作業部会(国連欧州本部)
発言する藤森次長(左)と英文原稿を代読する朝長万左男長崎原爆病院名誉院長(右)
藤森俊希次長が訴え 国連核軍備撤廃作業部会
核兵器のない世界の達成と維持のための勧告意見を今年秋に開かれる第71回国連総会に提起する国連作業部会が2月22日〜26日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれました。
日本被団協を代表して会議に出席した藤森俊希事務局次長は、初日の会議で発言を求め、被爆の実相を示し「すべての国の人々に、被爆者と同じ苦しみをさせてはならない」「多国間核軍備撤廃交渉が必ず前進することを願い、市民社会の一員として核兵器のない世界達成へ力をつくす」と訴えました(要旨2面)。
作業部会設置は昨年秋の国連総会決議で決定したもので、2月の会議につづいて5月にも開き、8月の会議で国連総会への勧告意見をまとめることになっています。
作業部会設置の決議には、米英仏中ロなど核保有国は反対し、核兵器に依存する日本政府は棄権しました。すべての国に開かれている会議に核保有国は出席せず、棄権した日本は会議開会直前に参加を表明し出席しました。会議は市民社会にも開かれており、日本被団協は藤森次長を代表として派遣しました。
国連作業部会での藤森俊希次長の発言要旨
71年前の8月6日と9日、2発の原爆によって人類史上最悪の事態が引き起こされた。爆風、熱線、放射線は瞬時に数十万の人々を殺傷し、広島、長崎の2つの街を壊滅し、かろうじて生き延びた者は、人として生きることも死ぬことも許さぬ残酷な生き地獄に突き落とされ、原爆症という拭い去ることのできない病を刻印され、被爆から70年を経た現在も苦しめられつづけている。
被爆体験を聞いた世界の人々から“報復は考えなかったか”と質問を受ける。答えは“ノー”。被爆者自らの体験から引き出した結論は、「ふたたび被爆者をつくるな」=すべての国の人々に、被爆者と同じ苦しみをさせてはならない。
ノルウェー、メキシコ、オーストリアで核兵器の人道上の影響に関する国際会議が開かれた。国連加盟の圧倒的多数の国が導き出した結論は、意図的であれ偶発であれ、核兵器爆発による被害は国境を越えて広がり、どの国家、国際機関も救援の術を持たず、核兵器を使わないことが人類の利益であり、核兵器不使用を保証できるのは核兵器廃絶以外にない。被爆者の心からの願いと一致する。
作業部会は、核兵器のない世界の達成と維持のための具体的で効果的な法的措置、法規定、規範に関する勧告意見を国連総会に提出することになっている。役割をりっぱに果たし、多国間核軍備撤廃交渉が必ず前進することを願い、市民社会の一員として被爆者も力を尽くすことを表明する。
はじめに
原発事故被災は日々に新しくなっており、その意味では風化は存在しません。5年(2016年3月)が過ぎる現在は、東電と国が事故被害者に被害を甘受せよと強要している異常な状況といえます。
賠償打切り最後の一人まで救済すると述べた国と東電がいまもっとも強く推し進めているのが、2016年度(2017年3月)で避難指示区域内の被災者(8000事業者)から請求されてくる「営業損害」への賠償と区域外の事業者から請求されてくる「風評被害」賠償を打切ることです。「相当因果関係」が認められれば賠償に応じるとしていますが、東電「窓口」の不誠実さは原発事故直後から変わらず、それが方便であることを示しています。
精神的損害賠償(慰謝料)を含め賠償総額は5兆円(2015年8月)を突破していますが被災者の生業と生活に展望をあたえるものとはなっていません。逆にいえば原発過酷事故の被害の巨大さを例証するものとなっています。そこには数えきれない涙と口惜しさと怒りが詰め込まれています。
自治体の損害賠償請求の実態も原発事故被災の構図を見る上で重要です。福島県は東電に対して110億1000万円(2016年1月)、県内市町村は総額で555億3951万円(2015年10月)の損害賠償請求をしています。しかし東電からの支払いはそれぞれ35%、11%にすぎません。自治体破壊に対する当然の対処であり、県も含め自治体のいくつかはADR(裁判外紛争解決手続)に持ち込む予定です。原発企業と立地自治体が損害賠償をめぐり対立する構図はやがて提訴の可能性も含み得るものであり新しい重要な変化といえます。
