被団協新聞

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「被団協」新聞2024年11月号(550号)

2024年11月号 主な内容
1面 日本被団協にノーベル平和賞 「核のタブー」の確立に大きく貢献
2面 声明 ノーベル平和賞の受賞にあたって 10月28日 日本被団協
核兵器廃絶は人類の課題 10月12日 日本被団協記者会見
祝電など続々
アピール 10月10日 全国都道府県代表者会議
非核水夫の海上通信(243)
3面 「原爆被害者の基本要求」を「わたしたちの基本要求」に
 学習と活動交流 全国都道府県代表者会議
全国被爆二世交流会
中央行動
被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
 私が何をすべきか…

原爆被害者の基本要求 策定40年 連載(8)
4面 相談のまど
 医療ケアが必要な被爆者の介護 制度のフル活用で在宅介護の選択肢も

寄贈ありがとう 『被爆者から「明日の語り手」へ』
「あの夏の絵」を上演しませんか 青年劇場

 

日本被団協にノーベル平和賞
「核のタブー」の確立に大きく貢献

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日本被団協結成大会(1956年8月10日、長崎)

 10月11日午後6時すぎ、ノルウェー・ノーベル賞委員会は2024年のノーベル平和賞を「NIHON HIDANKYO」に授与すると発表しました。ふたたび被爆者をつくらないために、「核戦争おこすな、核兵器なくせ」と声をあげてたたかってきた運動が、世界に認められた瞬間でした。かつて、国連NGO主催の1977年被爆問題国際シンポジウムで、「HIBAKUSHA」が国際語になりましたが、今また「NIHON HIDANKYO」が国際語になったのです。(2面に日本被団協声明)

授賞理由(朝日新聞訳から抜粋)

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受賞後の記者会見(10月12日、東京・四谷)

 ノルウェー・ノーベル委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本の組織「日本被団協」に授与することを決定した。「ヒバクシャ」として知られる広島と長崎の原子力爆弾の生存者たちによる草の根運動は、核兵器のない世界の実現に尽力し、核兵器が二度と使われてはならないことを証言を通じて示してきた。
 1945年8月の原爆投下を受け、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的結果への認識を高めるための世界的な運動が起こり、メンバーたちはたゆまぬ努力を続けてきた。次第に、核兵器の使用は道徳的に容認できないという強力な国際規範が形成されていった。この規範は「核のタブー」として知られるようになった。広島と長崎の生存者であるヒバクシャの証言は、この大きな文脈において唯一無二のものである。
 彼ら歴史の証人たちはそれぞれの体験を語り、自らの経験をもとにした教育運動を展開し、核兵器の拡散と使用への差し迫った警告を発することで、世界中に幅広い反核機運を生み出し、それを強固なものにすることに貢献してきた。
 一つの心強い事実を確認したい。80年近くの間、戦争で核兵器は使用されてこなかったということである。日本被団協やその他の被爆者の代表者らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献した。だからこそ、この核兵器使用のタブーがいま、圧力の下にあることを憂慮する。
 核保有国は核兵器の近代化と改良を進め、新たな国々が核兵器の保有を準備しているように見える。現在起きている紛争では、核兵器使用が脅しに使われている。人類史上、今こそ核兵器とは何かに思いをいたすことに価値がある。それは、世界がこれまでに見た中で最も破壊的な兵器だということである。
 来年は、米国製の原爆2発が広島と長崎に住む推定12万人を殺害してから80年を迎える。今日の核兵器は、はるかに強力な破壊力を持つ。何百万人もの人々を殺し、気候に壊滅的な影響を及ぼし得る。我々の文明を破壊するかもしれない。
 広島と長崎の地獄の炎を生き延びた人々の運命は、長く覆い隠され、顧みられずにきた。1956年、被爆者団体は太平洋での核実験の被害者とともに日本原水爆被害者団体協議会を結成した。この名称は、日本語で被団協と略され、日本で最も大きく最も影響力のある被爆者団体となった。
 ノルウェー・ノーベル委員会は、生存者たちが、肉体的苦痛や辛い記憶にもかかわらず、大きな犠牲を払った経験を生かして平和への希望と関与を育むことを選んだことをたたえたい。
 日本被団協は、世界に核軍縮の必要性を訴え続けるため、何千もの証言を提供し、決議や世論への訴えを行ない、代表団を毎年、国連や様々な平和会議に派遣してきた。
 いつの日か、私たちのなかで歴史の証人としての被爆者はいなくなるだろう。しかし、記憶を残すという強い文化と継続的な取り組みで、日本の新しい世代が被爆者の経験とメッセージを継承している。彼らは世界中の人々を刺激し、教育している。それによって彼らは、人類の平和な未来の前提条件である核のタブーを維持することに貢献している。
 2024年のノーベル平和賞は、人類のために最大の貢献をした人をたたえるというアルフレッド・ノーベルの願いを満たすものである。

