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NGOセッションで発言する児玉さん |
7月22日~8月2日、ジュネーブの国連欧州本部で第11回NPT再検討会議(2026年)のための第2回準備委員会が開かれ、その前半に日本被団協を代表し参加してきました。
2日目の午後開かれたNGOセッションの冒頭に発言、大きな拍手をいただきました。
会議傍聴のほか中満泉国連軍縮担当上級代表や10カ国の代表と懇談しました。またフィリピン政府代表部主催のサイドイベント「核兵器の人道上の影響について」のパネリストとしての発言や長崎ユース代表との交流もありました。
会議での各国の発言を聞いて、世界は現在進行している戦争に大きな影響を受け、軍縮でなく軍拡に向かっていると感じました。だからこそ、あの場に被爆者がいて発言することがとても大事だと思いました。
会議場から出ると周りにいた人から握手を求められ、「ありがとう」と言われたり、離れたところからお辞儀をされたりしたのは、今までにない体験でした。
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(右上から左に)中満さん、ドイツ代表、カザフスタン代表、南アフリカ代表、サイドイベント |
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8月4日~8日、長崎市役所の多目的スペースほかで「ミライの平和活動展~テクノロジーでつながる世界~」が開催され、のべ1500人が参加しました。東京大学大学院渡邉英徳研究室、日本生協連、長崎県生協連、長崎国際テレビ、日本被団協の共催。
デジタルツイン・ⅤRなどのテクノロジーを活用した新世代の平和活動コンテンツとともに、ウクライナ・ガザ地区など世界の紛争地域の被災状況を伝える展示、日本被団協の国連原爆展パネル(写真)、長崎国際テレビによる平和コンテンツなどが体験できました。
また、世界の子どもたちに支持されている「マインクラフト」(ビデオゲームの一種)を通して長崎の歴史について理解を深める「教育版マインクラフトで長崎の歴史を学ぼう」ワークショップ開催など、デジタルを組み合わせた新しいタイプの平和学習の機会となりました。
期間中は、全国の生協などの「原爆の日」関連行事参加者や、多くの被爆者とその家族も訪れました。また、鈴木史朗長崎市長も訪れ、展示内容を視察、体験を行ないました。
「国連原爆展」は会場の都合で全てのパネルを展示できませんでしたが、熱心に見入っている人が多くありました。
(山田浩史)
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今年も8月6日、ノルウェー・オスロの広島と長崎を記念する平和モニュメントがある広場で、街頭行動と集会を開催、例年より多数の参加者を得ました。与党の労働党と野党の青年団体の代表がアピールし、「祖父母の環境アクション」の理事も挨拶しました。日本被団協から送られた濱住治郎さんの挨拶を女優のナミ・キタガワ・オームさんが朗読しました(写真)。その後教会で、ノルウェー教会の代表と牧師、ノーニュークの事務局の担当者が、教会と反核について対話し、平和礼拝が行なわれました。
8日にはドキュメンタリー映画「ヒロシマの誓い」を上映しました。
ノルウェーでは、ウクライナ戦争が続く中でロシアの核兵器使用の危険性が高まり、サポリージャ原発が攻撃されたことで放射能汚染が懸念されています。また、今年アメリカとの基地条約が拡張され、国内に12の基地が設置されることになりました。ノルウェー国内に核兵器が持ち込まれることが懸念されます。
ノルウェーは、北大西洋条約機構(NATO)に加盟していることを理由に、核兵器禁止条約に調印も批准もしていません。締約国会議にはオブザーバー参加していますが、核兵器禁止を先延ばしにしています。
ノルウェーの反核団体は被爆80年に向け、条約調印を要求し宣伝と運動を強める計画です。
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第72回平和美術展が8月6日~12日、東京都美術館(東京・上野)で開かれました。美術家平和会議主催、日本被団協ほか後援。
