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「被団協」新聞2020年7月号(498号)

2020年7月号 主な内容
1面 日本被団協第65回定期総会 コロナ禍の中、文書で開催
ヒバクシャ国際署名 1184万3549人分に
もうすぐ500号原稿募集 「被団協」新聞500号に声を寄せてください
2面 第2回オンライン証言会 16歳の三宅さんと出会う
署名さらに 青森連絡会
かがやく日本の憲法 新憲法を心から喜んだ
被爆者と署名に感謝 中満泉国連軍縮担当上級代表
非核水夫の海上通信(191)
3面 原爆症認定裁判で勝利
オンラインでの取り組みも 継承する会 第8回総会
夏から秋の各地の行事 コロナ禍の中でも多彩に
4面 相談のまど
 介護型療養病院への入所
 食費と居住費が自己負担に

投稿 短歌二首
募金のおねがい

 

日本被団協第65回定期総会 コロナ禍の中、文書で開催

事務局長 木戸季市
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 日本被団協の第65回定期総会は、新型コロナウイルスの影響を受け、文書総会になりました。代表理事会提案の議案について全国の皆さんが丁寧に読み、真剣な意見を寄せられました。本当にありがとうございました。
 基調報告、2019年度活動報告、2020年度運動方針、役員人事の4議案について、6月18日までに行なった書面議決で、賛成多数(反対0、保留2)により可決されました。
 基調報告は、今年は、被爆・戦後75年、被爆者の高齢化と減少が進み、やがて被爆者がいなくなる日が来るが、被団協運動をどう受け継ぎ、次代に伝えるか、日本被団協の運動のあゆみを学び、将来への希望・展望を語りあおうと訴えました。
 世界終末時計が人類破滅まであと100秒を示す危機的状況ですが、ヒバクシャ国際署名運動、核兵器禁止条約採択から署名・批准の動きが示すように、世界は核兵器の廃絶に向かっています。
 唯一の戦争被爆国である日本政府が、核兵器禁止条約と原爆被害への国家補償を拒否していることは恥かしい限りです。核兵器をなくし、憲法9条を守り活かし、国民の命と暮らしを守る政府をつくる運動も喫緊の課題です。
 被爆者と二・三世の不安、苦しみ、悩みは今日もなお続いています。生活、病気、介護など実態に合った相談に応え、援護施策を改善し、原爆被害の実相を伝える活動が求められています。
 日本被団協の運動と組織の在り方については、検討を呼びかけました。「核戦争阻止、核兵器廃絶」「原爆被害への国家補償」の課題を実現する運動をどのように作り出すかの問題です。
 また、運動と財政確立のために、「財政が理由で被団協運動ができなくなることだけは避ける。そのために財政確立についての全国討論」を提案し、確認しました。
 外出自粛が要請されたもと、やむを得ず文書のみでの総会になりましたが、被団協運動の課題が明確にされた、有意義な総会であったと思います。全国の皆さんのご協力に感謝します。

新役員
 定期総会で選出された2020年度日本被団協役員は次のとおりです。
<代表委員>
 坪井直 田中重光 田中熙巳
<事務局長>
 木戸季市
<事務局次長>
 児玉三智子 藤森俊希 大下克典 濱住治郎 和田征子 濵中紀子
<代表理事>
 眞田保 木村緋紗子 高橋溥 金本弘 立川重則 石川行弘(新) 松浦秀人 中村国利 田中聰司(新) 横山照子 家島昌志 首藤通治
<会計監査>
 木本征男(新) 小島貴雄(新)
<顧問>
 岩佐幹三


ヒバクシャ国際署名 1184万3549人分に

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2020年3月末現在累計

 ヒバクシャ国際署名連絡会は、6月24日オンラインで会議を開き、2020年3月末の署名集約数が、累計1184万3549人分になったことを発表しました。前回9月末の集約から約132万余の増加です。
 4月にニューヨーク国連本部で開催予定だったNPT再検討会議に提出することにしていましたが、コロナ禍の中会議は延期となり、集計作業も遅れていました。
 ヒバクシャ国際署名は今年9月18日を最終集約日とし10月に国連総会第1委員会への提出を最終提出とする予定です。連絡会では、2016年4月から始まった署名運動の締めくくりに、さらに大きく積み上げるためラストスパートを、と呼びかけています。
 新型コロナウイルス感染拡大によって、外出や集会の自粛等で行動が制限され、署名行動もこれまでとは違ったものになりました。サイレントスタンディングや、人と離れたところに机を用意して署名用紙を置くなど、工夫した取り組みが行なわれています。
 連絡会では今年も「ピースウェーブ2020」を全国で取り組もうと呼びかけています。核兵器禁止条約採択の日である7月7日から核兵器廃絶国際デーの9月26日までの期間です。期間中の9月18日が署名の最終集約日になります。街頭行動、原爆展、オンラインを含む集会や学習会など各地の計画を集約し、連絡会ホームページで紹介します。地図上に、名称、日時、場所、参加方法等を載せた情報を、7月上旬に公開予定です。


