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ANOSモバイル版構想

 と言ってもJava/BREWアプリじゃなくてWebアプリ、テキストベースで。
 絵が描けないからねー、私は。

 最近のケータイゲーム、特にアドベンチャーは、げっそりするような閉塞感にまみれて来てるなあ、と何となく感じます。脱出ゲーか探偵ものか恋愛ものか、しかも定石に近いようなものばっかりになって来てしまってる印象。

 というのも、ケータイゲーマーは基本的にゲーマーではない、というのが前提になっているからだ、とは思う。
 少しでも難しいと投げ出されてしまう。単価が少額なので、アプリケーション提供側からすると、飽きて投げ出されるのが怖くて安全牌を取ってる感じがします。

 自分で仕事で関わっているWebアプリも、対象がソーシャルゲーマーだというのもあるからかもだけど、とことんライトゲーマー向けにチューンする作戦が現在絶賛進行中で、これでもかこれでもかと、バカげたくらいに難易度下げることに熱中している雰囲気。まー、私はディレクターじゃないからー、言われた仕様で作るだけなんですけどネー。

 …でも、アドベンチャーについては。
 どんなゲームでも基本は、「選択肢を選んで最上のエンディング目指す」のが目的であることは変わらない。その過程がどうなのかってだけだ。

 ケータイ向けのアドベンチャーで、単に選択肢を選ぶだけで終わらないゲームというのがいくつかあって。
 私がプレイしたもので上げるなら、

・サイコミステリーシリーズ

 auは物語が終わる前に開発を打ち切られてしまった悲劇の刑事モノシリーズ。てか今までのアプリを新機種に移植くらいやってもいいじゃん。せめてオープンアプリにしよーよ神宮寺@モバゲーみたいに。買うよ? マジで。
 …逸れました。
 シリーズの主人公・遥は「未来視」という特殊能力を持っていて、ゲーム内でそれを使って、この先に起こることを垣間見ることが出来る。それを情報として持っているかどうかがフラグになって解決への道が開ける。
 ANOSに割と近い。使うのは「未来視」一択だけど、使う回数に制限あり、制限越えるとバッドエンド。で、何処で使ったらいいのかというのがキレイさっぱりノーヒント過ぎて、これは攻略情報なしにクリアする人すげーだろとしか言えない。
 一作目だけは主人公が遥じゃないけど、進行のために「記憶」と称して、選択肢以外の要素を切り替えないとならないのは同じで。これがさらに輪をかけて面倒だった。鬼のような難易度(ケータイでは)。
 ……ただ、元々ゲーマーだった人にとっては、これくらいの難易度がなければゲームとは呼べないよねと思う。思うから余計に、なんで他のモノが残ってサイコミステリーシリーズが終わるんだ。納得出来ないなー。という気分にはなる。
 以前も書いたが、開発中止されて結末を知るチャンスが与えられていないとしても、それでも好きだよ。うふふ。最終話は派手に人殺し祭りだという噂だけは聞いているけど。いつか出来たらいいんだけど、生みの親が作品という子供に愛情を注げなくなってしまっているのかしら。ものすごい打ち切り感だったから(サイトのコラムが)。
 つか、開発止めるくらいなら「お嬢さんをボクにくださいっ」な気分になるよなあ。チクショウ。auの場合はBREWがガンだと判ってるんだから、とっととBREW捨てちゃえばいいのよネ実際。いいゲームなのに。こんなことで埋没させたまま終わらせる気なのか。せっかくの資源なのに。ぶー。

・花宵ロマネスク

 恋愛ADVなのですが、私のプレイ動機はシステム萌え。
 同じく、基本は選択肢なのですが、「ロゴス」と呼ばれるキーワードシステムがあります。これはANOSとは逆で、隠れ分岐出現のため「何処でキーワードを使うか」は誘導されてる。キーワード使わないと先に進めないわバッドエンドだわさあ大変。
 キーワードは当然ながら、そこに至るまでに予め入手しておかなければならないわけですが、その「入手側」のタイミングが、これまたげっそりするほどノーヒント過ぎて死ねる。
 当然、キーワードを「入手する」行動には回数制限があり、総当たりでやればいいだろうというのは通用しない。
 なので、いざ「さあキーワード入れたまえ!」と入力ボックスが出現しても、それまでに入手していなければアウト。戻れないので、そのプレイはバッドエンドで確定せざるを得ない。
 この手遅れ感。
 しかも、キーワードを「入力する」ボックスが出るのだ。つまり、手でわざわざ自分で文字を打たなければならないのだ。キーワードの一覧が出て来て、行き当たりばったり選んでまぐれ当たり、じゃないのだ。キーワードを、ちゃんとプレイヤーが把握していなければ先に進ませないのだ。
 ただし、入手キーワードの一覧画面は一応ある。だから最近の機種ならコピーペースト出来るんだろうけど。
 どっちにしてもハードモード(ケータイでは)。
 萌えるねえ(システムが)。

 「システムが」印象に残ってる代表はこの2つなのですが、いずれにしても言えるのは、ケータイというライトゲーマー・フィールドでは、どちらもちょっと難易度が高過ぎるんじゃないか、ということ。
 自分のようなマゾいADVプレイヤーはともかくとして、ふつーのケータイ・ゲーマーはついて来ないよなこれじゃあ、という気はする。
 攻略情報を探せるようなスキルがある人だと、結局その情報通りに辿るだけの作業ゲーになっちゃう。ADVゲームにおいて一番嬉しいはずの「達成感」があまり楽しめない気がして。

 で、タイトルに戻るわけですが。

 (だらよ3※以外の)ANOSのゲームバランスはすごく絶妙。攻略情報は基本的に必要ないように出来てる。解こうとする意志があれば。
 で、当然ですが、記憶管理システムの存在は総当たりを許すほど狭くはないから、自分で考えて選ぶ、考える、推理する楽しさをギリギリの所でユーザー側に渡しているのがすごいなあといつも思う。(ただだらよ3※は例外。あれだけはちょっと初心者に優しくない)。

 このゲームバランスはケータイのフィールドに持って行ってもウケるような気がするんですよね。
 なんだかんだ言ってANOSのシナリオはどれも「親切」だから。入手キーワードは赤くなるし、使うタイミングもかなり判り易く知らせてくれているし。

 シナリオ本体はかざみみかぜ。さんのものだからパクったりしませんけど、システムをWebアプリでケータイ向けに再現してみたら面白いかなぁなんて妄想をしながら仕事してます。

