被団協新聞

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「被団協」新聞2015年 3月号(434号)

2015年3月号 主な内容
1面 ヒロシマ・ナガサキのねがい 〜核のない世界へ
団体・個人と力あわせ 日本被団協が記者会見

日本被団協の被爆70年運動概要
わたしとヒロシマ・ナガサキ マーシャル諸島駐日公使 アネット・N・ノートさん
原爆症訴訟 甲状腺4人勝訴/大阪地裁
2面 被爆70年 若い世代に継承
国際平和ビューロー 日本被団協などノーベル平和賞に推薦
代表理事会
NPT派遣準備進む/北海道
「被団協」新聞新年号に「優良紙」特別賞
安里繁盛さん逝去
非核水夫の海上通信127
3面 熊本訴訟 福岡高裁で第2回控訴審
各地の新春行動
4面 相談のまど 保健手当を受給中 健管手当に変更可能?
こんなこと、聞いてもいいですか…? 受け継ぐための質問部屋

団体・個人と力あわせ 日本被団協が記者会見

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記者会見する田中事務局長(中央)ら

 日本被団協は2月13日、東京・港区の芝弥生会館で記者会見を開き、日本被団協の被爆70年にあたっての取り組みの概要(別項一覧)を発表しました。
 概要は、(1)4月27日〜5月22日ニューヨークの国連本部で開かれる核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議にあたっての行動、(2)8月5日広島市で日本被団協が主催して開く集会、(3)10月17日東京で実行委員会が開く集会-の3つの取り組みを紹介し、それぞれの内容を明らかにしました。
 田中煕巳事務局長は、「10年を区切りにした大きな取り組みは最後になるかもしれない。世界では核兵器廃絶への気運が広く高まっている。1日も早い核兵器廃絶の実現へ幅広い団体、個人が力をあわせ、今の日本を戦前にしないよう力をつくしたい」と被爆70年の取り組みへの決意をのべました。
 また、原爆被害をはじめ市民の戦争被害に対する国の責任を問う広範な声と行動を結集する年にしたいとも語りました。


日本被団協の被爆70年運動概要

NPT再検討会議ニューヨーク行動

4月24日(金)〜5月1日(金)
◎国連で原爆展「核のない世界へ―ヒロシマ・ナガサキのねがい」
 (NPT再検討会議期間中の約4週間。申請中)
◎ニューヨーク市内および周辺での証言活動
◎各国政府代表に要請
◎NGO国際平和会議(4月24日)
◎NPT再検討会議内でのNGOセッション(5月1日)

8月5日集会「被爆70年 今こそ核兵器廃絶を」

8月5日(木)午後 広島市文化交流会館
日本被団協主催:団体、個人に広く協賛をよびかける
◎被爆者の証言と日本被団協のたたかいの紹介
◎海外代表、団体代表、個人のことば
◎アピール

10月17日集会「被爆70年 広島・長崎は何だったのか
今、戦後を戦前にしないために(仮)」

10月17日(土)午後〜夜 東京・日比谷公会堂
主催・実行委員会
◎被爆者、戦争被害者、若い世代など様々な市民がつどい、
今の日本を戦前にしないために広島・長崎の被爆や市民の戦争被害に対する国の責任を話し合う。
文化行事なども企画中


わたしとヒロシマ・ナガサキ

マーシャル諸島共和国大使館公使 アネット・N・ノートさん

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ビキニ市長(左)とともに出迎えてくれた
アネット・N・ノートさん公使(右)。
マーシャル諸島共和国大使館にて

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メッセージを書くアネット・N・ノートさん

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色紙(日本語訳は訴えのあとに掲載)

 米国による水爆実験でビキニ環礁をはじめ多大な被害を受けたマーシャル諸島共和国。2014年4月には、国際司法裁判所(ICJ)に核兵器保有9カ国を提訴しました。マーシャル諸島の駐日大使館公使アネット・N・ノートさんを訪ね、お話を聞きました。

