被団協新聞

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「被団協」新聞2019年8月号(487号)

2019年8月号 主な内容
1面 核兵器から卒業しよう
 あなたの署名を国連に

2020年はNPT発効50年
 世界市民の声が力

政府は核兵器禁止条約に参加せよ
 広島市長に言及求める被爆者団体88%

2面 「平和を考える会」で講演
 米・カルフォルニア州サンノゼで

3年ぶりに裁判再開
 伊方原発訴訟

非核水夫の海上通信 180
3面 次世代と描く原爆の絵
手帳所持者数14万5844人に
4~5面 核兵器禁止条約採択2周年
 ピースウェーブ2019

人類の平和への道を
 核兵器禁止条約批准国からメッセージ

7面 被爆者から受けとったもの
 被爆者の声をうけつぐ映画祭2019

被爆者の実情と矛盾する認定制度
8面 相談のまど
 原爆症認定申請 「肺気腫」で申請できますか

 

核兵器から卒業しよう
あなたの署名を国連に

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 7月6日、ピースウェーブ東京。110万人分の署名用紙が入ったダンボール110箱を会場に積み上げました。全国で集められている署名はこの約10倍。これまでの成果を実感し、今後への決意を新たにしました。



2020年はNPT発効50年
世界市民の声が力

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サイード・ハスリン大使(前列右から3番め)と
懇談したNGOの人々


 ニューヨークで4月に開かれたNPT再検討会議第3回準備委員会の議長を務めたサイード・ハスリンマレーシア国連大使が来日し、7月10日、核兵器廃絶日本NGO連絡会の代表と懇談。日本被団協から木戸季市事務局長と濱住治郎事務局次長が参加しました。
 冒頭、サイード議長は「2020年はNPT発効50年、無期限延長25年の記念すべき年であり、会議を成功させなければならない。議長勧告案は合意を得られなかったが議論の方向・課題を示している、来年の会議は期待できると思う。バランスのとれたアプローチ、主張をしっかりとした話し合いが必要だ。皆さんの、世界市民の声が力です」と語りました。
 次いで連絡会の代表がそれぞれ、ヒバクシャ国際署名の受け取りと核兵器廃絶に向けた努力への感謝、勧告案への賛意、人道的観点と核抑止論の克服の大切さ、アメリカの新たな軍縮環境論などについて発言や質問をしました。
 議長は、「NPT再検討会議の準備は実務的に進んでおり、核保有国の軍縮への取り組みの推進、核兵器禁止条約と核兵器の非人道性についても議論できるだろう。2015年に続いて文書が合意されないことのないようしなければならない」と答えました。
 懇談は終始なごやかかつ真剣にすすみ、来年の再会を約束して終わりました。


政府は核兵器禁止条約に参加せよ
広島市長に言及求める被爆者団体88%

 中国新聞社が各都道府県と中国地方各地の109団体を対象に活動状況などたずねた結果、90・8%にあたる99団体から回答を得ました。「広島市長の平和宣言で、日本政府が核兵器禁止条約に参加するよう求めるべきだと思うか」との問いに88団体(88・9%)が思うと答え、思わないが8団体(8・1%)、無回答が3団体(3・0%)でした。
 広島県被団協(坪井直理事長)は「世界が注目する宣言で条約参加を求めないことは理解に苦しむ」としています。豊平原爆被爆者の会(広島県北広島町)は「被爆地広島の市長として、もっと踏み込んでほしい」と求めています。


「平和を考える会」で講演
米・カルフォルニア州サンノゼで

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参加者全員が署名

 40年前会員として通っていたウェスレー合同メソジスト教会の日語部から招待を受け、サンノゼの教会で講演しました。
 戦前日本から移住した日系人家族のための「日語教会」のひとつ。今は日系1世の多くは亡くなり、2~4世の時代となり、多くの教会は英語での礼拝だけで、日本基督教団から派遣された牧師による日本語での礼拝を行なっているのはここサンノゼの教会だけになっているとのことです。
 2015年から毎年「平和を考える会」を開催。今回は、近年のトランプ政権、日本政府の政策や方針に危機感を持ち、アメリカに住む日本人として何が出来るかを考えるため「核兵器のない世界を目指して」と題しての集会でした。
 現地に永住の花岡伸明隠退牧師と共に講演をしました。「全米被爆者会議」の議長を務められたこともある花岡牧師は、原爆投下時は1歳で長崎の佐世保にいました。爆心地から約40キロ離れていても、母親と姉が当時原爆病と呼ばれていた白血病で亡くなったことをなどを語りました。
 私は被爆証言、被爆者の長年の苦しみ、被団協の活動の歴史、核兵器禁止条約のこと、国際署名のことを話しました。その後、英語と日本語で活発な質疑が続き、100人余の参加者は最後まで席を立つ人はありませんでした。
 日本語を話す人は3割くらいだったでしょうか。全員から署名をいただきました。今後も原爆のパネルを展示し、ネット署名を含め、署名を集めるとのことです。
 カリフォルニアは州議会で、連邦政府に核兵器禁止条約の批准を求める決議を全米で最初に採択した州です。新しい波はカリフォルニアから起こるとされています。核保有国の市民の声の広がりは、核廃絶への大きな力となります。これからの活動に期待しています。
(和田征子)


