聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2001.05

>2001.06
<2001.04
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★は借りた新着、☆は新規購入。

今回集中的に論評したディスクなど:
こどもの日? / インストゥルメンタルと私 / 想い出に生きるオジたち /
こどもにステキな音楽を / この名曲埋もれさせてなるものか! /
Jim Hall - Ron Carter Duo: Alone Together / Wynton Kelly - Wes Montgomery: Smokin' At The Half Note /
Joao Gilberto: Amoroso/Brasil / Chaka Khan: Life Is A Dance - The Remix Project /
Saturday Night Fever Soundtrack / Dick Lee: Peace, Life, Love


◆思い付き次第思い付いただけ更新しています。
◆日付はその日付のコメント自身への、CDタイトル前などのマーク(◆)はそのレビュー項目自身へのダイレクトリンクになっています。
◆文中のCDタイトルのリンクは、以前のコメントへ遡れるようにしてるつもりですが、かなり気まぐれです。


5/31 2ヶ月間の実績を踏まえた今期見通し

いやー後は小泉効果に期待するしかないっす、てのは冗談で、何か大事なことを忘れてる気がする政局&政治報道ではありますよねえ昨今。
それはいいんですがバックログ解消CDレビュー3点書いて今月は終わりです。ってもう最終日なんで終わるしかないんですが。あーしかしあまり5月の風を十分堪能した気がしない天候でしたねえ...。

Chaka Khan: "Life Is A Dance - The Remix Project" (Warner, 1989)☆
懐かしのリミックス盤。落としておいたテープの質が悪かったので、いずれ買いたかった1枚。だが今聴くと何というか平和というか、当時一般的に思われていたリミックスというのは楽曲の骨格を律儀に残していて何だか背筋が伸びます。だからある意味遊びがなくて生真面目というか。それでも古くは70年代の音がしてるトラックまで、とりあえず当時のテイストにアップデートした技術とセンスは結構いいんではないでしょうか。特に'I'm Every Woman'のこのバージョン(Richard Teeのピアノが目立って気持ちいい!)は多分映画『ボディガード』でのWhitney Houstonのカバーの下敷きになっていると思われるんですが、もうデファクト・スタンダードって貫禄があって好きです。

"Saturday Night Fever" The Original Movie Soundtrack (Polydor, 1977)☆
何が楽しくて今頃これを、という向きもあろうけど、ワタクシ的には'Stayin' Alive' と 'A Fifth of Beethoven' (邦題「運命'76」が有名か)を手元に置きたかったというただそれだけで。だが他のトラックも(あまり憶えてなかったけど)聴いてみると結構良くて、Bee GeesとTavaresの両バージョンある'More Than A Woman'などはGibb兄弟のソングライティングの一つのピークかという気もする。
という訳で結構快適なんだけど、聴いてるうちに気になってくるのはそのR&B色の希薄さだ。まあそういう時代だったとも言えるし、その方向性はBee Geesをメインにフィーチャーした時点で決定的だったんだろうから、あまり批判的に捉えてもしょうがないんだろうけど、全17トラック中Kool & The Gangの1トラックくらいしかファンキーな感じがしないというのは、当時のディスコムーブメントを代表すると思われているサントラとしてさすがに寂しくないか。というか、R&Bって重要なルーツなのにそれをここまで非R&B的要素(サルサなども含めて)の脇に追いやってしまっていいのか、って気がしてきてしまう。まあ、そういう意味でも当時のディスコとは何であったかを考える重要な一枚。てか、見てないけど映画自体、主人公はイタリア系(だったっけ?)という微妙なポジションの取り方がそもそもそれを反映してるか。

Dick Lee: "Peace, Life, Love" (WEA, 1991)☆
Dick Leeが中古で転がってたら必ず買ってしまうので買ったのだが、このクリスマス企画アルバムのトーンはあまりに家庭内的/intimate/domesticな感じがして、今一つアピールしないというか。再聴すればまた発見があるかも知れないが、それはまたそのうち。


5/28 とうとうやってもうた...

というのはコレのことです。あーポルトガル語なんてラジオ講座さえもやったことがないってのに大胆な。でもそうまでして歌詞内容を知りたいのであります。専門家の方々のボランティアに甘えてばかりもいられないのであります。