 もしシステム化するとして。
 記憶管理システムの再現は花宵(同じくWebアプリ)が既に実現している仕組の応用で結構すんなり行く、と思う。
 問題はANOSによってシナリオを自由に遡れるアレ。アレが出来ないとANOSじゃないわけですが、しかしケータイであんな風にシームレスに行きつ戻りつはインターフェイスからして無理過ぎる。スマートフォンなら行けるかもだけど。
 で、代替案として考えたのは「歪みの国のアリス」形式。
 アリスでは、True以外のエンディングを迎えた時、Trueに向かうために必要な決定的な選択を間違えた箇所まで、ワンクリックで戻ることが出来る。
 ANOSでも、石使ってシナリオを行きつ戻りつした時に、未読ポイントや記憶管理を使うべき場所に来ると例の「カチッ」が来るわけですが、この「カチッ」のポイントを、記憶管理などの隠れ選択肢ステータスが更新されるたびに裏で更新してあげればいいのかなと。
 シナリオ中、「少し戻る」「少し飛ばす」の選択肢が、常設メニューとして出ている。シナリオの読み進めを止めてそれを選ぶと、「カチッ」のポイントまで自動で巻き戻り/早送りをする。
 プレイヤーは、戻った/進んだそのページを読み直して、記憶管理のセットを考え直したりして、またシナリオに戻る。
 そんな感じ。

 意外に行けちゃうかも。

 ……とはいえ、本業がすごいことになっちゃってるから、今のところやれる見通しはないのですが。
 「PCゲーム」はまだ敷居高いからなあ。ケータイに下りて来ると別の世界が見えて来る気がするんだけどなあ。…でも今のケータイ業界はある意味消耗戦だからなあ。自転車創業さんにおススメしたいとは思いませんけどねえ。だからやるとしたら個人が趣味でコツコツとなんですけどねえ。

固定リンク / 2010.6.26


ピカソと20世紀美術の巨匠たち

 ひっさびさの美術館。多分10年以上行ってないです。しかしでけぇな宮城県美術館(初めて入った)。
 なんか、美術館ってシーンと張り詰めてる所なイメージがあったけど、そうでもなかったね。最近はその辺、あまりうるさくなくなったのかしら。

 絵については完全に素人なので、本当に有名どころしか知りません。事前に名前を見たってピンと来るのはピカソやアンディ・ウォホールやモディリアーニくらいのもので、他は名前見ても全くピンと来ません。その程度の素人です。
 でもピカソもですが、あの辺の時代の抽象画、っていうのかな、何となく好きで。常に情報を知ろうとはしていないんだけど、知ってしまうと放置は出来ないというか。
 ウォホール、というかポップアートまで時代が進んでしまうと、「好き」のランクはちょっと下がる。面白いとは思うし、キース・ヘリングは実は大好物で見るたびヘンなテンションが上がるんだけど(笑)、でもじっくり見ようっていう感じではないのですよね。ポップアートはポップ側に重きがある感じがする。日常に近過ぎてアートというメガネで見られないというか。

 で、自分が知らなかった人の作品で。
 ヴァシリー・カディンスキーの「鋭くおだやかなバラ色」がステキだったー。ああいうのきゅんと来ます。タイトルもすごいぴったり。基本、言葉マニアなせいもあるけど。組み合わせでグッと来ちゃったのかも。今日の展示の中のベストワン。久々にポストカード買おうかどうしようか迷った(飾る場所が思いつかなくてやめた)。

 あと、これは「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」じゃなくて、たまたま常設展で置いてあったものですが、田中敦子さんの「WORKS 1964」「WORKS 1963 A」が…。
 わー。
 大口開けて見上げてしまった。
 かーっこいいー。この方はこういう作品たくさん作っているんですね。カラフルな円たちはものすごく整然としているのに、その上にうっかりぶちまけちゃったみたいに走るライン、絶妙。すてきぃ。

 ……えーと、素人くさいのは勘弁してください、マジで絵画見る目ないんすから。
 本日はちょっとだけアート浸りな1日でしたのよ。おほほ。

固定リンク / 2010.6.19


沢嶋雄一クンのイケナイ好奇心

 別名、タイムスクープハンター。

 テレビのオンエアを見始めた(とはいうものの録画でですが)のは2期からでした。先日の年末スペシャル再放送ありがたかったなあ。DVDになっていないのですよね、あれ。

 しかし2期になってから、沢嶋は、妙にいろいろやりたがりますね。時太鼓叩こうとしたり、烏帽子触ろうとしたり。見ているタダの素人のこっちですら「それはダメだろう」って判るのに、一応ジャーナリストなはずの沢嶋がそれやっちゃあかんだろと思ったり、まあ全体的にいろいろと重苦しい番組になりがちなので、NHKが頑張って入れたシュールなギャグのつもりなのかも知れないと思ってみたり。真相は謎だが。

 この番組に出て来る役者さん、月代が地毛、っていう言い方もヘンだな、つまり、頭を、カツラじゃなくて自分の毛を剃って作っているっていうのがすごい。役者だからとはいえ、しばらく日常生活どうしているんだ。超短く刈っちゃって揃うまで帽子で過ごすしかないですかね。すげーなー。

 2期は割と、アクションどっかんどっかんの回と、地味ーなシーンが続く回とにきっぱり割れてる印象がありました。「わかりやすく」なったのかしら。
 個人的に好きな回は旗振り師と時太鼓かな。旗振り師はすごいね。あの時代に、限定された情報だとはいえ、大阪から岡山まで20分以内に情報が伝わるってめちゃくちゃ過ぎる。デンワだのインタァネットだの言ってる場合じゃないぞニンゲン。あと時太鼓も、香をタイムライン毎で変えるという発想にかなり感動させられたんだけど、あれは史実ってわけじゃないよなきっと。

 旗振り師や和算の回が代表なのですが、今に存在しなくなった職業紹介みたいなのが割と興味深い。歴史で習うようなことをドキュメンタリーに仕立てられても、それはそれで想定内過ぎるというか、意外性があまりないので、なるほどねーで終わってしまうけど。
 旗振りの時はしばらくgoogleさんに張り付いてました。知れば知るほど、当時の技術でここまでのことを人間がやっていたことに驚いたり、感動したり。
 「未知の歴史」を発見する面白さみたいなものがありますね。タイムスクープハンター。見せ方も面白いなーと思う。

