被団協新聞

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「被団協」新聞2013年 12月号(419号)

2013年12月号 主な内容
1面 被爆者の声に耳を傾けよ
現行基準の改善認めず 厚労省認定制度検討会「報告書案」
2面 社団法人中央相談所解散総会 相談事業は被団協が継承
相談事業講習会 九州と近畿で開催
受け継ぐということ ―― 嫌った父を今誇りに思う(上)
大量破壊兵器の使用禁止求める NGO声明
「はだしのゲン」子どもが読める環境を守れ
米核実験に抗議
非核水夫の海上通信112
3面 盛大に記念式典・祝賀会
「原爆者は訴え語り続ける」発行
被爆証言きいた小学生が手作りの用紙で署名集め/北海道
80歳を超えても元気に 交流会で署名・募金も/広島
ノーモア・ヒバクシャ9条の会 ポストカードを増刷・発行
被爆者の死と生、たたかいを後世に
4面 相談のまど 葬祭料の支給は無条件ではない?

被爆者の声に耳を傾けよ

 下田訴訟ともいわれる原爆裁判をご存じでしょうか。アメリカによる原爆投下が国際法違反であると判断した東京地方裁判所の判決です。1963年12月7日に言い渡されました。国際的に、核兵器使用がもたらす非人道的結末の認識と国際人道法の視点から核兵器廃絶を求める世界の動きが強まる中、大いに注目されるべき判決です。


原爆投下は国際法に違反する 原爆裁判・下田判決から50年
 この裁判は、広島の被爆者下田隆一氏らが1955年4月、国を相手どり東京地裁に提訴したものです。サンフランシスコ条約でアメリカへの賠償請求権を放棄した国に原爆被害への損害賠償を求め、アメリカの原爆投下を国際法違反であると訴えたものでした。
 判決は、当時の第一線の国際法学者3人の鑑定意見を踏まえ、アメリカによる広島への原爆投下は、無差別攻撃であり、不必要な苦痛を与える攻撃であって、国際法に違反するという判断を示しました。賠償請求については、個人には国際法上の請求権がないこと等を理由に原告らの請求を棄却しましたが、結果責任にもとづく国家補償責任に言及しました。当時、原水爆禁止運動が分裂して、被爆者運動も困難な時期でしたが、この判決が原爆特別措置法の立法につながりました。
 この判決の示した国際法違反の指摘は、核兵器の使用が一般に国際人道法に反するとした1996年の国際司法裁判所の勧告的意見、さらに、2010年の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議の最終文書における核兵器使用の「壊滅的な人道的結果」への深い懸念表明と「国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性」の確認へとつながっています。
 核兵器の非人道性の側面から、核兵器の廃絶を求める現在の世界の大きな流れの源流とも言えるものです。
 来年2月のメキシコ・ナヤリットでの「核兵器の人道上の影響に関する国際会議」、4月広島で開かれるNPDI外相会合、同月下旬からニューヨークの国連本部で開かれる2015年NPT再検討会議第3回準備委員会を控え、この12月、日本反核法律家協会が下田判決50周年を記念してシンポジウムを開きます。
 2015年春のNPT再検討会議と同年8月の被爆70年に向けて核兵器廃絶への動きがさらに大きく前進することを期待しています。

現行基準の改善認めず 厚労省認定制度検討会「報告書案」

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第25回検討会後記者会見する(左から)宮原哲朗弁護士、安原幸彦弁護士、田中煕巳事務局長、山本英典事務局次長、藤森俊希事務局次長(11月14日、厚労省記者クラブ)

