被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2015年 11月号(442号)

「被団協」新聞2015年 11月号(442号)

2015年11月号 主な内容
1面 広島・長崎はなんだったのか? 被爆70年のつどい 日比谷公会堂に700人
2面 全国代表者会議 アピール採択「被爆70年、不戦・核兵器廃絶の決意新たに」
アピール
中央行動 厚労省・政党に要請 国会請願署名13万4千人余提出
10月17日「被爆70年のつどい」 参加者アンケートから
非核水夫の海上通信135
3面 9月26日核兵器廃絶国際デー 各地でイベント
東京・銀座で街頭行動
山梨で原爆展
長崎・平和祈念像前で集会
大村支部再始動 二世も協力申し出/長崎被災協
「被爆二世実態調査」の学習交流会開催/おりづるの子(東京被爆二世の会)
4面 相談のまど 生活保護の住宅扶助費 限度額引き下げの影響は?

 

広島・長崎はなんだったのか? 被爆70年のつどい 日比谷公会堂に700人

Photo
Photo
音楽劇「まほうのたね」
Photo
合唱団この灯
Photo
リレートーク
PhotoPhoto
岩佐幹三さん横山照子さん
PhotoPhoto
藤森俊希さん吉田一人さん

 被爆70年のつどい「広島・長崎は、なんだったのか?― 今を戦前にしないために」が10月17日午後、東京の日比谷公会堂で開かれました。構成劇など多様な舞台で、今何をなすべきか考えました。団体、個人の実行委員会主催、広島、長崎両市後援。全国から700人が参加しました。

音楽劇「まほうのたね」
 フランスの心理学者F・パブロフが1998年に著した「茶色の朝」を原案に物語を展開しました。茶色はナチス初期の制服の色、欧州ではファシズムの象徴とされています。ネコも犬も馬も本も茶色でなければ罰せられる。新聞、ラジオも「茶色」以外は追放される。そのうち、誰かがドアをたたき「茶色の朝」を迎える…。戦後70年この国が、再びくり返すことのない未来をとメッセージを発信しました。

構成劇「広島・長崎はなんだったのか ― 今を戦前にしないために」
 戦後生まれの若者が、被爆者と、被爆者と共に歩む人と対話しながら、考え方を明確にしていく構成です。3人は、「太平洋戦争に入った頃の戦前に似ている」といわれる今、歴史から何を学ぶか語り合いました。
 満州事変が起こった1931年に生まれた「被爆者」は、世の中の大きな動きと自分の身の周りの世界が関係ないと思っているところが似ていると話します。45年8月15日、国体護持のために終戦した戦争の終わらせ方、終わった後の処理の仕方に日本という国の国家的無責任の状況があると指摘します。

民主主義を学ぶ
 「被爆者と共に歩む人」は、被爆者から民主主義を学んだと言います。被爆者は自ら立ち上がり、日本被団協を作った。原爆がもたらした苦しみや被害を調査し、証言を集め、何度も会議で議論をして要求項目をまとめ、これに基づく援護法案を全野党共同で国会に提出させた。「被爆者の憲法」といわれる「原爆被害者の基本要求」を作るときも何度も議論を重ねた。そうした過程こそが、民主主義的な行為だと。民主的な議論こそが、民主的な内容を作る。「被爆者の運動は、誰かが教えてくれたわけではなく、自分たちで考えながらつくりだしてきた。民主主義には特効薬のようなものはない。被爆者の経験は、私たちが考える材料を提供してくれる」

 * * *

 劇中、4人の被爆者が証言しました。「原爆」を背負いつづける被爆者の体験と思いを岩佐幹三さんと横山照子さんが証言。吉田一人さんは、戦争被害は受忍(がまん)せよという基本懇の答申を基本政策にする政府の姿勢を告発。藤森俊希さんは、「ふたたび被爆者をつくるな」と核兵器廃絶を世界に訴えつづける日本被団協の国際活動の役割をのべました。
 * * *

 3人の対話は、「自分の問題として担っていく」ことへ。民主主義とは、「日々の中の疑問をうやむやにしないこと。ご飯を食べたり、歯を磨いたりという当たり前のことと同じように、想像力を使って過去を思い、今のことを考え続け、議論して市民になっていく」。若者は、被爆者との対話から答えを見つけていきます。