国連事務総長声明(抜粋)

 ノーベル平和賞が、草の根の活動を続ける「日本被団協」に授与されたことに対し、心よりお祝い申し上げます。
 広島と長崎の原爆投下からの生存者の方々は、核兵器がもたらす恐ろしい人的損失に対し、私心なき本心を語る証人たちです。被爆者の方々のたゆまぬ努力と強靭さは、世界的な核軍縮運動の支柱となっています。
 今こそ世界の指導者たちが、被爆者の方々と同じ曇りのない目で、核兵器の本質を見つめる時です。いかなる安全も保護も安全保障ももたらさない死の装置の本質を。核兵器の脅威をなくす唯一の道は、核兵器の完全な廃絶です。
 国連は誇りを持って被爆者の方々と共にあります。


声明
ノーベル平和賞の受賞にあたって
10月28日 日本被団協

 2024年10月11日(金)18時(日本時間)、ノルウェーの首都オスロにあるノーベル委員会から2024年のノーベル平和賞は日本の被爆者団体である「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に授与するとの発表がなされました。
 発表の直後、日本被団協の役員たちは耳を疑いました。1985年、有力候補としてあげられて以来、度々、有力候補と報じられ期待させられました。2017年の発表で授賞者として「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の名があげられて以降、ノーベル平和賞を期待することはほとんどありませんでした。
 その後も日本被団協はICANと共同して核兵器禁止条約の普遍化に努め、核兵器も戦争もない世界の実現を目指して運動を進めてきたことは言うまでもありません。
 今年の授賞の理由を知ったとき、その内容が簡潔にしてしかも的確に「日本被団協」の組織と運動の根幹が理解され、評価されていることに感動しました。すでに亡くなった多くの先達とこの喜びを共にしたいと思います。
 日本被団協が選ばれたのは、80年前に原子爆弾の非人道的な被害を受け、自分たちと同じ苦しみを地球上のだれにも味わわせてはならないと、今日まで一貫して核兵器の使用禁止、廃絶を求めて、自らの苦しい体験の証言を通して訴え続けてきた活動と被爆者一人ひとりの働きが高く評価されたものです。委員会は今日の、核兵器が使用されかねない国際情勢のもと、核兵器は使われてはならないという規範「核のタブー」が危機に瀕し始めためたことを世界に知らしめるべく、「日本被団協」に授与したことの意義を強調しています。
 併せて高齢化した被爆者がいなくなるときが来ることから、近年若者の中に被爆者の経験とメッセージを引き継ぐ運動が芽生え始めていることにも注目し、日本被団協の存在意義を世界のものにすることを強調しています。
 私たちは2024年ノーベル平和賞の受賞者に選ばれたことに感謝しつつ、受賞を重く受け止めて、若い世代への継承を願いつつ、一層頑張ることを誓いたいと思います。


核兵器廃絶は人類の課題
10月12日 日本被団協記者会見

 日本被団協はノーベル平和賞受賞後の記者会見を10月12日、東京・四ツ谷プラザエフ5階の日本生協連会議室で開きました。対面とオンラインで代表委員、事務局役員が出席。メディアは37社、50人以上が参加し会場を埋めました(写真)。会見での発言要旨です。