 第25回原爆症認定制度在り方検討会が11月14日午後2時から厚生労働省会議室で開かれ、神野直彦座長と事務方・厚労省が作成した検討会報告書案を審議しました。報告書案は、原爆症認定申請を却下する行政判断と認定すべきとする司法判断の乖離について「司法と行政の役割の違いから判決を一般化した認定基準を設定することは難しい」とするなど、検討会設置の目的や田村厚労大臣が表明した司法と行政の乖離解決など、より良い制度への改善を否定するものになっています。
 報告書案は「はじめに」で「よりよい制度を目指していく」とか「むすび」で「被爆者に寄り添うという視点が何よりも大切」と記述する一方で、「総論」「各論」では、行政認定と司法判断の乖離解決は「難しいとの意見が多数」などと繰り返し「乖離解決」を放棄しています。
 黒い雨など残留放射線について「健康に影響を与えるような量は確認されていない」として切り捨て、積極認定の基準として設けられた被爆距離約3・5キロ、約100時間以内入市の外形基準のほかに、非がん疾患の枕詞につけた「放射線起因性が認められる」に代えて「一定の距離等外形標準」を新たに設定して、「しきい値」を基にした現行の認定行政を追認する道を示しています。
 検討会は、報告書案を支持する委員と田中委員、坪井直委員(日本被団協代表委員)との間で厳しいやり取りが続きました。神野座長は次回検討会で最終案を提案するとしています。次回は12月4日開かれます。

同意できない 田中委員が修正要求
 報告書案の議論で、田中委員は冒頭、「各論」について、わたしどもが主張してきたことが十分入れられていない、採決もしていないのに「多数意見」という用語があちこちにある、そういう表現はすべきでない、この形の報告書案は賛成できないと表明しました。
 検討会としての方向性を示す必要があるとの意見が出て、坪井委員は発言に軽重をつけることに賛成しない、それぞれの意見が重要だと解釈できるようにしなければ、報告を受けた大臣が身動き取れなくなるとのべ、是正を求めました。
 検討会で焦点になってきた「科学的知見」と司法と行政認定の「乖離の解決」をめぐって議論が集中。科学的知見について長瀧委員は、科学で分かる部分と分からない部分があり、分からない部分で援護の対象になるかどうかどこで線を引くか基本理念が分かる形になればいいとのべたのに対し、田中委員は、科学で明らかにされた部分は明確だ、ただし、戦後の困難な時期にデータを集め測定ではなく聞き取りで情報を集積したこともあり限界がある。残留放射線についても調査は十分ではない、放射線感受性も人によって違う、被曝線量を認定に使ってはならないと指摘しました。
 司法と行政判断の乖離について報告書案が「判決を一般化した基準を設定することは難しい」「困難」としていることに、田中委員は、行政は判決を守らなくてはいけない、裁判で行政は多数負けている、負けた中身をどう生かすか努力することが報告書に出てこないといけない、「困難が多数意見」は納得できないと指摘。修正案を提出すると表明しました。

社団法人中央相談所解散総会 相談事業は被団協が継承

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 社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所は11月20日、東京・港区の芝弥生会館で解散総会を開きました。
 6月の定期総会で、法人としての相談所は11月末日をもって解散することを決定しており、解散総会では、改めて解散理由、解散の手続きなどを確認。清算人を田中熙巳常務理事と伊藤直子理事の2人に決め、公益法人としての35年の歴史を閉じることになりました。


相談事業講習会 九州と近畿で開催

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九州ブロック
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近畿ブロック
 [九州]10月26日〜27日、鹿児島県霧島市で202人が集い開催されました。
 初日は、精神科医(被爆者相談所理事)中澤正夫先生が、被爆者が生きている意味・ストレス・認知症などについて、田中熙巳事務局長が、現行法改正を求める意味・原爆症認定あり方検討会の現状について、伊藤直子相談所理事が、原爆症認定・介護保険制度など被爆者対策の活用について講演がありました。
 2日目は、これまでの分科会をやめ全体会として、初日の講義を受けての質疑を行ないました。終盤では、二世の想いを「平和への旅路」と題して群読を披露しました。(鹿児島・大山正一)
 [近畿]11月8日〜9日、兵庫県神戸市で開かれ33人が参加しました。
 初日は、中央相談所の伊藤直子理事と兵庫県原水協の梶本修史事務局長が講演。伊藤講師は、被爆者の高齢化に即して、行政、医療機関、平和運動関係者などとの連帯・連携が大事だと強調。原爆症認定制度の問題で、被団協の「提言」が最も現実的と述べたうえで、現行制度のもとでの申請手続きについて実践的な留意点を解説しました。
 梶本講師は、昔使っていた「被爆者救援カンパ箱」や阪神淡路大震災の時の被爆者訪問活動ファイルなどの実物を示し、県原水協の被爆者援護・連帯の取り組みを紹介。また、被爆の実相を語り伝えることが核廃絶運動の原点と強調しました。
 2日目は、各会の活動を交流。高齢化で役員のなり手がないなど困難な実情とともに、「会合に出られない人のためにも会報を発行」「行政の平和施策に積極的に乗っていく」等々の経験や苦労が語りあわれました。