 個人的には、これからも沢嶋雄一はあらぬ方向の好奇心を忘れないでいて欲しいです。次は何に触りたがるのか、実は楽しみにしていたり。とはいえ、次で2期も終わっちゃいますけどね。

2010.6.12追記
 最終回見ました。
 ……さ、最後の最後でマイクロカメラ落っことしましたね!? 沢嶋さん…(笑)。あーあ。始末書ものだねえあれ。上司に怒られてそうだなあ。
 1期の最後は転送出来なくなって、殺人容疑かけられて逮捕という物凄いブッ飛び展開だっただけに、それに比べると微妙に地味ですが、次への伏線になりそうな終わり方でしたね。
 やっぱりギャグなのかしら。最後、見ながら笑いが止まりませんでした…(笑)。笑うトコですよね? あれ。

2010.12.29追記
 スペシャル、凄かったですねえ(苦笑)。シリアス系じゃなくドタバタ系でしたが、しかし、そもそもなんでそんな200年近くもブッ飛ぶんですかマイクロカメラ…(笑)。
 前回のラストで、第一シリーズのラストに比べて微妙に地味とか言っちゃってごめんなさい。最後にはえらく大騒ぎになっちゃってましたな。
 典型的な「アクション回」でしたが、あの、家財道具燃やしまくりのおじいさんという伏線が笑えました。酔っ払いがリヤカーを引くというだけの映像があんなスリルに満ちた映像になろうとは。いやはや。面白いです。一味違います。
 それと、今回は実在の人物が出て来ましたね。前原寅吉。今回は、というか、多分初めて? 後姿ですれ違いってのはありましたけど、ここまでクローズアップされたのは多分初めてですよね。googleさんに尋ねれば出て来るけど、有名人ではないのだろうなあ。いいところに目をつけたなぁと純粋に感心。
 基本的には歴史に名前が残っている人を取り上げるのは第一調査部の仕事のはずだけど、前原寅吉さんレベルだと第二管轄なのかな。戻って、第一調査部とケンカしてなきゃいいのですけれど。俺の領分じゃねーかー、みたいな。

固定リンク / 2010.6.5


「恋愛・結婚のないヒロイン」が見たい病

 だいぶ以前からこの厄介な病気に取り憑かれていて、今のところなんとなく読んでいてホッと出来るのが
・十二国記シリーズ(新刊出ませんなァ)
・守り人シリーズ(バルサかっけー)
・彩雲国物語(男どもはいらねぇっす)
 あたりです。
 ただ彩雲国はまだ「黎明に琥珀はきらめく」までしか消化してないので、以降を知らないけど、でもまあ、惚れた腫れたが中心には来ないですよね、しばらくは。きっと。そう思いたい。
 十二国記と守り人は普通に好き。マイナスポイント何処にもない。

 なんで世の中の「物語」たちのヒロインは恋愛だの結婚だのをしたがるんだろうなあ。男主人公はそれナシで話が進むものも割とあるんじゃないかと思うのですが、こと女主人公になると何故か(恋愛的な意味での)男がしゃしゃり出て来る。
 いーらーんーかーらー引っ込んでろー、と言いたいのだけれど誰も引っ込んでくれぬ。

 それにしてもナゼか(ハイ・)ファンタジー系ばかりなのがますます。現代を舞台にしてしまうと避けて通れないんだろうか。
 実際の「現実」には、避けて通るというか、別にそういうことの必要性を感じていない生き方をしている女はふつーにいる。田舎だと、あの年でまだ独身、みたいな悪し様な言われようをされますですが(笑)。
 現実とは違う主人公たちの活躍に感情移入して胸躍らせて、みたいなものが物語の楽しみ方だとしたら、現代を舞台に、女とか男とか以前に人間として自立している人間、ただし性別がたまたま女、っていう物語だって、あってもいいんじゃないかと思うんだけどなー。なんかあんまりないよなー。

 この「病」にお蔭で、恋愛に縁が薄そうな(?)女主人公モノを知る機会があるとちまちま手を出してしまうのですが、今イチどーもピンと来るものがない。

 アグリー・ベティ。NHK総合でシーズン1が始まった時、あらすじだけ読んで物凄く期待値を上げ過ぎてしまった。惰性で見てる。シーズン4で打ち切りですか。へー。みたいな感慨しかない。
 ただ、シーズン1〜2の間の、非恋愛モードのベティは好きでしたよ。ちゃんと有能でしたし。なんでシーズン3であそこまで無能になりやがりますか…。
 でも何よりやっぱり、やたらに恋愛モードなのが。ベティがアグリーである意味が全くない展開だと、何のための「アグリー」ベティなのかって思う。
 ただ、アメリカのコメディドラマの「文法」にあまりに忠実な作りになってるなあ、という違和感がずっとあって、なんていうか…ディレクターとかシナリオライターとかに恵まれていないだけなのかも知れない、となんとなく。
 「当たり前のドラマ作法」でしか、最初から作る気がなかったのかなあと。外見のコンプレックスを超えて「(中身で勝負の)イイ女」になってくれるのを期待したのに。最初からそういうドラマを作る気じゃなかったんだね、と。だったらふつーに可愛い女の子主役に据えてイチャイチャさせてりゃ良かったのに。もったいないよなあ。
 ただし、編集長ダニエルとベティの関係は超大好き。「友情」というヘンにアメリカ〜ンなベタ言葉にくるまれちゃってるけど、相手の女関係も含めてどーんと受け止めて、恋愛抜きに人間同士で築ける関係っていいよなあ。とはいえ、現実の仕事では恋愛抜きに人間同士で築いてる関係なんてうじゃうじゃしてるのに、どうしてドラマの男女はすぐ恋愛したがるのか。うざ過ぎる。

 海月姫は何で知ったんだったかな、30代ヲタ女子(腐女子と書いてあるけどほとんどが腐ではない気がする)という主人公(たち)の設定で既に笑いが止まらなかったのですけれども、やっぱり読んでしょんぼりしてしまったのです。
 作品自体は好きだしこれからも読むと思います。読むとは思いますが、月海お前もか、なんだよな結局。ああそういう方向だったのか。そんな展開は求めてなかった。アテが外れた。むー。という感じ。作品自体が嫌いなわけじゃないけど、期待していたのとは違った。

 なんで世の中の物語では、女という女がすべてオトコ好きに描かれているのだ。いやオンナ好きを探してるわけじゃなくて。
 そういうのを、特に避けるでも僻むでもなく、人生の些事の1つとして片付けておいて、ただ当たり前に、日々を悩み苦しみながら、自分の生き方を貫くような「ヒロイン」はいったい何処にいるのだろう。
 男はいるよな。別にオンナ抜きで硬派に生きるヒーローたちは。
 なぜオンナだけこうなのだろう。