もうすぐ500号 原稿募集
「被団協」新聞500号に声を寄せてください

 1976年に創刊し、79年6月号(第6号)から月刊化した「被団協」新聞は、今年の9月号で500号を迎えます。
 そこで、読者のみなさんからの「声」を大募集します。テーマは、『私にとっての「被団協」新聞』。「被団協」新聞に励まされたあの時、心に残った記事、私の好きなコーナー、など「被団協」新聞にまつわるどんなことでも構いません。今はないけれどあのコーナーが好きだった、なども歓迎します。
 締め切りは8月6日、文字数は300字以内、はがき、封書、またはEメールで、お名前、年齢、性別、住所、電話番号を明記して左記宛にお送りください。
 たくさんの「声」をお待ちしています。  郵便=〒105-0012 東京都港区芝大門1-3-5ゲイブルビル9階 日本被団協
 Eメール= kj3t-tnk@asahi-net.or.jp


第2回オンライン証言会 16歳の三宅さんと出会う

ヒバクシャ国際署名連絡会
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証言する三宅さん
スタッフの鈴木さん(左)と高橋さん(右)

 ヒバクシャ国際署名連絡会は5月30日、ウェブ会議システムを使って第2回オンライン証言会-16歳の三宅さんと出会う-を行ないました(第1回は5月号既報)。
 証言者は16歳のとき広島で被爆した三宅信雄さん(埼玉)。被爆時の年齢と近い若者と交流してほしいという思いから、三宅さんと直接やり取りできるのは生徒・学生に限定し、一般の方にはユーチューブで生配信しました。当日は生徒・学生が40人参加。ユーチューブは当日のうちに250回まで再生されました。
 質疑応答では第1回同様に若者たちからの質問が次々にあがりました。三宅さんは若者たちとの対話の中で「核兵器をめぐって必要、不必要と意見が二分しています。しかし、私の話は75年前の昔話ではありません。核兵器のことは広島・長崎で終わってはいません。核兵器は今の問題、未来の問題であると理解しながら、お話を聞いていただいて、ぜひこの話を風化させないで引き継いでもらいたい」と語りました。(林田光弘)


署名さらに

青森連絡会

 青森では6月18日、ヒバクシャ国際署名をすすめる青森県連絡会の第24回事務局会議を開きました。コロナ禍で行動規制がかかる中、各団体工夫した取り組み報告がされ3月9日以降1222筆を集約。県内累計10万8298筆となりました。
 原水協の平和行進自治体申し入れでは、横浜町と南部町の首長が面会時に役場職員の署名を手渡して激励していただき、励まされました。
 被爆者からは「新型コロナに人間が殺されているのに、核兵器を作って戦争している場合か。今、無くさなければ人類は滅びてしまう」という声が寄せられました。(辻村泰子)


かがやく日本の憲法
新憲法を心から喜んだ

東京 水野潔子(広島被爆)

 日本国は世界で初めて原爆の被害を受けたので、日本政府は世界にさきがけて核兵器禁止条約に署名するのが当たり前なのに、なぜか責任を取らない。被爆国としては許せない行為と思います。署名もせずおまけに平和憲法も変えようとしている。その行為は私としては考えられないと、常に思っています。
 私は75年前に戦争が終わったとき17歳でした。女学校を卒業し上の学校に行ってすぐ、法学の時間に新憲法の草案ができたのを教室で講義を受けて、戦争が本当になくなったのだと、心から喜んだのを思い出します。どんなことがあっても9条を変えてはなりません。
 今の若い方は、自衛隊を明記することがどんなことか、わかっておらない気がします。また戦争が起こったらどうなるかを、考えたことがないと思います。核戦争のこわさを知らない方が多すぎます。
 自衛隊が明記されれば、他の国の戦争にも手伝いかたがた出向く方向に行くと思います。憲法を変えるのではなく、平和外交を、これからはすすめるべきです。