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授賞をうけて

◇田中重光代表委員
 先輩方が差別や偏見、病気を抱えながら語ってこられた、その言葉が雨水のように浸透していって核兵器禁止条約につながった。今の国際情勢の中、ノーベル委員会が「被団協に授与しないと大変なことになる」と考え、今回の受賞になったのではないでしょうか。
◇箕牧智之代表委員
 ニュースを聞いて思わずほっぺたをつねった。坪井さんが、また谷口稜曄さんがご生存なら、もっともっと喜ばれたろうと思いました。
◇木戸季市事務局長
 本当に驚きと嬉しさがありました。同時に、これから私たちがやらなければいけないこと、核兵器禁止条約で示された方向性を、生涯頑張って貫いていきたい。
◇濵中紀子事務局次長
 昨日の被団協の中央行動の後、2時間ほどかけて家に帰ってテレビをつけた途端、「え?」と思いました。諦めかけていたので嬉しかったです。

授賞理由について

◇田中熙巳代表委員
 被団協にノーベル平和賞を与えて、そして被爆者たちがやってきた訴えを世界中の人たち共通の認識にして、核兵器廃絶の運動を世界的なものにしていかなくてはいけないと、委員長が判断したのだと思いました。

石破首相へ

◇田中熙巳代表委員
 石破首相と本日電話で話をしましたが、「核共有」とか私たちに言わせれば、とんでもない。それを石破さんがいう。日本の政治のトップが、それが必要であると、非核三原則を見直さないといけないと言ってること自体に、怒り心頭です。

今後の活動

◇濱住治郎事務局次長
 核兵器廃絶と、原爆被害への国家補償、この2つが自転車の両輪みたいな形で、私たちの大きな目標です。それを叶えていかなければ、まだ私たちは役割を果たしたことになりません。
◇田中熙巳代表委員
 核兵器をなくさなければいけないというのは、被爆者の課題ではありません。人類の課題であり、市民の課題です。その運動をこれからどういうふうにして強化していくか、その中で被団協の役割はまだどういう役割を果たせるか、という議論をしていただきたいと思います。

若い人に向けて

◇和田征子事務局次長
 私たちが思うのは、本当に実相を知ってほしいということです。核兵器が使われたらどういうことになるか。それをみんなが分かるようにするにはどうしたらいいか。
 被団協が、被爆者が何をしてきたのかというのを、一生懸命伝えるべきであるということ。一つの大きなチャンスになると思っております。機械的なものではなく血の通ったもの、そういう思いで、若い人たちには本当にご自分たちのこととして受けとめていただければ、と思います。


祝電など続々

 日本被団協の事務所には、ノーベル平和賞受賞発表の当日からお祝いのメッセージが、祝電やメール、FAX、郵便等で世界中からたくさん届いています。お贈りくださった方々のお名前だけでも次号でご紹介できればと準備しています。

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受賞当日の夜、eメールで届けられた
美術家平和会議からのメッセージ

アピール
10月10日 全国都道府県代表者会議

 来年、2025年8月は、米軍が原子爆弾を広島と長崎に投下し、この二つの都市を一瞬に壊滅させ、両市合わせて数十万余の人々を殺傷してから80年になります。
 原子爆弾の出現によって、地球規模の戦争は人類の破滅をもたらすことが自明になりました。ところがこの時から80年間、人類はことの本質をどこまで学んできたでしょうか。
 唯一の戦争被爆国たる日本政府は、原爆被害者への国家補償から目を背け、核廃絶に向かって国際世論をリードすると常々口にしながらも、その責任を果たしているとは思えません。
 民族や宗教集団等の争い、国家間の争いを少なくし、なくす努力を怠る一方で、核兵器を中心とする兵器の開発は一層精巧さを増し、その使用を指揮する為政者は狂気の度を増しています。
 今日もなお世界の核弾頭は1万2千発存在し、即刻発射できる核弾頭が約4千発もあることが明らかになっています(*数字はストックホルム国際平和研究所)。もしこれが使われれば地球は人の住めない星になります。
 80年前の原爆によりその危機を予感した被爆者たちの努力にもかかわらず、この危機感は人類全体の共通認識となるに至っていません。戦争の拡大と核使用の危機が迫り、原爆出現から80年になる2025年は、世界の情勢にかんがみて被爆者にとっても人類にとっても決定的に重要な年になります。
 私たちは、ふたたび被爆者をつくらないために「原爆被害者の基本要求」でかかげた「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」を求め、日本と世界の市民のみなさんと手を結んで訴え歩み続けます。