 じゃあ男主人公ものでいいだろう、という気にはならないのですよね。
 守り人のバルサがカッコ良すぎたのかも。バルサは男じゃ成立しないと思うんですよ。あの話。どっかにうっすらと漂う母性みたいなものとか。剛毅だけど不思議と細やかな部分とか。
 なんというか、男と恋愛するための性別としての女じゃなくて。
 メガネかけてるとか、背が高いとか、そういう、人間の個性の1つとして、たまたま性別が女であるだけの「人間の」話がないかなーと。「女の」話じゃなくて。

 うまく言えんのう。うまく言語化出来ないから、結局探し出せもしないのだなあ。うーん。守り人と十二国記が良すぎてしまって、ハイ・ファンタジーから手を広げられないのも問題なのか。

2011.2.20追記
 海月姫アニメ、終わりましたねー。田舎者はBSフジで見ていました。原作がそこまで行ってないせいですが、なんて中途半端な最終回なんでしょうか。ちょっと寂しい(苦笑)。
 絵柄といい雰囲気といい、あまりに原作どおりなので、その点はちょっと楽しかったです。あのまんま動いてる! という感動が。でも話が。うー。話題作なのは判るけど、もーちょっとストーリー展開が進んでからの映像化の方が良かったような気もしなくもないですね。途中で終わってる感があまりにあり過ぎた気がちょっと。

固定リンク / 2010.5.29


おおかみかくしアニメ

 BS-TBSで消化。ゲームはプレイ済よ。

 博士は原作ではほとんどボイスないし、喋ったと思ったら悲鳴、みたいなキャラだから、アニメでここまで出ずっぱりだと逆に違和感が(笑)。というか、なんであんな掠れ演出なんだ。もっと普通でも良かったんじゃ。小林さん風邪引いてたとかいうオチだったらごめんなさい。

 かなめちゃんは原作でもメイン人物の1人として紹介される割にあまり活躍の場がない子でしたが、アニメではちょっとだけ地位向上しましたね。というか、民俗学方面はアニメの方が、狭いけど深いツッコミになっていたような気がします。かなめちゃん、面白い地位になりましたね。
 五十鈴ちゃんは良くも悪くも想定内。彼女はあああするしかなかろうて。ははは。

 そして一誠さんは。
 ………まあ、アニメ化に至っちゃえばそうなるだろうな。腐女子要員とか。彼は色んな意味で多分一番「悲惨」なキャラなので、ゲームのサブストーリーで救われてるからまあいいです。それにしてもあの後輩さんが可哀想だ。とばっちりだ。

 そして。
 賢木ファンクラブ(会員1人)としては、彼のアニメ版での取り扱いが中途半端過ぎて残念。
 と言っても、出番を多くしろと声高に言うつもりもなくて。

=================== ネタバレ結界スタート ====================

 三重子と香織がすごく似てるという設定を前面に出し過ぎて出汁巻き卵までやっちゃうと、それでもなおかつ彼が改心しないのは、放送業界的に多分問題なんだろうと思うので(笑)、まあ…なんていうか、賢木が「最後まで悪役でいるために」あまり深入りしなかったんだろうなあ、と解釈してます。
 ただ、だったら完璧に隠し通す方向が良かったと思ったりします。
 彼が親しい誰かを殺されて町を恨んでいるらしいという設定は、三重子と香織の類似性を出さなくても生かせるし。というか、ゲームのルートではそこ止まりで終わってる方が多いじゃないですか。ねえ。ヘタに絡ませない方が良かったんではないかと思ったりしたのですが。
 眠の戦利品エンドとか、アニメ化するには綺麗だったんじゃないかと。というか、アニメ見る前までは、アニメは戦利品ルートで来ると予想してました。あれが一番まとまってると思ったし。えろえろな眠ちゃん(※違います)も堪能できるし。あ、えろえろな眠ちゃん(※違います)はアニメ化されてましたね。一応は。

 賢木ファンクラブ(会員1人)としては、復讐奔流こそメインルートッ!!(拳握り締めて絶叫)と言いたいですけど、ですけど、ですけどね(笑)。でもあれはアニメ向きじゃなかろうて。ええ。
 自覚してますのよ。どうせ、最後に負けるために出て来るだけの悪役扱いで終わるんだろうよ、とは思ってましたのよ。尺も足りないし。だから。うん。逆に、あそこまで設定を出さない方が却って清々しいかと。
 っていうか、アニメ見ている人、判らんのじやないかと思うんだが。あれだと。賢木、ただの香織ストーカーに見えませんでしたか? 賢木が一方的に監視しているみたいでキモいよなあれじゃ(笑)。
 三重子のことはともかく、賢木と香織の関係って、ちゃんと描かないと理解されないよなあ。
 なのにあれをオチにしちゃうのはなあ。
 ねえ。

 あとはあの八朔祭りだ。
 白昼堂々カミオトシは絶っっっっ対ムリ。あれだけは許せん。物語の根本思想を根こそぎ大鎌で刈り取るようなことしなさんなよ、可哀想に。しかしまあ…本当にああいう世界があったんだとしたら、非共存を選ぶのもありっちゃあありだけど…原作のメインテーマ「共存」があらぬ所にフッ飛ばされちゃいましたなあ。

 そしてウサエルさん。
 まさか着ぐるみウサエルまでアニメ化するとは予想外でした。あれはちょっと苦笑。ゲームをやった人だけが垣間見るおまけエピソード扱いにしてあげて欲しかったなあ。せっかくのタイアップなんだから、原作にしかない部分も少しは残しておいてあげなきゃダメじゃん(笑)。

 …とか。
 「ゲームじゃないと明かされない部分」がもっとあっても良かったんじゃないかと思うんですけど。中途半端に盛り込み過ぎた印象。アニメはルート分岐のない世界なんだし、一期だけだったし(さすがにあのラストで続編は無茶だろう)、もっとすっきり作った方が良かった気がするんですがねえ。折角のアニメ化なんだから、それきっかけにゲーム売ろうとしてもバチ当たらないんじゃないかなあバンダイさん。

固定リンク / 2010.5.8


ジャニーズとアニソンの共通点

 音楽不況と言われている中でも、「出せば売れる」固定客がついている。

 エキサイト経由で日刊サイゾーのこの記事を読んだ時、あれ? と思ったのです。
 まあ、この記事を書いた方はレコード会社の人じゃないんだから仕方ないけど、現在の音楽市場に於いて、何が「売れてる」のかは、もう既にチャートがイヤなくらいの答えを出しているのに。

 レコード会社とやらが、本気で「売れない」なんてことに悩んでるんだとしたら、そいつはアホや。というか、80年代バブル世代思考のプロモーション担当を大量首切りするといいのですよ。にぱー。

 なんつーかね。
 サイゾーの記事にも書いてありますが、未だに、音楽を売る手段がタイアップと大量露出なのか。バカじゃないのかオイ。
 ネットの合法違法含めたダウンロードサイトや動画サイトがこれだけたくさんあるという現実を知らないんですかあなたたち。未だにネットも引かないで仕事してンの?

