新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、この4~5月に開催予定だった核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が延期となりました。会議に参加を予定し、意見表明を準備していた市民団体が中心となって、核兵器廃絶を前進させるための「NPT締約国に対する市民社会の共同声明」が発表されました。
声明は、世界各地で核兵器廃絶に取り組む84の市民団体の賛同で、5月11日にすべての条約加盟国政府に送付されました。日本被団協も、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、平和首長会議、原水協、原水禁、ピースボートなどとともに参加しています。
声明では始めに、現在のパンデミックが、あまりにも長く科学者たちの警告を無視しつづけてきた政治的怠慢の結果であり、核兵器でこのような世界的な危機を繰り返さないために、国民より利益と強者を優先する「国家安全保障政策」で科学を無視することは許されない、と述べています。
また、核兵器が引き起こす非人道的な影響を認識して行動することを各国に求め、再検討会議を前進させるためには国際社会の大胆で新たな指導力が必要であり、2017年に採択された核兵器禁止条約は、核戦争の脅威を除去し核兵器を廃絶するという共通の目標に向けて重要な貢献をしていると強調しています。
会議延期となったこの期間を生かして、政治的対立を乗り越えて加盟国が核軍縮の交渉義務を定めたNPT第6条の目標達成に向け協力して取り組み、核戦争の惨禍から人類を救わなければならない、と続けます。
具体的な提言には、米国とロシアの戦略核兵器削減条約(新START)の延長、中東、北東アジアでの地域的な核軍縮・不拡散の交渉などが含まれています。さらに被爆者が長年、「ノーモア・ヒバクシャ」の実現を求めてきたことに触れ、核兵器廃絶を求め1000万人以上の賛同を集めている「ヒバクシャ国際署名」に言及しました。
声明は最後に、今日のパンデミックは、大規模災害を前にしていかに私たちが無力であるかを示したもので、核戦争からの回復は不可能であり、唯一の賢明な道はその阻止である、と訴えています。
発言する和田さん |
発言者とスタッフの記念写真 |
NPT再検討会議に合わせてニューヨークで開催予定だった原水爆禁止世界大会が、オンラインによって4月25日夜10時~12時(NY時間朝9時~11時)に開かれました。登録者は36カ国から1000人を超え、新しい歩みが期待される大会となりました。
日本被団協、原水協、原水禁をはじめ国内外の平和団体の共同主催で、「核兵器廃絶、気候危機の阻止と反転、社会的経済的正義のために」をテーマに、日本、コスタリカ、アメリカ、イラン、オーストラリア、ドイツから9人のパネリストが発言しました。
第1部のテーマは「核兵器廃絶のためのたたかいと現局面」。日本被団協の和田征子事務局次長が被爆の証言と被爆者の運動を語り、核兵器廃絶のため各国政府に決断を促す国民の行動を訴えました(2面に全文)。
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のカルロス・ウマーニャ医師(コスタリカ)は、核爆発の人類への影響を説明し巨額の資産を核軍備に費やす愚かさを語りました。
メキシコ出身で未来のための金曜日リーダーのシエ・バスティダさん(17歳、アメリカ)は、核兵器の破壊力が気候変動と共に若者に影響を及ぼす危惧を語りました。
日本原水協の高草木博代表理事は、核保有国やその依存国の政府に、すべての資源を人類と地球を守るために使うよう呼びかけました。
平和軍縮共通安全保障キャンペーンのジョゼフ・ガーソン代表(アメリカ)は、「共通の安全保障」を復活させ、新しい世界を目指すことを訴えました。
第2部のテーマは「行動と優先課題」。
貧しい人々のキャンペーン議長のリズ・テオハリス牧師(アメリカ)は、国防予算を削り、戦争経済から平和経済へ転換の必要性を述べました。