受け継ぐということ ―― 嫌った父を今誇りに思う(上)

青木栄さん(52) 熊本県被団協

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 8月8日長崎市で開かれた「伝えたいこと、受け継ぐということ-被爆者と二世と市民の交流のつどい」での青木栄さんの発言(要旨)を紹介します。

* * *

 佐賀県生まれの父は、学徒動員で三菱長崎造船所に大勢の仲間と一緒に配属されていました。
 1945年8月9日、朝、鉄道で送られてきた資材を造船所の運搬船で長崎駅裏の倉庫へ10人くらいで受け取りに行きました。午前11時2分、船に積み込む作業を終え一休みしていた時でした。仲間の1人が「落下傘が落ちてくる」と言った瞬間、ピカッと空が光り、大爆発が起きました。爆心地から2・3キロの地点で、爆風に吹き飛ばされた父は左大腿部を強打して海に転落。左大腿部を骨折し自力で動けなくなり、岸壁にぶら下げてある接岸用タイヤにつかまって助けを待ち、5時間後に救助船に助けられました。
 後にわかったことですが、一緒にいた仲間は即死3人、1年以内死亡3人、10年以内に残り全員が白血病で亡くなり、気付けば生き残ったのは父1人でした。被爆後38年55歳のとき胃がんで8時間に及ぶ手術をうけ、輸血によるC型肝炎で入退院を繰り返し、働けない状態が続きわが家の暮らしは苦しくなりました。
 貧乏生活の中、私は父のことを嫌い、父のような生き方はしたくないと思い続けていました。23歳で初めて父が長崎で被爆したことを知ってからも変わりませんでした。
 大学卒業後、高校教員の道を歩み始め、転機が訪れました。広島で被爆した体験や自分のすべてをさらして、生徒の前に立ち続ける先輩教師の姿に背中を押され、私も一歩踏み出そうと被爆50年の夏、父を「長崎に一緒に行ってほしい」と誘いました。そこで父の被爆体験と父や母の戦後の歩みを初めて詳しく聞きました。父の過去から現在に至る生き方から父の優しさや強さを知り、父を嫌い馬鹿にしてきた自分の弱さや情けなさと向き合うことになりました。
 人と人のきずなは、一度切れても必ず結び直せる、人と人がつながるには自分の思いを素直に伝えること…父とのかかわりを通して考えました。
 定時制高校で毎年出会う生徒に私は父のことを語ります。被爆して奇跡的に助かった体験、戦後様々な苦労をしながら家族のために頑張ってきた父の姿を通して、「誇り」を語っています。父を差別してきた自分が、父の生き方の中にある「豊かさ」に気づいたこと、父と出会い直し、一度は捨てた父を取り戻せたことを語ります。自分自身や親のくらしを見つめ、感じたことを語る。その結果、人と人はつながっていけることを伝えていきたい。それが、被爆二世としての私の「語り」です。(つづく)

大量破壊兵器の使用禁止求める NGO声明

 第68回国連総会第1委員会で10月29日、大量破壊兵器についてのNGO声明が、日本被団協などNGO58団体の賛同を得て出されました。
 この声明は、大量破壊兵器のうち特に化学兵器と核兵器に焦点をあて、大量破壊兵器の保有と使用が、人権と国際法に対する重大な違反であることを訴えています。「人類の未来に最大の危機をもたらす核兵器が、廃絶に向けた包括的な法的枠組みを持たずにいることは異常で、受け入れがたい」とし、「核兵器廃絶のときは来ている」と断言しています。

