埒外な遠足

近くても遠足とはこれ如何に。遠くても近々にと答えるが如し。(チャンチャン)


2002.9.29 泰国印象記

タイは長いこと行ってみたかった土地だ。とはいえ馴染みがあったのはタイ料理くらい。旨い物の食える土地に悪いところはなかろうが、どんなところかは紋切り型なイメージしか持っていない。そんな土地の空気や雰囲気を、ただ全身で味わって来たいと思った。

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9月9日、バンコク・ドンムアン国際空港は雨。乗り継いで向かったチェンマイもはっきりしない空模様。いかにも雨期らしい。送迎の車で市街に向かう わずか15分ばかりの行程は、歩道もない2車線の沿道にポツポツと小屋掛けの露店が並びはじめ、ほの暗い白熱球の光が色とりどりの天幕や商品を夕闇の中に 浮かび上がらせていく。アジアに居るな...という少しハイテンションな感覚と、何故か日本の地方の中都市を訪れたかのような安堵感とが一緒に沸いてく る。

ホテルで荷ほどきを終えて既に19時半(日本時間で21時半)、夕食をとりにタクシーで出掛ける。送迎の人に訊いて教わったレストラン「カニータ」 はいきなり日本語の出迎えで一瞬驚いたが、味は上々、トムヤムクンなど複雑に味が絡み合っていながら軽やかで、しかも大人3人が優に2杯ずつ頂けるボ リューム。初めて口にした地元のビール「クロスター」も喉ごし爽やかで美味い。

店を出る頃には大粒の雨が落ち始め、眠り込んだ息子をズッシリと抱きかかえながら、義父たちが停めてくれたトゥクトゥク(幌掛けの3輪タクシー)へ と走る。雨のナイトバザール通りは人もまばらで、屋台の灯りだけが雨に滲んで温かく、加速したトゥクトゥクの横を雨粒と一緒に流れて行く。吹き込む涼しい 風に息子も目を覚まし、少し興奮している。

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雨期だからかも知れないが、朝夕のチェンマイはとても過ごしやすい。空調を止めて眠っても快適で、朝起きて窓を開けると外の風がひんやり心地よい。 標高はたかだか300m程度というから、バンコクの600km北という内陸で、山の麓という地理的条件がそうさせるのだろうか。窓の外、街の向こうに大き な緑の山がどっしりと控えていて、中腹から上には白く雲が垂れ込めている。格式の高い寺院があるというに相応しい眺めだなと、しばし見入る。

2日目は観光タクシーを一日契約し、郊外の山あいにある象の調教センターへ。芸をする象ってかわいいなと思う。中には悪ノリして延々と鼻を振り回す のもいたりして、人間並みに個性があるし、人間並みに遊ぶことの楽しさを知ってそうな気がした。象にも文化があるだろうか、ありうるだろうか。

帰りに寄った蛇使いのショーは、内容にしては値が張ったが、英語でMCをするお兄ちゃんの語り口にやられた。蛇使いが蛇にキスするのに合わせて"(Chu!) Oh, kiss me darling... hmm... (chu!) hold me tight, ma cherie..."などと「甘く囁く」ので抱腹絶倒。

午後は街に戻らず直接郊外のサンカンペーン通りへ向かい、工芸品の直売店をハシゴする。製陶所、シルク織物工場、宝飾品工場、昔ながらの銀細工工房 などが工程を間近で見せてくれるので、さながら社会科見学のよう。息子はろくろ回しと生糸取りに見とれ、義父と私は宝飾品加工をつぶさに見、連れ合いは銀 細工の打ち出しに見入る。

夕食を前に一旦ホテルへ戻る。チェンマイ・プラザは、こんな安いツアーでどうして泊まれたのかと首を傾げるような規模と重厚な内装。広い立派なロビー、いくつものホール。表札(?)に"Chiang Mai Plaza Convention Center and Hotel"とあるのは誇張ではない。だがそれでも萎縮しないで気持ち良く過ごせるのは、ここのサービスが形式ばっていなくてとても暖かいからだ。きびきびしたレスポンス、行き届いた目配り、そして何より笑顔と人懐っこさ。

晩はチェンマイお決まりの「カントーク」というショー付きの食事。あまり美味とは言えない内容だったのは残念だが、長粒種のもち米という北部ならで はの食事は嬉しい。ショーは第1部の古典舞踊もさることながら、第2部で少数民族の踊りを色々観られたのが良かった。祭礼用と思われる舞踊から子供の遊び 歌のようなものまで様々。だが、どうしてもこういうものを見物する居心地の悪さはつきまとう。こうでもしないと保存できないというのもわかっているのだ が。

タクシーで宿に戻る途中、旧市街を囲むお堀沿いの道に並び立つ屋台に寄り、果物を買う。お堀は1.6km四方の正方形をしていて、すぐ内側の城壁と 城門が今も一部残っている。水面は今にも道路に溢れて来そうなくらいすぐそこにあり、昼間は所々で噴水が景観にアクセントを添えて美しい。
その夜マンゴスチンは既に売り切れで、ランブータンとロンコンを買って帰った。ロンコンという、金柑くらいの大きさの白っぽい実は、中も蜜柑のように袋に分かれているが酸味はほとんどなく、ほんのりと甘い。