 「いまの」状況であれば、音楽を聞きたいと思う人は、その大量露出と、その露出頻度と比例して爆発的に増加する(無料の)ダウンロードや動画サイトによって、既に満足してしまうでしょうに。
 大量露出をかければかけるほど、タダor格安でその曲を聴けるチャンスを自ら拡大することになる。
 ……どうして気付けないのかな。当たり前の話なのに。

 ジャニーズとアニソンの共通点。
 彼らのファンがCDを買う時、何が原動力になっているかと言ったら、それは「音楽を聴きたい」ではないはずなのですよ。
 もちろん、聴きたいから買う層もいるとは思います。が。安定して「固定客」がついているのは、音楽を聴くため「だけではなく」CDを買う層がいるからだ、と思えるのです。

 つまり「所有欲」の発露がチャートなのであって、音楽(やアーティスト)の良し悪しがチャートなのではありません。

 音楽を売ろうとするから売れないんじゃないのか。CD(or DVD)という名前の、「何かしら所有したい、手に入れたいという価値を感じるパッケージ商品」であれば売れてるんだと思うのですよ。

 アニメやゲームのようなA系サブカルは、伝統的に、この「所有欲」を刺激するやり方がめちゃくちゃウマい、と思います。もちろん、その商法がえげつなさ過ぎて時に批判の対象となりますが、それでも歴然と「売れてる」。
 これが今の日本の現実であり、何を客が求めているのかのサンプリングもいとも簡単に出来ると思うのですが、「レコード会社」とやらは、決してA系サブカルのえげつなさをちゃんと観察しようとしていない気がします。

 検索結果のワクを金出せばグロスで買えると思っているような広告代理店に、ぽーんと金出して、タイアップやら露出やらをさせることがプロモーションだと思っているんだとしたら。
 たぶんいつまで経っても「売れる」方策なんか見つかりっこないでしょうね。
 …ねー。

 金かけて何もしないで売れないねーって言ってるうちは、売れるようになんかなりませんよ。

 今の嫌消費社会では、どの世界でも、商売ってそういうことなんだ、というのはひしひしと感じますよ。
 作り手が作りたいと思うものじゃなくて。えげつないくらい買わせる努力をした結果として売り上げという数字が立つだけのこと。
 モバイルのソーシャルゲームの世界も然り。別に自分が面白いと感じなくても、課金への誘導がうまいかどうか、課金サイクルが作れているかどうか、それだけのためにバカみたいにゲームをどんどん不便にして窮屈につまんなくして行って、そのオコボレが自分の給料という結果に戻って来る。手取り10万も行かない極貧ワーキングプアが100円200円の世界を貪るのがソーシャルゲームという世界なんだなあって。

 ダウンロード販売に活路を見出そうとするなら、同じ覚悟をしなきゃですよ、音楽産業様。
 それがイヤなら、CDやDVDという「モノ」に対する所有欲をマーケティングしたらどうですかね。いい加減、アニソンをバカにしてる場合じゃないと思うんだな。本気で「ナゼ売れるのか」を分析したことあるんすかね。

固定リンク / 2010.5.2


映画「ハゲタカ」

 ドラマ版の話はこの辺でちょっと書いた。

 ちっ。誰が悪いんだこの薄さ。監督の大友さんは、作品作りについては偏執狂(いい意味で)だから、彼がこうしたかったとは思えないんだよなあ。
 いろいろ言われているけど、やっぱり、「スポンサー」が存在しないNHKでなければ作れないドラマだったのだと思う。ハゲタカは。「民放」が入り込んだだけでこうも薄っぺらになりやがる。ああもう。うぜーぜ資本主義め。

 製作途中のリーマンショックのせいで根こそぎシナリオが変わったという話は聞いていましたが。それにしても。
 なんだろう。あまりに現実に即し過ぎてて、スタンリーの破綻を加速させた鷲津ファンドのようなファンドが現実もいたのかなあ、なんてことをなんとなく考えたりします。
 現実のリーマンショックでは誰も得をしていないのだと思いますが、多分鷲津ファンドはそれなりに益を得たんですよね。描かれてないけど。まさかアカマ買収阻止だけがリターンだなんて言わないよな? ファンドなんだからサ。
 ……でも、だとすると、あの映画の世界では、世界経済の崩壊に引き金引いといて、自分だけスリ抜けた悪徳ファンドってことにならないのか鷲津ファンド。
 悪役だ……(笑)。
 超悪いやつだ……(笑)。
 せんせーまさひこくんがわるいことしてまーす!!

 派遣のモリヤマくん(守山なのか森山なのか)のエピソードは本当に蛇足でしたですね。残念なくらい。あれも時事問題対応で無理に押し込んだエピソードだったのかもだけど、劉が何をしたかったのかよく見えなかった。
 あと彼がアカマの車に乗って走り去るシーンはちょっと現実感がナイ。派遣工は維持費のかかるクルマにそう簡単に手は出さないと思うよ。たかだか400万程度じゃなあ。彼らを映画スタッフがどう捉えてるのかはよく判らないけど、そんな算数が出来ないほどバカじゃないよ。派遣だって(※私も派遣歴長いっスからね)。

