ノーベル平和賞カンファレンス in Tokyo『核兵器の脅威への対応』が、7月27日に上智大学でノルウェー・ノーベル研究所主催、日本被団協と上智大学の共催で開かれました。
ノーベル委員会のフリードネス委員長と日本被団協の田中熙巳代表委員、児玉三智子事務局次長が基調講演。フリードネス委員長はノーベル平和賞を被団協に授与した理由を述べ「若者のみなさん、あなた方がこの記憶の未来における管理人です。沈黙の拡大を許してはなりません。物語を語り、歴史を学び、忘却を拒否し、声を上げよう」と呼びかけました。田中さんは日本被団協が「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」の2つの基本要求を掲げて運動してきたことを述べ、「私たちがやってきた運動を次の世代の皆さんが工夫して築いていくことを期待します」と呼びかけました。児玉さんは自らの被爆体験と、父母弟と娘をがんで亡くした悲しみと放射能の恐怖を語り、「日本政府は核廃絶の先頭に」と訴えました。
続いてノーベル研究所のハルプビーケン所長の進行で、ノーベル委員会のアスレ・トーヤ氏と秋山信将氏、中村桂子氏、小松太郎氏によるパネルディスカッションがありました。約500人が来場。ユーチューブ視聴は3千を超えました。
核兵器廃絶日本NGO連絡会は7月26日、渋谷のコーププラザで、ノルウェー・ノーベル委員会代表団4人との意見交換会を行ないました。NGO連絡会からは11団体36人が参加しました。
フリードネス委員長は、受賞団体の母国訪問は初めてで歴史的な出来事であるとして、「広島と長崎を訪問したことは人生で忘れられない経験であり、『核のタブー』が危機に瀕しているこの不安定な核の時代に突入するいま、被爆者以外の新しい世代が、非核活動をしている姿に励まされている」と述べました。
連絡会メンバー7人の発言を受け委員長は、「世界中で民主主義的な価値観が後退しているなか、それに対応するためには対話と教育が重要。日本被団協を含む日本の平和運動の歩みは、これからの世界における平和の実践の大きなカギとなる」と発言、今後の協力についても意欲を示しました。(松村真澄)
来日したフリードネス委員長はじめノルウェー・ノーベル委員会の一行は7月26日、午前中の核兵器廃絶日本NGO連絡会との懇談のあと日本被団協事務所(東京港区)を訪問しました。
委員長は手狭な事務所の状態にも「活動家たちのエネルギーを感じる素晴らしい場所だ」と絶賛。昼食のお弁当を全員が喜ばれました(写真は委員長による自撮り)。
初来日となったフリードネス委員長は、「記憶に残る生涯忘れられない旅、学びの旅である」とし、「今回の旅のハイライトは日本被団協事務所の訪問だった」と笑顔で語りました。
その後、日本被団協に「温かく歓迎していただき深く感謝します。みなさまの強さ、尊厳、そして平和への継続的な訴えは、世界にとって大きな励みとなっています。みなさまのメッセージを心に刻み、大切にしていきます」との手紙が送られました。
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| フリードネスさんと田中さん | カンファレンス |
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| NGOとの意見交換 | 日本被団協事務所で |
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| 写真=ヨハネス・グランセス/ノーベル平和センター |
ノルウェー・オスロのノーベル平和センターで8月6日、「ノーベル平和会議2025」が開かれました。会議の目的は2024年ノーベル平和賞受賞者である日本被団協の「核兵器のない世界」にむけた活動を称えることと、被爆者の証言を背景に核兵器が二度と使用されないための取り組みを強化する解決策を探る、というものでした。8月6日開催ということで3人の代表委員の出席は難しく、急遽和田が行くことに。多くの支援を感謝いたします。
会議では、ノーベル委員会のフリードネス委員長が、日本被団協の働きに対する感謝と共に、核廃絶は世界全体が責任を持つべき問題であることを強調しました。続いて和田が基調講演をさせて頂きました。