「すべてのいのちを大切に/平和の壁に花一輪を/日本を戦争する国にさせない」をテーマに、絵画、書、写真、彫刻、陶芸、その他立体作品など、166人の美術家による300点を超える多彩な展示が行なわれ、会期中2800人余が来場しました。
1959年の第7回展から取り組まれている原爆死没者肖像画は、今年は2点が制作・展示されました(写真)。日本被団協が各都道府県被爆者の会を通じて募集(毎年4~5月に実施)し、遺族から送られた写真をもとに制作されます。制作費は無料。諸経費のみ被爆者の会が負担し、肖像画は会を通して遺族に贈られます。
なお、美術展会場での小品売上の中から4万円が、日本被団協に寄付されました。
広島原爆の日の前日8月5日、核兵器廃絶日本NGO連絡会と核兵器をなくす日本キャンペーンの共催で、今年で5回目となる国会議員討論会を広島弁護士会館で開催しました。
今年は9党(自民、公明、立憲、維新、共産、国民、れいわ、教育を無償化、社民)が参加。「核廃絶にむけた日本の役割り~核の非人道性を想起して~」と題して、8月2日に終了した2026年NPT再検討会議にむけた第2回準備委員会、来年3月の核兵器禁止条約第3回締約国会議について議論されました。
国連軍縮担当上級代表の中満泉氏も参加し、NPT再検討会議準備委員会では、NPT体制保持との共通認識はあるが、核共有や抑止論などかつて合意された文言を弱める発言も出ている。軍縮外交による安全保障をあらためて理解してほしいと報告しました。
各党の発言では、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加について、自民党以外は合意。条約への署名・批准については、NPTを見直すことが禁止条約への入口と考える党もありました。
被爆者は、核兵器の非人道性を想起するのが広島・長崎の実相であり、核抑止という脅しで守られたいと思ったことは一度もありません。日本政府がアメリカによる「核の傘」を補完する大軍拡を着々と進めていることを危惧しています。
これまで被爆者は市民団体と共に何度外務省に要請し、懇談したでしょう。国会議員は、国民誰もが安心して平和に暮らせる日本を目指すピースメーカーであってほしい。ぜひ核廃絶を目指す与野党合同の議連を作ってください。
核兵器の存在は、日本も世界も、地球も人類も存続の危機にさらすことを真剣に考え、核兵器禁止条約を国会で議論してください。
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北海道被爆者協会は来春解散することを決めましたが、今年の夏は例年にも増して多くの取り組みが行なわれました。
7月17日と18日、10回目となる被爆の証言と原爆展を道庁1階ロビーで開催。5人の被爆者と3人の被爆二世、最後は札幌南高(定)1年生有志による被爆者の手記の朗読劇「あの日 あの時 ヒロシマで」(写真)。60人を超える観客が見守る中、「私たちが語り伝えます」と最後を結び大きな拍手を浴びました。
8月6日広島原爆忌は朝、札幌の日登寺で原爆の火を囲む集いが行なわれました。8時15分に黙祷、次いで金子廣子さんが体験を語りました。「原爆の火を核兵器廃絶をめざす平和のかがり火に」との閉会挨拶を、参加者一同心に刻みました。
午後は約110人が参加して原爆死没者北海道追悼会。被爆者協会と諸団体の実行委員会の共催で1965年から続いています。廣田凱則会長は開会挨拶で、核兵器も戦争も絶対いけないと訴えました。第二部の被爆者の思いを受け継ぐつどいでは大村一夫さんが、助かっても終わらないのが核兵器の真の脅威だと語り、青年労働者が感想と決意を述べました。
なお来春の協会解散後は被爆者連絡センターが活動を引き継ぎます。
このほか、様々な市民団体の平和に関する行事で、被爆者や被爆二世が語ったりDVD「ノーモア・ヒバクシャの願い」を視聴したりしました。北海道ノーモア・ヒバクシャ会館への来館者も多く、グループで、親子で、被爆者の話に耳を傾けました。(北明邦雄)
