう 2〜4才児向け』
久々に掛けてみたが、息子の関心はすでに離れているような。でもおまえが聴くって言ったから掛けてんじゃんそっちのけでイタズラしてんじゃないよってば。

パット・メセニー・グループ『ファースト・サークル』

10/25 ディック・リー『シークレット・アイランド』(1995)☆
WEAから何故かフォーライフに移籍しての第1弾のこれは、アジア伝統/民俗/民衆音楽からほとんど取材せず、彼が聴いて育ったと言っている英米ポップスの流儀で、自作中心にまとめた1枚。なので、『マッド・チャイナマン』にノックアウトされた口には物足りないはず。私自身ちょっとはそう思った。だが、『マッド...』以前の作品をまとめたベスト盤『ホエン・アイ・プレイ』のディックが戻ってきたような心地よさもある。

にもかかわらず、ここにいるのは溌剌としたポップシンガーではなくて、何かどうしようもない寂しさにとりつかれた人物なのだ。それは、楽器を替えつつプロローグ、ブリッジ、エピローグに現れるインストのテーマが全体に与えているトーンではあるのだが、各曲の音づくり自身も、音数少なめ、リズムの音色はアタック抑えめに加え、マスタリングレベルも低め設定と、これに歩調を合わせて「内向き・雨の日用」に出来ている。インストのテーマの出だしが、パット・メセニーの『シークレット・ストーリー』のオープニングと同じ音型なのは、そのことへの言及と見てもいいのかも知れない。これは、個人的な内面への旅なのですよ、という。

しかし、そうするとなおさら不思議なのは、フォーライフと契約ってのは日本のマーケットをメインにやって行こうということではないの? その時にこんな個人的な内省とかなしみを反映したものを作る? ディックよ、あなたの音楽を聴く人は一体誰なんだ、もし日本人でもシンガポール人でもないとしたら。それとも、アジア人という大きなフィクションに疲れたとでも? ...ただ、この次の作になる『シンガポップ』と同時期に出た、例のポンキッキーズ挿入歌「シャナナナナナ」の吹っ切れ具合を見れば、多分それは杞憂で済むんだろうけど。

ところで、ポップシンガーとしてのディックの音楽性って、実はシング・ライク・トーキング(SLT)とか、あるいは及川光博(プロモビデオ1-2曲見ただけだけど、結構好きだな)あたりとつながってると思う。だが、こうした音楽は評論業界からは「今ひとつイケてない」ものと見なされがちなのも確かだろう(別冊宝島『Jポップ1』での塚原尚人によるSLT評などその典型だが)。しかしそれに対抗する物言いが現実にファン言説くらいしかない(で、これは結局のところ評論業界的言説のネガ的補完でしかありえない)のは、どうしたことだろう。一握りの音楽評論専業の人たちがイケてるとかイケてないとか裁断するシステムが、まだある程度の影響力を持っているってこと自体、何だかとってもイケてないことのような気がするのだが(笑)。

10/26 ピーター・ガブリエル『US』
一つ、アダムとイヴを持ち出して、男と女が結ばれるのはあらかじめ定められた云々、って歌う曲があって、いつ聴いても引っ掛かってしまう。この人の思考回路って、そうだったっけ? それとも何か留保がついているのかな、この歌(あるいはCD全体)に。

ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"

10/27 奥田民生『股旅』
ディック・リー『シークレット・アイランド』

10/28 ハイポジ『かなしいことなんかじゃない』
最近、家でリクエストがないな...と思って久々に持ち出した。うおおお感動。R指定が何だ。って何でもないけどボク大人だし。

10/29 カルリーニョス・ブラウン『オムレツ・マン』
ボカ・リヴリ "Dancando Pelas Sombras"

10/31 矢野顕子『ゴー・ガール』



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