中東条約機構のイマド・キャエイ主任(イラン)は、中東非核地帯の実現へ昨年国連で設置交渉が始まったことを報告。
国際労働組合総連合のシャロン・バロー書記長(オーストラリア)は、核兵器廃絶と労働運動の連帯を呼びかけました。
国際平和ビューロー(IPB)のライナー・ブラウン事務局長(ドイツ)は、核兵器のない世界とすべての国による核兵器禁止条約即時批准が目標であると語りました。
日本被団協の田中熙巳代表委員は機材トラブルがありましたが、ヒバクシャ国際署名活動の現状報告と、更に運動を推進し核兵器廃絶のために尽くす、という文書を送っていました。
国連の中満泉軍縮担当上級代表は、署名が自分のエネルギー源となっていると語り、被爆者とNGOの努力に感謝を述べました(次号に全文)。
4月29日、ピースボート主催の「オンラインNPT再検討会議を勝手に開催します!」と題したイベントがインターネット上で開かれました。
第1部は、中村桂子長崎大学准教授の「NPTをめぐる今日の主要な論点」、川崎哲ICAN国際運営委員の「NPTと核兵器禁止条約」、ピースボート畠山澄子さんの「新たな技術と核兵器」の報告がありました。NPT第6条は核兵器保有国の軍縮義務として強調されるが、第6条はすべての締約国の義務であるという指摘があり、日本政府の無責任さが浮き彫りになりました。
第2部は15団体が各2分発言しました。日本被団協からは田中熙巳代表委員と木戸季市事務局長が発言。ほか、ヒバクシャ国際署名連絡会、日本平和委員会、ナガサキ・ユース、カクワカ広島、中国新聞ジュニアライターなど各分野、各世代から多彩な発言でした。
田中熙巳代表委員は、「コロナ禍で閉じこもるどころか発奮して自発的に動いている。世代や地域を越えていく新しい運動の可能性を感じた」と感想を述べました。
被爆75年の今年、オンラインによる初めての世界大会で発言の機会を与えて頂き感謝申し上げます。日本被団協の和田征子と申します。私は長崎で1歳10カ月の時に、爆心地から2・9㎞の家の中で被爆しました。山で囲まれた長崎の地形で、火傷や外傷はなくこれまで生きることができた一番若い被爆者の一人です。
当時の記憶がない私は、母が折々に繰り返し語る話を聞いて育ちました。家の窓ガラス、土壁、格子戸など爆風によりすべて粉々になり家の中に30センチぐらいつもったこと。山肌に見たのは、爆心地から火を避け、山越して市街地にうごめきながら下ってくる蟻の行列のような人々。大学の講堂の床一面に並べられた火傷、怪我の人々の体についた無数の親指大のうじ虫の数。道路に放置されている遺体はゴミ車に放り投げ回収され、手足が人形のようにとび出た荷台に満載され、家の隣の空き地で、朝から晩まで焼かれたこと。その臭いにも麻痺し、人としての感覚がなくなっていったこと。人間の尊厳とは何でしょうか。人はゴミのように焼かれるために生まれてきたのではありません。
原爆投下後、アメリカの占領下で、厳しい報道管制が布かれ、被爆者は自分たちのからだ、くらし、心の苦しみ、痛みの原因を知らされることなく、日米政府から10年間放置され、沈黙を強いられ隠れるようにして生活しました。何の支援を受けることもなく、投下の年だけで、数字としてだけで残る死者数は、広島で14万人、長崎で7万人その多くは老人、女性、子どもを含む非戦闘員でした。その後も死者数は増え続けました。
そして今日まで、かろうじて生きながらえてきた被爆者は平均年齢83歳となりました。その苦しみ、それは深く、今なお続くものです。愛する者の死、生き残ったという罪悪感、脳裏に焼き付いたままの光景、音、匂い、原因のわからない病気、生活 苦、世間の偏見、差別、諦めた多くの夢。それは人種、国籍、年齢、性別を問わず、きのこ雲の下にいた者に被爆者として死に、また生きることを強いるものでした。当時胎児であった者たちにも、さらに被爆者の子どもたちにも、今なお、身体に心にその影響は及んでいます。