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翌朝、早めに出てタクシーで山上の寺院「ワット・プラテート・ドイ・ステープ」に向かう。途中の見晴らし台から見下ろすチェンマイの街は朝靄をまと い、内陸の古都らしい風情をたたえていた。門前で車を降り、300段強の階段を登り、「金ピカの寺院だよ」と義父に言われていたのでさぞかしド派手であろ うと想像しながら靴を脱ぎ伽藍に入ると、そこは意外なほど静謐な佇まい。素足で歩く大理石の「地面」はひんやりと気持ち良く、金色の仏塔やガラスモザイク の壁が、澄んだ空気のようにまっすぐ目にしみ入ってくる。祈りの空間、祈りの時間。本堂で老師(?)に祈祷をしてもらい、腕に紐を結んでもらう。3日間つ けておいてから財布に入れるのだ、と後から聞いた。

チェンマイは雑貨だ、とモノの本にはあるが、実際はどんなだろう。モダナイズされたテイストの雑貨の店が点在するという、川向こうのチャルンラート 通りに行ってみる。改装中の店あり、まあ趣味はいいんだろうが価格的にもただ高級なだけという店あり、といった中で、一度出たのに後ろ髪を引かれるように また寄ってしまったのがSop Moei Arts。カレン族の 自助プログラムの一環で、彼らの工芸技術(特に織物)をベースに発展させ、新しいデザインの要素も加えた手工芸品のショップで、基本の織物やラタンの美し さはもちろん、ちょっと北欧っぽいシンプルでシックな色使いの陶器も魅力的。ナイトバザールに並ぶ民芸品に比べると何倍もの値になるが、趣味の良さは代え 難い。さんざん迷った末に織物の壁掛け、ラタンのワインバスケット、ティーカップ等を買い込み大荷物。

街を北から南に貫く赤茶色いピン川の流れは増水して、橋のすぐ下まで水位が上がってきている。上流での雨のせいだろう。と思って道路を見やると、砂 利と赤土がうっすらと溜まっていて、氾濫した水が引いた痕だと運転手君は言う。特に珍しいことでもないような口振り。しかし昨夜あたりは随分と溢れたらし く、道が低くなったところがまだ冠水していて通行止めのままの箇所も見かけた。

昼食に大きな川エビを山と頬張り(息子は水槽から網でエビすくいもさせてもらい)、市内の寺院を回る。雨期というのにカラッと晴れて暑い。巨大な石塔や象の背に乗った仏塔を見やりながら、木陰を伝って歩いてばかりいる。

日が落ちて過ごしやすい夕方、ホテル近くのレストランの気持ちのいい2階テラスで食事をしてから、初めてナイトバザールに足を踏み入れる。足の踏み 場もない歩道。両側から軒を突き合わせる屋台を縫って歩く。どう考えても偽物のナイキのサンダルは値切ると690バーツが300に。しかもサイズを出させ たら同仕様・同デザインなのにナイキのタグはなくなっていた。匍匐前進の動きをする迷彩服のプラスチック人形は、両太股が単3の電池ボックス。使用・贈呈 のあてなく購入は見送り。甘いお菓子がほしかったんだけど、こういう半ば観光客相手の場所にはないのかな。お堀沿いの屋台にもう一度行ってみたかったが、 もう時間はない。市場の続きのような大きなテナントビルを一回りし、そろそろ疲れた息子のたっての希望でトゥクトゥクを拾い、ホテルに戻る。

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4日目はバンコクへの移動から。ドンムアン空港から市内へ真っ直ぐ南へ下るハイウェイを送迎のワゴンは飛ばす。途中いくつも見かける巨大な広告看板 は、鉄骨をトラスに組んだだけなのに優に10階建て以上の高さがあり、強風で倒れないかと驚くくらいだが、義父によればタイは台風の直撃もなく地震も少な いのでこんなことが可能なのだという。思えば建設中のビルの柱も細く、床のスラブ厚も随分薄く見える。

一般道に降りてから名物の渋滞をかいくぐり、投宿先のインペリアル・クイーンズパークに着く。ここから裏の広い公園を抜けると、「地下鉄が高架上を 走っている」という表現がぴったり来るスカイトレインのプロムポン駅まで歩いて5分ほど。駅に接続してエンポリアムという一流ブティックが揃ったテナント ビル、周囲には日本食の店などがひしめく、半ば日本人街のようなこの一角で昼食にいい店を探すのは至難の業で、結局サイアムまで出掛け、駅続きのサイアム センターの中を彷徨い、それでも思ったようなタイ料理の店が見つからなくてベトナム料理の店に落ち着く。しかし焼きビーフン(パッタイ)はタイの味がし た。

無駄な動きと知りつつ、プールに入りたい息子のために一旦ホテルに戻り、日も暮れる頃に改めてサイアムに出直す。巨大なテナントビル「マーブンクロ ン」を望む歩道橋からの夜景はまるで新宿南口のよう。冷房がきついときに息子に羽織らせる長袖を買い求めたのは結局そのビルに入っていた東急。テナントは 数が多すぎて、一見の旅行者にはどこで何を買ったらいいか見当もつかない。

晩はタイスキ。要はタイ風海鮮しゃぶしゃぶだと知ってはいたが、食べるのは初めて。日本のしゃぶしゃぶの技法、タイ風の赤くて辛いつけだれ、そして 何故か店は中国風で名前も「カントン(広東)」。ある意味、究極の多国籍料理。これはタイ料理ではないと義父は言うが、ラーメンやトンカツが立派に日本の 料理になったのと同じように、数十年後には本当にタイを代表する料理になってるかも知れない。

