うへえ。久々だ。連続アニメカテゴリ。私はBSJ+ネット配信で消化。
やっ…と最終話まで来ましたね。ホントお疲れ様でした。この遅延ぶりを後から振り返ると、オンエア当時ちゃんと1週間に1本出ていたことが信じられない。どうやってたんだマジで。
で終わった途端にMAGネットのOPが完成しちゃう辺りがすごい露骨。あっはっはー。
それはどうでもよくて。
映像化不可能とは確かに言われていましたが、それを誰かがお金出して映像化依頼するとしたら、いやまあ、確かに新房昭之&シャフト以外にゃ頼めないだろうね。ああそうでしょうともさ。というか、この時代に新房さんが生まれてなかったら絶対にメディアミックスとか出来ないシロモノだったと思います。原作者さまの言うとーり。
ただそれにしても、ちょっとここまですごい勢いで(商業的に)成功してしまったことは意外な気もした。
原作はげっそりするほど王道キャラクター小説だ、と私は思っていたので、ヘタな人の手にかかるとただのキャラクターアニメに堕ちて終わるだけだろうなぁとは感じていたのです。
まぁそれが商売だからしゃーないとはいえ、日本のアニメイコール萌えキャラアニメみたいな取られ方をされてしまうのはすんげー悔しかったりもするのですよね。
ただ、実の所、商業的に成功しちゃってるのはハルヒであり、らき☆すたであり、けいおん! なわけで。ジャパニメーションって結局ソレなのか、というのは、アニメというジャンルがそれなりに好きな私でさえもちょっとげんなりするというか。
アニメーションという手段はそんなに「狭く」はないはずなんだけどなあ、という違和感。
だから意外に感じはすれど嬉しいことでもあったのです。
ここまで変な意味で「凝りすぎ」な絵作りがちゃんと商材として成立し得たということが。
文字をやたらと挟み込む手法はあまりに「原作通り過ぎて」最初っから茫然としました。なんというか。小説だと隙間なく文字で埋め尽くすのは当たり前なんだけど、アニメだとそれを単純には出来ない。でも化物語は、というか西尾維新は、やっぱり「言葉が過剰に溢れた」作品であるわけで、その辺を表現するために最適化された映像という感じはすごくしました。
あと線が赤いのも。
本の装丁もですが、化物語は全体的に「赤い」物語だというのは原作読んでいた時から思っていたことだったので。
まさに「ツボにはまった」感じがした。
アニメ独自の付加要素も結構きゅんと来ましたのです「能力」使う時に暦の目が赤くなるのとか。
暦は基本的にドカドカ血を流す役目ですが(ひでえ)、残虐シーンが全体的にすごく「ドライ」なのも「らしい」。暦にとっての流血沙汰は所詮「その程度」のものであるわけなので。
あとこれは全然関係ないけど、放送中はiidaのG9が欲しくて欲しくてたまらなく…(暦のケータイ。モデルはG9だと思うのですが)。結局SH004にしちゃったのはiidaラインナップは全体的に電池が電池が電池がぎゃあああ、と聞いたからなのですが、SH004も電池が電池が電池がぎゃあああ。素直に買っても良かったかもなあ。
ちょっとだけ残念だったのは、女子の声優さんがあまりに「定番」過ぎたことかなあ。まあ監督が新房さんだから仕方ないのかも知れないけど。既に固定のイメージがついている人過ぎて。映像の飛びっぷりに比べると「安定しすぎていて」つまんない感じがちょぴっとだけ。特に羽川。
固定リンク / 2010.7.17
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