 これは蛇足だけど。
 ドラマとはいえ、何処にでもいますね芝野さん。この日本はそんなに人材が足りないのか。再生屋と言えば彼しかいないのかい日本は(苦笑)。

 さてと。
=================== ネタバレ結界スタート ====================

 圧倒的に「足りない」のはもちろん劉本人、というか劉の戸籍を乗っといてまで日本に来た彼のことだ。

 今の中国の現状をよく知るわけじゃないけど、母親が売血ブローカーに頼って金を作っただけでファンドマネージャーにまでなれるのか本当に。
 壁にアカマ車が描かれたあの家、周りの雰囲気だって、なんていうか、騒がれている「蟻族」のような、高学歴だけど職がないっていうタイプでもなかったように見えるし。
 しかも中国政府絡みの資金預けられて、さらにスタンリーの失態を越えても「君の席はある」とまで優遇されるファンドマネージャーって、そんな地位、金で残留孤児三世の戸籍買ったくらいでなれるとは思えないんですよね…。
 なんかねー。
 もっと物凄い血の滲むような思いや努力があったんだろうなあと思うわけで。
 ホテルで子供みたいに爪噛んでるシーンが痛かった。痛々しかった。
 アカマ車に憧れた寒村農家の子供が、もし本当にアカマ車への「憧れ」だけで行動を起こしたんだとしたら、なんでファンドなんですか劉さん(仮名)。いやもっとふつーに関わる方法あると思うんですけど。売るとかクルマ作るとか貿易に首突っ込むとか。

 中国側がアカマから手を引くことを決めて、それでもファンド会社は、ホライズンが鷲津にしたようには劉を切り捨てなかった。
 あ、でも、これも結構「何そのアマちゃん。どー考えてもスタンリーに手出した劉(仮名)にそこまで優しくする意味ねーだろー」と思ったんだけど、それでも劉(仮名)は慰留されてんだよね。
 でも劉(仮名)の側は明らかに離脱でしたよねあれ。
 それは、鷲津が叫んでいたように、劉(仮名)にとってはアカマであること意味があった、という描写なのでしょう? たぶん。
 でも、公募に応募してファンドマネージャーになった劉(仮名)が、都合よくアカマにピンポイントで関わりを持てるというのも明らかに不自然だし。

 とかさ。
 とかねー。
 などなど。
 なんかこう。
 モリヤマくんの件を含めて、劉があの地位にのし上がって来た経緯、何かをしようとしていたはず、抱えていたはずの裏の思い、が足りないんですよ。圧倒的に。
 ドラマ版の鷲津が抱えていた苦しさ、200万で人を殺した罪悪感からやって来た三島製作所との因縁、あけぼの再建までの道のり、あの辺の描写のベッタベタな所は、ハゲタカに於いて明らかに一本の芯だった、と考えてました。
 ただの金融ドラマでは終わらない、「ドラマ」にするだけの意味というか。

 たぶん。
 その辺はシナリオ書き換えでごっそり落ちちゃったんじゃないかなと想像してます。
 でも、だとしたら、そこ落としちゃダメだろーと思うんですが。
 ドラマ版が鷲津vs芝野だけど、映画は今イチ劉vs鷲津になってない。映画が始まる前に、鷲津はドラマ版で様々なストックオプションを既に与えられた状態で始まっているんだから、それに見合うだけの描写が劉一華側にないのはどー見ても不公平すぎる。
 ものすごい不足感。ぜーったい何かが足りてねー。

 なんだろう。映画の2時間強という時間が、これほど、1つの物語を描くにおいて「短すぎる」と感じたのは初めて。

 あれやコレが3部作や2部作で製作されているのに、どうしてハゲタカだけが1本で終わるように作らないとならないの?
 なんでよ。
 なーんーでーよー!!
 描くべきものを描かないで作品として成立させようだなんて、そんなことしそうもない監督さんなんだけどなー。なぜ甘んじたんだ。悔しいなー。

固定リンク / 2010.4.25


ミステリィの公平さ

 うみねこが話の中でノックスの十戒とか出して来たり。推理がそもそも可能なのかどうかという箇所を命題にして来たり。そういう話なので、「解けるように出来ている話」とはそもそも何なんだろう、みたいなことをちらっと考えさせられたりする。

 ゲームとしての推理モノは、解けないとクリア出来ないので、作者は一生懸命伏線を散りばめるハメになりますが、小説にはそういうことをしなくてはならない道理はないので、好き勝手にやってる作家もいるわけだね。
で。それを卑怯だと責める一派とかもいたり。

 念のためネタバレ結界貼っときます。そのものずばりは書かないですが。

●アクロイド殺し / アガサ・クリスティ
●そして誰もいなくなった / アガサ・クリスティ
=================== ネタバレ結界スタート ====================

 アクロイドが失敗でそして誰もいなくなったが成功例、みたいな語られ方をしている解説を読んでちょっとびっくりしたのですが、うーん、確かにこの差はデカいのかも知れないですねえ。視点がこっちに固定されてしまっている「アクロイド殺し」と、視点はとりあえず「あっち」にある状態の「そして誰もいなくなった」。

 個人的にはアクロイドは別に卑怯とは思わないのですが、それは今の感性なのかも知れないです。今となっては作家の「手法」としてありえるというか1つの手段に過ぎないだろうし。
 いや、今でも本格原理主義だとアウトなんでしょうか。厳密な人だと。どうなのかな。

 「そして誰もいなくなった」の方は、ある意味「親切過ぎる」箇所がちらほらあった気がしました。独白的に怪しげな文章突っ込んでフェイドアウトみたいなのとか。でも真犯人の動機につながるようなことは一っ言も出て来やしないんだけど。
 ただ小説として見ると微妙に「親切過ぎて」もったいない気がする。解くことが目的の推理ゲームなら必要だけど、という。

 結局、当時の推理小説の読者は推理アドベンチャーゲームを求めていたのかなあと。クリスティに求められた役割も、ゲームシナリオライターであって小説家ではなかったのかも知れない。
 それはそれで結構きつかったんじゃないだろうかと。なんとなく。
 というか、うーん、彼女はゲームシナリオライターではありたくなかったのかなあと。時代がズレてたら良かったのかもねえ。

固定リンク / 2010.4.17


この組み合わせに特に意味はないデス

●銃とチョコレート / 乙一

 読み終わってから知ったけど、児童書範疇で書かれた本なんですか? これ。変な平仮名使いする本だなあと思ったけど、そんな背景は全く知りませんでした。

 いいですねー。アンチヒーロー全開。ドゥバイヨルかっこいいなあもう。ヒールで登場して最強の名探偵で終わる(笑)。主人公に立たされているリンツの立ち位置のなんと中途半端なこと(狙っているんだと思う)。ただ、移民という被差別環境に置かれた少年が、世間からの非難に追われながら事件の真相に迫って行く、という、典型的なジュナイブル展開がちゃんと芯として機能しているから、物語自体にブレはないです。さすが。
 お母さんもお祖父さんもかっこええ。この物語でカッコよくないのは「名探偵」の周辺だけですね。
 怪盗の正体にもやられました。なんて綺麗なご都合主義。でも一種の様式美。