1956年の被爆者唯一の全国組織である日本被団協結成から64年間、被爆者は「自分たちの体験をとおして、自らを救うと共に、人類の危機を救おう」との決意を誓い合い、核兵器のない世界を願い、国内外で体験を語り、忍耐強く歩んできました。「いかなる条件の下でも」、この「非人道兵器」は使われてはならない。被爆者の切なる願いです。
原爆をつくった者がいる、それを使った者がいる、そしてその威力や結果を喜んだ者がいる。許せない思いがありました。しかし被爆者はそれに対して報復を願ったことはありません。仮にも三度核兵器が使われることになれば、その結果を喜んで見届ける者は、もはやいない、と被爆者は知っているからです。すべてがなくなった原子野で、国力や地位や名誉を誰が誇ることができるのでしょうか。抑止のためで、使わないと言いながら作り続ける核兵器は、人類の負の遺産に他なりません。核兵器による力は正義ではありません。
2016年4月、私たち被爆者は、核兵器廃絶を訴える国際署名を始めました。これまで1050万以上の署名を国連に届け、核兵器禁止条約の採択の大きな推進力となってきました。2017年の核兵器禁止条約の採択に、被爆者は生きていてよかった、と心から喜び合いました。長年叩き続けてきた、錆びついた、大きな鉄の扉がやっと開き、一筋の光が入ってきたと、感じました。そして今、この扉をもっと広く開けるのは、各国政府のみなさんの決断であり、それを動かす市民の行動です。核兵器禁止条約の発効に向けて、そしてその先にある核兵器のない世界を目指して、残された時間が多くない高齢の被爆者は、さらに皆さまと共に力強く歩んでまいります。
ザンビア大使館訪問(3月18日) |
「大使館応援ツアー2020」のオンライン報告会が4月27日、開かれました。大使館を訪問した学生が企画し、被爆者も参加しました。
核兵器廃絶日本NGO連絡会が3月、核兵器禁止条約への早期批准を求め、若者や被爆者が大使館や領事館を訪問する取り組みを計画。当初は40か国を予定しました。新型コロナウイルスの感染が拡大していく中で、本紙4~5月号で報告したように7カ国(インドネシア、モンゴル、アルジェリア、ザンビア、ジンバブエ、コモロ連合、東ティモール)が実現しました。
報告会は連絡会の事務局スタッフの遠藤あかりさん(明治大学)と高橋悠太さん(慶応大学)が企画し、進行を務めました。広島や東京などから約60人が参加。午後5時から始まり、訪問した高校生・大学生7人が訪問国の基本情報や核兵器禁止条約への立場などを報告。日本被団協から、大使館訪問に参加した田中熙巳代表委員、和田征子、濱住治郎両事務局次長がオンライン参加して発言し、児玉三智子事務局次長がメッセージを寄せました。
訪問した若者は「被爆者や学生の話に熱心に耳を傾けてくれた。核兵器禁止条約について前向きに考えており、本国に必ず伝えると返事があった」「アルジェリアはフランスの核実験の被害を受けていることを知った。今後の活動にこのことも意識しながら取り組んでいきたい」などと述べました。オンライン参加者からたくさんの質問がだされ、午後7時を超えて大きく盛り上がった報告会となりました。
毎年5月6日に東京・夢の島の第五福竜丸展示館前で行われる国民平和大行進出発式が、今年は新型コロナウイルス感染拡大を受けオンラインで行なわれました。
日本被団協の田中熙巳代表委員がビデオメッセージを寄せ、「ウイルスとのたたかい、困難の克服には、国家を超えた、人間同士の共同のたたかいが求められています。しかし、一番苦しめられていて、一番死の恐怖にさらされているのは差別され、貧困を強いられている人々です。このことは核兵器の存在を許し、軍事にかかわる産業の肥大化、グローバリズムを利用した富の集中のしわ寄せになっている人々、一見裕福に見えながらも生活が苦しい人々の存在と共通の現実です。
国民の、市民の安心・安全を保障する国の安全保障は、戦争をしないこと、戦争に使う兵器を持たないことでしょう。このことを平和行進の中で圧倒的多数の国民の合意として固めていきましょう」と呼びかけました。