3年ぶりに裁判再開
伊方原発訴訟

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 7月4日、松山地裁で伊方原発運転差止を求める裁判が、3年ぶりに再開されました、2011年12月に提訴したこの裁判は、審理途中で行った仮処分申立を優先して保留状態でした。
 この日は冒頭、3月11日の第5次追加提訴を併合し(原告総数1419人に)、裁判官の交代による当事者双方の主張立証の確認のための弁論更新を行ないました。また、原告側弁護人からは「最大限の自然災害に備える必要はない」とした仮処分決定の不合理性を批判した後に、原告3人がこもごも意見陳述をしました。
 この中で、「愛媛県原爆被害者の会」の松浦秀人事務局長(73才)は、被ばく被害の共通性から被爆者の苦しみと同じ健康被害が原発被害者に発生する恐れに触れつつ、裁判所が勇気をもって審理を進めるよう訴えました。
 なお、次回の日程は、9月の進行協議の場で決定されることになりました。(松浦秀人)


次世代と描く原爆の絵

広島市立基町高校教諭 橋本一貫
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 広島市立基町高校の生徒たちが描く「原爆の絵」は、本紙でもたびたび紹介してきました。基町高校でこの取り組みの最初から関わってこられた橋本一貫教諭に寄稿いただきました。

 7月1日、基町高校において、平成30年度分の原爆の絵11点が完成し、お披露目された。今回は5名の被爆体験証言者の方から11場面の依頼があり、11名の生徒が引き受けて制作した。
 次世代と描く原爆の絵は、広島平和記念資料館が主催しているプロジェクトで、基町高校はこのプロジェクトに平成19年度から参加している。
 この原爆の絵を制作する目的は、証言活動を行なう際、言葉で伝わりにくい場面を少しでも理解しやすいように絵画として表現することであり、完成した絵画は広島平和記念資料館に寄贈され、証言者の方が修学旅行生などに行なう被爆体験の講話などで、場面の説明などに使われる。
 生徒たちは、はるかに年代の違う被爆者の方たちと対話を繰り返すことと共同作業を行なうことで、被爆体験を継承していくことに繋がり、普段の学校生活の中では得られない大切なものを学び、自然にコミュニケーション能力が身につき、自己の確立が進んでいくことを感じている。
 原爆の絵の制作に関わる生徒への負荷は、かなり大きなものであり、時には辛くなったり暗い気持にもなったりしたことと思うが、それだけの経験をしているからこそ、彼らの人生にとってとても特別な経験となり、その後の人生にも、少なからず影響を与え、考え方自体を変えてゆくものであると思われる。
 さらに、絵画そのものは原爆被害の実相を後世に伝えていく資料ともなる。
 今回の完成作品を含め、これまでの12年間で35名の被爆体験証言者の方々から聞き取りを行ない、延べ112名の生徒が137点(場面)の原爆の絵を制作してきた。


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手帳所持者数14万5844人に

2018年度末 平均年齢82・65歳

 2018年度(19年3月末)の被爆者健康手帳所持者数などが、厚生労働省から発表されました。手帳所持者は全国で14万5844人となり、前年度と比べ9015人の減。平均年齢は82・65歳で、前年度から0・59歳上昇しました。
 健康管理手当などの諸手当の受給者数は合計13万5507人で、手帳所持者の92・9パーセントでした。そのうち医療特別手当受給者は7269人で、前年度より371人減っています。