「はだしのゲン」子どもが読める環境を守れ

 漫画『はだしのゲン』を教育現場から排除しようとする動きが、関東を中心に各地で起こっています。
 東京の練馬区教育委員会には、「『はだしのゲン』の教育現場からの撤去を求める陳情書」が提出され、それに反対する立場からの陳情が出されると、さらに「除去」「排除」を求める陳情が出され、いずれも継続審議となっています。
 日本被団協は11月21日、練馬区教育委員会に対し、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会との連名で「要望書」を送付しました。『はだしのゲン』は核兵器廃絶の願いを込めて描かれた作品であり、日本中、世界中で読み継がれている、引き続き子どもたちが『はだしのゲン』を学校などで読むことができるように配慮をお願いする、としています。

米核実験に抗議

 アメリカが「Zマシン」による今年2回目の核実験を、9月12日に行なったことがわかり、日本被団協は10月31日オバマ大統領あての抗議文を在日米大使館に送りました。抗議文では、自国の核兵器を維持する姿勢に強く抗議するとともに、2009年4月プラハで行なった演説で言及した「核兵器のない世界」のすみやかな実現を図ること、核兵器廃絶のための国際条約締結に向けた多国間交渉をただちに開始することなどを求めています。

盛大に記念式典・祝賀会

東友会結成55周年 記念誌も発行

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 11月16日、東友会は、結成55周年記念式典と祝賀会を文京区の平和と労働センターで開催。134人が参加しました。
 黙祷ではじまった式典の最初に、大岩孝平代表理事が「生きている限り核兵器廃絶をめざし証言をつづける」と挨拶。55年間の活動をスライドで紹介した後、東友会に支援をつづける7団体などに感謝状と記念品が贈呈されました。
 祝賀会は、黒坂黒太郎さんが被爆樹から造ったコカリナの演奏と被爆二世の山田みどりさんの証言で開会。日本被団協の中村雄子事務局次長や東京都生協連、東京地婦連、東京原水協など東京の支援団体の代表、ノーモア・ヒバクシャ訴訟弁護団と医師団の代表、被爆者が次々にマイクを持って挨拶した後、被爆者と被爆二世、支援者が腕を組んで「原爆を許すまじ」を合唱し閉会となりました(写真・上)。
 参加者に、この日完成した『被爆者・都民とともに 東友会のあゆみ55年』(A5判274頁)と東友会結成55周年事業「東京都在住原爆被爆者実態調査」第一次報告が配布されました。




「原爆者は訴え語り続ける」発行

島根県原爆被害者協議会が結成50年史

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 島根県原爆被爆者協議会は、今年結成50年を迎え、10月末に結成50年史『被爆者は訴え語り続ける』を発行しました。
 同会の原美男会長によれば、きっかけは日本被団協50年史の発行(2009年)だったといいます。本巻の「都道府県被団協史」の中に約1ページ半掲載された同会の紹介をみて、今自分たちがやらなければ後世にこの記述しか残らないと、11年の総会で50年史発行を決め、各地区から1人ずつ編集委員を選出しました。資料は散逸しており大変でしたが、役員経験者の中から掘り起こしました。B5判本文257頁。活動年表、各地区の会の活動紹介、41編の体験記、原爆関連県内施設の紹介など。非売品。


被爆証言きいた小学生が手作りの用紙で署名集め/北海道

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A3用紙に手書きで文章を書き、定規で線をひいて作った署名用紙。コピーして各自が持ち、署名を集めています。

 札幌市立西野第二小学校6年1組の子どもたち38人は10月、北海道ノーモア・ヒバクシャ会館を訪れ、北海道被爆者協会会長の越智晴子さんの話を聞きました。
 後日、同協会に「今、自分にできること」と題した感想文と、手作りの署名用紙が届きました。子どもたちは、原爆や戦争について学びその恐ろしさを知り、外国では戦争が続いている地域もあるため、「署名を集めて国連に発送し、『戦争をやめてほしい』と思っている人がこんなにいるということを世界の人たちに伝えよう」と、各自で町内会を回って署名を集めているとのこと。
 署名用紙には、(1)戦争はしない (2)原子爆弾は落とさない・作らない (3)罪なき命は絶対にうばってはいけない (4)もう人間が人間でなくなることはあってはならない、とあり、「この署名をきっかけにあなたも、戦争について一緒に考えましょう」という言葉で結ばれています。
 感想文の「このような悲劇をもう二度とおこさないようにするのは、今は子供だが、将来大人になる私たちなのだ」「次にある戦争を止めるには、一人一人の戦争についての考えと、日本全体の団結力が必要だと思っています」「ノーモア・ヒバクシャ会館で学んだことを、しっかりと次の世代の人々に伝えることが大切だと思う」「大人になるにつれて、広島や長崎の原爆について、もっとわかることがふえると思うので、たくさんの人にこの真実を知ってもらいたい」「みんなとの態度に気をつけて、小さな争いを消していきたい」等の言葉に、被爆者は大変励まされました。