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第11回胎内被爆者のつどいを8月8日、長崎で開催しました。会員数は19都府県の82人。今回は6県17人の出席でした。
はじめに、『生まれた時から被爆者』の英語版の披露とその取り組みの報告が、関西学院大学の貞岩しずくさんからありました。メインの講演は、長崎県保険医協会会長の本田孝也氏の「長崎『被爆体験者』の現状と課題-被爆体験者最後の闘い」でした。本田氏は、長崎でも黒い雨が降り、米国マンハッタン調査団により12キロ圏内を含む広い地域で原爆の残留放射線が測定されていると、詳細に説明。そして「広島では手帳がもらえて、長崎ではもらえない…」との被爆体験者の訴えを紹介しました。
全体会では、陸門良輔さんから長崎の胎内被爆者への取り組み報告、次世代に託す課題、被爆80年に向けた取り組みなどについて意見交換しました。(三村正弘)
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反核・平和おりづる市民のつどい「ピースデイ2024」が7月21日、金沢市卯辰山の原爆犠牲者追悼碑「平和の子ら」像前で開催されました。主催は被爆者や県生協連、原水協、原水禁等で構成する「反核・平和おりづる市民のつどい実行委員会」。約100人が集いました。
馳浩石川県知事も昨年に続き参加し、司会から「現職知事として2年連続の参加、快挙です」と紹介されると、知事は「知事出席が快挙と言われないようにすることが大事だと思いませんか」と話し、拍手が起こりました。折り鶴献納、県内被爆者の証言等を基に制作した『ともに歩もう』の朗読、フォークグループ「でえげっさあ」によるコンサートも行なわれ、追悼碑をテーマとした歌「平和の子ら」を皆で歌い、平和を願うバトンをつないでいこうとの思いを新たにしました。
(小野栄子)
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神戸市原爆被害の会は今年もJR神戸駅地下街「デュオぎゃらりー」で8月8日~13日、原爆展を開催しました。
昨年の好評に応え基町高校の生徒による絵画を重点的に展示しました。入場者は1046人と多くはありませんが、ほとんどの人がじっくりと見てくれました。夏休み中とあって家族連れが多く若い人に広がったことは良かったと思います。
運営には二世の人に参加してもらい、今後の継続に希望を持ちました。期間中の署名は306筆でした。(立川重則)
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芦屋市原爆被害者の会は7月8日~12日、芦屋市役所で原爆展を開催し延べ414人が来場者しました。今年はビキニ被災70年で、第五福竜丸展示館のパネルを借り、広島基町高校原爆の絵とあわせて展示しました。
「ビキニの被害漁船が1千隻もあったとは」など、あらためて核実験被害の巨大さを知ってもらう機会になりました。
「高校生が真剣に『被爆』に向き合ってくれているのが嬉しい」等々、たくさんの感想が寄せられました。「核禁条約に日本も参加を」と、署名が131筆寄せられました。
(副島圀義)
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被爆79年8月6日9日の広島・長崎の式典は、被爆地選出の岸田文雄首相にとって在任中最後の参列となりましたが、今回も核抑止政策から脱却する決意は表明されず、落胆の声を広げました。
広島被爆者7団体の代表は岸田首相との面談(写真・広島市提供)で、「私たちは海外へ出て活動することに恥かしい思いをしている」と、核兵器禁止条約への参加を、せめて締約国会議へのオブザーバー参加を、と要望。しかし首相はまともに答えませんでした。
条約に核保有国を「近づける」具体策として「世界の核被害者の援助と国際協力」(6、7条)に人道主義の立場からも賛同すべきとの提言にも触れずじまい。記者会見では、核戦力を含む「拡大抑止」の強化を「日米の信頼関係の土台」と強調、「核兵器なき世界へ」の日米の在り方は語られませんでした。
岸田首相の広島原爆の日の参加は3回を重ねましたが、核情勢が厳しさを増す中で核軍縮・平和外交の努力が見えず、被爆者援護のさまざまな課題もほとんど進展しませんでした。(田中聰司)