合 唱
 結成24年の混声合唱団「合唱団この灯」は、空襲体験をうたった「命を生きる」、カンタータ「この灯を永久に」など命と平和の尊さを歌いあげました。

リレートーク
 若い世代を中心に10人が発言。空襲や沖縄、南洋諸島での民間戦争被害者の国家補償に取り組んでいる弁護士の瑞慶山茂さんは、オール戦争被害者として、ともに国の償い運動に取り組むことを強調しました。空襲被害者、青年団、画学生、平和公園ガイド、教師、研究者、大学生、高校生それぞれが継承に関わり取り組んでいることを発言、集会参加者に勇気を与えました。
 閉会にあたって日本被団協の田中煕巳事務局長は、参加者、出演者に謝意をのべ、「日本は軍事大国として世界に出ようとしています。絶対に許してはなりません。かつての戦争を反省して憲法9条ができています。戦争をしないという誓いを守って日本の国の方向を見定めていきましょう」としめくくりました。


全国代表者会議 アピール採択「被爆70年、不戦・核兵器廃絶の決意新たに」

Photo
議長を勤めた大岩、松浦両代表理事
Photo
発言する石川の西本多美子さん
 日本被団協は10月18日、2015年度全国都道府県代表者会議を東京・御茶の水のホテルジュラクで開き、全国から約90人が参加、活動を交流しました。
 安井和正日本原水協事務局長から寄付金100万円が岩佐幹三代表委員に手渡され、激励の挨拶がありました。 

◆被爆70年の諸運動
 ニューヨークの国連本部を中心とした核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議要請団の活動、8月5日・広島のつどい、同6日・韓国追悼式、オスロでの核兵器禁止のためのコンサートを中心とした活動、10月17日の日比谷公会堂でのつどい、全国各地で取り組まれた行動について、それぞれの担当者、各ブロックの県代表が報告しました。

◆日本被団協結成60年に向けての活動
 日本被団協は来年、結成60周年を迎えます。田中煕巳事務局長が結成総会が開かれた長崎での祝賀会、東京で記念集会を開くことを提起しました。各県代表者からは、核兵器の非人道性についての国際シンポジウムや被爆者運動のDVD制作、メディアとの共同企画、国民法廷など多方面の企画が提起され、田中事務局長が責任者の被団協結成60周年事業企画委員会で企画の可否を含めて検討し、推進することになりました。

◆諸運動の推進交流
 国の償い実現運動の経過と今後について木戸季市事務局次長、ノーモア・ヒバクシャ訴訟について山本英典原告団長、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の資料収集と継承活動について原明範事務局次長がそれぞれ報告し活動を交流しました。

◆アピール採択
 代表者会議は最後に、「被爆70年、不戦・核兵器廃絶の決意を新たに」と題するアピールを採択しました。


アピール

日本被団協全国都道府県代表者会議 2015年10月18日

 被爆70年の今年、世界で唯一の戦争被爆国である日本で、決してあってはならないことが起きました。昨年、自民・公明の安倍政権は、集団的自衛権を容認する閣議決定を行ないました。戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認をうたう憲法9条を国民に可否を仰ぐこともなく踏みにじり、この9月、世界で唯一の戦争核使用国である米国の始める戦争に日本が加担することを可能にする安保関連法を強行可決したことです。
 みずからの被爆体験をとおして、70年前に広島と長崎で起きた生き地獄を絶対に再現してはならない、ふたたび被爆者をつくるなと訴え続けてきた被爆者は、安倍政権が、多数の国民の意思に反して安保関連法を強行可決した暴挙を決して許すことはできません。
 核兵器という最悪の暴力によって、命を奪われ、心と体を無残に傷つけられ、被爆の後遺によって死ぬまで苦しめられ続けている被爆者は、いかなる暴力にも反対します。安倍政権の暴挙は、政治の暴力以外の何物でもありません。
 わたしたちは、来年、日本被団協結成60年を迎えます。安倍政権の暴挙を阻止し、憲法に従って国政を運営する立憲主義を貫く国会と政府がつくられることを強く希望します。刷新された国会と政府によって、違憲の閣議決定および安保関連法を廃止し、戦争も核兵器もない世界の実現へ世界の先頭に立つことを強く願います。希望と願いの実現へ、安保関連法に反対するすべての人々と手をつなぎ、それぞれができることに力をつくすことを被爆者として呼びかけます。