80歳を超えても元気に 交流会で署名・募金も/広島

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 広島県被団協の傘下に所属している北広島町原爆被害者の会では、10月24日、地元のホテルで被爆者同志の交流会を開きました(写真)。
 日本被団協の坪井直代表委員を迎えて、中央の情勢などの報告をいただきました。
 原爆展パネルの順次展示など、会の活動報告も行ないました。参加者には、現行法改正国会請願署名、つるバッジの購入、カンパにも協力していただきました。80歳を超えたものばかりですが、全員とても元気で親睦を深め、なごやかな1日でした。

ノーモア・ヒバクシャ9条の会 ポストカードを増刷・発行

年賀状にも活用ください
 ノーモア・ヒバクシャ9条の会は、好評だったポストカード(ふじ・まど・はなの3種)に、文字記入部分を広くとった新デザイン2点(世界の子どもたち・みんなで9条を支える)を加えて増刷・発行しました。年賀状、私信やお知らせなどに利用し、憲法9条とノーモア・ヒバクシャをアピールしてください。
 1枚20円。10枚(5種各2枚)のセット価格180円(送料実費)。問合せ・注文は日本被団協気付、同会へ。電話03-3438-1897

被爆者の死と生、たたかいを後世に

「継承センターの基本構想」を発表

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濱谷氏の基調講演
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「基本構想」パンフ
 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は11月1日、東京・四ツ谷のプラザエフで、「継承センターの基本構想」実現をめざすつどいを開きました。
 岩佐幹三代表理事の「資料は活かされてこそ伝わる。その継承のセンターとして、皆さんとともに考えていきたい」とのあいさつに続き、首都大学東京准教授の渡邉英徳さんが特別講演。インターネットで被爆者の顔写真や証言を広島・長崎の街に重ね三次元的に紹介するヒロシマ、ナガサキ・アーカイブから、若者と被爆者による協同作業やデジタル技術の可能性に目を開かれました。
 「基本構想」についてはパワーポイントを駆使しながら浜谷正晴さん(一橋大学名誉教授)が基調講演。被爆者たちの死と生、原爆とのたたかい(運動)に出会い・学ぶ継承のための諸活動の「場」=センターとしての独自の役割が、浮き彫りにされました。
 この実現には多くの人々の知恵と力、資金が不可欠です。「基本構想」パンフを普及・活用しながら、その輪を広げましょう。パンフは配布とともにホームページで公開しています。問合せは、電話・FAX03-5216-7757まで。


相談のまど 葬祭料の支給は無条件ではない?

 【問】私の母が、ご飯粒をのどに詰まらせたことが原因で死亡しました。母は93歳で、長崎で被爆しました。
 死亡診断書には「誤嚥(ごえん)、気管支にご飯粒が入って窒息」と記載されていました。葬祭料を申請しましたが、「死因が原爆と関係がない」と支給されませんでした。
 葬祭料は被爆者が死亡した場合、無条件で支給されるのではないでしょうか。母は元気で、腰痛などの他は目立った既往歴はありませんでした。

 * * *

 【答】葬祭料は、死因が被爆以前からの病気や交通事故や天災などで、「原子爆弾の障害作用の影響によるものでないことが明らか」なときは支給されません。
 誤嚥による窒息死の場合でも、脳梗塞の既往があって、咀嚼(そしゃく)困難があった時などは支給されることがあります。
 お母さんの場合は、そうした既往がないこと、死亡診断書に「誤嚥、気管支にご飯粒が入って窒息」と、高齢によるものと推測される記載があり、原爆の障害作用によるものでないことが明らかだと判断されたものと思われます。
 これから年末年始を控え、高齢者がお餅をのどに詰まらせるなどの事故が増えます。気をつけるようにしましょう。