このコラムは、川崎哲氏(ピースボート地球大学)によるもので、
「被団協」新聞に2004年6月から掲載されています☆☆
国連総会で「核戦争の影響と科学的調査」と題する決議が採択された。核戦争の影響を研究する科学パネルを設置するという内容で、21名の委員を国連事務総長が任命する。核戦争が地域や地球にもたらす物理的・社会的影響、つまり「気候や環境への影響、放射線による影響、公衆保健、世界的社会経済システム、農業や生態系への影響」を2025年から2年間研究し、包括的な報告書を出す。
アイルランドとニュージーランドが主導したこの決議案に第一委員会では、日本を含む144カ国が賛成した。核保有国は中国が賛成、英、仏、ロは反対、米国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮は棄権した。NATO諸国は賛成(ノルウェーなど)と棄権(スペインなど)に割れた。
核戦争の破滅的な影響を明らかにすることは、核兵器廃絶への推進力となる。被爆国日本は委員を出して貢献すべきである。
2021年に発足した米国、イギリス、オーストラリア(豪州)3カ国の軍事同盟「AUKUS」が世界に暗い影を落としている。
AUKUSの第一の柱は、米英による豪州への原子力潜水艦の供与だ。原潜の燃料となる高濃縮ウランを非核保有国豪州に提供するものであるため、核不拡散に反するとの懸念がNPT再検討会議で出されてきた。インドネシアなどは「軍備競争を助長」することへの懸念をくり返し表明している。
第二の柱は、AI(人工知能)の軍事利用や極超音速ミサイルなどの「先進能力プロジェクト」で、日本の参加が決まっている。
中国への対抗という性格が色濃いこの同盟は、正式な条約でなくパートナーシップ協定として各国の議会を通さず進められている。同盟強化で対立をあおるよりも、地域共通の安全保障をはかることに注力すべきでないか。
冷戦終結以降、世界の核兵器の数は減ってきた。90年代前半は大幅に減り、以後は緩やかになりつつも減少は続いてきた。今年6月現在で世界の総数は1万2120発、前年より微減だ。しかし、実際に配備されている核弾頭と、配備のために貯蔵されている核弾頭を足した「現役の核弾頭」の数は9583発で、2018年からの6年間で332発(3・6%)増加している。「使える核」は増えているのだ。
増加が顕著なのは中国、北朝鮮、インド、パキスタンである。かつては米国とロシアが世界の核の9割以上を保有していたが、今日では8割台である。核拡散が進んでいる証だ。
イタリアでのG7サミット首脳宣言は「冷戦後の世界の核兵器の減少傾向は維持されなければならない」としているが、現実に世界は核軍拡の時代に突入している。(データは長崎大学RECNA)
4月末、オーストリアはウィーンで自律型兵器の規制に関する国際会議を開催した。自律型兵器とは人工知能(AI)が自ら標的を探知し攻撃する兵器システムのことで「殺人ロボット」とも呼ばれる。人間の関与なしに兵器自身が殺傷を行なうことは深刻な倫理的問題をはらむことから、禁止を求める声が上げられてきた。昨年国連総会で初の決議が採択されている。
「人類の岐路」と題した今回の会議には日本を含む144カ国が集まりNGOストップ殺人ロボットキャンペーンからも60人が参加した。議長総括は「標的の選別や生死に関わる判断を機械に任せる」ことに懸念を表明し「武力行使への政治的敷居が下がる」リスクも指摘した。会議が開かれたホーフブルク宮殿は10年前に核兵器禁止への「人道の誓約」が発せられた所だ。核禁条約に続き殺人ロボット禁止条約への動きが始まった。
3月、国連安保理で日本が議長として核軍縮・不拡散に関する公開会合を開いた。グテレス国連事務総長は、今日「核戦争のリスクはこの数十年で最も高くなっている」と警告し、これに反対する世界の声として、ローマ教皇、行動する若者たち、「勇気ある広島・長崎のヒバクシャ」、そして映画オッペンハイマーを例示した。