被爆者と署名に感謝

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国連軍縮担当上級代表 中満 泉

4月26日オンライン原水爆禁止世界大会での発言全文

 このような大会にご招待いただいたことに、心から感謝します。みなさんがこれほど大規模な会議をオンラインで組織されたことは、私たち全員にとって大きな意味があり、激励されます。出席できて非常に嬉しく思います。
 核兵器廃絶をめざす署名がどれほど大きな数で集まっているかについてご報告を受けました。毎回、署名を受け取とるたびに、それは私のエネルギー源になっています。それが私を、核兵器廃絶という重要で困難な仕事に立ち向かい続けさせてくれているのです。
 今日のCOVID-19の状況のもと、ニューヨークでみなさんに直接お会いして、署名を受け取ることができなくて大変残念です。しかし、秋の国連総会、第一委員会では必ずそうしたいと思っており、楽しみにしています。
 国連のなかでは、この署名は核兵器廃絶の重要性を思い起こさせてくれる重要なものです。この課題は会議場をはるかに超えるもので、核兵器の残酷さ、その完全廃絶は、世界の市民にとってきわめて大きな課題であり、ご存じのように国連の最優先事項となっています。
 この機会に、広島・長崎への原爆投下の筆舌に尽くしがたい惨禍を伝えて下さる被爆者の方々に賞賛をお送りします。私は被爆者のみなさんの証言を直接聞くたびに、大変感動させられます。みなさんの証言は、文化や世代の違いを超えて非常に多くの人々を核兵器廃絶へと向かわせる、権威ある力を持っています。みなさんの核兵器廃絶の活動は、比類のない力を発揮しています。これまでに集められた素晴らしい数の署名は、みなさんの活動の影響力の大きさをはっきりと示しています。あらためて、みなさんの疲れを知らぬ努力に感謝を申し上げます。
 残念ながら、被爆75年を迎え、被爆者の平均年齢も上がっています。しかし、みなさんの声は小さくなってはいません。多くの人々、とりわけ若い世代に訴えを届けるみなさんの努力は素晴らしいものです。今日の会議でも、多くの若い人が耳をかたむけ、参加しています。それこそが私たちが必要としていることです。若い人たちが核兵器廃絶にむけた力になれるよう激励することは、みなさんのメッセージを将来の世代につなげ、そしてもちろん、最終的に核兵器のない世界を実現するために、重要なことです。
 COVID-19パンデミックによって、私たち全員が、不都合な真実ともいうべき事態に直面し、これまで想像もしなかったような破滅的状況が引き起こされる可能性が生まれています。このグローバルな危機は、すでに明らかなように、国境で防ぐことはできず、そのため集団的な対応が必要です。しかし私は、大きな困難をもたらしているこのパンデミックが、一方で、社会や組織や個人など私たち全員を団結させる可能性を生み出すことを期待しています。この危機を通じて連帯を築く中で、私たちは固定化した分断を乗り越え、困難であっても必要なその他の課題の解決にも取り組まなければなりません。とりわけ、緊急の目標である核兵器の廃絶において。
 国連がテレワークに入って5週間以上になりますが、昨日(4月24日)、オンラインで発表するビデオ・メッセージを収録するために国連本部に行きました。これはNPT再検討会議の開会日となるはずだった今度の月曜日(4月27日)に発表されます。私がそのなかで特に伝えたいメッセージは、締約国が、会議が延長された機会を利用して、それぞれの間にあるギャップを埋め、橋渡しをして、核軍縮を前進させる共通の基盤を見出す努力をしてほしいということです。世界中で緊張が高まり、軍備管理機構が残念ながら弱体化しつつある状況に直面するもとで、核軍縮での前進は、これまで以上に緊急に求められています。
 被爆者は、核破壊の人間の顔を代表しています。みなさん方の努力は政策立案者たちに、核兵器のいかなる使用も、人間に未曽有の被害をもたらすことを教えてくれます。それゆえ私は、この署名をしたひとりひとりに感謝を申し上げ、私たち共通の目標である核兵器のない世界を達成するために、全力を尽くすことをお誓いするものです。
 国連軍縮課がウェブサイトに載せたCOVID-19の影響についてのメッセージをすでにご覧になった方もいらっしゃると思います。その中で私たちが最も伝えたかったメッセージは、安全保障の中心に人間を据えるべきだということです。COVID-19は、人類にそうせよと教えています。それは「核兵器のない世界」にむけた取り組みのなかで、常に忘れてはならない中心テーマのひとつでもあるのです。
 あらためて感謝を申し上げます。みなさんのこの大会が、私たちが共有する目標に向けて、より大きく、より力強い運動となることを期待しています。