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翌朝は早起きして、観光タクシーで遠出する。80kmほど離れたダムヌン・サドアックにある水上マーケット見物と、帰る途中にあるテーマパークで息 子サービス。船が水路で商いするのは、昔はバンコクでも多く見られた風景だったそうだが、都市の近代化で消滅、そこでタイ政府が整備して観光化したのがこ こだという。となるとあくまで見世物かと思うが、実際は食事や土産物だけでなく、野菜・果物・日用品の物売りも結構いて、地場の市場としても機能はしてい るらしい。小型の動力船は、オレンジやココナツ農園の間のジャングルのような水路を軽快に抜け、マーケットの入口で手漕ぎに切り替えて、ひしめくボートの 間をゆるゆると進む。バーミーナム(中華風の麺の汁そば)で小腹を満たし、買い求めたロンコンを剥いては食べ、マーケットの外の寺院の前ではエサを撒いて 小魚を跳ねさせる。

有名なローズガーデンには行かず、並びにあるサンプラーン動物園へ。ここは象のショーがメインだが、ワニ捕獲ショーが漫才仕立てで楽しい。残念なが らタイ語のみなので何言ってるかは推測だが、ワニの口に頭を突っ込んだ調教師の横でもう一人が別のワニに口を勢いよく閉じさせて「パン!」と大きな音を立てる。当然頭突っ込んでた方は猛烈に怒って抗議するのだが、多分「何て紛らわしいことしてくれんだよ、死ぬかと思ったぞ」とか言ってたに違いない。

午後3時過ぎ、市内に入るとかなりの渋滞。そんな中で息子がトイレを所望する。しかし車は長い信号---バンコクじゃ5分くらいは当り前という-- -に引っ掛かりビクとも動かない。仕方なく自分と息子だけ降りて、すぐ先の交差点を渡ったガススタンドでお手洗いを借りる。その間に信号が変わって車が進 んでしまっても、もうホテルも遠くないし、歩くなりまた拾うなりすれば帰れる...と思って歩いていると、義父と連れ合いを乗せたタクシーが曲がって来 る! 何事かと思う大声で「おかーさあーん」と叫ぶ息子。何と冷房で締め切った窓を貫いて聞こえたそうで、無事また同乗に成功。渋滞のお陰様。

渋滞で昼食の時間を逃した分、買っておいた果物でお腹を落ち着けてから、ちょっと早めの夕食に出掛ける。義父の仕事上の知り合いが皆愛好していると いう鶏の店は、スカイトレインのパヤータイ駅が最寄りだが大人の足でも10分以上、決して便利な場所にはないが、数十年もスタイルを変えずにやっている老 舗らしい。国鉄の大きな踏切の真横にある店は木造、空調なし、オープンエアの店内を扇風機だけが涼を運び、道路に面したショーウィンドウの中では丸ごとの 鶏が十数羽、串に刺されてロースターの火のそばで回転している。皮を照り焼きに仕上げたこの鶏をワイルドに切り分けて出してくれるのだが実に美味い。もち ろんこの鶏料理(ガイ・ヤーン)が売りだが、ソムタム(青パパイヤのサラダ)など他の料理もいけるいける。と舌鼓を打っていると、通り雨の中から店先に子 象が登場。街で見かけると噂には聞いていたが本当に会えるとは。おきまりのとおり、象を連れている人から餌を買い、息子がこれを象に与える。

帰りには雨も上がり、駅までの道に並んだ屋台を見物しながら歩く。ロティというタイ風のクレープ、作ってる人はベンガル系に見えたが、たっぷりの油 で焼いた小麦粉の皮に卵とバナナを載せ、コンデンスミルクをふりかけてからくるんだアツアツを歩きながら戴くと頬が落ちそう。もっと食べたかったな。

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明けてタイ滞在6日目、市内の観光はスカイトレインのシーロム線終点で水上バスに乗り継ぎ、チャオプラヤ川を北上。王宮の寺院であるワット・プラケ オはただ豪華絢爛というイメージしかなかったが、実際に行ってみるとそのあまりに精緻な細工に目を奪われる。建物や仏塔そして多くの彫像を飾るガラスモザ イクは、ふとアルハンブラのタイルのモザイクすら連想させた。そして偶々この日、本殿では大きな法会が行われており、多くの信徒が僧侶とともに教典を唱和 していた。生きている祈りの空間と壮麗な寺院。

王宮を経由して外へ出て、もう一つの大寺院ワット・ポーへ向かおうとすると、トゥクトゥクの運転手が呼び止める。今日は仏教のお祭りで、午後は観光 客には開放しないとのこと。それでは川向こうのワット・アルン(暁の寺院として有名)に渡ると言うと、渡船は1時間の昼休みがあるからその間に俺のトゥク トゥクで市内を回ってやる、30バーツでどうだ、と来る。ではその昼休みはいつからいつまで? と尋ねても曖昧な返事、1時から2時かと訊くと曖昧に笑ってYesと答える。本当かよ...と思いつつ、ともかくそれをしていては後の予定が崩れてしまう ので、断ってとりあえず船着き場に行ってみる... 何だ、渡船は休みなどなく動いてるじゃないか! 思わず吹き出してしまった。口から出まかせでも言ってみて、あわよくば、て考えなんだろう。で、断られてもマイペンライ(気にしない)でまた他の観光客に アタックしてるんだろうなあ。うまいこと乗せられずに済んだのは、こちらもようやくそういうノリに慣れてきたってことか。