中央行動 厚労省・政党に要請 国会請願署名13万4千人余提出

Photo
厚労省交渉
Photo
政党要請
Photo
署名提出
 日本被団協は10月19日午前10時から、全国の被爆者、被爆二世ほか約80人が参加して中央行動を行ないました。

厚労省交渉
 参議院議員会館101会議室で、代表者会議の報告、要請行動の内容確認後、11時から同会議室で厚生労働省交渉を行ないました。
 厚労省からは伊沢知法被爆者援護対策室長ほか7人が出席。清水弘士代表理事が厚生労働大臣宛て要請書を読み上げ、参加者も次々に発言しました。原爆被害への国の謝罪と償い、被爆二世の実態調査と具体的施策の実施、申請被爆者の実態に沿った原爆症認定などを訴えました。伊沢室長は、原爆症の認定方針は長年かけて検討してきた結果でありそれに基づいて対応する、などほぼこれまで通りの回答・説明を繰り返しました。

政党要請・署名提出
 正午から1時間、現行法を改正して国の償いを実現することを政党に求める「院内集会」を開きました。
 各党を代表して、寺田稔(衆・自民)、樋口尚也(衆・公明)、森本真治(参・民主)、小池晃(参・共産)、玉城デニ-(衆・生活)、福島瑞穂(参・社民)各議員のほか共産党から4議員が参加。要請書を大下克典事務局次長が読み上げた後、各ブロック代表が要請書と現行法改正を求める国会請願署名を各党代表に手渡しました。署名数は今回13万4788。前回提出分と合わせて総計32万4513になりました。
 各政党の代表が挨拶。被爆者のこれまでの苦しみ、不安、たたかいに敬意と理解を示し、原爆症に苦しむ被爆者の救済を一日も早く実現しなければならないなどと述べました。憲法9条は押しつけられたものではなく、世界に誇るもの、核廃絶をすみやかに実現しなければならない、いまだに原爆症で裁判しなければならないのはおかしいという発言(寺田議員)もありました。被爆者援護に関する各政党の取り組み、超党派で解決にあたりたいという決意が表明され被爆二世議員からは、二世としての思いと活動が語られました。
 院内集会の後、参加者はそれぞれの地元選出議員を訪ね、賛同署名を訴えました。

新たな賛同議員
 今回の中央行動後、日本被団協事務所に、現行法改正を求める国会議員の賛同署名が届けられました。ご紹介します(10月28日現在、敬称略)。
 大野基裕(参・民主・埼玉)、真島省三(衆・共産・九州比例)、島津幸広(衆・共産・東海比例)、池内さおり(衆・共産・東京比例)、大平喜信(衆・共産・中国比例)


10月17日「被爆70年のつどい」 参加者アンケートから

★さきの戦争は国民に反対する自由はなかったが、今は私たちに責任がある、ということばが重く響きました。
★中学生の時、社会の授業で「今の戦争はボタンひとつで始まる」ということを聞きました。核兵器の話です。全世界の核保有国のボタンが押されたら、人類そのものが終わってしまう。本当の抑止力は私たち国民、市民一人ひとりだと、改めて感じました。
★次世代への継承が大きく進んでいることを実感できました。自宅に帰って、子どもたちに、今日思った事、考えたことを伝えたいと思います。
★被爆者の方の証言をお聞きして、証言集を作成する手伝いをしていますが、これからは自分の問題として、語りつないでゆきたい。
★現在159カ国にのぼる核兵器廃絶を求める共同声明は、被ばく者の命を削っての地道な運動なくしてはなかったのだとの思いを強くしました。被ばく者の思いを重く重くうけとめ、共にたたかっていきたい。
★被爆者の生の言葉にあらためて感銘を受けました。被爆者の運動が、原爆廃絶に向けて世界的規模での行動につながっていることを知りました。民主主義を体現している実例であることにも共感しました。
★被爆者の方々と被団協の尽力、長い長い道のりを、初めてわかった気がしました。申し訳ない思いがします。核兵器をなくすための、人類のための、わたしたちのための闘いであったと、よくわかりました。
★戦争を被爆を知らない若者が想像力を働かせて、事実を薄めることなく伝えてゆく熱意あふれる決意に拍手しました。
★安野さん(空襲被害者)のお話、今もつづく苦しみ、よくわかりました。若者たちのトークが多く、そのどれもが率直で、さわやかで、励まされました。
★戦争被害への償いをしない国の無責任さを追及すること、責任を求めることが、「二度と戦争しない国」をつづけるために、とても大切な課題だと思いました。
★今日の話は、ぜひ首相にきかせたい。空襲の被害者に補償を! 日本は経済大国なのに、政治の場は貧困そのものだ。