避難指示解除
国は「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」(「帰還困難区域」外周辺の地域)における避難指示解除を2017年3月末に行なうとしています。これは避難指示区域の空間線量率が低下してきたことに沿うとされるものですが、「指示」に示される現実的な意味は「住民との合意形成」の努力を拒否し、他方で東電による「賠償打切り」に恣意的根拠を提供することです。事故被災者の便益と信頼醸成に留意するICRP(国際放射線防護委員会)の見解からも著しく外れるものと言わざるをえません。
おわりに
5年の経過は避難の有無にかかわらず、被災者、そして家族が翻弄されつづけた日々でした。避難者についての医学的検討からは、精神的・身体的異常(うつ傾向、生活習慣病、多血病など)の増加がすでに指摘されています。
しかし他方で、東電に対する裁判闘争が全国を糾合する集団訴訟としての高まりをみせており、賠償、廃炉、地域再建の統一的視点が確立されつつあります。
5年間の被災者の体験は、それを軸として、実に多面的な国民全体の体験を形成させてきました。感性を育て、理性を磨かせてきました。そして、核汚染から脱却する道が人間の世の中として必然の方向であることを教えてきました。
【埼玉】継承の年に
しらさぎ会
【東京】今年も元気に
東友会
【神奈川】記念誌を披露
神奈川原爆被災者の会
【静岡・静岡市】全員がスピーチ
静友会
【広島】結成60周年
広島県被団協
【島根・松江】節目を越えて
松江市原爆被爆者協議会
神奈川県原爆被災者の会は第20回横浜弁護士会人権賞を受賞しました。
受賞式は1月30日、偶然にも当会結成50年記念式典と同日となり二重の喜びでした。多数の被爆者が参加し横浜弁護士会竹森裕子会長から表彰状・トロフィー・金一封をいただきました。表彰状には「自ら後遺症に苦しみながら被爆者の相談に応じるとともに核兵器の廃絶を目標とし核兵器による被害の非惨さと非人道性を訴え被爆の歴史を風化させないため被爆証言を行い書籍を出版し原爆展を開催するなどの活動を五〇年以上の長きに亘り続けられました。これは平和の尊さ人権の重要性を身をもって訴えるものであり人権擁護に寄与してこられた功績は顕著」とありました。
中村雄子会長は「人権賞を戴くことはどのような賞よりうれしく光栄なことです。人権が全く考えらなかった戦争で、都市を壊滅させ無辜の市民を殺傷するだけの非人道的核兵器、その全面廃絶を願って“被爆者自身を救うとともに、人類を救うために立ち上がる”との日本被団協結成時の世界への挨拶を掲げ、これからも活動を続けます。この人権賞に恥じないように」と受賞の挨拶をしました。(神奈川県原爆被災者の会)
DVDジャケット
愛媛県原爆被害者の会が、DVD「未来への伝言」を制作しました。
2014年9月の幹事会で、被爆70年事業として制作することを決定し15年4月から被爆証言の収録を開始。県健康増進課の援助で、県内全被爆者に協力をお願いする文書を発送し、非会員を含む24人の映像収録を行なうことができました。収録場所を3カ所の保健所が提供。収録音声の文字化作業には愛媛大と松山大の学生有志が協力しました。
学校教育での活用を想定し、16人の証言を使って30分に編集。1月に完成し、県内すべての中学校、高校、大学、公共図書館に贈呈しました。
なお24人の証言者にはそれぞれ無編集の個人版を贈呈。1045分に及ぶ全映像は同会が保存して、将来活用していく予定です。
九州ブロック被爆二世の会連絡会が学習交流会
九州ブロック被爆二世の会連絡会は2月6日、福岡県教育会館で第4回被爆者運動継承の学習交流会を開催しました。被爆者、被爆二世・三世、支援団体、市民平和グループなどから、54人の参加がありました。
日本被団協結成60周年を記念する地方での取り組みとしても位置付け、日本被団協の田中熙巳事務局長から「60年の活動について」、九州大学大学院の直野章子准教授から「日本被団協・被爆者運動の歴史から学ぶもの」の講演をいただき、論議交流をしました。