事務総長は「軍縮こそ唯一の道だ」と訴え、6点の行動を呼びかけた。第一に、核保有国間の対話。第二に、核の脅しをやめること。第三に、核実験停止の継続。第四に、NPTの下での核軍縮の約束の実行。第五に、核保有国間での核の先制不使用の合意。第六に、米ロ新STARTや後継条約を通じた核削減である。そして「NPTと核兵器禁止条約を含む世界的な軍縮アーキテクチャ(建造物)の強化」を求めた。
日本政府にはまずこれらの政策への支持表明を求めたい。
映画「オッペンハイマー」が公開された。マンハッタン計画を主導した物理学者の生き様を描いた映画だ。広島への原爆投下に米国人が熱狂するシーンは直視するに堪えない。大量殺戮をもたらした現実に本人が悩む姿は描かれているが、その惨状はスクリーン上には全く登場しない。想像力がなければ誤解されうる映画だ。
それでも私はこの映画を高く評価したい。核兵器と軍国主義を描いた映画だと思う。科学と政治、国家と個人、ナチズムや共産主義という「敵」の設定、男性中心社会など現代に通じるテーマが満載だ。AI兵器の登場、ガザの虐殺を止められない「民主主義国家」の矛盾、日本で高まる「国家安全保障」言説の危険性など、現代に多くの問題提起をしている。原爆によって苦しめられた人間には憤りや悔しさを感じるシーンも多いだろうが、一度は観てみることをお勧めする。
日本が核兵器禁止条約に参加しないのは米国から圧力を受けているからではない。「米国との関係を悪化させたくない」と忖度して、政府自身が参加しないと決め込んでいるのだ。
1月に来日したメリッサ・パークICAN事務局長は、日本の政治家らのそうした態度に触れ、こう言った。「米国はとても現実的な国で常に自国の国益で行動しています。そして他国もまたそうするものと思っています」。だから、日本が自らの国民世論を理由に核禁条約に入ると決断したら、最終的にはそれを受け入れるだろうという。米国と軍事同盟関係にあるフィリピンやタイは、核禁条約を批准した。これらの国は「批准するまでは圧力を受けたが批准してしまえば圧力はなくなった」という。パーク氏は続ける。「市民が、政府が行動せざるをえない根拠を作る必要があるのです」。
「核兵器禁止条約は核兵器のない世界の出口とも言える重要な条約だが、核兵器国は1カ国も参加しておらず、いまだ出口に至る道筋は立っていない」。これが日本政府の公式見解だ。
だが核兵器の禁止は出口ではない、入口だ。生物・化学兵器、地雷やクラスター爆弾も、まず条約で禁止したことで廃絶への道が開かれた。核兵器国が入っていないことは日本が何もしない理由にならない。核兵器国はお互い、相手が持っているからこちらも持つのだと言い合っている。先月来日したICANのメリッサ・パーク事務局長はこれを「堂々巡りの循環論法」と批判し、悪循環を断ち切るリーダーシップが必要だと訴えた。
中国や北朝鮮の脅威をあげて「厳しい安全保障環境」だから核抑止力が必要だとの声もある。だが逆だ。脅威があるからこそ軍縮が必要なのだ。軍拡競争は、緊張や危険をさらに高めるだけである。
核兵器禁止条約第2回締約国会議の決定事項の中で注目されるのは「核兵器に関する安全保障上の懸念」についての協議プロセスを始めることだ。核兵器の非人道性とリスクに関する新しい科学的根拠に基づき「核兵器の存在および核抑止論」からもたらされる「安全保障上の懸念、脅威、リスク」を議論する。通常「安全保障上の懸念」というと軍拡や核保有を正当化する文脈で使われるが、核兵器や核抑止論そのものが「安全保障上の懸念」なのだという議論である。オーストリアが牽引し、2025年3月の次回締約国会議にまとめと提言を出す。
協議は条約締約国と署名国の間で行なわれるが、赤十字やICAN、「その他の関係者や専門家」も関与する。日本政府は「賢人会議」の専門家らがこの議論に加わることを促してはどうか。核抑止に依存した安全保障がいかに危険かを客観的に論ずる好機である。