暁の寺院を見てまた渡船で戻って来ると、水上バスは仏教のお祭りのために一部通行止めとの情報。タクシーでサイアムに出て昼食、そしてお土産調達。 それにしても何故雨期なのに雨も降らないんだろう。暑い中歩いてヘトヘト。ホテルへ戻りシャワーで汗を流す。夕方には義父が仕事で知り合ったタイの友人と 落ち合って夕食の予定なのだ。だが約束の7時になってもホテルのロビーに彼は現れず、電話が掛かってくるふうもなく... 30分近く経っても音沙汰ないので連れ合いが彼の携帯に掛けると、今ホテルの前の道だと言う。おなじみ渋滞で遅れたようだが、このくらいのことは当り前な んだろうか。タイの人はあくせくしてないという印象を持っていたが、彼もまさしく。

レンブラント・ホテルのタイ料理「レッド・ペパー」は、西洋風の内装とサービスだが味は妥協のないタイの味。仕事で日本に何度か来たこともあるとい う彼が、鮨の醤油を「ワサビだく」にして食べるという話が出たので、唐辛子の辛さとは随分違うのに平気ですかと訊くと、いや、その刺激がたまらないのだと 言う。身振りを交えて彼が言うには、辛さの刺激が鼻や耳に抜けて「フウーッ!」と身震いするような感覚、あれがタイの人は好きなのだ、生きてるって感じな のだ、と。なるほど...辛い料理の楽しみってそういうところはあるなあ、と思うと同時に、常夏の地だからこそ、それにふさわしく発達した食文化、味覚の 文化なのかも知れないという気がした。

もう一つ、彼の話で興味深かったのが、仕事観に触れたくだりだ。彼にとって一番大事なものは、仕事を通じて知り合った友人たち(義父もその一人だ が)との交流、彼らと過ごす楽しい時間なのだと言う。ガイドブックやタイ紹介本でよくタイの人は「サバーイ」(気持ちがいい、快適)であることに最大の価 値を置く、とあるが、彼もそういう一人なのだろう。にしても、仕事においてさえ友人が一番大切だとサラッと言えるのは何て幸せなことだろう。

たった2時間の時差だというのに慣れることができず、毎晩息子を寝かしつけたまま自分もダウンしてしまっていたのだが、ようやく最後の晩、睡魔に 克って近隣の散策に出掛ける。まあ小一時間、軽くお酒でも飲めればと。玄関を出るやいなやトゥクトゥクの運転手から声が掛かる。乗っけてくよ、どこまで。 いやこの近辺を散歩したいだけだから。いやいやこんな遅くに出歩くのは危ないよ。なぁに何度か歩いてよくわかってる、この辺は全然危なくないよ。などとに こやかに軽快にやりとりして振り切るのも、何だか楽しくなってきた。

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もう1、2日居たかったタイも今日でおしまい。ホテルの前から送迎のワンボックスに乗り込み空港へ向かう。日曜だからか、高速の下を走る一般道を車 は飛ばすのだが、車間をそんなに詰めてから追い越しをかけるのはやめてくれと何度言おうと思ったことか。それでも急ブレーキの一つもなく走るのだから、運 転上手いといえば上手いのだが、しかし。

ちょっと「マイペンライ」では済ませたくないな。


2002.9.16 未来ってなんだ

思い起こしながら書くので細部は曖昧かも知れないが、今年の初めに行って来た東京・お台場の「日本科学未来館」(The National Museum of Emerging Science and Innovation)について振り返っておきたい。この半年間に大規模な展示替えがなかったとすれば、以下の考察で挙げた「なんだかなあ」感は全てそのまま大切に保存されてるはずである。お暇な向きは是非お散歩がてらご確認を。

行く前に知っていたのは「毛利衛が館長」「先端技術/科学をわかりやすく解説してくれるらしい」ということだけ。上手くすれば、科学のフロンティアの躍動感を小学生くらいの子供らが実感できるような場所かも知れない、なんて期待もうっすら持ちつつ行ったが、甘かった。小渕政権時のプロジェクトってことをすっかり忘れてた。

まず何たってIT技術、とばかりにそのフロアに向かうが、世界の各種統計データを無作為的にディスプレイするシステムがいきなりハングアップしてる し。OSはWin2000だし。「Win2Kて結構アプリ落ちますよねー」って話しかけると係のお兄さん苦笑してるし。ま、ある意味リアルなITの現場で はあるけど(笑)。

それもそうだが、考え込んでしまったのがインターネットの仕組みを視覚的に説明する機械。1ビットのデータに見立てたボール8個組を数組作って文字 列を作り、それを操作者がレールつまり回線に流し込み、他の操作者へ送信する。パケット通信だから文字がバラバラの経路で送られても相手先で元通りの順番 に組み立て直されるという仕掛け。
だが何で1バイトを8ビットにバラして見せる必要があるんだろう? 確かにノイマン式コンピュータの原理は信号のON/OFFつまり1と0だけの2進法で全ての情報を処理するってところにあるけど、それはコンピュータの原理で あって、パケット通信の原理とは直接は関係ないでしょ? 単純に、文字列を一定の情報量ごと(例えば8バイトごと、とか)に分解して送るって仕掛けを見せればいいはずなのに、本質的な話と関係ないものが紛れ込ん で話をややこしくしている。端的に言って、これ作った人たちはバカなんではないかと思う。と言って悪いのであれば、論点を整理して明快に説明するという能 力に欠けている、ということだ。