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岩手県被団協は8月2日~3日、太平洋戦争末期に2度の艦砲射撃を受けた釜石市で原爆追悼事業を行ないました。
追悼式では、長崎で1歳の時被爆した女性が体験を語り、「翳った太陽を歌う会」が追悼合唱しました(写真)。また県被団協顧問の伊藤宣夫さん(96歳)が紙芝居を使い体験を語りました。原爆と釜石艦砲射撃の展示は多くの人が見入り、「これまでにない充実した展示」と好評でした。ほかに「はだしのゲン」上映会や高校生らによるトークセッションがありました。(西山剛)
秋田県被団協は8月6日、秋田市で第29回死没者追悼の集いを行ないました。被爆者、二世、三世、遺族など約40人が参加。相川修会長は追悼の言葉で、ロシアが核兵器使用の可能性に言及したことに触れ「あの地獄の再現が現実のものとならないよう、核兵器の非人道性と核廃絶を訴えつづける」と呼びかけ「私たちは小さな被爆者の会だが運動を続ける覚悟」と述べました。遺族代表の佐藤耕さんは「同じ悲劇を繰り返さぬよう、原爆の恐ろしさを記憶していこうと思う」と語りました。(佐藤力美)
宮城県原爆被害者の会(はぎの会)は7月15日、仙台市戦災復興記念館で第38回原爆死没者追悼平和祈念式典を開催。原爆被害者、国会議員、県議会および仙台市議会各会派の代表者など約80人が参加しました。
はぎの会の木村緋紗子会長のあいさつ、追悼の合唱のあと、中学生が平和宣言を読み上げ、「みんなが笑って過ごせる世界を創造していきたい」と決意を述べました。追悼のことばでは木村会長が「核兵器を廃絶するまで頑張り続けることを誓います」と訴え、日本政府はただちに核兵器禁止条約を批准するよう求めました。(核兵器廃絶ネットワークみやぎ)
東京都原爆犠牲者追悼のつどいが7月21日、葛飾区テクノプラザ大ホールで開催され157人が参加しました。東京都主催、葛飾区後援で、実施主体は東友会も参加する実行委員会です。
東友会の原爆死没者名簿には新たに354人を追記し、総数は9179人になりました。
小池百合子東京都知事の式辞、家島昌志東友会代表理事の追悼のことばのあと、原爆犠牲者の読み上げの中で献花。その後1歳のとき広島で被爆した木村一茂さんが映像を使って父母の記録を元に証言し(写真)、被爆の翌年生後10カ月で命を落とした弟への想いを語りました。(濱住治郎)
埼玉県原爆被害者の会は第39回埼玉県原爆死没者慰霊式をさいたま共済会館で7月28日に実施しました。遺族、県知事代理、さいたま市長代理、国会議員、地方議会議員、自治会長等の来賓と、若い世代を代表し秩父ユネスコ協会と県立春日部高校生徒など、202人が参列し、核兵器のない平和な世界の実現を慰霊碑に誓いました。
慰霊のことば、来賓挨拶、メッセージ紹介のあと、「平和の誓い」を若い人たちが宣言し、献花・折り鶴の奉納。「原爆を許すまじ」合唱で終わりました。(佐伯博行)
千葉県原爆被爆者友愛会は7月20日、第46回原爆死没者慰霊式典を千葉市生涯学習センターで、遺族、被爆者、千葉県知事・千葉市長の代理者、協力団体、被爆者の会会員など、93人の参列のもと執り行ないました。16柱の新記帳者を含め、合計で678柱の原爆死没者の霊を慰め、核兵器廃絶の誓いを新たにする式典となりました。
平和の活動を受け継ぐ若い世代を代表し、福田莉子さん(淑徳大4年)が「被爆者の方々の思いを引き継いで必ず核廃絶を実現させたい」と誓いの言葉を述べました。(臼井千里)
鳥取県原爆被害者の会は8月6日、被爆79周年原爆死没者追悼・平和祈念式典を鳥取市内で開催しました。死没者の累計は1268名になりました。会員、遺族(三世代5人)、行政機関からの列席者は16人でしたが、被爆者会員の参加者は2人になり寂しい限りで、被爆二世の助力なくして式典の維持はできません。式典に先立って原爆慰霊碑と平和祈念碑の清掃作業を、猛暑の中、鳥取県連合青年団の助力もあって実施しています。
遺族で被爆三世になる方が運動に協力していただけるとの明るい話もありました。(石川行弘)
広島県被団協は8月4日、原爆死没者追悼慰霊式を、昨年に続き規模を縮小して広島平和会館で開催しました。