続いてこれまでの受賞団体、専門家も参加したパネルセッションがあり、気候変動と反核運動の相互関係のテーマで参加しました。
センター前の広場には特設舞台が設置されてフェスティバルが開かれ、多くの屋台や音楽のほか書道、茶道、折鶴コーナー等日本人の団体の参加も。白夜のオスロの大変な賑わいは夜遅くまで続いていました。
夕方、その舞台で過去のノーベル平和賞受賞者と共に、平和センター所長のインタビューを受けました。また次世代への「継承」の意味を込めて、現地に留学中の17歳の五味健太君と、私の証言を日本語と英語で音読し、「平和の鳩」を放鳥(写真)しました。
センター前の舗道に刻まれている「最強の武器は、座って、対話することです」…ネルソン・マンデラさんの言葉です。核兵器の暴力ではなく語ることによって人類の危機を救う努力を共に! と心から願います。
(関連記事3面)
日本被団協は8月5日「被爆80年声明」を発表しました(2面に全文)。
声明は、「広島・長崎に原爆が投下され、人類が核時代に入って80年」の言葉から始まり、被爆者が初めて表舞台に立って証言を始めた「第1回原水爆禁止世界大会から70年」にも触れながら、「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」の要求を訴えています。
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大阪・関西万博の「平和と人権プログラム」に招待され8月12日、日本被団協の代表として金本が基調講演をしました。
このプログラムは、「偏見・差別を克服しあらゆる人が人権を尊重・保障されるために今我々が考えるべきことは何か」がテーマでした。過去=被爆者の証言、現在=映画監督、未来=核軍縮コンサルタントの、3部6人の構成で2時間にわたって発表とディスカッションを行ないました。コーディネーターは国連軍縮担当上級代表の中満泉さんで、私の被爆証言をもとに各部門のパネリストと問答を展開しました。各人が現在抱えている課題と正面から向き合い、悪戦苦闘している姿が浮き彫りになりました。
中でも、核兵器とAIとの関係が将来どうなるのか、どんな問題を引き起こすのかというテーマを追求している国連軍縮局の発言に高い関心が集まりました。「今世界で起こっている戦争で人的核使用への不安と同時に誤作動による核使用が気になる」と質問すると、誤作動の可能性は20%ぐらいあるとのことで、不安は一層高まりました。
多くの取材を受け被爆者への関心の高さを感じましたが、今被爆者の気持ちを一番理解してほしい日本政府にどう向き合えばいいのか、との気持ちを抱えながらの帰途となりました。
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8月10日、国際NGOピースボートは、大阪停泊中の船上にて、国連パビリオンと共催で、「Time for Peace」と題したイベントを行ないました。大阪・関西万博のテーマウィーク「平和と人権」に合わせて開催したもので、60を超える国と地域から650人以上が参加し、国連機関、市民社会団体、地域コミュニティ、そして国際的なパートナーの代表者も多数出席しました。
登壇した日本被団協の田中熙巳代表委員は、長崎で被爆した自身の体験を語り、具体的に動くことの重要性を訴えました。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)事務局長のメリッサ・パーク氏は、核軍縮がもつ倫理的・実際的な必然性について強調しました。そのほか、フェリペ・ポーリエ国連ユース担当事務次長補、マーヘル・ナセル国連事務次長補兼国連パビリオン代表らが名を連ねました。
ユネスコ平和芸術家であるヴァイオリニストの二村英仁氏や、ボーイズグループJO1による音楽パフォーマンスも披露され、参加者から大きな拍手が送られました。リーダーの與那城奨(よなしろしょう)さんは、「音楽を通じたつながりが、戦争も核兵器もない、誰もが手を取り合い、笑顔を分かち合える平和な未来へとつながっていく」と、心のこもったスピーチをしました。
国連事務次長の中満泉さんは、「平和は、遠い何かだと思わず、主体性を持ってつかみ取らなければいけない」と前向きな行動を呼びかけました。(松村真澄)