●ガール / 奥田英朗

 負け犬ブームの時にメディア・イメージとして作られている30代OLのプロトタイプに振り回されてないですかアハーン? みたいな意見がぶっちゃけ正しかったねえ。気持ち悪いなあこの典型化。こんなん、マスコミその他でいいように作り上げられた、平均化された女性像そのまんま。
 「男社会」との対比が上手なのは、男社会をよく知ってるからなのかも知れない。どっちにしても、うん、すっごい「男目線」を感じます。ぞわぞわする。どの登場人物も、イマドキのオンナってヤツはこういう風に見られたがってるんだろう、という作為っぽさというか、整合性の取れ過ぎた客観性を感じてかなり不気味だ。
 実際は人間なんて千差万別なんだから、こういうオーディナリィ・ピープルの書き手というのはそれだけで不利なものなんだから仕方ないとも言えるけど。
 …うーん、それにしてもやっぱり典型化が過ぎるな。小説として、物語としてまとまりはいいので、職業作家としてはこう書かざるを得ないんだろうナーとは思うけど、似たような立場の人間の共感を誘えないというのは。評価の難しい本だねえ。どっちかというと、おぢさんたちが最近のオンナを知るための資料(と勘違いされそうなナニか)、みたいな見えます。オンナが読むより男が読む方が面白く感じる部分があるんじゃないかしらん。
 こんな生き方してるオンナなんか世の中にいない。帯で共感をウリにしているけど、そらぞらしいにもホドがある。労働をナメンなよコラ。
 ただし、それと小説としての完成度や良さは別だけど。ほんっと、うまく出来てるよねえ。売れるのは分かるねえ。でも棒読みでしか言えないんだよなあ。

 …あ。今気付いた。
 そうか。これ、書かれたのはリーマンショックより前だったね。
 登場人物たちの仕事に対するムカつくを通り越して呆れるほどの甘チャンさは「あの頃」だからか。
 ……んー。だとしても、当時読んだとしてもやっぱり共感は出来なかったと思うけどね。ホント、こんな働き方なんてしてンのは「創られたOL像」だけだ。こんな働き方で生きてけるような会社はない。バブル時代ならともかく。

 あああああ。これだから私は作者買いが出来ないんだ。伊良部は大好きなのに! なのに! なのに! オンナを描くな、でファイナルアンサーなのか? …そうかも(あと、石田衣良さんもオタクを描かないで欲しい。ホント。マジで)。

固定リンク / 2010.4.10


ひぐらしのなく頃に絆IV・絆

 やれやれ。ようやく終わりましたのです。発売して割とすぐに手に入れてたのですが。
 祭囃し・賽殺しはほぼ原作通り。新澪尽しは第二部以外はほぼPS2版と変わらず。っていうか巴さん、赤坂ポジに来るのかと思ったらあれだけか(笑)。
 言祝しは…うーん。なんなんだこの中二病。わざとなのかもと思ったりもしなくもないけど。
 個人的には、フラグ解放の順番は言祝しの方が先が良かったなあ。理想を言うと祭→澪→言→賽。っていうか、やっぱり賽、「カケラ遊びの終わりに」こそが本当に本当のラストに来て欲しい感じ。今になって振り返ると、うみねこにもつながる言葉ですし。ねえ。

 ストーリー内容に触れない感想から言うと。
 まず演出担当、腹くくれなのですよ。にぱー☆
 やだもう。SEの使い方が最っ低。確かに最近の竜騎士07先生のエフェクト使いはアホっぽいですけど、それはうみねこ世界観の中で生きてるアレでアレでアレなわけで。ドシリアスでぴきーんとかずこーんとかやたら連発するの本っっっっっ当に勘弁して。うざいだけで全く効果的じゃないから。苛々する。
 で相変わらずBGMの音質悪いしなあ。「サウンド」ノベルをなめんなー、なのですよ、再び。メモリの使い方間違ってる。ぎゃあぎゃあ。

 さて、では行きましょう。
=================== ネタバレ結界スタート ====================

●新澪尽し第二部

・荒川…
 …親子揃って…(苦笑)。でも、こういう方向で突っ込んでいるような「情報屋」だと、皆殺しラストのアレにはあんまりつながらない気がしますね。確かに、面会謝絶のはずの圭一に会った(かも知れない)っていうだけで、不気味な人脈持ってそうな気はしますけれども。
 実は原作の設定から一番飛躍しちゃった人かもですね。

藤田くんだけ立ち絵もボイスもありってのは何の伏線だ。
 こーのー伏線かー!!!(笑)
 「敵」側は基本的に立ち絵も声も出てないのが基本でしたからねえ。
 …そーいうことだったのか。へええ。
 とはいえ、なんか、うーん。微妙ですね。最後の最後に「兄を殺した」とかアレ持って来てヘンに持ち上げるあたり。立ち絵つきに昇格しちゃったからなのか。そんな余計な設定つけないで最後まで悪役でいた方が清々しかったような気もするんだけどナー。立ち絵もないままに。

・薬
 なるほろ。C100番台が直接流出とかいう設定ではなかったのか。
 …しかしなー。ちょっとコレはご不満なんですけどネー。雛見沢の風土病のための薬が、全国どころか世界規模で「有効」とされてしまうのは納得行かないっつーか、入江の苦労がぶち壊しというか。だって症候群はウィルス性の病、っていうことになってるじゃないですか。なのにさあ。神経系の薬物の分野でその名が出て来るのは違うでしょう明らかに。設定無視し過ぎなんじゃないの? ただの鎮静剤と同じ扱いか? じゃH100番台は向精神薬なの? どっちにしても、神経科の領域? ありえねぇ…やめてくれそんな捏造。
 あと、神経系の病で「薬の副作用」を「患者側から」訴訟にまで持ち込む(しかも昭和58年で)、で、ニュースになるくらい患者が表に立つ、というのは無理がないかなあ。多少「異常行動」が出たとしたって、その当時の、しかも患者の家族という立場のシロートが、「薬のせい」なんかに出来るの? 無理っぽくない? 昭和58年くらいだったらきっと、それも「心の病気だからこんなおかしな行動をするんだわ」って嘆いて終わりだと思うし、ましてや、身内にそういう病を抱えている人がいることを声高に言えるような勇気はなかったと思うんだよな…時代的に。
 ……いや、前半はきっと平成の今でも同じだと思う。神経系の病を抱えた人の異常行動を、普通の人が、薬のせいに出来るなんて思えないな…ネットがあれば口コミから「薬を変えてみよう」にはなるかも知れないけど、それで行動が変わったとしても「薬が合わなかったのね」で終わりそうな予感。
 レナの例が典型でしょう。レナの父は、純粋に娘と心を慮って雛見沢への引越を決めたんだし、アレが「薬の副作用」なんて可能性は思い至れなかったと思いますが。
 …まあ、あの辺りの話も結局、政治の道具として使うために誰かがけしかけていた、ってことになるのかなー。そうでもしないと訴訟は起きないし、ましてや世間的に大きな話題になるほど一方的に患者勝利にはならないと思うんだけど。裁判長だって検事も弁護士も迷うでしょう。薬のせいか病気のせいか。肉体的な病とは違って。肉体的な病の薬であるタミフルだって、現代ですら、結論出てないのに。
 最大のご不満。ぶーぶー。というか、沙都子の病院の件もそうだけど、シナリオライターは昭和を知らな過ぎるぞ。平成じゃないんだぞコラ。