先端技術/先端科学を解説するために大事なのは、その発想のポイントに迫ることだと思うのだ。そのためには、一つの説明にあれもこれも詰め込むので はなく、本筋に関係のない話は思い切って切り捨てる大胆さが必要だ。しかしここにあるのは、先端技術に浮かれてチャラついてるただの「新しもの好き」の空 騒ぎだ。IT関連のフロアには他にも、CCDカメラを小型のロボットに装着し、操縦室からそれを実際にロボットに乗ってるような感覚で操縦できる装置と か、バーチャル空間にログインして歩き回り、他のユーザーを見つけたりすれ違ったりすることのできるシステムとかあるが、ただそれだけ。どういう仕組みで それができるんだろう、それができると「どんないいこと」があるんだろう、といった視点からの切り込みはまるでなし。ナントカ博のパビリオンじゃあるまい し、国が博物館と銘打った施設がこれではまずかろう。

ITフロアを辞して生命科学やナノテクのフロアに移ると、ここは目に見える「モノ」を扱うせいか、いくらかマシに思えた。が、遺伝子と形質の関係に ついて、CGを使って架空の昆虫を「合成」することで体験学習しようってソフトが提供されてるのには正直、面喰らった。何たって合成が完成すると「さあ、あなたの作った昆虫を森に放しましょう」な んつうプロンプトが出るのだ。そんなん森に放っていいはずなかろうが! 生命科学のフロンティアで最大の論点になっていることを、よりによってこんな子供向けのところですっぽかすとは。先端科学と社会の関係や問題点について最 前線の科学者たちに語らせたビデオ・オン・デマンドを用意してるのなんてアリバイだと言ってるようなもの。おまけに大体、科学者たちの語りはどう考えても 大人向けだし。

こんなもんに多額の税金を投入して(ハコがまた金掛かってそうなんだなコレが。壮大な吹き抜けとかあって)、しかもヘタすりゃ科学技術の未来を踏み 誤り兼ねない体たらく。そうそう、ここは研究施設も併設してて、研究者が来場者と交流できるってのが一つのウリらしいんだけど、その研究者の皆さんはどん なこと考えて日々お過ごしなのだろう。ちょっと、気になる。


2001.8.23 You're in my Seoul.

というわけでソウルに行って来た(8/5-8)。仁川(インチョン)の真新しい国際空港は規模も大きく機能的な作りでしかも美しく、のっけから圧倒されるが、近いようで遠い、似てるようでやっぱり違う隣の国にはそれ以上に発見が多かった。以下思いつくままに。

・インフラ

とにかく新しいインフラは徹底して新しいのである。って何言ってるかわかりにくいが、要は最新のインフラはほぼ間違いなく世界的に見て最先端の仕様 になっていると思われる。インチョン空港もそうだが、そこからソウルに向かうハイウェイが片側5車線だったり、市内の幹線道路も概ねそのくらいの幅だった り。地下鉄は結構歴史があるはずなので、車両がデカい(新幹線並みか?!)のは別の理由なんだろうが、ただ地下鉄駅の系統的な番号付けとか、駅構内の乗換 表示案内に路線カラーを上手く活用している点などには感嘆した。

その一方、古い細い道路の舗装は実にデコボコで、ホテル送迎のワゴン車が跳ねる跳ねる。この辺の落差がすごい。超モダンな高層ビルと昔ながらのマー ケットや屋台との併存もそうだが、急速に発展したと言うより「一足飛びに」近代化した街だなあという印象を持った。それでいてそれは、かつての日本みたい に前近代を近代が駆逐していくって訳でもなく、ただ伝統とモダンとが平然と同居している感じなのが面白い。

・伝統文化への親しげな距離

上記と関連あるのかも知れないが、ソウルでは伝統文化への距離感が少なくとも東京あたりのそれとは随分違うと感じた。言ってみれば、近代と併存している/等価である「伝統」。

仁寺洞(インサドン)という場所がある。ここは骨董屋や雑貨屋それに古書店などが並んでいて、東京で言えば神田古書街と青山骨董通りを掛け合わせた ような街だ。そこには喫茶店も結構な数あり、多くは生姜・柚子・かりん等を使った伝統茶を供する。中に入ると、落ち着いた雰囲気の店内に焼き物などの伝統 工芸品が飾ってあり、学生など若い人たちが決して安くない(後述)お茶を啜りながら談笑しているのである。つまり、ここは「オシャレな場所」であるようなのだ。
それを言うと、インサドン自体がオシャレな場所であることがまず驚きかも知れない。もちろんソウルにだって白金と表参道を一まとめにしたような狎鴎亭洞 (アックジョンドン)という場所があるが、逆に東京にインサドンがあるかと言われればそれは「ない」と言うしかない。古書街や骨董街はあるが、それはそう いう位置づけでは決してない。

ちょっと踏み込みすぎの憶測にはなると思うが、こうした伝統文化に対する屈託のない親近感は、実は王朝が既にないということも作用してはいないだろ うか。伝統文化の多くは、その生み出された時代には封建王朝、もしくは絶対王朝の支配による社会体制があって、その枠組みのなかでそれらは発展してきた。 歴史的に見れば、そうした文化的な爛熟の成果物にはそうした社会の刻印が抜き難くあるはずだ。だが、王朝が消え去ってその遺産だけを受け継いでいる今、そ れは階級的な意味づけから自由になり、単に民族の伝統文化として親しげにそこにあるのではないか。まあ極端な見方だがそんなことも思ったのである。