核兵器禁止条約採択2周年
ピースウェーブ2019

【岩手】
 7月6日、「七夕アクション」を盛岡クロステラス前で行ないました。参加者は12人、1時間の行動で署名数は46筆でした。用意した短冊には、学生や児童が平和への思いなどを記し、笹の葉に吊るして力強く署名。日本政府が核兵器禁止条約に署名しないことに怒りながら署名するご婦人や、激励の声をかける男性などもいて、元気の出る行動となりました。
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【宮城】
 7月6日11時より、約40人が参加して「ピースウェーブ2019イン宮城」を開催しました。はじめに仙台市青葉区肴町公園でミニ集会を行ない、宮城県原爆被害者の会会長で連絡会宮城代表の木村緋紗子さんが「ヒバクシャ国際署名の目的である核兵器の廃絶に向けてがんばりましょう」と挨拶。3人がリレートークの後、一番町商店街を「子どもたちに核兵器のない世界を引き渡そう!」などと、沿道の買物客に呼びかけながらパレードを行ないました
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【長野】
 7月7日、長野県ヒバクシャ国際署名推進連絡会は午後1時から45分、長野駅善光寺口前で署名行動を行ないました。推進連絡会の事務局団体を中心に15人が参加、駅前を通る市民にアピールしながら40筆の署名を集めました。藤森俊希日本被団協事務局次長、県原爆被害者の会の今井和子さん、諏訪紘一県原水禁代表、丸山稔県原水協事務局長、前座明司県原爆被害者の会副会長が、それぞれマイクをもって呼びかけました。
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【岐阜】
 6月8日、岐阜市文化センターで「核兵器禁止条約採択2周年記念講演会」を開催しました。長崎大学核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授が講演。参加者は130人ほどで、大学生の姿も見られました。講演では世界の核兵器廃絶に向けての動き、今後日本はどうすべきか等を話され、広島・長崎の高校生達の動きなども知ることができ、未来への希望も感じられました。
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【愛知】
 7月7日、名古屋市栄の三越デパート前で「七夕アクション」が取り組まれ、30人あまりが参加して街頭署名やピースコールを行ないました。愛友会からは5人が参加し先頭に立ってがんばりました。清須市の平和チンドン乙女座のみなさんが街頭を練り歩きながら署名をよびかけると、ピースコールに合わせて手をたたく若者もいて注目度は抜群。署名は61筆でしたが、合わせて各地で取られた署名が1000筆近く寄せられました。
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【石川】
 7月7日、金沢市武蔵が辻で街頭宣伝・署名行動を行ないました。横断幕とポスターを掲げ各団体からのリレートーク。小学生の子どももマイクを持って「署名をしてください」と訴えました。1時間ほどの行動に30名が参加、ティッシュ入パンフレットを配布、署名も71筆集まりました。
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【広島】
 7月16日夜、広島では原爆ドーム前で「今こそ核兵器禁止条約の批准・発効を」との願いを込め、キャンドルでメッセージを描き、日本を含む各国の条約批准を求める、被爆地広島の思いを発信しました。50人の参加者が約1200本のキャンドルに点火して、英語のメッセージを浮かび上がらせました。集会の最後に「民衆の連帯の力こそが禁止条約の発効を実現する」とした声明を発表して集会を終えました。
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【愛媛】
 7月13日、松山市駅前で「ピースウェーブ2019イン松山」と題し街頭宣伝・署名行動を実施しました。原水禁・原水協・うたごえ協議会などの協力で、26人(うち被爆者3人)が参加。アコーディオンの伴奏で「青い空は」などの歌声が軽やかに響く中、原爆写真パネルを並べハンドマイクで訴え、チラシを配布しました。この日の最高齢参加者は91歳。1時間ほどで58筆のヒバクシャ国際署名を頂きました。
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【長崎】
 7月7日14時~16時半被災協地下講堂で「ローマ教皇の来日を歓迎する講演会」を、長崎県宗教者懇話会とヒバクシャ国際署名をすすめる長崎県民の会の共催で開催、160人が参加しました。
 長崎大学核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授が講演。条約発効へと世論を動かすため、署名活動の中での対話も重要だと述べました。カトリック長崎大司教区大司教の髙見三明氏は、歴代のローマ教皇による国連などでの核兵器に関する訴えを紹介し、今年11月長崎を訪れるローマ教皇の長崎からの核兵器廃絶メッセージへの期待を語りました。
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【鹿児島】
 蒸し暑い晴天に恵まれた7月7日「ピースウェーブ」。鹿児島中央駅東口の駅前広場に、ヒバクシャ国際署名をすすめる鹿児島県民の会メンバー45人が参集。原爆パネルも展示し、メンバー宅から切り出した笹と、七夕飾り、短冊も準備しました。川内博史衆議院議員が飛び入り参加され、マイク片手に署名協力を訴えました。正午前から約1時間の署名活動と、平和への願いなどを綴った短冊は各々に飾りつけをしてもらいました。メンバーと市民の方々との交流も見られ、119人の老若男女の方々から署名を頂きました。
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人類の平和への道を
核兵器禁止条約批准国からメッセージ