「原爆被害者の基本要求」を「わたしたちの基本要求」に
学習と活動交流

全国都道府県代表者会議

 日本被団協全国都道府県代表者会議が10月9日と10日、東京・千代田区のTKPガーデンシティ御茶ノ水で開催され、20都府県の代表ほか全国から約60人が参加しました。
 初日に、策定40年を迎えた「原爆被害者の基本要求」学習のためのパネルディスカッションが、2日目午後には全国被爆二世交流会が開かれ、学習と交流を深めました。


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パネルディスカッション
 
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代表者会議
 
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二世交流会
 
「基本要求」を学習

 「原爆被害者の基本要求」朗読のあと、田中熙巳さん、金本弘さん、栗原淑江さんをパネリストに、濱住治郎さんがコーディネーターとしてパネルディスカッションを行ないました。
 第1部では、田中さんが1984年の「基本要求」策定に至るまでの経過として、要求骨子、77年国際シンポ、国連軍縮特別総会、2000万署名、基本懇意見、国民法廷運動、要求調査などを紹介しました。金本さんは「基本要求」を涙ながらに読んだとして「内容が具体的でシンプル、わかりやすい」と感動を語りました。栗原さんは「基本要求」策定時の議論を紹介し、日本政府が被爆国として果たすべき国際的責務を明らかにしたことを強調しました。
 第2部では策定後の運動について、田中さんが視覚に訴えるものとして05年からの国連原爆展、世界に訴えた16年からのヒバクシャ国際署名の取り組みを紹介。核兵器禁止条約が発効した今、日本を含め核兵器を保有・依存する国の国民にどう切り込んでいけるか、と課題を語りました。栗原さんは、85年に日本被団協が実施した1万3千人の被爆者と2千人の遺族への原爆被害者調査、その後の3点セット(国会請願署名、国会議員署名、地方議会決議)運動と世論の盛り上がりを紹介。また基本懇意見の戦争被害「受忍論」は今も生きていると指摘しました。
 第3部では、これからの運動として、田中さん「世界中で‘核兵器廃絶を’の声を絶えずあげ続ける」、金本さん「被爆80年に国に訴える目に見える行動を」、栗原さん「‘受忍論’は国民全体への挑戦。‘わたしたちの基本要求’として多くの人とともに」などと語りました。

各県の現状を交流

 代表者会議初日は、日本原水協から百万円の募金受取、NPT再検討会議準備委員会(ジュネーブ)報告、活動維持募金の訴えを行ないました。
 2日目は、あらかじめ依頼していた報告書に基づいて、出席の20都府県が発言しました。①組織の現状と今後の活動 ②他団体との協働 ③運動資料の整理保存 ④被爆80年にむけての企画 ⑤その他、の5項目です。
 ①は役員のなり手不足、財政困難、二世の力が大きい、など。②は、「~ネット」という名称で諸団体と連携など。③は保管場所を探している、手つかず、検討中、大学との連携など。④は慰霊式と関連行事、広島・長崎への慰霊の旅など。⑤は「日本被団協だけは絶対解散しないで」などでした。
 最後にアピール(前項目に全文)を採択しました。


全国被爆二世交流会

 10日午後、全国被爆二世交流会が開催されました。14都道府県から21人の二世が参加し、欠席の7団体からも報告書が寄せられました。
 組織の実態について、「被爆二世が被爆者団体の運営を担っている」、「二世が既に会長職を担っている」など、各地で世代交代をしながら被爆者運動を引き継ごうとしている努力が語られたほか、「支援者も広く関わっていく」という、視野を広げた運営・運動の提案もありました。
 また「被爆二世・三世への医療費助成の要求を二世運動の柱としたい」と声もあり、行政交渉の様子や取り組みが報告されました。被爆80年に向けては、平和展や映画祭の開催、広島・長崎訪問などの二世が関わっての計画が報告されました。