黙とうに続き、箕牧智之理事長の追悼のことばとあいさつの後、広島県知事、広島市長、県選出国会議員、各政党代表から寄せられたメッセージを紹介。設けられた祭壇に理事長、副理事長など参加者が献花しました。
最後に、植田副理事長が「核兵器禁止条約に参加し、対話を優先する政府を期待します」とあいさつし、約20人の出席のもと、厳粛なうちに終了しました。(熊田哲治)
愛媛県原爆被害者の会は7月28日、原水禁松山市民会議及び愛媛県原水協の3団体共催で、松山市・石手川公園内の慰霊碑前で原爆死没者合同慰霊祭を実施しました。被爆75年を機に始まった3団体共催での慰霊祭が定着しつつあります。
主催者挨拶の後、愛媛県知事並びに松山市長の追悼のことば(代読)が捧げられ、昨年に続いて参加した松山東雲高校の女生徒3人の原爆詩の輪読とその詩への感動を語って参列者の感銘を呼びました。その後、約100人の参列者が献花しました。(松浦秀人)
「原爆被害者の基本要求」についての報告 ――作成の経過と内容――
1984年11月17日日本被団協全国代表者会議(報告者=「要求骨子」検討委員会副委員長 吉田一人)から
◆「基本要求」の内容(つづき)
〔援護法制定の意義〕では、一つは、在外被爆者、外国人被爆者、および一般戦争被害者の問題に触れた部分は原案にはなかったこと。もう一つ大事なことは、<被爆者が求めているのは、原爆被害に対する「国としての償い」なのです。/被害に対する補償は、同じ被害を起こさせないための第一歩です>と言っている個所です。これは、国が原爆被害への補償をおこなうことによって、今日あるいは未来に起こされるかもしれない核戦争の被害を「受忍」させない保証になるんだ、ということを言っているんです。
つい1週間ぐらい前のことでしたか、日航機の東京湾での墜落事故、逆噴射事故で、日航の高木社長らが不起訴になった、というニュースがありました。あれは結局、機長は精神障害ということで責任を問われず、日航の幹部もだれ一人刑事責任を問われない、ということになりました。このとき、日航機事故で亡くなった方の遺族の人たちが涙ながらに言っていたことは、あれだけの大事故を起こしながら、だれに責任があるのか分からない、だれも刑事責任を問われない、そんなことでいいのか、こんなことをしていたら、また事故が繰り返されるのではないか、ということでした。そうだと思います。事故や事件に対する責任がどこにあるのか、だれが補償すべきなのか、それがはっきりしないままであったら、またそれが繰り返される危険があるのです。
だから、原爆被害に対する国の補償をはっきり確立させることが、これを繰り返させないための第一歩になるんだ、ということです。原爆の場合は単なる事故ではありません。戦争による被害の最大のものであるのです。ここでは、<国が原爆被害への補償を行うことによって、核戦争被害を「受忍」させない制度を築き、国民の「核戦争を拒否する権利」をうち立てるもの>であることを強調しているのです。ここでは、第一の要求である「核戦争起こすな、核兵器なくせ」の課題と、この援護法制定の課題が、紙の裏表、切っても切れない関係にあることを明らかにしようとしたのです。核兵器廃絶と被爆者援護法は、車の両輪の関係にある、とよくいわれます。両輪、つまり二つの車というからには、比喩を変えて言えば、これは自転車なんじゃないか--。
実は出された意見の中で、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」と援護法の関係については、〔一〕と〔二〕を入れ替えろ、援護法を前に持ってきた方がいいんじゃないか、という意見がありました。これは大事な問題提起であるし、検討委員会でも議論しました。ここで、両輪を自転車だと考えれば、前の車輪にはハンドルがついていて、どこに行くのか、行き先をハンドルで示します。これは〔一〕の「核戦争起こすな、核兵器なくせ」です。「ふたたび被爆者をつくらない」ためには核兵器をなくすしかない。この方向を前の車輪のハンドルが示します。ではなんで、援護法は後ろの車輪なのか。ペダルを踏んで動かす自転車の動力は、後ろの車にかかります。唯一の核戦争被害国である日本で、国を非核国家にしていくためには、実際に起こった核戦争被害に対する国の責任をはっきりさせて、これに対する国家補償制度をうち立てるという、後ろの車を動かすことなしに、前輪だけが一輪車のようにスイスイと行ってしまう、ということはありえない。こういう関係を「基本要求」は言っている、とお考えいただきたいのです。ついでに言うと、自転車というものは人間の力でしか動かないんです。自動車はエンジンで動くが、自転車は人間が動かさない限り動きません。「基本要求」は自転車なんではないか、と思います。