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 核兵器禁止条約に批准した国は、6月末現在で23カ国になりました。日本被団協は、批准国のうち日本に大使館がある19の国に対し、メッセージを求める手紙を出しました。届いた回答を抜粋して紹介します。

キューバ(メイレム・リベロ臨時代理大使より)
 広島・長崎への原爆投下から74年、人類は約14000発の核兵器の存在によって脅かされ続けています。キューバは核抑止力に基づく安全保障政策と軍事協議を拒絶します。1979年カストロの言葉です。「世界の問題は核兵器で解決できるという幻想はもう十分だ。爆弾は飢えた人、病人、無知な人を殺すかもしれないが、飢え、病気、無知をなくすことはできない」。この条約にまだ署名または批准していない国々、特に核保有国に対する国際社会の呼びかけに参加します。

ベネズエラ(ゴンクロ・ビバス公使参事官より)
 核軍縮に関する立場は1999年の国家憲法に含まれ、核軍縮の推進、国家間の協力を明確に定めています。批准は、核軍縮を進める決意を示し全廃に向けた確固たる一歩を踏み出すためです。条約にある禁止項目は、ここ数十年で最大の発展であり、国際平和と安全の維持に直接的意味を持つものです。
 被爆者の皆さんの存在は、平和への絶え間ないメッセージであり、核兵器のない世界を真に推進するものです。

サンマリノ共和国(マンリオ・カデロ大使より)
 世界最古の共和国で軍隊や武器を持たない平和と自由の国です。1718年間独立を保ってきたのは、国の政策がいかなる状況の下でも暴力による争いを避けたことによります。戦争と暴力に勝者はなく、敗者がいるだけです。平和と協調こそが、世界の文明化したすべての国々が目指すべきものです。
 私たちだれもが異なる文化や宗教、国々と平和に暮らすことに、絶え間ない対話する努力をすべきです。

バチカン市国(ジョセフ・チェノットウ大使より)
 早期に条約を批准したバチカン市国に対する皆さまの感謝に対して、こちらからもお礼を申し上げると共に、世界の平和と安定を進めるために、他の国々も批准の必要を理解するよう願っております。

タイ(パッタマワディー・ウアリチット参事官より)
 タイはずっと核兵器廃絶を支持しています。核兵器禁止交渉の出発点となった「人道の誓約」にも参加しました。この条約は前向きな変化に貢献する国際的な規範を作り出し、すでにある国際法を補完すると信じます。
 タイは東南アジア非核兵器地帯条約の受託国であり、NPT6条を守る立場にしっかり立っています。
 2018年8月には「なぜ禁止条約が必要か」のアジア地域ワークショップを共催し、署名及び批准への更なる自覚を促しました。
 国際的な共同体との努力と協力の継続が条約の発効と核兵器のない世界への実現への道を整え、それが人類の平和で豊かな世界を維持することに役立つことを希望しています。


被爆者から受けとったもの
被爆者の声をうけつぐ映画祭2019

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 第13回「被爆者の声をうけつぐ映画祭」が7月13~14日武蔵大学で開催されました。「広島長崎における原子爆弾の影響長崎編」、「声が世界を動かした~ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産の継承センター設立に向けて~」など8本を上映、延べ800人の参加でした。
 最初のプログラムで日本被団協の木戸季市事務局長が登壇、平和憲法の堅守を強く訴えました。「黒い雨」上映回では女優の斉藤とも子さんが、被爆者との出会いが自分の人生を変えたと涙まじりに語りました。
 最後に武蔵大学社会実践プロジェクト(永田浩三教授指導の学生)制作の「声が世界を動かした~」を上映後、司会の永田教授、制作した武蔵大の学生、作品に登場する昭和女子大「戦後史を後世に伝えるプロジェクト―被団協関連文書」(松田忍准教授指導)の学生と日本被団協の濱住治郎事務局次長によるシンポジウム「被爆者から受け取ったもの」が行なわれました(写真)。
 武蔵大、昭和女子大の学生らは、それぞれのプロジェクトで被団協運動に触れる中で、実感した思いを語りました。濱住さんはニューヨークでのNPT関連の行動報告をし、核兵器廃絶への思いを語りました。会場からも、森川聖詩さんが被爆二世としての思い、松田准教授が近現代史研究者の視点から被爆者運動の意味、栗原淑江さん(継承する会事務局)が「反原爆思想」についてなどの発言があり、3時間におよぶ熱論となりましした。(吉川幸次)