閃光と熱波、放射能によってヒロシマは地獄と化した。世界の破滅を予想させる原子爆弾の炸裂である。
唯一の被爆国としてこの経験を持つ日本が、国連で採択の核兵器禁止条約にはもろ手を挙げて賛同しなければならない、いや、批准について各国をけん引してゆかなければならない立場なのに、未だ署名をしていないのは、被爆者として、一国民として恥ずかしい。
遅きに失しているが、即座に署名、批准をしてもらいたい。
関連して我が国憲法の第9条を再評価し、現状を維持したい。戦争を永久に放棄すると謳った憲法第9条は世界に冠たるもので、人間の良心の帰着するところの条文である。敗戦時の押し付け条文ではないかなど誤った批判がかまびすしいが、例え外国からの示唆があったにしても、この文章と内容は定着しており、「押し付け」に拘泥する必要はない。何よりもこの憲法施行後、わが国では戦争がなかったことが最大の証明である。
戦争には軍隊という言葉がつきまとい、安全保障の名のもとに海外派兵などをおこなえば、自衛隊イコール軍隊と誤解される懸念がある。自衛隊は国内の天災、人災の予防、災害復旧などに動員できる集団としてのみ活動してもらいたいものである。
憲法記念日の5月3日時おり激しい雨が吹きつける中、長崎市浜町鉄橋で「憲法改悪NO!」の横断幕とコロナ危機時事川柳を掲げてサイレントスタンディング(写真)を行ない、被爆者や市民14人が参加しました。
例年「憲法9条フェスタ」を開催していましたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大を受け中止となりました。
自民党は3月17日、両院議員総会で「改憲案の国会発議の環境を整える」とした本年度運動方針を採択、コロナ禍を利用して安倍首相は4月7日の衆議院運営委員会で憲法への緊急事態条項の導入について憲法審査会での議論を促しました。
憲法の緊急事態条項は、今出されている緊急事態宣言とは全く異なるもので、行政府に権限を集中させて三権分立と人権保障を一時的に停止させる、危険極まりないものです。今、憲法を変えなければならない理由はありません。むしろ今、政府がしなければいけないことは国民の生命と生活を守り、医療崩壊の防止へ全力を注ぐことです。
街頭宣伝はインターネットで中継されました。(田中重光)
愛知県原水爆被災者の会(愛友会)では、4月4日に役員会議を事務所で開催して以来、会としての会議や行事は中止や延期となっています。5月30日に定期総会を予定していましたが、延期を決定。県委託事業として6月に愛友会が主催して県下各地で行なってきた被爆者相談会事業も延期しました。
今年は被爆75年。県に「75周年事業予算」を要求しており、9月に予定している「偲ぶつどい」への補助金増額や8月の広島、長崎の祈念式典への参加費に対する補助金が決定されています。なんとか、予定通りに実施されるよう願いつつ、コロナの状況を注意深く見つめているところです。
愛友会事務所では、必要な事務作業を手分けして行ない、活動を何とか維持しています。5月8日には「被団協」新聞に愛友会ニュースを折り込んで発送する作業を、役員がマスクを着けて行ないました(写真)。(大村義則)
本来ならば今年の平和行進も、5月7日から「核兵器のない平和な世界」「核兵器廃絶」に向けて雨の日も風の日も休むことなく、多くの市民とともに私たち被爆者も先頭に立つ予定でした。新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を受け、神奈川県平和行進は残念ながら中止となり、代わりに「オンライン」動画でアピールしました。
動画は神奈川県原爆被災者の会事務所で録画しました(写真)。背景に各支部の想いを込めたペナントをかざり、このあと広島へと託しました。(木本征男)
岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)総会、役員会などはすべて中止、慰霊祭、原爆展などの諸行事も8月までは実施しないことにし、電話や文書で連絡しあっています。