9月26日核兵器廃絶国際デー 各地でイベント

国連大学ビルで集会 核兵器廃絶日本NGO連絡会

Photo
パネル討論で発言する藤森さん

 国連が「核兵器廃絶国際デー」と定めた9月26日、東京・渋谷区の国連大学で、核兵器廃絶日本NGO連絡会主催の「被爆70年今できること」と題した集会が開かれました。100人を超す市民や平和運動に携わる人たちが参加、講演、パネル討論を通じ「今できること」を交流しました。
 作家の高橋源一郎さん(広島出身)が講演、戦争体験を直接聞いた世代だが、うっとうしく、耳をふさいでいた、戦死した伯父の墓参のためルソン島を訪問し、死者の視点を持つことで他人の戦争ではなくなったと自らの体験をのべ、作家は自分が書いた本をなぜ読んでくれないと世間を非難することはできない、なぜ伝わらないのかを追求し、伝えるための努力は運動にも求められると提起しました。
 パネル討論は、根本かおる国連広報センター所長が司会し、広島の高校生平和大使の小桜智穂さん、相川一俊外務省軍縮・不拡散・科学部長、スティーブン・リーパー前・広島平和文化センター理事長、菅井智日本赤十字社国際部次長、藤森俊希日本被団協事務局次長の5人がそれぞれの立場から、「今できること」を提起しました。
 「世界の若者が手をつなぎ核兵器廃絶へ各国政府の包囲網を」(小桜さん)、「大国ではない国の主導で発効した対人地雷禁止条約のように核兵器禁止条約の締結を」(リーパーさん)、「戦争法反対の圧倒的世論をつくり、選挙を通じて憲法9条を守り、戦争法を破棄する国会と政権をつくる。実現すれば、世界を動かす力になる」(藤森さん)など提起があり、質疑応答で議論を深めました。

東京・銀座で街頭行動

Photo

 国連核兵器廃絶国際デーの9月26日、東京では銀座マリオン前で東友会が日本原水協とともに「ヒバクシャの声を聞こう なくそう核兵器! 戦争法は廃止を!」のスローガンを掲げて、街頭行動をおこないました。参加者は28人。東京の被爆者は青いタスキをかけて、一人ずつ名前や被爆体験、核兵器廃絶への思いを訴えました。
 被爆者が広島・長崎の被害のありさまとともに「生後8カ月で被爆した妹が、19歳で血液のがんが発見され3カ月で亡くなった」など、家族の原爆死について語ると、親子連れ、カップルなど通行人が耳を傾けて署名に協力していました。
 この日は1時間の行動で48人の署名が寄せられました。

山梨で原爆展

Photo

 9月21日〜26日の間、甲府駅北口ペテストリアンデッキにおいて、国連核兵器廃絶デー山梨県実行委員会主催「ヒロシマ・ナガサキ被爆70年原爆と人間パネル展」が開催され、1000人近い来場者を数え成功裏に終了しました。
 この原爆展は、国連核兵器廃絶国際デー(9月26日)に呼応して毎年開催されるもので、山梨県原水爆被爆者の会は後援者として「県内被爆者の描いた絵」の提供とともに、被爆者を代表して遠山睦子さん(富士吉田市在住)が平和を求めるメッセージを来場者へ配布し、戦争は大きな悲しみしか残らないことを訴えました。