・美味いもの食いに街へ

さて堅い話はこのくらいにして、美味いものの話をしよう。行った店は結構多岐にわたる---まあそれが目的だったので当然ではあるが。オーソドック スなプルコギ(肉と玉葱などの野菜に味をつけて鍋で焼くタイプ)の食べられる焼肉屋、南大門市場(ナンデムンシジャン)の食堂通り---ここは楽しくて毎 日朝食を摂りに行った---、観光客にも有名だが地元のサラリーマンらも集う参鶏湯(サムゲタン。丸ごとの若鶏に高麗人参、ニンニク、栗などをモチ米と一 緒に詰めて煮込んだ、不思議とあっさり味のスープ。滋養強壮に良いという点では日本の鰻のような位置づけか)の店、江南(カンナム。漢江南岸の新市街の中 心地)のはずれにある変わったプルコギ屋(あっさり味付けした肉のみを、鍋でなく網で焼く)、日本人客も多いという、石焼ビビンパが名物の有名店(でも食 べたのは骨付きカルビ)、それに大繁華街・鍾路(チョンノ)の安い食堂。

超高級店はいざ知らず、安くて量が多いのはどこも同じ。ちょっとした焼肉にビールを合わせて親子3人で40000ウォンもあれば十分。為替レートで 換算すると4000円だが、通貨の使いで的には5000円強くらいに相当するか。それでも十分安い。というのは、焼肉関係の店では大抵、何か一皿頼むとキ ムチ数種と小皿が付いて来る。別途オーダーが必要なのは米の飯くらい。これも店によっては辛いみそ汁とかワカメスープとかが付いて来る。という訳なので 「プルコギが2人前18000ウォン」なんて言っても全然高くはないのである。いわゆる街の食堂はここまでではないがキムチは必ず付いて来る。しかも単品 のクッパや冷麺が3500ウォン程度。
これに比して高いなあと思ったのが喫茶店。伝統茶は大体4000〜4500ウォン、チョンノの特等地(新宿で言えば高野フルーツパーラーか?)にある喫茶 店のコーヒー類が軒並み5000〜6000ウォン。食事の値段からするとどう見ても高すぎる。しかし、当地のコジャレた若い人たちはこうした喫茶店で話に 花を咲かせているのである。どうも日本の感覚からはしっくり来ないが、それはソウルでは喫茶店がそのくらい「ハレの場」として位置づけられているというこ となのかも知れない。

・で、健啖家であるところのソウルっ子、あるいは食の細いヤマト人

量が多い、と言ったが、地元の人が食べてるところを見ると、それ以上によく食べているのである。宴会の団体さんはもちろんだが、家族連れも、職場の 友達同士とおぼしき少人数グループも、そしてちょっと疲れた感じのカップルでさえ。自分たちが比較的安上がりなのは、ひょっとすると単に地元の人ほど食っ てないせいじゃないかとすら思えてくる。

実はこうした感じを持ったのは初めてではない。スペイン(アンダルシア)でもそうだったし、那覇でもそれはしみじみ感じた。これら3箇所に共通する のは、よく食べよく喋る人たちだ、ということだ。ただ、こうなってくると逆に、日本人 ---正確にはヤマトの人間---て何でこんなに食が細いのか、というのが正しい論の立て方なのかも知れない。しまいには日本人が、それでもまあまあ豊か な暮らしができる程度の不況でここまでへこんでるのは、元気に食べてないせいなんじゃないかとまで思えてくる。ってほとんど言い掛かりだが。人間ガツガツ食ってガンガン喋ってチャッチャと歩く。(左記リンク先は「女の子は」と言ってるけど)人は皆、少なくとも十分な食に恵まれてる環境にあればそうすべきだ、という気持ちを、さしたる根拠もないのだが、新たにしたのであった。

・その他、よしなしごと

実は言葉の問題にはかなり参ったのだった。英語の通じなさは日本並みもしくは日本以下。日本語はホテルや店などで結構通じるが、あまりそればっかり に頼るのも今一つなので遠慮がちに使っていた。せめて簡単な挨拶や買い物用語、数詞くらいハングルを覚えて使おうと思ったが、なかなか身に付かなかった。
そもそも準備不足もあったのだが、それ以上に、文字イメージの助けを借りられない語学習得は実に辛いと いうことが、今回初めてわかった。スペイン旅行で助かったのは、綴りを思い浮かべれば、結構似た単語が英仏語にはあるので、その連想で比較的簡単に覚えら れたこと、そして綴りを頭に描けば発音も何とかなったことだ。しかしハングルの世界では漢字表記は滅多にしない。そしてハングル文字をアルファベットのよ うに読めるにはまだまだ修練が足りない。これなら中国語のほうがまだ何とかなりそうだ。よく言語教育は音声中心でとか言うが、いい歳したオトナになったら やっぱり文字の併用が効率的なのではないか。

それから最後になったが、ソウル観光の見どころを一つ。宮殿は幾つかあるようだが、世界遺産にも登録されている昌徳宮(チョンドックン)はお薦め。史跡保護のためにガイドツアーのみの見学となっているが、特にその後半、広大な森を擁した庭園「秘苑(ピウォン)」が素晴らしい。中でも池に面した休屋からの風景は絶品。ここで突然の雷雨に足止めを食らい、数十分を過ごせたのはラッキー(?)だった。