ヒバクシャ国際署名岐阜県民の会も、街頭署名を中止し、事務局会議だけを実施しています(写真、5月15日)。諸行事の中止で暇になるかと思ったら、文書作りが増え、かえって忙しい。
悪いことばかりではありません。岐朋会総会議案と日本被団協総会議案を会員全員(約110人)に送りました。被爆者運動に参加したいと電話連絡してくれた二世、支援者がありました。ヒバクシャ国際署名も毎月少しずつ増え、今月13万人分に達しました。
核兵器、気候変動、新型コロナウイルスとその社会的経済的危機による破滅から人類を救う、新しい社会を創る芽はあると確信しています。(岐朋会事務局)
岩手の会ニュース第18号 |
新型コロナ感染拡大の中、オンライン会議開催など、核兵器廃絶や平和運動の新たな模索が始まっています。
岩手でも7月4日、「学習公園&署名ラストスパートの集い」を企画しています。この中で「オンライン講演会」を行なうことにしました。この4月にニューヨーク訪問予定だった方にもスピーチをお願いしています。
参加者は限られますが呼応した取り組みを共に模索していきたいと思っています。(下村次弘)
静岡県被団協では、総会は6月21日に開催予定です。静岡はすでに「緊急事態宣言」が解除されているので大丈夫ではないか、と話しています。
静岡市原水爆被害者の会総会は中止。西遠支部の総会は4月24日を6月26日に延期。非核の会やヒバクシャ国際署名ほか静岡市内で開催していた会議は、4月下旬からズームミーティングに変更しています。静岡県被団協も入った友好団体5者の会議は、2カ月に1度の予定です。(大和忠雄)
命を守るためとは言え大方3カ月もの長きにわたり、会議、集会、被爆証言、国際署名の訴え、学習会も、学校での講演(修学旅行の事前学習)など全てが中止または延期となりました。被爆75年の今年は大切な年でもありました、残念でなりません。あっという間に6月になり、それでもコロナウイルスと共に過ごす日々は続きそうです。
3、4、5月は、補助金等に関わる事業報告など県への報告書提出の時期であり、また、1年を振り返り活動のまとめや新年度の方針、予算など検討する時期でもあり、定期総会の準備など、例年でも忙しい時です。
千葉県友愛会では、4~5月は役員会を中止、週に一度事務所を開き、郵便物、留守番電話の対応などをしました。
理事会も定期総会も開催は中止とすることを決断し、書面による決議を行なうことにしました。7月18日に予定していた原爆死没者慰霊式典は10月に延期しました。
総会議案書は役員が手分けして自宅で作成し、メールでやり取りしながら完成しました。
千葉県は5月末まで学校は休校、公民館なども使用できず、証言も7月までは中止との連絡が依頼先から届いています。
5~6月の被爆者健診(保健所、指定医療機関での)も中止になり、7月の健診が出来るのか、先が見えない状況です。
この間、体調を崩し入院した役員も少なからずあり、会の運営が厳しくなりつつあります。
一日も早い終息を願うばかりです。(児玉三智子)
日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の坪井直さんが、5月5日で95歳になりました。
1945年8月6日、当時20歳の坪井さんは、広島工業専門学校(現広島大学工学部)に在学中原爆投下の直爆を受けました。多くの負傷者とともに近くの御幸橋あたりにいて、「坪井ここで死す」と石ころで路上に書いてそのまま意識不明となり似島に送られ、多くの被爆者とともに寝かされていました。
今は足が弱くなって歩くことが難しく、輸血も受けながら、自宅で穏やかに日々を過ごしておられます。
誕生日の5月5日の夕方電話を入れましたら、「15年前雪の中をあなたの出陣式(町会議員選挙)に行ったことを思い出すよ」と言ってくださいました。(箕牧智之)