マーシャルの苦しみを知ってください
被爆者の方々に連帯の気持ち伝えたい

 2011年に臨時代理大使として日本に来ました。祖父は半分日本人で、日本人であることを誇りにしていました。天国から祖父が見守ってくれていると思います。
 被爆68年目の年に、広島と長崎の平和式典に参列しました。私は原爆の時には生まれていませんが、式典に参加することで心の平安を得ることができました。被爆者や核兵器を無くそうとしている日本の皆さんといると、皆さんを身近に感じて、自分への激励になります。
 広島・長崎は70年前のことだと思う人もいるかもしれませんが、あの日から今までいかに皆さんが苦しんできたか、いかに対応してきたかを知り、他の人と連帯し意見を交換することは、克服する力になります。

 * * *

 マーシャルは、核兵器保有9カ国をICJへ提訴しました。核兵器不拡散条約(NPT)が定めた「核軍縮義務」を怠っているのは、国際法に違反しているという理由からです。提訴に際して、小さな国が大国を相手にしても勝てないのではないかという意見はありました。しかし、提訴することで、世界の人や国にマーシャルが受けている被害を知ってもらい、マーシャルに対する認識を変える、広めるということが、私たちにとって唯一の道だったのです。

 * * *

 日本には支援してくれる人がたくさんいて、私たちは受け入れられていると感じます。マーシャルは姉妹都市の関係を結びたいと思い、ビキニ環礁が広島市に、エニウェトクが長崎市にアプローチしていますが、これはまだ実現していません。
 日本に住んで仕事をし、最高に良い、美しい経験ができています。日本にいることが好きです。広島・長崎の人々、被爆者の方々に連帯の気持ちを伝えたいと思います。

 * * *

アネット・N・ノートさんの訴え

島民はすべてを失った
 マーシャルの国民が半世紀以上前に行われた核実験の被害に今も苦しめられているこの不正義を考えるたび胸が痛くなります。ビキニ、ロンゲラップ、エニウェトク、ウトリックの4つの環礁が被害を最も受けました。

広島型の1000倍
 太平洋戦争終結後、マーシャル諸島は国連の信託統治の下におかれ46年から58年までアメリカの核実験場になりました。54年3月1日、核実験史上最も破壊力の強い悪名高いブラボー実験がビキニ環礁で行われました。15メガトンの爆弾の破壊力は広島原爆の1000倍です。その被害を受け耐えてきた人々の恐怖や悲惨な苦しみを想像できるでしょうか。
 12年間で69回の核実験がビキニ、エニウェトクで行われました。すべての核実験が、核の負の遺産として、人びとを今も苦しめています。核実験の爆発力の総計は、7200発の広島型原爆の出力に匹敵します。1・6個の広島型原爆を毎日毎日、12年間爆発させるのと同じです。

発ガン率が最も高い国
 現在、マーシャル諸島は、世界で最もガンの発生率が高い国です。放射線は、確実に1人1人を殺しています。私の祖父は、ビキニ環礁の地主ですが、65歳で放射能によるガンで亡くなり、彼の一番下の弟は、40代に白血病で亡くなりました。私の祖母は、ウトリック環礁の地主ですが、1997年ガンで、彼女の妹はリンパ腫で亡くなりました。最近亡くなった2人の叔母は放射能が原因とされる甲状腺ガンでした。妹はまだ32歳ですが10年前に腫瘍が見つかりました。両親も兄弟姉妹も、私もいつかガンにかかり死ぬのではと毎日怯えています。他の人々が私たちのような悲惨な苦しみを経験することがないよう祈ります。

「人類幸福のため」と
 アメリカ政府は核実験を行うため、ビキニ島民に一時的に島から退去することを求めました。彼らは、この実験を「人類の幸福とすべての戦争を終わらせるため」と言いました。ビキニ環礁の当時の酋長であり王のジュダは、「人類」を誤って「神」と理解し「すべては神の手の下にあることを信じ(島を)離れよう」と答えました。ジュダは、二度と島に戻ることができず流民になるとは思いもしませんでした。