1999.8.19 沖縄バスツアー体験記

沖縄は3度目になるが、いわゆる定番の観光スポットというところにあまり行ったことがない上、子連れでそういうところを回るにしても自分は車の運転ができない、ということで、今回は色々と気に入らないのを覚悟でバスツアーにしたのだった。

コースには、琉球村・万座毛・海洋博記念公園・首里城公園(ここだけは行ったことがある)といった名所に加え、「琉宮城」「沖縄フルーツランド」といった怪しげな観光客目当てのスポットが紛れ込んでいる。

さて、かくて初めてのツアーバスに乗り込んだ。まずは予想されたことだが、1カ所ごとの滞在時間がひどく短い。万座毛(恩納海岸の名所で、断崖絶壁 の上になだらかな原っぱが続く。かつて琉球王が「万人を座らせるに足る」と讃えたのが名の由来)のように、見ればオシマイというところはいいが、首里城公 園がわずか40分強というのは何とも。これだけの時間で正殿を見学するなんて、大人でも無理だろう。そんな訳で私たちはパスして玉陵(たまうどぅん:王族 の墓所)だけ散歩したが正解だった。

「琉球文化に触れるテーマパーク」であるはずの琉球村に至っては、行ったことが虚しいくらいだった。まあ、園内至る所に土産物売場を設けていること 自体が既に興醒めという部分もあるが、駆け足でなければ読谷山花織(ゆんたんざはなうい:読谷村の伝統的な織物)や、水牛を使った黒糖作りなどの実演を もっとじっくりと堪能できたろうと思うのだ。また、もう少し長く居れば、芸能の実演も1つや2つ見られたはずだ。雨のせいもあるとはいえ、一体何のために 琉球村に寄ったかわからない有様である。

逆に中途半端な時間帯ゆえに持て余したのが海洋博記念公園。水族館と熱帯植物園があるだけのだだっ広い園内に1時間ほど居たが、その一方で売り物の イルカショーは開演時間が合わなくてパスとなり、子供に説明して断念させるのが大変だった。んなとこ寄るだけ無駄である。別に沖縄ならではでもないし。

それから、これがツアーというものか…と感心したのが食事である。今回のは行先のリゾートホテル含めてほとんど食事が付いていたが、その中で沖縄料 理と言えたのは昼食に一度食べた沖縄そばのみ。あとは、ステーキディナーとか洋食バイキングばっかり。以前よく、ツアーで沖縄に行った人から、「沖縄料理 なんて一度も食べなかった」と聞いて驚いたものだが、なるほどこれでは当然と納得した。旅行先ではご当地ならではのものを食べるのが大きな楽しみの一つだ ろうに、これはどうしたことか。

さてはて、こんなツアーに参加した人々が、沖縄観光のリピーターになることが期待できるだろうか。見学先の組み合わせからして、これが初心者向け コースであることは間違いないのだが、参加者が「また来たい」というほど沖縄に興味を持てるとは、とうてい思えないのだ。お座なりな、どこにでもある観光 用施設の上っ面を撫でただけのツアーであれば、沖縄であろうとどこか余所であろうと大差ないではないか。

旅行代理店にしてみれば、確かに組むのが簡単で、観光施設業者からも色々提供が出て、コストを安く上げて売価を下げられるんだろう。だが、中長期的 に見たら、リピートで来てくれることが最大の効果ではないのか。地元にも代理店にも。そう思うと、こうした変わり映えのしないパックツアーが今でも幅を利 かせているというのは、驚きである。

ところで、バスツアーの楽しみといえば、ハプニング。これしかないでしょう。「あれ、1人足りない!」とツアコンが慌てふためくと か、「そんなつまんねえところパスして、さっさと次行けばいいだろ」とオヤジが絡むとか。しかし今回は、子供のお手洗いリクエストがあってガソリンスタン ドに寄ったのが1回あっただけ。妙に律儀な客なのであった。何か物足りなかったなー…なんて言ってはいけないか。うん。


1999.7.28 バンド少年リハビリ見聞録

連れ合いが髪切りに行っている間、渋谷の東京都児童会館で息子を遊ばせた。

近くには「国立こどもの城」(おお、字で書くと何か仰々しいぞ)もある。そっちのほうが建物が新しくて大きいので、何だか立派そうな気がするが、施 設としての充実度は児童会館が圧倒的に上で、較ぶべくもなかったりする。一度、雨の日にこどもの城に行ったが、アスレチックジムのある部屋は子供と親たち とで芋を洗うような状況、その上物凄い喧騒で実に疲れた。

という、こどもの城への不平不満はひとまず置くとして、とにかく、東京都児童会館は格段に楽しいのである。オトナにも十分。といってもオトナだけで行って遊んでたら係の人に注意されます。しないように。

地下では10円でゴーカートに乗れる。コースは単純な周回トラックだが、子供には自分で操縦する楽しみがあるから、これでも十分。2階にはプレイ ルーム。ここは、乳児用にはマットを敷き詰めた素足スペース、幼児以上にはアスレチックジムのある土足フロア、と年齢別に上手く分けてあるので安心。3F は科学の部屋らしいが、うちの子にはまだ早いのでパス。