【問】夫が先日、受診後に処方箋を薬局に出したところ「ジェネリック医薬品を」と言われ、「先発薬で」と返事をすると「次からは有料になります」と言われました。夫は被爆者健康手帳を持っており、医療費も薬代も自己負担はなく、突然言われて驚いています。
* * *
【答】被爆者健康手帳を持っていても、知らない間に医療費の自己負担が生じる場合が増えてきています。個室などに入院した時の差額ベッド料などに見られる健康保険の負担外「選定療養」は1984年に導入され、少しずつ範囲を拡大してきました。被爆者が180日以上入院した場合、食事代等に自己負担が生じたのも「選定療養」の一つです。
厚労省は10月1日からこの範囲を拡大して、処方薬も対象にするとしています。(これは政府が出した「骨太政策」の方針の一つで、医療費抑制のために保険外負担を拡大する突破口と言われているようです。)
薬局で「ジェネリック(後発薬)でないと有料になる」と言われたのはこのためです。全額ではなく、先発薬と後発薬の価格差の4分の1を保険外負担にするとのこと。消費税(10%)も上乗せされます。これは被爆者健康手帳を持っていても自己負担となります。
ただし、後発薬がない場合と医師が必要と判断して先発薬を処方したときは「選定療養」の対象外です。ですから、主治医とよく相談してみることが必要です。
今後は、主治医と「先発薬で」と相談し、薬局では「主治医の指示で先発薬を」と説明してください。薬剤師は主治医に連絡して確認することになっていますので、うまく説明ができないときは主治医に確かめてほしいと言ってください。主治医の指示があったときはこれまでどおり自己負担はありません。
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兵庫県被爆二世の会は8月11日、神戸市立婦人会館で第3回「ヒバクシャの話をきこう」を開催、60人が参加しました。
証言者の葛下友和さんの「98歳です」との自己紹介に、会場から驚きの声が。高校生平和大使、新聞の告知記事を見たなど、初めて被爆者の話を聞く人が過半数でした。
葛下さんは最初の30分は立ったままで語りました。広島で被爆した後、似島の救護所で救援活動に当たり、その後移動命令が出て宮島に怪我人を運び、薬剤のない中救護に当たったとのこと。質疑応答も含め1時間、貴重な体験を伺いました。
「直接体験された方の話を聞くことの重さはすごい。19歳で、自分も怪我をしながら、救援活動されたことは驚きです。若者が力を合わせて、核兵器を廃絶します」などの感想が寄せられました。(中村典子)
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長崎生まれで被爆2世である著者が、20年をかけて撮影した31都道府県130人を超える「被爆2世の肖像」の中から117人分を収録した写真集。被写体となる人が選んだ場所で、一人で、あるいは親や子どもと一緒に、自然な笑顔をみせる被爆2世たち。
「これからも被爆2世として生まれた意味を問い続けながら平和への想いを発信し続けたい」(著者の手紙から)。
2500円+税。南山舎=電話0980-82-4401 FAX0980-83-7585
広島二中の3年生で被爆し、身内10人を失った松本正さん(93歳)。80歳すぎまで自身の被爆証言は一切固辞していましたが、あることをきっかけに、生きている限り原爆の語り部を続けると決意しました。オールカラーの本書では、生家が建物疎開にあったため奇跡的に残った家族写真や松本さんの自筆の絵、証言活動の写真などを数多く掲載しています。
1200円+税。オフィスなかおか=電話03-5228-7018