かくて週末ですが、金曜には退職する同期の送別会があって久々に営業所の同期に会えたり。日曜はまた友達招んでワインを傾けたり。良い週末でございました。
そんなイベントの狭間の土曜の晩に一息つきつつ、久々に新着CDをひもといたのがJoao Gilberto: "Amoroso/Brasil" (Warner, 1977/1981)☆。いわゆる2in1で、"Brasil"というのはコレのことです。"Brasil"はアレンジがJohnny Mandel (ってのも何かすごいですけど) なのだが、結構コンボ的な雰囲気に仕上がっているのに加え、Caetano Velosoらゲストの参加が立体感を与えているようにも思える。一方の"Amoroso"はClaus Ogermanの耽美的な弦アレンジがクラっと来ますが、逆にある意味BGM的というかイージーリスニング(って死語ですよね)的であったり。テイストの差はあれ、通しで聴けばJoaoのヴィオラォンのリズムの魔法にとらわれっぱなしの数十分。あれ、寝てる人いるし(笑)。


5/25 更新間隔が急に狭まるってのは、前のクルマが急ブレーキして車間が詰まるようなスリルがないですか。ないですよね。はい。

バカ言ってないで本題行きます。って本題なんてものがあるのかつう気もしますが。
引き続きこの話なんですが、ネタであるとほぼ確信しつつもこの件についてコメントせざるを得ない気になるのは、K.T.さんも書かれてる(5/24付)とおり「コワイ」と思えるリアリティが、たとえ戯画化された形であろうとも存在するからです。母子カプセルなんて言葉でよく語られる、母親専業育児(但しこれは父親がやっても同じリスクはあるんだってことをお忘れなく)の孤立や閉塞感について見聞きしていて、それでこういうものを見てしまうとたとえフェイクでも心穏やかではいられない。

この問題についてはきちんとした社会学的調査報告もあるし報道もあるのだけれど、それを母性の欠如のせいだとぶった切る論調(それも大体は子育てなんて妻に任せきりだったじいさんたちが、しかも子供が手離れした後に無責任に言い放ってるだけだ)が幅を利かせてるのは本当に腹立たしい。性役割論はまあ色々お考えもあろうと百歩譲ったとして、親一人が一日中子供とだけ接してる日々の息苦しさや心細さが想像できないなんてのはもう人間やめてよねって感じです。みちりんはまさにそれが言いたくてやってるんですがまた半年眠ってます。そろそろテコ入れせねば。

ところでそんなに想像つきます? これでも随分オトコノコになろうと努力してきたんですけど>K.T.さん(5/23付)

え? 音楽ですか? それは週末にでも。


5/23 週刊ご無沙汰日記 と化してる訳ですが

K.T.さんから話題を振られてた(5/19付)ので取り急ぎ(<全然急いでないじゃん)リプライ。んー、まずこれって「ネタ」ですよね99%の確率で。マジでこういう感覚持ってる人は止めた方がいいけど、この掲示板でも誰か止めに入ってるようだし、ネタでなく事実なら通報もされてるでしょう。
その点はさておきお答えです。ホント子供とはK.T.さんの仰るような生き物でして、ああしかしオレもこういう生き物だった残滓を抱え込んで生きているなあ、と、日々付き合いながら思わせてくれる稀有な存在でもあります。カワイイだけで済むのは満1歳までくらいのもんでしょう。
それからもう一つ敢えて言いたい。可愛くて息子で何がワルい! てか、色白でおとなしくって泣き虫でいつも姉のあとにくっついて歩いて真似してネックレスまでしてた(3歳前後の頃)「女の子のような」男の子だったワタクシとしては、カワイイ息子を女にしたいってのは(仮にネタだったにしても)よっぽど男とか男性性への憎悪でもあるの? って思いますです。


5/16 一週間のご無沙汰です。ってヘンな日本語じゃない?

でその後皆様いかがお過ごし、ってより私はどう過ごしたんだよってのがこの頁のタスクってやつでありますよね。はい。では箇条書き形式で以下。

アリスの『栄光への脱出』収録曲がいまだに全曲諳んじられるってのは何かまずいと思う>連れ合い(5/11、再結成ライブを流しながら。しかし「あの頃は良かった」ノリの同窓会は部外者が見るモンじゃないすね)

「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」がすごいことになっている。というか、ここ2年ばかり「いっしょ」のオリジナル童謡は「栗コーダーカルテット」の栗原正己や「たま」の知久寿焼に書かせたりと、従来のドミソファラドソシレ音圧攻撃な「お子様にゃこれで十分」路線の粗製濫造(でないのもたまにはあったけど)から大きく様変わりしていたのだが、コンサートではこの人たち実際に出るんだから贅沢だ。しかも定番ソングを栗コーダーの別アレンジで聴かせたり、「ハオハオ」(曲は知久)をたまと栗コーダーに共演させたりなど、ホントにいい意味での音楽教育になっている。あれなら子供連れて行ってもみたいと思う。(5/6夕刻。って何で前回書いてないんだよってのは言わない約束ってことで)