核軍縮のリーダーに
 私たちは核実験ですべてを失いました。アメリカには核実験の負の遺産を解決する法的道義的責任があります。私たちは自由連合協定に従い、裁判所から4被害地環礁に補償金が分配されます。アメリカは補償金の支払いに見合う十分な資金を裁判所に提供しないため、私の祖父母と叔母を含め多くの被ばく者が、正当な補償金を受けることなく亡くなりました。
 私たちが不公平な取り扱いを受け、苦しみ続けていることを知れば、マーシャル諸島政府が核軍縮の問題で世界のリーダーシップを果たす役割を受け入れたことを驚く人はいないでしょう。
 核兵器のない世界を実現するという私たちの決意を理解して欲しい。毎年3月1日、私たちの政府と国民とともに、ブラボー実験の被害を思い起し、マーシャルの人々を支援してください。

 * * *

色紙の日本語訳
 広島、長崎そして福島のヒバクシャの皆さんへ
 マーシャル諸島の国民から皆さんに「ヤッコエ」(こんにちは)とご挨拶申し上げます。私たちは、皆さんが平和と調和を求めつづけていることに連帯し、特に、核兵器の完全廃絶のために闘っておられることをこれからも支持していきます。
 私たちの思いと祈りは皆さんとご家族とともにあります。
 深い尊敬とともに

アネット・N・ノート
マーシャル諸島共和国駐日大使館


原爆症訴訟 甲状腺4人勝訴/大阪地裁

 原爆症認定申請の却下取り消しを求めて大阪地裁に提訴していた7人の原告の判決が1月30日言い渡されました。甲状腺機能低下症で申請していた4人の原告全員が勝訴、心疾患の2人はほかに原因があるとし、火傷瘢痕(ケロイド)の1人は要医療性が認められないとして棄却しました。
 2013年12月に厚労省が再々改定した原爆症認定の新審査の方針による認定申請却下処分の取り消しを求めた裁判の初めての判決で、国側が敗訴したことは、認定制度を抜本改正する以外に解決しないことを改めて示しました。

国側3人控訴
 国側は、国敗訴4人のうち3人を控訴、原告側も敗訴3人全員が控訴しました。勝訴した4人のうち1人の判決が確定しました。
 今回の判決に先立つ1月15日開かれた厚労相と日本被団協など3団体との定期協議で、3団体が統一して提出した要求書への回答で、塩崎厚労大臣は認定却下取り消しを求める裁判の判決について、「新方針と矛盾するものは控訴する」としていました。
 新方針で却下された原告の1人の勝訴が確定したことは、裁判をしなければ間違った審査結果を正せないことを示しています。2009年8月6日、集団訴訟終結にあたって、「今後、訴訟の場で争うことのないよう」解決をはかるとした、日本被団協と総理大臣との間で交わした「確認書」にも抵触することになります。


被爆70年 若い世代に継承

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中国ブロック
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広島
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九州
中国ブロック命ある限り運動
 中国ブロックの被爆者相談事業講習会が2月12日、山口市の湯田温泉、西の雅常盤で開かれ参加者は90人を超し交流を深めました。
 山口県知事、山口市長の各代理などの来賓あいさつの後、田中熙巳日本被団協事務局長と坪井直代表委員がそれぞれ1時間講演。田中事務局長は、被爆者対策を改善してきた歴史、原爆被害者の基本要求をもとにした現行法改正による国の償い実現と核兵器のない平和な世界の実現への取り組みを報告。被爆者運動の継承で、特に二世、家族の運動の参加と独自要求の掘りおこしが大事であることを強調しました。
 坪井代表委員は、爆心地での被爆体験と悲惨な被害の状況、その後の後遺症の苦痛や困難など体験者のみが知る生々しい実相を報告、参加者は深く聞き入りました。その中で戦争が、救助すべき人に対し、生命をいかに軽視しているのかにふれ、戦争には絶対反対だと強調。命ある限りこの運動を推進していくとの決意をのべ、大きな拍手が送られました。
 各県代表がそれぞれの相談事業の実態を報告し交流、被爆二世の各県の活動と今後の課題も報告され、二世の会への協力が呼び掛けられました。