そしてここの4Fに凄い施設があるのだ。その名も「音楽室」。…え? すごくない? いやいやところが。ここってグランドピアノ1台とアップライトピアノ3台が弾き放題なのである。加えて本格的なコンサート仕様の木琴、マリンバ、鉄琴が並 び、子供の大好きなパーカッションが山と積んである。鈴とかカスタネットというお遊戯系だけでなく、マラカス、シェーカー、ギロ、アゴゴ、シェケレといっ た中南米系もそこそこ揃っている。

ここに音楽好きのお父さんお母さんが来ない手はないでしょう。ということで、その日もピアノからは、どう考えても子供に頼まれて弾いているとは思え ないハイブラウな演奏が続いたのである。「古畑任三郎のテーマ」を華麗に弾きこなす、明らかにジャズを弾いていたと思われるお父さん。この人は連れ合いの 方も結構弾けるらしく、連弾で「雨にぬれても」を披露、子供が楽しんだかどうかは知らないが、この部屋で一番光っていた。

それから、「レット・イット・ビー」を静かに弾き語って、幼稚園児くらいの息子に聞かせるお父さんも。この人はロック系でしょう、やはり。ハスキーな声に子供が真剣な目で聴き入る姿はなかなか感動的ですらありました。思わずタンバリンで軽く拍子をとってしまった私である。

パーカッションも負けていない。両手にスティックを持ち、かつてはドラマーとして鳴らしたに違いない技巧で早打ちをキメるお父さんあり。安手のドラムパッドがティンバレに早変わりである。

彼らも、そして自分もだが、こういう場所があって救われる面はすごくあるのだろうと思う。普段子供の相手や家事に時間をとられて、音楽から遠ざかっ ているというのは、音楽好きにとっては苛立たしい、焦らされる状況なのだ。しかしここ、児童会館の音楽室に来れば、子供を適当に遊ばせておきながら、結構 好きなように音楽ができる。

子供のために何かを一時期あきらめ、そのまま取り残されるというのは、音楽に限らず(趣味や、それこそ仕事でも)よくあることだけれど、世の中あん まりそういう具合だから、みんな子供を持とうという気にならないんじゃないか。そう考えると、バンド少年少女たちがささやかながらもリハビリしながら子供 と遊べるこの音楽室は、なかなか貴重な場所ではないかと思うのだ。

あ、でも、くれぐれもオトナだけで押し掛けたりしないように。係の人がちゃんと見てて、止めに来ます。そういう点も、本当に至れり尽せりな児童会館である。


1999.6.27 奇蹟の土地

5月の連休に「石神井公園」というところへ行って来たのである。ちなみに読み方は「しゃくじい・こうえん」である。私も東京に来た当初はわかんなくて「いしがみい」とか読んでた。

ここには二つの池があって、世間的に有名なのは「石神井池」と名づけられた人造ボート池である。この細長い池の北側には大きな邸宅が軒を連ねていて、というか、大邸宅なので決して軒どうしが連なったりはしないのだが、なかに壇ふみの家があったりして有名である。

だが今回の話題はそっちではなく、もうひとつの池、「三宝寺池」のことである。数年前、ワニがいるとかいないとかで騒ぎになったあの池であるが、その話題でもない。あしからず。

三宝寺池。ボート池とは打って変わって、鬱蒼とした武蔵野の雑木林に囲まれてひっそりと横たわる、むしろ地味な佇まいのこの天然の池は、実は国の天 然記念物の指定を受けているのである。厳密に言うと、指定を受けているのは「三宝寺池沼沢植物群落」。こんなの、23区内でここだけではなかろうか。

何がそんなに珍しいのかというと、ここは武蔵野台地の地下水が湧き出して出来た池で、水温が年間を通じて冷たく、一定しているため、高原植物が数種類群生しているのである。ビックリ。たかが湧き水などとあなどってはいけない。

一見すると、池の中洲の周りに草がぼうぼう生えているだけのように見えるが、しかしそのなかにコウホネ、ミツガシワなど、尾瀬湿原かと思うような植 物の群落が垣間見える。その群落の中にカイツブリが巣を作っていて、池のほとりからはアマチュアカメラマンがそれを狙っていたりする。で、足元は泥土と土 まみれの木道。周囲は鬱蒼とした雑木林。よく見ないとその向こうの住宅街なんて、目にも入らない。

秘境である。で、こんな秘境が一応は23区内という、住宅密集地の一隅に保たれているという事実。言ってみれば、奇蹟の土地。

だが奇蹟は一朝一夕にして成らず。説明ボードによると、やはり戦後の宅地化のなかで湧水は枯れてしまい(現在は地下水の汲み上げ)、セイタカアワダ チソウなどの襲撃も受けて、群落はかなり小さくなってしまったようだ。その後、東京都やボランティアによる雑草刈り、水質保全などの地道な努力により、何 とか今の状態で命脈を保っているのだと言う。

私はなんだか、こうした活動を続けている人達の努力に、頭の下がる思いがした。

都市化の波の前には、こうした細々とした生命の営みは押し潰される運命にあるのだ、と言うのは簡単だし、実際、かつて武蔵野に数多くあったと言われ る湧水の池のほとんどはそうやって干上がっていったのだろう。だが、ここに現に守られている土地があり、守っている人々の営為がある。それで救われた気に なるのは傲慢だとしても、それは自分には、ささやかながら希望を与えるものに思えるのだ。

少なくとも、これほど身近に、水辺の自然へのいつくしみを感じられる場所があるというのは、それだけで貴重なことだと思うのだった。

ああ、らしくもなくシンミリしてしまった。



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ただおん

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