お二人のお話から大切なことを学ぶことができました。「ふたたび被爆者をつくらない」と、苦難の中で被爆者運動を切り開いてきた「被爆者の志」をしっかり受け継ぎたいと、新たな意欲を燃やしています。(南嘉久)
宮崎 さゆり
日本被団協から届いた物質とメッセージ色紙を手にしたビショットさん(2011年2月)
多くを犠牲にして反核運動に専心していたコニーが旅立った。その日は厳しい寒さだったと聞く。寒さが原因で亡くなったのではないだろうか、との想いが残る。
ワシントンDCは冬にマイナス10度前後の日があり、簡易テントに座るコニーの冬越しは生死にかかわる。あるとき被団協から彼女にカイロ等が贈られた。それを届けに行ったときの彼女の笑顔を、私は今でも覚えている。加えて、秋葉忠利前広島市長から手渡された立派な感謝状と原爆ドームの織物を見せてくれたときの笑顔も忘れることができない。
2002年10月、ワシントンDCを訪問した秋葉市長(当時)に、彼女は「唯一の被爆国である日本が率先して核兵器廃絶を訴えてほしい」と話した。これは日本人全員に向けられた彼女の願いでもあっただろう。
核兵器廃絶運動には絶間ない努力と信念が必要だと思う。挫折したときはコニーのことを思い出し、彼女の願いをトーチのように掲げてほしい。
コニー、長い間ありがとう。
(みやざき・さゆり=ワシントン在住中、日本被団協の訪米代表を献身的に支える。富山在住。)
85年調査、1万3000人の調査票
占領下、米戦略爆撃調査団が「原爆の効果」を、ABCCが国勢調査の付帯調査を行なった一方で、この国の政府は、今に至るも原爆被害そのものを調査してはいません。
原爆の時空を超える人間被害の全容を明らかにしてきたのは、日本被団協や各県被団協が専門家や市民、平和運動家とともに実施してきた数多くの調査だったと言えましょう。
調査の目的は、(1)被爆者の実態を把握し救援や会の組織化に役立てる、(2)被爆者の苦しみと原爆被害の実相を究明する、(3)現行施策を批判し要求づくりに資する、(4)世界や次代の人々に被害の実相と願いを伝える等、実に多様。中でも全国一万人規模で行なわれた二つの調査は、被爆者運動を大きく画するものとなりました。
77年の国際シンポジウムの調査では、初めて心の裡を語る被爆者が続出。「調査する者もされる者も変わった」と言われ、その後の反核運動に「人間の顔」を与えていきました。また、85年の「原爆被害者調査」は、原爆地獄における〈こころの傷〉や〈不安〉など、被爆者の死と生から原爆被害の反人間性を明らかにし、援護法(被害への国家補償制度)を求める世論と運動の拡がりに大きく貢献してきました。
【問】私の義母は認知症との診断を受けています。現在は自宅で生活しています。訪問看護、認知症対応型通所介護などの介護保険サービスは利用しています。
介護保険サービスの他に被爆者対策にある介護手当の申請をしたいのですが、医師が「認知症は原爆とは関係ない」と診断書を書いてくれません。認知症ではだめなのでしょうか。
* * *
【答】確かに認知症にかかる高齢者が増えていることもあって、「認知症は高齢化による老人病で、原爆には関係ない」と診断書の作成を断る医師がおられます。
しかし、厚生労働省は交通事故等による「原子爆弾の障害作用の影響によるものでないことが明らかであるもの」の他は、介護を要する状態にあることが確認できれば、介護手当が支給されるとしています(平成27年12月25日付事務連絡「介護手当の支給にあたっての留意事項について」厚生労働省健康局総務課原子爆弾被爆者援護対策室)。したがって、認知症との診断があれば、介護手当を申請できます。これを医師に伝えて、診断書の作成を再度お願いしてみてください。
日本被団協の被爆者中央相談所では、医師宛に「介護手当用診断書作成のお願い」を用意しています。必要な場合は返信用封筒に82円切手を貼って申し込んでください。
訂正 先月の「被団協」新聞445号の本欄で、現行法を「被爆者対策法」としていますが、正式な名称が長いために省略したものです。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(現行法)」のことです。訂正します。