広島被団協 実行委も発足
 広島県被団協は1月28日、広島市中区福祉センターで新春代表者会議を開き、県内各地から約100人が出席、被爆70周年を節目に被爆者運動をいかに次の世代につなげるか、活発に意見を交換しました。
 事務局からは「継承」を重点に記念事業として4月5日に「若者に伝えたい、被爆者の空白の10年」、6月21日に「被爆体験の継承と核兵器廃絶の道」をテーマに若者に広く参加をよびかける講演会・パネルディスカッションを予定していることが報告されました。
 鎌田七男広島大名誉教授が「被爆70周年、被爆者運動の課題とその展開」と題して講演。被爆者運動を幅広く継続するため被爆2世、3世、被爆者の配偶者を含む「被爆者家族」という考え方をキーワードとして提唱、今後の運動への大きな示唆となりました。
 代表者会議後、2月19日には、大学生を中心に実行委員会を発足させました。

九州・福岡 0歳2世どう継承
 被爆二世・三世・非被爆者が、被爆者運動を継承するための学習・交流会が1月31日福岡市の福岡県教育会館で開かれ、37人が参加しました。九州ブロックを中心に中国、近畿の二世の会、核兵器廃絶と平和を求める市民との共同開催。
 「被爆者相談事業から何を学び、どのように継承するか」(横山照子長崎被災協相談員)、「20年間継続してきた被爆者の証言聞き書き活動」(エフコープの篠澤真喜子さん、谷口純子さん)、「記憶のない0歳児被爆者、体験のない被爆二世が被爆体験をどのように継承するか」(藤田浩福岡県被団協会長、南嘉久同事務局長)を聞き、学習と交流を深めました。

NPT学習会も
 1月30日夜、大牟田市の医療法人親仁会本部で開かれた「ともに学ぶNPT」との学習会で、南嘉久事務局長が「原爆とは」「NPTとは」「私たちとNPT」の3つの柱で講演しました。


国際平和ビューロー 日本被団協などノーベル平和賞に推薦

 日本被団協、長崎の被爆者・谷口稜曄さん(日本被団協代表委員)、広島の被爆者・サーロー節子さん(カナダ在住)の3者が、国際平和ビューロー(IPB)から2015年ノーベル平和賞候補に推薦されました。「この70年、被爆者は行動する道を選び、自らの経験とたたかいを語り、核兵器の全面禁止のため一貫して活動し、世界の政府と人々に訴え続けてきた」としています。
 IPBは、書簡で「これらの勇気ある人々と勇気ある運動へのノーベル平和賞の授賞が、全世界の核軍備撤廃を求める人々への重要な貢献となると確信する」とのべています。
 日本被団協について、1956年の結成以来被害の実相とたたかいを知らせるなどの活動が「『平和のチャンピオン』の名にふさわしい」。谷口さんとサーローさんについて「自らの痛ましい経験にもとづき、核兵器廃絶を求め、被爆者の努力の先頭に立ち続けてきた」としています。

 * * *


 また、平和のための博物館国際ネットワーク代表のピーター・ヴァン・デン・デュンゲン博士(英国・ブラッドフォード大学)が「日本被団協」と「憲法9条の会」の2者を推薦したとの知らせが、推薦文とともに送られてきました。


代表理事会

 日本被団協の第384回代表理事会が2月4〜5日、東京・港区のプラザ神明集会室で開かれました。
 4月末からニューヨークの国連本部で開かれるNPT再検討会議についての日本被団協代表団の行動や8月5日(広島)、10月17日(東京)の集会、原爆被害への国の償い実現など被爆70年の取り組みについて議論し、ニューヨークの代表団団長は谷口稜曄代表委員、副団長・田中煕巳事務局長、事務局長・木戸季市事務局次長(1面に概要)を確認しました。
 第60回(2015年度)定期総会の日程については、6月9〜10日、東京で開き、前日の8日に代表理事会、11日に中央行動を行うこと、総会議案を起草する委員会を代表委員、事務局役員、各専門部責任者、会計で構成することを確認しました。
 厚労大臣との定期協議、原爆症認定訴訟、日本被団協の今後の体制を考える小委員会と二世委員会からの報告、提案をうけて議論しました。