長崎・平和祈念像前で集会

Photo

 9月26日10時30分より1時間、平和祈念像前で「9・26核兵器廃絶国際デー2015年ナガサキの集い」を行ないました。長崎被災協と長崎県原水協の共催で約50人が参加。平和のうたごえ合唱団による歌で始まり、被爆者6人のリレートークのあと、11時2分に黙とうを行ないました。
 写真パネルを展示し、多くの中国人観光客が熱心に見入りました。中国では見る機会がない写真なので、有意義な展示になったのではと、参加者は話していました。
 現行法改正要求と核兵器廃絶アピール署名を観光客に訴えました。折鶴を折るコーナーには子どもたちが集まりました。
 リレートークでは被爆体験、平和への思いが語られ、小峰秀孝さん(写真)は「私の体は皆さんが見たらびっくりするような火傷の痕だらけです。きな臭い今の日本、戦争だけは絶対にしてはなりません」と訴えました。
 被爆二世の会の堀洋美さんが、潘基文国連事務総長のメッセージを読み上げ、全員で「青い空は」「折鶴」など合唱しました。

大村支部再始動 二世も協力申し出/長崎被災協

Photo

 長崎被災協では、20年以上休眠状態だった大村支部に再始動してもらおうと、昨年6月から数カ月に1回のペースで、大村市で被爆者の集いを開催してきました。「被団協」新聞の読者が23人いるので、被爆者健診で配布するなど、集いの案内を出して呼びかけてきました。
 毎回6〜7人で被爆体験を語り合い、悩みを出し合ってきましたが、第4回の9月30日に大村市の被爆者5人、二世1人、被災協事務局3人が集まって、大村支部の再開を決めました。
 お互いに困っていることを出し合っていこうなどと話し合い、橋貞夫さんを支部長に、寺坂イネ子さんを副支部長に選出。二世の大宮美喜夫さんが手伝うという力強い声に励まされました。
 相談事業講習会への参加も呼びかけ、学習を深めていくことになりました。

「被爆二世実態調査」の学習交流会開催/おりづるの子(東京被爆二世の会)

Photo

 10月11日、おりづるの子(東京被爆二世の会)が、「東京都在住被爆二世実態調査」についての学習交流会を開催しました。この調査は2013年に東友会が結成55周年事業として実施し、愛媛大学の八木良広氏らの研究者グループが集計と解析をまとめ、今年7月に発表したものです。
 当日は八木氏が講師をつとめ、同会の会員ら15人が参加しました。八木氏は、回答者660人の約6割が何らかの不安を抱えている、二世の健康診断等の諸制度について知らない人が1〜2割いる、などと指摘。政策提案として、東京都による被爆二世の全数調査、東京都の二世施策の一層の周知、国による二世の全数調査を求めたいと述べました。
 活発な質疑、意見が続き、多くの人の不安を緩和するため、被爆二世の実態を正確に把握し、適切な情報提供が必要だ、蓄積されている二世の健康診断データを分析・活用してほしい、などの声があがりました。
 同会ではこの報告書や学習交流会の成果を踏まえ、東京の被爆二世らの要望の集約に取り組んでいきたいとしています。


相談のまど 生活保護の住宅扶助費 限度額引き下げの影響は?

 【問】生活保護を受けておられる被爆者から、「今年から住宅扶助費が引き下げられることになったようだが、自分は大丈夫なのか」という相談がありました。
この被爆者は、現在80歳の女性で一人暮らしです。どのように対応したらよいでしょうか。(被爆者の会役員)

 * * *

 【答】今年の7月から生活保護の住宅扶助費の限度額が引き下げられ、転居を強いられることも起こっています。
 この被爆者が受け取っていた住宅扶助費が、改定された限度額を超えていたら、その旨の連絡がすでにあったはずです。しかしいまだに連絡がないのでしたら、ご心配はないと思います。
 今回の改定にあたって通知が出ていますので、参考にしてください。
 通知によれば、今年6月30日までに生活保護を受給している人で次のような場合は、自立助長の観点から、引き続き現住居に居住することが認められます。
 ・病院等に通院または通所をしていて、引き続きそこに通院・通所する必要が認められ、転居によって、通院に支障をきたす場合。
 ・高齢のため日常生活や社会生活において扶養義務者の援助や地域の支援を受けて生活している場合など、転居によって自立を阻害する恐れがある場合。