比叡山宗教サミット・世界平和祈りの集いが8月4日、延暦寺会館と会館前の祈りの広場で開かれ、日本被団協の田中熙巳代表委員が講演しました。天台宗・比叡山延暦寺主催で毎年行なわれており、今回が38周年。さまざまな宗教・宗派の代表者が集い、平和への祈りをささげました。
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広島原爆の日の8月6日、被爆地広島では被爆80年のさまざまな催しがありました。しかし、石破茂首相から展望ある理念も政策も語られませんでした。
松井一實広島市長の平和宣言は、核保有国に核抑止論の転換を求めましたが、極限状況の核危機に立ち向かう力強さに欠けました。
石破首相は平和記念式や被爆者代表から要望を聞く会(写真)でのあいさつで、被爆した教師と子どもの、碑に刻まれた短歌を読み上げました。しかし、核兵器禁止条約や国家補償に全く触れないなど、被爆国のリーダーとしての言葉が聞けず落胆、批判の声が渦巻きました。面談の機会を増やすよう求めたことに賛同が得られたのが、わずかな救いです。
原水禁国民会議などと日本原水協などの二つの原水爆禁止世界大会や、市民団体などの集いに被団協関係者が参加し、核兵器廃絶、核被害者援護、戦争ストップなどを訴えました。(田中聰司)
アメリカの9・11テロ(2001年ニューヨーク)家族の会から、ジョゼフ・ガーソン氏に託して日本の被爆者と平和活動にメッセージが寄せられました。(以下抜粋)
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広島・長崎の被爆80年にあたり「9・11平和な明日のための家族の会」は、被爆者の皆さんの尽きることのない献身に深い感謝の意を表します。
今日、私たちは、海を越えて被爆者の皆さんの悲しみと恐怖を共にしています。皆さんは、一般市民に計り知れない死をもたらし地球を壊滅的に破壊する核兵器を廃絶し、健全な世界を実現するために休むことなく尽力されてきました。
今日、私たち全員が次の世代に安全で住みやすい世界を確保するため、核兵器廃絶に取り組むことを確認しましょう。
私たちには、歴史を思い起こしそこから学ぶ責任があります。地球とすべての人の運命は、私たちの粘り強さと献身に懸かっています。私たちは沈黙してはなりません。ヒロシマとナガサキで起こったことは決して繰り返されてはなりません。
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オスロの夏の夜はいつまでも明るく、子どもも大人もノーベル平和賞受賞団体日本被団協を称える文化祭典を楽しんでいました。
ノーニュークオスロ支部は8月6日、平和の塔が立つユングス広場で被爆80年記念集会を行ない、百人以上が参加。政権党の労働党、左翼の赤の党、社会主義左翼党の国会議員の3人が発言。青年連帯団体の代表がアピールし、広島をテーマにした詩を女優さんがギターの伴奏で朗読しました。日本被団協の和田征子さんが平和会議の会場から駆け付け、証言。賑やかな広場が一時沈黙したようになり、証言が終わると拍手が湧きました
7日は青年と和田さんとの懇談。5団体の11人が参加し「人生でまたとない機会だった」などの感想が聞かれました。
8日、オスロの大聖堂で平和礼拝が行なわれ和田さんが証言しました。
今年の行事には、今までこのような活動に縁のなかった人も数多く参加してくれました。特に、若い世代に伝えることができたと思います。この成果を今後の運動につなげたいと思っています。
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ブラジルから来日中の在ブラジル原爆被爆者の会の盆子原圀彦さん夫妻、齋藤綏子さん(故森田隆さんの娘)夫妻が8月18日、日本被団協事務所を訪問しました。8月初めに来日し広島と長崎をまわっての訪問で、日本被団協事務局役員が対応しました。
盆子原さんと齋藤さんは、ブラジルで被爆者団体を創った時の話や、ブラジルでの被爆者健康手帳取得の苦労話、そして2019年に念願だった被爆者を診てくれる病院と施設ができた喜びなどを話し、親しく交流しました。