NPT派遣準備進む/北海道

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 NPT再検討会議に北海道被爆者協会は眞田保常務理事を派遣します。そのための取り組みが急ピッチで進んでいます。
 代表派遣のカンパ要請は、暴風雪の中諸団体を回って訴え、会員や協力者、知り合いにも呼びかけ、「被爆者が行くのだから」と多くの人が応えてくれます。2月14日には原水協の代表団壮行会があり、眞田さん(写真)はニューヨークでの諸行動に臨む決意を語り、原水協から多額のカンパが寄せられました。
 被爆者の声を眞田さんに託して国連へとの呼びかけに20人を超える人が手記を寄せました。手記はいまボランティアの手で英訳されています。


「被団協」新聞新年号に「優良紙」特別賞

 「被団協」新聞など団体の機関紙や書籍、官公庁広報紙など制作している株式会社「きかんし」の顧客の親睦団体である「あたごくらぶ」は1月26日、「二〇一五年新年号機関紙コンクール」で「被団協」新聞について「企画と編集技術が評価され優良紙に選ばれた」として特別賞を授賞しました。
 受賞した「被団協」新聞新年号は、1面と最終面を連動させたカラー紙面に宇宙飛行士野口聡一さんと宇宙から見た地球が登場、「それでもまだ地球は青かった」の大見出しで、野口さんが宇宙から見た地球の平和を願い、核兵器廃絶に被爆国日本が果たすべき役割など語っています。
 中の面の見開き「記憶の継承 自分のことと考え、行動、発信を」には、20代、30代の若者が登場、被爆証言の継承や被団協文書の資料整理に取り組む思いを語っています。2歳被爆の女性は、母の記憶を心をこめてありのまま話せば伝わると話す勇気、聞く勇気について語っています。


安里繁盛さん逝去

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 2月5日、死去。86歳。沖縄県原爆被爆者協議会理事長。中城村出身。16歳の時に三菱長崎工業学校で被爆。県被爆協の前身・沖縄原子爆弾被害者連盟の結成時から被爆者運動に携わり、米国統治下で原爆医療法適用外だった県内の被爆者への援護を求める運動などで先頭に立ち核兵器廃絶運動に力を尽くしました。


熊本訴訟 福岡高裁で第2回控訴審

 ノーモア・ヒバクシャ「第二次熊本原爆症訴訟」の第2回控訴審が2月9日、福岡高裁(金村敏彦裁判長)で開かれました。この裁判は、2013年3月、熊本地裁判決で勝訴した5人のうち国が控訴した3人と、地裁敗訴の2人が本人控訴し、原告5人の訴訟です。
 この日は、地裁勝訴の早川恵美子さん(77)と山中輝雄さん(70)が意見陳述しました。早川さんは、長崎市西山の自宅(2・5キロ)で被爆しました。その状況をのべ、思わずあふれる涙で声をつまらせました。山中さんは稲佐町の自宅(2キロ)で生後8カ月の時に被爆し、成長してからも体調不良で、50歳で仕事も辞めざるを得なかった苦しみを切々とのべました。
 原告側弁護団から酒井優弁護団長が、国の対応は司法と乖離したままで裁判所は原告の訴えを支持していると厚労省の対応を批判しました。


各地の新春行動

 【埼玉】埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)は1月31日、北浦和のパーミン・ダイゴウで「しらさぎ会・新春のつどい」を開きました。会員や諸団体から50人を超す参加があり、被爆70年にあたっての決意などが語られ、交流を深めました。
 【静岡】静岡県原水爆被害者の会は1月16日、藤枝市の静清高校で原爆パネルを展示し、川本会長が、1年生210人に被爆体験を話しました。催しは藤枝市の主催。
 1月23日には静岡県庁で健康福祉部と懇談、被爆者対策などで意見交換し、要望を話し合いました。被団協からは11人が参加しました。
 【愛知】愛知県原水爆被災者の会(愛友会)は1月20日、生協会館で愛友会新春のつどいを開き、40人が参加、交流を深めました。
 【三重】三重県原爆被災者の会(三友会)は2月14日、四日市市のじばさん三重で被爆70年を迎え平和を考えるつどいを開きました。県原水協の田中事務局長の「核兵器廃絶のための講演」を聞き、静岡県伊豆市の妙蔵寺住職佐治妙心さんが、紙芝居「さくらの祈り」を上演しました。


相談のまど 保健手当を受給中 健管手当に変更可能?