【問】両親ともに被爆者健康手帳をもっています。高齢のため日々の生活にも手助けが必要になり、介護保険の申請をして父は「要介護2」母は「要支援2」との認定を受けました。ふたりともデイサービスは嫌だ、自宅で過ごしたいと頑張ります。ケアマネジャーさんと相談して、いずれはデイサービスに行くことを勧めながら当面は訪問介護を受けることにしました。父は週3回、母は週1回で様子を見ることにしましたが、利用料負担が大変です。両親とも国民年金で、ふたり合わせても月10万円にとどきません。
被爆者健康手帳での助成はないのでしょうか。
* * *
【答】被爆者健康手帳では介護保険サービスの中の医療系サービスと福祉系サービスについて助成制度があります。訪問介護(ヘルパー)については福祉系サービスの中に含まれていると思われがちですが、今のところ対象となっていません。
ご両親が利用されるヘルパーの回数を経済的理由で減らすことは、在宅での生活を壊すことになってしまいます。
おふたりとも国民年金のみとのことなので住民税が非課税かと思います。住民税非課税世帯の場合、都道府県に申請して「訪問介護利用被爆者助成受給者資格認定証」(自治体により名称が異なる場合があります)の交付をうけて、介護事業者に提示すれば訪問介護の利用料については負担がなくなります。
手続きは、最寄りの保健所に次の書類を添えて申請します。①訪問介護利用被爆者助成認定証交付申請書 ②介護保険証 ③健康保険証 ④世帯全員の住民票 ⑤住民税の非課税証明書(生活保護を受給している場合は受給者証)
手続き後、県から「訪問介護利用被爆者助成受給者資格認定書」が届きますので、訪問介護事業所に提示すると介護保険サービス利用料負担がなくなります。
新型コロナウイルス感染防止による外出自粛が続く中、被爆者の各種手当の更新の時期が来ているのにどうしたらいいか不安を抱えていらっしゃる方も多いと思います。
こうした状況を鑑みて厚労省は5月21日付で医療特別手当・健康管理手当・保険手当と介護手当の各手続きの更新時期について厚労省健康局長名で各県知事あてに通知を出しました。
①医療特別手当
医療特別手当は「原爆症」認定患者で現在も認定疾病の状態にある被爆者に対して手当を支給するものです。3年ごとの5月に認定指定病院の診断書を添えて「医療特別手当健康状況届」を提出します。
今年5月に届出が必要な被爆者については、1年後の2021(令和3)年5月1日~31日の間に手続きをすればよいということになりました。
②健康管理手当
健康管理手当は、定められた11の機能障害に該当する被爆者に手当を支給するものです。被爆者の要求が実現して多くは更新手続きが必要なくなりましたが、運動器機能障害でも「3年」とされている場合には更新手続きが必要ですし、白内障など水晶体混濁による視機能障害、潰瘍による消火器機能障害は、手当証書に書かれた期間で更新が必要です。また、造血器機能障害の貧血、鉄欠乏性貧血や内分泌線機能障害の甲状腺機能亢進症も更新が必要です。
今年度については、2020(令和2)年3月1日~2021(令和3)年2月28日に届出が必要な場合、提出期限を1年後に延ばすことになりました。
③保健手当
保健手当で「身寄りのないひとり暮らし」の条件で加給されている場合、毎年5月に現況届の提出が必要ですが、今年は提出する必要がありません。
④介護手当
介護手当を受給している場合、介護手当支給申請書に添付する診断書の「省略期間」が満了するときに診断書を提出することになっていますが、今年は提出しなくてもよいことになりました。
兵庫県芦屋市原爆被害者の会会長の千葉孝子さんから、手作りのマスクが届きました(写真)。マスク不足を心配し、日本被団協事務局に送ってくださったもの。同封されていたお手紙を抜粋して紹介します。
*
たまたま家にさらしとガーゼがかなりあったので、立体マスクの作り方を手に入れて作りはじめました。ゴムは全く売っていなくて困っていたら、ストッキングの輪切りがいいと聞き、未使用のストキングを輪切りにして使っています。端切れをかき集めているのでいろいろですが、赤い打ち出の小槌模様の布は手ぬぐいで、中にブロードのワイシャツ生地を入れてあります。
縫いあがった時点で一度煮沸消毒していますから、安心してご使用ください。