原爆症認定裁判で勝利

大阪地裁勝訴確定 広島高裁逆転勝訴

 原爆症認定を求めるノーモア・ヒバクシャ訴訟の大阪訴訟で6月3日、大阪地裁で原告勝訴判決が出されました。
 原告は4歳10カ月で長崎原爆の爆心地から3・6キロの地点で直爆を受け、その後2日間、親族をさがして三菱兵器工場付近に入市しました。申請疾病は乳がんです。
 判決は、入市したことは否定しましたが、爆心地から3・6キロ地点での被爆時に粉塵状の放射性物質を体内に取り込んだことや、その後約1カ月の間、原爆でひどい火傷を負った叔父の看病を手伝ったことなどを認めて、放射線起因性を認めました。
 原告団、弁護団は声明で、「国は被爆者の立場に立って原爆症認定行政を根本的に転換すべきである」と述べています。
 国は控訴せず、判決は確定しました。

 6月22日、広島高等裁判所で広島訴訟11人の控訴審判決がありました。全員敗訴だった広島地裁判決を覆し、5人を原爆症と認める逆転勝訴でした。認められたのは甲状腺機能低下症の4人と心筋梗塞の1人です。
 原告団、弁護団は却下された6人を含め全国でたたかわれている訴訟について、「新しい審査の方針」の誤りを認め、変更して全原告を救済することを求めています。


オンラインでの取り組みも

ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 第8回総会

 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は5月23日、理事のオンライン出席も含め第8回通常総会を開催しました。
 昨年度の事業報告と今年度の方針を確認。資料の収集・整理、デジタル化事業を進めるほか、コロナ禍の中でインターネットを使った取り組みができないか、オンラインで開催される国際平和博物館会議にもこの会から参加するべき、などの意見が出されました。
 また、ノーモア・ヒバクシャ国際署名連絡会のオンライン被爆証言会では高校生や大学生が参加し手ごたえを感じた、などの報告もありました。
 なお新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、7月に日本青年館大ホールで開催予定だったチャリティーイベントは中止とし、時期をみて再び取り組むと報告されました。


夏から秋の各地の行事
コロナ禍の中でも多彩に

 今年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で各地の総会が書面開催になるなど、大きな影響を受けました。7月以降に予定されている各地の原爆展や慰霊祭などの行事予定を紹介します(6月19日現在日本被団協への報告分)。会場や詳細は各都道府県被団協にお問い合わせください。

[北海道]6月27日絵本『北の里から平和の祈り ノーモア・ヒバクシャ会館物語』発行 7月5日署名街頭宣伝とスタンディング 7月13~14日ヒバクシャの証言と原爆展 8月3~10日『北の里から平和の祈り』原画展 8月6日原爆死没者北海道追悼会 9月上旬ヒバクシャ国際署名結集の集い 9月20~22日『北の里から平和の祈り』読み聞かせと原画展
[青森]7月3日生協さくら館での店舗署名 7月7日街頭宣伝 8月6・9日街頭宣伝 9月26日署名取り組み報告感謝デー 10月映画『二重被爆』上映会 11月青森県被団協設立60周年記念誌発行
[岩手]7月4日学習講演&署名ラストスパートのつどい
[宮城]7月19日原爆死没者追悼平和祈念式典 7月25~26日原爆パネル展
[埼玉]7月26日原爆死没者慰霊式・被爆証言集『原爆許すまじ第3集・未来への伝言』発行
[東京]7月7日被爆者援護連帯6・9行動 7月18日被爆の実相普及学習会 8月6・9日広島と長崎の「東京の木」に献水(広島・長崎にそれぞれ3人を派遣)
[千葉]8月5~7日平和祈念原爆展と原爆体験の語りほか 10月原爆死没者慰霊式典
[神奈川]10月4日原爆犠牲者慰霊祭2020年追悼のつどい 11月29~30日医療講演会
[静岡]]原爆と人間展8月17~21日県庁、8月11~21日浜松市役所、8月17~28日湖西市アメニティプラザ、9月7~18日なゆた浜北 9月23日久保山愛吉氏追悼式典 10月4日原爆死没者慰霊・追悼式
[愛知]7月28日~8月2日原爆絵画展 8月13~16日あいち平和のための戦争展 8月22~23日原爆展 9月14日原爆犠牲者を偲ぶつどい 10月県内被爆者相談会 10~11月県内被爆者行脚
[岐阜]9月3日署名岐阜県民の会集会「被爆者運動に学ぶ」
[三重]9月18日原爆死没者慰霊祭
[兵庫]8月6~11日原爆と人間展 10月9日原爆死没者追悼慰霊祭
[広島]8月6日原爆死没者追悼慰霊式典
[鳥取]8月6日原爆死没者追悼・平和祈念式典
[山口]8月6日広島原爆忌慰霊祭 8月9日長崎原爆忌慰霊祭 9月6日原爆死没者追悼・平和式典
[愛媛]8月8日2020平和の波イン松山 10月18日原爆死没者合同慰霊祭
[福岡]原爆展 7月20~31日春日市、7月22~26日福岡市博多区、8月3~14日福岡市、8月4~12日大野城市
[長崎]7月7日核兵器禁止条約3周年のつどい 8月9日被爆75年を考える祈りの夜(仮称)・被爆75年周年記念誌発行 7月上旬~8月7日爆心地公園で竹田信平氏による「声紋源場」プロジェクト
[熊本]11月29日原爆死没者慰霊式典