 【問】一般分の保健手当(16670円)を受給しています。増額の保健手当(33230円)受給の条件には該当しません。現在、甲状腺機能低下症で治療を続けています。健康管理手当を申請することはできませんか。(女性・73歳)

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 【答】保健手当は、爆心地から2キロ以内で直接被爆した人が申請できる手当です。16670円が一般分として支給されます。さらに身体障害者手帳3級程度の障害があるか、日常生活に制限を受ける程度のケロイドがあるか、身寄りがいない70歳以上の一人暮らしのいずれかに該当すれば増額の対象になります。
 あなたは増額の条件には該当しないということですが、健康管理手当は申請できると思います。甲状腺機能低下症の治療をしている医療機関で診断書を作成してもらい、健康管理手当申請書といっしょに都道府県知事に提出してください。認定されると、申請した翌月分から、保健手当にかわって健康管理手当33230円が支給されることになります。
 なお、原爆症として認定される可能性もありますので、その申請も検討してみてください。健康管理手当は早く認定されることが予想されますが、原爆症認定は少し時間がかかります。
 健康管理手当と原爆症認定申請をいっしょに行なうこともできます。原爆症と認定されると、医療特別手当が支給されますので、健康管理手当から切り替えることになります。
 原爆症認定申請と医療特別手当の申請を行ない、「原爆症」と認定されると、認定された翌月に遡って135130円の医療特別手当が支給されます。
 今年4月から、被爆者関連の手当額が左上の表のように改定されます。


こんなこと、聞いてもいいですか…? 受け継ぐための質問部屋

謝罪を求める相手は

 被爆者の運動について門外漢ですが、被爆者が日本政府に謝罪を求めていることに違和感を覚えます。それよりも、アメリカ大統領から謝罪の言葉を引き出すべきではないですか。(東京・会社員・50代)

読者からの回答

◆米国へ要求しています 岐阜・長崎被爆・75歳
 おっしゃるとおり、まず謝るべきは、原爆を投下したアメリカ政府です。広島・長崎への原爆投下は、政治的に、国際法上、また道義的に許されない反人道的犯罪行為です。
 日本被団協は、アメリカ政府に対して何もしていないのではありません。全く逆です。アメリカ政府に要求しています。「広島・長崎への原爆投下が人道に反し、国際法に違反することを認め、被爆者に謝罪すること。その証しとして、まず自国の核兵器をすて、核兵器廃絶へ主導的な役割を果たすこと」(『原爆被害者の基本要求』)。謝罪は同じ過ちを繰り返さないための出発点です。被爆者は決して、原爆投下を許しません。アメリカ政府に対して、謝罪と核兵器の廃絶、核実験禁止を求め続けてきましたし、これからも求め続けていきます。
 あわせて、日本政府に謝罪と原爆被害に対する国の償いを求めています。無謀な戦争によって原爆投下を招いたことを反省し、核兵器の廃絶と被爆者のいのち、からだ、くらしを守り、核被害を無くす仕組み=国の償いを求めています。
 唯一の戦争被爆国として「ふたたび被爆者をつくらない」ために、日本政府がアメリカの「核の傘」から抜け出し核廃絶の先頭に立つことを求めます。アメリカの謝罪と日
本政府の核政策転換を求め奮闘しましょう。

質問を待っています

 ★被爆体験の継承に関する質問をお寄せください。受け継ぐ立場の方はもちろん、被爆者からの質問もお待ちしています。被爆体験を話したときに、質問されて難しかったこと、困ったことはありませんか。どんな答えが考えられるか、このコーナーでいっしょに考えましょう。
 ★質問は、下記「質問部屋」係宛てに郵便、FAXでお送りください。電話でも受け付けます。
〒105-0012 東京都港区芝大門1-3-5
ゲイブルビル9階 日本被団協「質問部屋」係
FAX 03-3431-2113
TEL 03-3438-1897