中央行動

 日本被団協は代表者会議翌日の10月11日、全国の被爆者、被爆二世など40人余が参加し参議院議員会館会議室で中央行動を行ないました。
 午前は各政党が参加した院内集会(写真左)、午後は厚生労働省交渉(写真右)でした。
 政党要請には、公明、維新、立憲、国民、共産、れいわ、社民の各党から国会議員が参加。要請書を渡し懇談しました。
 厚労省交渉では、被爆者援護対策の安田正人室長ほかが出席。日本被団協からの要請について回答しましたが、これまで通り積極的回答はありませんでした。原爆症認定申請の診断書の取り扱いや手当申請の窓口対応については、「都道府県にお願いすることを精査する」と回答。「大臣からの伝言は?」との質問には明確な回答がありませんでした。

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被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
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私が何をすべきか…
高口ようこ 被爆3世・練馬区議会議員

 私の祖母は20代で勤労動員の最中、長崎で被爆しました。爆風で吹き飛んだガラスが突き刺さり…その跡を、孫の私が見せてもらったのは90年代半ばでした。それから30年。戦後80年に近づく今、練馬被爆者の会の方にもお薦め頂き、『被爆者からあなたに』を拝読しました。
 原爆が、心身の被害のみならず、生活や人生を破壊し、人間らしさを奪うこと。戦前も戦後も、原爆被害の補償は国家責任ではなく、個人が「受忍」すべきとする政府。その中で、ヒバクシャがどう声をあげ、国際社会を動かしてきたか…。
 活動してこられた被爆者の皆さんに敬意を抱くとともに、その思いを受け継ぐべき被爆3世の私が何をすべきか、深く考えさせられました。
 「二度とヒバクシャを生まないために」「核兵器はあってはならない」そのために行動し続けなければ、と気づかされる1冊。4世となる子どもたちにもしっかり語り継いでいきたい、と思います。(こうぐちようこ)


「原爆被害者の基本要求」策定40年

連載(8)

 「原爆被害者の基本要求」についての報告 ――作成の経過と内容――
  1984年11月17日日本被団協全国代表者会議(報告者=「要求骨子」検討委員会副委員長 吉田一人)から

◆討議の経過(つづき)
 寄せられた意見は一つ残らず、何らかのかたちで反映させていく、役立てていく、ということで検討委員会と事務局は努力しました。しかし、全部取り入れるといっても、意見の内容には相反するものもあります。それを両方とも取り入れるというわけにはいきません。たとえば、「アメリカは謝罪してほしい」という意見がありました。これはかなりありました。被爆者の気持ちとしては当然でしょう。しかしまた「いろんな条件を考えると、今の段階でアメリカに謝罪を要求するというのはどうなんだろう」という意見がありました。それを残すかはずすか、という議論をしました。結果としてはどちらも取り入れるということはできませんが、たとえ結果として取り入れられなかった意見であっても、この「基本要求」を深めていくために、すべての意見は貴重なものであり、「基本要求」をつくりあげていく上で役に立った、支えになった、と言っていいと思います。
 寄せられた意見は全部、丹念に案文を読んで、大きな流れ、基本的な姿勢の問題から、テンの打ち方、文章の問題まで指摘してくださったものなど、いずれも、一つ一つ読みながら感動しました。中には、冗漫である、長すぎる、もっと短くならないか、と言う意見もありました。これは難しい、被爆者には分かりにくい、もう少し長くなってもいいからもっとやさしくならないか、という意見もありました。これを両方取り入れるということはなかなか難しい問題ですが、なるべく簡潔に書かなければいけない、ということ、余計な説明がなくても、この文章だけで分かるようなものにする、ということは大きな課題でした。そういう方向で努力してきました。結果としては、あまり短くはなっていないし、あまりやさしくもなっていない、というふうに思いますが、これをつくりあげていく上ですべての意見が大きな支えになったことは確かです。(終)

 4月号から始まったこの連載も最終回。「原爆被害者の基本要求」を発表した全国都道府県代表者会議での「報告」を中心に紹介してきました。「基本要求」の性格、構成、内容、そして討議の経過を通じて、ふたたび被爆者をつくらないために、多くの被爆者の声を集めて作り上げた「基本要求」であることが明らかになったと思います。
 「基本要求」でかかげた二大要求「核戦争起こすな、核兵器なくせ」「国家補償の原爆被害者援護法の制定」はどちらも実現していません。それどころか世界では戦争が絶えず、核による脅しも行なわれています。しかし、核兵器禁止条約は発効し、日本被団協がノーベル平和賞を受賞した今、それらを追い風とし、次の世代の人々に「私たちの基本要求」として運動を引き継がれることを、被爆者は願っています。
 全文を掲載したパンフレット(200円+送料)は、日本被団協までお申し込みください。