 新型コロナの影響で予定していた行事の開催が未定というところもあります。決まり次第「被団協」編集部までお知らせください。


相談のまど
介護型療養病院への入所
食費と居住費が自己負担に

 【問】母(被爆者)が入院していましたが、長くはその病院にいられないとのことで療養型に移ることになりました。転院について説明を受けたところ10万円を超える費用がかかると言われ、療養型に移っても3カ月くらいで、どこか転院先を見つけるか在宅に、とも言われました。娘の私が働いて生活を維持してきましたが、毎月それだけの費用を支払う余裕はありません。被爆者健康手帳で医療費の負担がなかったので入院させることができたのですが、これからは、高齢で介護も必要な母を看てくれるところはこんなにもお金がかかるのでしょうか。

*  *  *

 【答】かつて病院は長期間の入院を受け入れてくれましたが、医療行政の変化により急性期入院は2週間まで、リハビリが必要でも、疾患により発症後1~2カ月以内でないと回復期リハビリ病院に転院できないことになっています。回復期リハビリも疾患によって入院日数が決まっているうえ、医療上やむを得ない場合でないと長く入院できなくなり、自宅での療養・介護が基本になりました。
 「療養型に転院を」と言われたとのことですが、療養型にも医療と介護型の2種類あります。医療の場合は、人口呼吸器をつけているとか中心静脈栄養など、常に医療処置が必要な状態が対象になります。お母さんの場合、長期にわたり医学的管理を必要とする状態ではないようなので、介護型療養への転院を進められたのだと思います。
 介護型療養病院(または病棟)に入所したときは介護保険の対象ですから、利用料の自己負担分は被爆者健康手帳の福祉系サービスとして助成されます。しかし、食費と居住費については自己負担となるため10万円を超える負担がかかると言われたのでしょう。
 一般的には食費が1日1392円で30日分では4万1760円。居住費はユニット型個室、多床室など部屋の種類により1日2006円から377円、30日分では6万円余から1万1310円まで幅があります。
 世帯全員が非課税であるなどの経済状態よっては補足給付という減額制度がありますが(『問答集(介護編)』を参照)、あなたが働いているので補足給付の対象にはならないと思われます。できるだけ負担が少なくなるよう、相談してみてください。


投稿 短歌二首

福岡 里登喜男

 「おぼろにも面影見えぬ父母よ夢に出でませ八月の夜に」
 長崎で2歳のとき被爆し、父母を亡くして祖母に育てられた知人の境遇を詠みました。

 「被爆せし我が眼に映る夾竹桃オランダ坂にあの日も咲けり」
 私は9歳のとき、長崎東山手町の、現海星学院のグランド下防空壕で被爆しました。


募金のおねがい

 日頃からの、皆さまからの大きなご支援に深く感謝申し上げます。日本被団協の運動を支える「被爆者運動強化募金」を訴えます。
 日本被団協は、核兵器の反人間性を明らかにし、核兵器廃絶と原爆被害への国の償いを実現する運動を進めています。
 被団協運動を支えるため、募金の協力をお願いいたします。
 送金先=郵便振替00100-9-22913日本原水爆被害者団体協議会。一部の地域を除いて同封しています振込用紙をご使用ください。