勝手にド素人ポル語訳の第1弾にはToninho Horta/Fernando Brantの'Ceu de Brasilia'(ブラジリアの空)を予定してるので、この詞の背景を調べたいと思って様々検索かけてるんだけど、なかなかないもんです。例えば「街は静まり/夜10時過ぎ」って妙に具体的な時刻が出て来るんだけど、これひょっとして夜間外出禁止令か何かと関係あるの? なんて疑問とか。中央高原の自然と空を讃える歌詞なのに、タイトルにわざわざ無粋とさえ思える首都ブラジリアの名を冠するのも何かクサいし。
書いた人が人(Fernando Brantは軍事政権時代の70年代前半に検閲スレスレの微妙な歌詞をMilton Nascimentoに提供してたと言うし)だけに、何かあるんじゃないかと気になって仕方がないのだが、それどころかこの曲自体があまり取り上げられていないではありませんか。ハッキリ言いますがこんな名曲滅多にありません。そりゃToninhoは唄上手くありませんがそんなら誰かカバーすりゃいいでしょ、ってのにカバーバージョン自体見かけない。どうしたことか。皆さんToninhoの"Terra dos Passaros" (DubasMusica, 1995)を探して是非聴いてみて下さい。(これが最新のトピックス)

それから聴く方ですが、インスト曲にベクトルが向いているので、丁度いいとばかりに積ん読状態のCDからこんなものを。

Jim Hall - Ron Carter Duo: "Alone Together" (Milestone, 1973)
もちろんセッションの選曲用に仕入れたギター&ベースのデュオである。というか、Mさんに以前抜粋で聴かせて頂いて気にはしていたのだ。しかしギターとベースだけってのは間持ちが微妙なものだ。言ってはナンだがこの名手二人でさえ退屈させる場面があるのだから。音の厚味を出すためにはギターの力量が問われ、ノリを醸し出すには絶妙に息の合った掛け合いが求められる。で、その点では文句ないと思われる二人なのだから。Metheny/Hadenの'Waltz For Ruth'ってのはホントに上出来な部類の演奏なのだと改めて認識する。

Wynton Kelly Trio & Wes Montgomery: "Smokin' At The Half Note" (Verve, 1965)
Wes Montgomeryはこれでやっと2枚目。パーソネルから言って半分はWynton Kellyだがそれはそれでまた良い。どっちかと言えば間合い系のソロプレイ。Wesも案外ゆったりした感じの演奏。ほどけた会話。

ところで色ボケってのは何かの誤解かと>ちまきさん


5/9 GWとは何であったのか

いえタイトルに特に意味はありません。大仰な総括っぽくしたかっただけです。はい。

で、ちまちまと物の整理などしつつ5/1にはようやくBOSEのスピーカーも付き、我がMac OS 8.1の起動音が実はとっっても重厚な(単に低音効きすぎとも言う)ものだったことを発見したり。そんな家およびその半径1km張り付き生活に変化を付けるべく髪結いツアーfeaturing交替で子守りに出掛け、久々に友達と外で飲もうと待ち合わせる5/2の夕暮れ時。ケータイ鳴る。珍しや実家、と思って出ると何と翌5/3に姉一家(除く義兄@work)とともに来訪決定! つまり明朝から突貫で受け入れ準備(a.k.a.掃除と片付け)とな? そりゃない、と思いつつ気持ちよく飲んで気持ちよく寝坊すれば連れ合いのプレッシャーもありフル回転で掃除する翌朝なのであった。

更に明くる5/4には揃って実家詣で。たまにゃ実家でゴロゴロしたいと思いつつもそんな余裕のスケジュールではなく、ただ飲んでたなあとそれだけ。5/5は子供の日ゆえ息子サービスの遊園地。一日券でお気に入りのマシンに何回でも乗せてやるってのがやっぱり正解だなーと改めて思う。息子の満足そうな顔といったら(<親バカ)。この上、同日晩はMさんと拙宅でアコ・セッションまで敢行してしまう。何と彼らは仕事が立て込んでこの日がGW初のまともな休みだったよう。そんな貴重な休日に私らとのセッションと酒宴を選んでくれるなんて光栄この上ない。"Waltz For Ruth"、"James"、アカペラ練習も少々、しまいには何故かユーミンを2、3曲。「12月の雨」なんてなかなかよござんしょ?

で、音楽はどうなったんだ、ってことですが。最近唄ものは要注意です。特にそれなりに歌詞が聞こえてしまう日本語と英語は歌詞に引きずられてしまっていけません。なのでインスト中心ですが、それもモノによります。日によってはドラマチックな展開のものが良かったり、逆だったり。ただ共通して言えるのは、旋律線はある種コトバのようなものでありつつ、コトバとは混じり合わない別の「層」で閉じた系を成しているように思えること。コトバは要らない、といって音だけに耳を澄ますとき、普段のコトバとは違うマトリックスを介して世界に触れている気がします。



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