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7月26~27日、富山から高校生5人が広島を訪れました。富山県被爆者協議会が若者交流事業を提案、広島桜が丘高校の協力で実現したもの。
26日、広島桜が丘高校の1年生3人による平和公園周辺や原爆資料館等の案内を受けた後、ワークショップ形式の交流会を開催しました。
27日は、袋町小学校平和資料館と旧日本銀行広島支店を見学しました。
8月18日、4人の高校生と、県協議会の小島会長、金井副会長が県庁に新田八朗知事を訪ね、活動を報告。生徒は「戦争の怖さを多くの人に広めたい」と決意を述べました。(小島貴雄)
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第12回胎内被爆者のつどいを8月5日、広島市中区会場とオンラインで開催しました。
講演は、松浦秀人さんが「核兵器の禁止と廃絶に向かって~母の被爆体験とノーベル賞授賞式」のテーマで話しました。
連絡会代表世話人でジャズピアニストの好井敏彦さんの2回目となるコンサートは大いに盛り上がり、「ピアノから醸し出されるジャズと語りは身体に心地よく素晴らしかった」との感想も。
つどいには28人が参加し、互いの近況や長崎県支部結成の報告がありました。(三村正弘)
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大分県被団協は7月15日に大分市で「ノーモアヒバクシャ大分の集い」を開催しました。
第1部は、被爆二世の村輿久美子さんの講話。第2部は原爆犠牲者追悼慰霊式。第3部は、大分マンドリンオーケストラや合唱サークルによる「平和の祈り」を込めた演奏に皆が思いを寄せました。第4部は「原爆1号」と呼ばれた被爆者を描いた映画「運命の背中」を上映しました。
一般の人にも呼びかけ約120人が参加。被爆の実相に理解を深め、核兵器廃絶と平和な世界の実現を祈る集いになりました。(岡田倫明)
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鳥取県岩美町では戦後80年の企画として岩美町中央公民館・町立図書館主催の「戦後80年特別企画・原爆と人間パネル展」を7月19日~8月17日、岩美町中央公民館で開催しました。
また町立図書館では、戦争と平和に関する書籍を集めた特別コーナーを設置し、地域住民に戦争や反核、平和への意識の高揚を図る機会をつくりました。(中央公民館)
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芦屋市原爆被害者の会は7月22~31日、原爆展を開催し767人が来場しました。
今年は市内在住の被爆二世三世のマトリョーシカ絵付け作家による作品も展示。折鶴や原爆ドームをイメージしたものなど、平和の祈りをこめた200体ものマトリョーシカです。原爆展はつらいから入りたくない、という人もマトリョーシカにつられて入場という一幕も。若い人からの感想が多く、「こわい、つらい」(小学生)、「来年も来ます」(高校生)、涙でぬれたハンカチを握りしめアンケートを書いてくれた若い女性など。署名が256筆寄せられました。(千葉孝子)
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原爆の図を見る会・文京は8月16~19日、文京シビックセンターで「第21回原爆の図展」を開催しました(写真右)。ノーベル平和賞受賞を伝える「被団協」新聞号外も展示し、のべ1200人が来場。東友会の家島昌志さん、吉重信さんのお話には60人ほどの参加があり、地元の被爆者の会文友会会長の村山季美枝さんも毎日来場者の方とお話しされていました。中学生から大学生のボランティア参加もあり、今後は被爆証言を語り継ぐ活動も始めることになりました。(小林晶子)
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兵庫被団協は7月19日神戸市内で、核兵器をなくす日本キャンペーンの浅野英男さんを講師に、TPNW締約国会議とNPT再検討会議準備委員会報告会を開催、29人が参加しました。ニュースでは伝わらない市民社会の動きや、今後の見通しのポイントを説明。「分かりやすかった」「若者の国際的活躍に勇気づけられ希望をもった」などの感想が寄せられました。(壷井宏泰)