・それにしても社会派
 なんかげっそりするくらい社会派ミステリー仕立てになってましたね…。この権利がうごめく様の気持ち悪さは、正直言うと、あんまりひぐらしの世界観の中にはあるべきでない感じが物凄くする。
 確かに元々の原作も政治の権力争いに鷹野が翻弄された構図ではあるのですが、それでも、「喜劇と悲劇」と謳うだけの「劇場型」の物語だった、と私なんかは思ってたりします。
 強烈に力強いフィクションだったからこそ、「暴走する前に誰かに相談しよう」みたいな青くさいスローガンが浮き出して来るような構造。フィクションくさいからこそメッセージ性が大袈裟に力強く響くような構造。
 なんかね。警察の組織的な話とか、責任の取り方とか、立場とか、そういう所に文章を割かなくても、「そういうものがある」程度に流した方が「らしかった」気もするのですけどねえ。原作が、アルファベットプロジェクトや東京について変に突っ込まなかったのと同じように。
 必要なのはそんなことよりも人の想い。ひぐらしはそういう物語であって欲しい。…という私の勝手な思い込みかも知れないんだけど。

●言祝し

 異世界からやって来た生命体か。幽離するのか。へええええ。
 ……もうげんなりするほど中二病設定だなあ。発売前の登場人物の紹介を見た時からヤーな予感がしてて、まあその通りで来たかー、みたいな。

 ただ…。
 ちょっと陸と羽入が惹かれ合う動機が弱い気はする。なんで好きになるんだこんなの(※陸と羽入、両方)。

 どっちらしても「おとぎ話」の域を出てない話なのだし、最後に来るのはやっぱ納得行かないな…。これは番外編というか外伝扱いで良かったと思うんですけどね…。

固定リンク / 2010.4.4


出勤前、朝のお目覚め番組。これがNHKの解答ってわけデスね。

 正直、Eテレ0655Eテレ2355にはちょっとビビってたりします。うわーここまで来たのカーと。

 元々、佐藤雅彦さんテイストというのは、だんご三兄弟にしてもピタゴラスイッチにしても、主に「子供向け」フィールドで使われることが多かった、ような気がします。そもそもアニメですしね。
 でも、ピタゴラ、シャキーン、クインテットや、最近はクッキンアイドルアイ! マイ! まいん! など、NHKの「子供向け番組」の一部は、A系サブカルに鋭い大人、いわゆる「おおきなおともだち」を妙に引き寄せるオーラを持ってたりする。
 でも番組の表向きターゲット層はあくまで絶対に「子供」で、おおきなおともだちについては、テレビなんだから見られちゃうのはどうしようもないとしても、そういう層について表立って迎合も敵対もしてない、というイメージがありました(プリキュアは一時キバ剥いて敵対してましたね…まああれは「おおきなおともだち」側もよくなかったのですけれども)。

 しかし。
 …おそろしーことに、0655と2355は最初からサラリーマンターゲットですね。「忘れ物撲滅委員会」の内容だって子供には向けてないし、真心ブラザーズ小泉今日子細野晴臣って。ああた。どの辺の年齢層を狙ってるのかまるわかり過ぎて、最初に見た時は呆気に取られたというか。

 うわー。

 そりゃまあ。
 ピタゴラとかシャキーンとか、シュールな作風でちっちゃいコーナー積み重ね系のショートプログラムを楽しんじゃってる「おおきなおともだち」は多いですし。
 間違っちゃいないですけど。
 いないんですけれども。
 ……なんかへんに「読まれてる」感があって変にくすぐったいこの感覚はなんだろう。

 そもそも、最近のA系サブカル層に対するNHKの迎合っぷりは何だか異常な気もしてる。こないだねとすたが終わって、ああNHKのおエライさんの堪忍袋の緒がブチッと行ったんだなーと思ったら、すぐまたMAGネットが始まってしまって、え。ドコ行くのあなたたち。という戸惑いが。
 いや楽しいデスけど。嫌いじゃないデスけど。
 視聴率に振り回される民放よりは健全だという気がするけど。だって自分が欲しいものならおカネを惜しまないのがA系サブカルだからネ! 受信料だって払いたくなるカモネ!(ウチは払ってるゾ! 銀行の自動引き落としだゾ!)

 「朝のお目覚め番組」として民放が垂れ流してるくっだらない「世間の話題」だらだら番組より、見るために格段の集中力が要求されてしまうのヨ、0655。
 そうか民放の皆様は、忙しい朝にこんな風にじーっと見ちゃうような番組にしてはみんな困るだろうと、1時間も経てばカケラも覚えてないような身のない番組垂れ流しているのかも。そうか。気遣いなのね。電波の無駄遣いめ。時計だけ画面に映してやがれ。
 でもどっちがいいのかは正直判らなくなって来たヨ。朝の5分は超貴重なのに、なんか眺めちゃうんですもの。しかもじーっと。そして気付けば、仕事中とか、何時間後であっても「わすれーもの、ぼくめついいーんかいぃー」が頭にぐるぐるしてる。
 ヤバいなー。

 ちなみに、2355では「今日のトビー」が猛烈に大好きらしいです。それなのに誰が脚本書いてるのかサイト見ても判らない…きー。書ーいーてーるーのーだーれーなーのー。ツーボーなーのーにー。

固定リンク / 2010.4.3


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