相談のまど
医療ケアが必要な被爆者の介護
制度のフル活用で在宅介護の選択肢も

 【問】一人暮らしの母が入院、胃瘻(いろう)を造設、夜間も吸痰が必要なため病院からは施設への入所をすすめられています。「要介護5」の認定を受けていますので、特別養護老人ホームへの入所をと相談しましたが、夜間の吸引・吸痰の体制が取れないと断られました。あとは有料老人ホームへの入所しかないのですが経済的負担が大きすぎます。母は父の遺族年金だけで何とか暮らしているので、あまり高額なところは無理です。有料老人ホームに入所した場合に被爆者健康手帳での助成はありますか。

*  *  *

 【答】これからのことを考えると大変ですね。被爆者健康手帳での助成は特別養護老人ホームなど介護保険サービスの施設が対象です。介護型有料老人ホームは助成対象にはなりません。特にお母さんのように医療処置が必要な場合、看護師の配置が複数体制でないと十分な対応をしてもらえません。そのため入所費用も多額になります。経済的な負担に耐えられるようであれば選択肢の一つだと思います。
 あなたが少しでもお母さんの世話をすることができれば、介護保険サービスを限度枠いっぱい使って在宅介護を選ぶこともできると思います。訪問診療を受け、訪問看護サービス、訪問入浴を利用します。さらにあなたが介護に従事していれば被爆者施策の費用介護手当(重度障害)の申請をすることができます。
 訪問診療も訪問看護も24時間相談ができます。緊急の場合は夜間でも訪問して入院の手配なども受けられます。これらは医療系サービスのため、被爆者健康手帳で費用負担はありません。また、薬剤師が必要な薬等を届け相談にものってくれる居宅管理指導や、歯科衛生士の口腔ケアの指導も受けることができ、手帳で助成されます。
 お母さんの状態によっては訪問診療担当医と相談して入院することもできます。その間に、あなたも少し体を休めることが出来ると思います。
 被爆者施策の費用介護手当は、重度障害の場合月額10万5560円を限度に支給されます(東京都は独自の加算あり)。
 被爆者健康手帳の助成制度を活用しながら在宅での介護も選択肢としてあるということです。お母さんの気持ちや、またあなたのご家族とも談して決められてはいかがでしょうか。医療機関も被爆者の援護施策を知らない場合が多いので、被団協発行の問答集介護編や『相談のまど』パンフを見せて、よく相談してみてください。


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寄贈ありがとう

『被爆者から「明日の語り手」へ』赤旗編集局編
新日本出版社

 「禁止から核兵器完全廃止」を目指し、未来世代に「明日の語り手」が広がることを願って歴年の『赤旗』記事を系統的にまとめた一冊。被爆者の思い、取り組み、国際活動、未来への提言。これからの証言や諸活動に、学びや活用が期待できる内容が詰まっています。


「あの夏の絵」を上演しませんか
青年劇場

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 青年劇場では、広島市立基町高校の「高校生が描く原爆の絵」の取り組みをもとに製作した演劇「あの夏の絵」(福山啓子=作・演出)を、2015年の初演以来、全国各地で上演しています。いま、来年被爆80年の公演地を募集しています。
 高校生が被爆者の証言を聴き、その絵を描くというこの取り組みは、被爆の実相を継承していくうえでも大変意義深いもの。全国で「原爆の絵」の展示会が多く行なわれていますが、「あの夏の絵」はこの「原爆の絵」に取り組む高校生や被爆者たちの葛藤やとまどい、そして交流を描いた心温まる舞台です。「どうやったら上演できるの?」「費用は?」など、どうぞ気軽にお問い合わせください。
 時期は来年6月中旬~8月上旬。地域は関東及び近畿地方中心の各地。 問い合わせ=電話03-3352-6922(広瀬・松永)、メール=info@seinengekijo.co.jp
 なお、今年「あの夏の絵」をご覧いただける公演は、12月17日17時30分所沢市民文化センター。一般3000円、高校生以下500円。申し込みは右の問い合わせ先へ。