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第40回埼玉県原爆死没者慰霊式が7月20日に開催され、約300人が参列しました。18団体の実行委員会で開催。
県知事ほかの挨拶、メッセージ紹介、国会議員各派代表の挨拶を頂きました。高校生らによる「平和の誓い」、加藤高明さんの被爆体験を俳優の斉藤とも子さんが朗読。展示されたノーベル平和賞のメダルと表彰額(レプリカ)には長い列が。
午後の記念行事は反核法協会長の大久保賢一さんらによる鼎談と、映画「長崎の郵便配達」を上映しました。(高橋溥)
前号(8月号)の1面に、「被団協運動を支えた人々」のタイトルで、58人の方々の顔写真を掲載しました。そのお名前と所属等を紹介します。前号1面と合わせてご覧ください。
(地名がある人は被爆者・すべて故人・敬称略)
【問】送られてきた「被爆者のしおり」をみて、介護保険の様々なサービスが被爆者健康手帳で助成されることを知りました。しかし、年金生活で介護保険料や後期高齢者医療保険料が天引きされ、手元に残る額ではこの物価高の折とても大変です。これら保険料への助成はありませんか。
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【答】残念ですが介護保険料について被爆者健康手帳での施策はありません。介護保険料がなぜ高いのでしょうか。
ヘルパサービスや特養入所の費用は、かつては老人福祉法に基づく措置制度で利用者負担以外は全額公費負担(国が50%県と市町村が各25%)でしたが、2000年に介護保険制度が始まり、大きく財政の仕組みが変わりました。介護保険サービスに係る費用の50%を国と都道府県と各市町村で負担、残り50%を1号被保険者と2号被保険者の保険料と利用料負担で賄うことに。そして65歳になると全員強制的に被保険者となり、年額18万円以上の年金受給者からは天引き(特別徴収)するようになりました。1号被保険者の90・2%が特別徴収です。介護保険制度が発足してから保険料は基準月額が2倍、いちばん高い大阪市では9000円を超えました。
とても支払えない、公費負担を増やすしかないと、「公的補助を当面6割に」という署名に取り組んでいます。是非協力してください。
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第73回平和美術展が8月6日~12日、東京都美術館(東京・上野)で開かれました。美術家平和会議主催、日本被団協ほか後援。
「すべてのいのちを大切に/平和の壁に花一輪を/日本を戦争する国にさせない」をテーマに、絵画、書、写真、彫刻、陶芸、その他立体作品など多彩な展示が行なわれ、会期中2700人余が来場しました。
今年は日本被団協のノーベル平和賞受賞記念の特別展示もあり、1959年の第7回展から取り組まれている原爆死没者肖像画の過去作品も紹介され、新たな2点が展示されました。
なお、美術展会場での小品売上の中から3万円が、日本被団協に寄付されました。
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精神科医の中澤正夫さんの著書『ヒバクシャの心の傷を追って』が、18年ぶりに岩波現代文庫として刊行されました(定価1130円+税)。
いのち・くらし・こころに及ぶ被害をもたらしたと言われる原爆。しかし心の被害について書かれた本は少なく、時宜を得たうれしい出版です。
原爆が現出したこの世の<地獄>が、人間の心をどれほど傷つけ、消えることのない苦しみをもたらしてきたのか。著者は多くの事例を紹介しながら、かつてない「重篤なPTSD」の実像を明らかにしています。
原爆<地獄>の体験を一人称で語れる被爆者が少なくなった今、原爆がもたらした心身の苦しみとたたかいながら、生きてきた人間の姿を知り、感じ、考え合うために、多くの方に読んでほしい一冊です。
7月に来日したノルウェー・ノーベル委員会のフリードネス委員長に、田中熙巳代表委員がこの本の内容を紹介し、贈呈しました。テロ被害者の支援に長年携わってきた委員長は「日本での一番のお土産になった」と喜びました。