*  *  *

パネリストの発言から

 ◆工藤健さん(武蔵大4年)
 正々堂々と厚生省前に座り込み、損得勘定などなく、正義のために戦う大人の姿に敬服した。継続的に物事をこなしていくことの凄みを感じた。
 「被爆者要求調査」などのアンケートの紙は衝撃的だった。原爆はダメと頭で分かったつもりだったが、初めて心でダメだと感じ、頭と体で一致した。
 被団協の事務所に座り込みのときの七輪が残されていた。そのときの写真に写っている方々の顔つきが力強く、不正なことを正さなくては、というつよい意志を感じた。

 ◆印出也美さん(昭和女子大2年)
 証言を読み、一般空襲と原爆の違いを考え、議論してきた。一般空襲の場合、時間の流れや、アメリカ憎しなどの人間的感情があった。原爆の場合は、一瞬にして何が起こったのかも分からず、そこには人間的な時間がなかった(助けられなかった、水をやれなかった、無感動…)。時間の経過とともに、怒りの感情が湧いてくる。はじめは個人的だった怒りをまとめあげていったのが日本被団協(の運動)だったのではないだろうか。


被爆者の実情と矛盾する認定制度

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問題提起する若林節美さん
第13回被爆者運動に学び合う学習懇談会

 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は6月29日、東京・四ツ谷のプラザエフで第13回被爆者運動に学び合う学習懇談会を開催しました。参加者は26人でした。
 問題提起者の若林節美さんは、元広島赤十字原爆病院医療ソーシャルワーカー。「被爆者相談の現場から原爆症認定制度を考える」と題し、認定制度が①起因性、②要医療性、③死後認定、④望まない手術など、いかに被爆者の実情や思いと矛盾するものかを豊富な事例をもとに語りました。
 討議をつうじて、原爆症の認定は、多くの親族を死に追いやり暮らしも根こそぎ破壊した原爆の被害を国として償うものではなく、罹患した病気が原爆の放射線に起因することを認めるものに過ぎないこと。したがって、認定訴訟で一定の改善は図れても、それが国家補償制度につながるものではないことが明らかにされました。
 訴訟ではかなえられない被爆者の思いを受けとめ、国家補償の援護法実現につなげていくのは、被爆者運動や相談活動の役割なのではないか、という若林さんの指摘は、被爆者が最後の人生をどう生きるかを支えることのできる、被爆者の実態に根ざした運動や相談活動の大切さを示唆するものでした。
 次回は10月26日、被爆者の心の被害について。問題提起者は中澤正夫さん(精神科医)です。


相談のまど
原爆症認定申請 「肺気腫」で申請できますか

 【問】私は1945年5月生まれです。広島に原爆が投下された翌日、母の背中におぶわれ祖父と叔母の安否をたずねて猫屋町、県庁、鍛冶屋町を歩きまわりました。
 最近「肺気腫」との診断を受け治療を開始しました。私の場合入市したのが100時間以内なので、認定申請はできないものでしょうか。

*  *  *

 【答】2011年までたたかわれた原爆症認定集団訴訟の結果、厚労省は「新しい審査の方針」を決めました。その中に「100時間以内」という文言が出てくるのですが、その部分は下記のようになっています。―積極的に認定する範囲として悪性腫瘍(固形がん)、白血病、副甲状腺機能亢進症の場合に①被爆地点が爆心地より約3・5キロ以内である者、②原爆投下より100時間以内に爆心地から2キロ以内に入市した者、③原爆投下より100時間経過後から約2週間以内の期間に爆心地から約2キロ以内に1週間程度以上滞在した者―。
 呼吸器系疾患では今のところ固形がんである「肺がん」のみが対象とされていて、「肺気腫」は対象となっていません。それでも認定申請をということであれば、主治医と相談して手続きをしてみてください。
 日本被団協では集団訴訟終結後、「原爆症認定制度のあり方に関する提言」を出し、運動しています。「提言」では、司法と行政の判断の乖離に真摯に向き合おうとしない厚生労働省に対し、誠意をもって取り組むことを要求しています。そして、原爆被害を総合的にみなければならないとして、原爆症認定制度と諸手当の制度を見直し、すべての被爆者に『被爆者手当』を支給し障害を持つ者には加算することを求めています。