被団協新聞

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「被団協」新聞2012年 12月号(407号)

2012年12月号 主な内容
1面 司法と行政の乖離解決のために 田中熙巳事務局長が意見書
核兵器非合法化34カ国声明
2面 中央相談所講習会
3.11後の来館者 長崎原爆資料館
『50年史』普及 新たに神奈川17セット、千葉9セット
『被団協50年史』を子、孫への遺産に
非核水夫の海上通信100
3面 被爆者運動継承の学習・交流会 被爆二世中心に開催─長崎
70人でなごやかに交流会 北広島町原爆被害者の会
平和のつどい、街頭原爆展で非核の誓い 芦屋市原爆被害者の会
ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会
映画「〜放射線を浴びた〜X年後」
4面 相談のまど

司法と行政の乖離解決のために 田中熙巳事務局長が意見書

第17回認定制度在り方検討会

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第17回検討会

 第17回原爆症認定制度在り方検討会が11月20日午後、厚生労働省会議室で開かれました。田中熙巳委員(日本被団協事務局長)は、会議に先立ち、検討会の今後の進め方にかんして「司法と行政の乖離の解決のために」と題する意見書を提出。会議の冒頭、意見書の趣旨を説明しました。議論があちこちに飛ばないよう問題を1つずつ解決していくこと、認定をどうするかが最大の問題なのでそこにしぼって議論するよう提起し、被爆者が求める結論を1日も早く出すよう求めました。
 田中意見書は3つの柱で構成されています(要旨別項)。
 司法と行政の乖離の最大の問題は、残留放射線、主として放射性降下物の放射線をどう見るか、その放射線起因性をどう判断するかによって司法と行政の乖離を解決する道が出てくる、中心的課題として議論して欲しいと求めました。
 議論では、放射性降下物についてUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告では、チェルノブイリの残留放射線の健康への影響は少ないとされているとの発言がある一方、放射性降下物による内部被曝について影響があるとの論文もあり、それをどう評価するか、いま検討が進んでいるとの発言も出て注目されました。
 2008年につくられた認定制度の「新しい審査の方針」では、残留放射線を考慮していると強調する発言や、司法判断とすれ違いの議論、乖離を埋めることはできないのではないかとする意見などが出て、議論は分かれました。
 10月30日に開かれた第16回検討会でも議論が堂々巡りしたため、今回、田中委員が意見書を提出したものです。

 「司法と行政の乖離解決のために」田中熙巳委員の意見書(要旨)

1.「中間とりまとめ」の合意に基づく理念で=一昨年12月以来16回の検討を重ねてきたが、最後の段階で堂々巡りの議論が多くなっている。総理大臣は8月、広島、長崎で「原爆症認定を待っている方々を1日も早く認定できるよう最善を尽くす」と表明した。「中間とりまとめ」で共通認識として確認した(1)被爆者援護は一般の社会福祉とは異なる理由がある(2)被爆者の高齢化を考慮し、裁判で長期の争いを避ける制度をつくる(3)司法判断と行政認定の乖離を認め、どのように埋めるか考える(4)科学的知見は重要である一方、科学には不確実な部分もあることを前提に考えていく‐に基づいて検討すれば「1日も早い認定」を実現する制度はつくれる。
2.認定の在り方の3つの方向性の議論について(略)
3.司法と行政の乖離の根本は残留放射線の評価にある=司法は、放射性降下物の影響を切り捨てるべきではないとする一方、行政は、数値で示される被爆後数日の誘導放射線と黒い雨地域の残留放射線の影響は考慮しても、それ以外は一切認めていない。行政がいわゆる「科学的知見」に固執する解釈を変えるか、捨てない限り解決しない。「裁判での長期の争いを避ける制度をつくる」との共通認識から、「放射線起因性」に代わる新たな判断を検討する必要がある。今後の議論は共通認識である「乖離を埋める」に則り乖離解決の集中議論をお願いしたい。

核兵器非合法化34カ国声明

日本政府は参加拒否し、核兵器を合法化
 本紙先月号で報じたように、10月22日、国連総会第1委員会(軍縮)でスイス、ノルウェーなど34カ国が、核兵器の非人道性を訴え、核兵器の使用を国際法上非合法とする努力を各国に求める声明を発表しました。声明への賛同を求められた日本政府は、自国の安全保障政策と合致しないとして、声明に加わりませんでした。日本被団協は、ただちに声明を発表し、日本政府の対応を厳しく批判するとともに、34カ国声明を歓迎し、日本政府が核兵器廃絶の先頭に立つよう求めました。
 日本政府は、その後、同委員会に核軍縮決議案を提出。アメリカなど核保有国をふくむ賛成多数で採択されたことから、同様の決議案を毎年提起し19年連続で採択されたことで、核兵器のない世界の実現に向けて貢献するものだと自画自讃しています。連続して採択された決議には核兵器廃絶を究極的課題として先延ばしにする内容が含まれています。
 この間、日本では政権が何度か交代していますが、アメリカの核兵器の威力で自国を守るという核兵器合法化政策は変えていません。

声明 日本政府は核兵器の廃絶を求める世界の先頭に立て

 核兵器非合法化を求める34カ国声明への、日本被団協の声明の全文を紹介します。

* * *

 本日(ニューヨーク時間22日午前)、開会中の国連総会第一委員会(軍縮)での議論にかかわって、核兵器の非人道性を告発するとともに、「核兵器を非合法化する努力の強化」を促す34カ国の共同声明が発表された。世界で唯一、原爆の非人道的破壊の被害を受けた被爆者は、共同声明を歓迎する。同声明は、当初、スイス、ノルウェーなど16カ国が提案、日本政府にも賛同を求める打診があったが、日本政府は自国の核政策と合致しない(注)として拒否したことが明らかになっている。被爆者は、その態度に強く抗議し、34カ国共同声明に賛同し、核兵器廃絶実現の先頭に立つことを強く求める。
 核兵器がいったん使用されると、老若男女、戦闘員、非戦闘員にかかわらず無差別殺戮を瞬時に強行するとともに、生き残った者には、爆風、熱線、放射線による長期間にわたる被害をもたらし、人間として死ぬことも生きることも許さない。被爆者が身をもって体験してきたその被害は、子孫にもおよび、時間と空間を超えた被害をもたらすことも明らかになっている。
 被爆者は、その非道さを世界に告発し、核兵器の全面禁止・廃絶を命のかぎり訴えてきた。核兵器廃絶を求める世界の圧倒的世論にもかかわらず地球上には2万発に及ぶ核兵器が存在しつづけている。核兵器を生みだしてしまった人類はまた、核兵器を廃絶する英知を持ちうるはずである。
 34カ国共同声明は被爆者の願いを実現するうえで大きな力になることを確信し、その実現に力をつくすことを表明する。
 〈注〉日本政府は、核兵器を違法とすると、核兵器の保有と使用を容認する核抑止力と核の傘による安全保障が成り立たないと説明している。
10月23日 日本被団協

中央相談所講習会

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北海道ブロック

【北海道】10月28日、「ノーモア・ヒバクシャ会館20周年記念講演会」として、札幌市教育文化会館で開催し、160人が参加しました。
 越智晴子会長の挨拶のあと、会館建設の企画等の担い手だった橋本左内さんが、新聞の投書を見た女性から高額の寄付があったこと、1982年から10年間に及んだ500円レンガ募金活動などを報告しました。
 肥田舜太郎中央相談所前理事長が「被爆者と生きる」と題して講演。原爆被害について、内部被爆を軽視してきたことが問題であると指摘。人類が放射能被爆を免れるには原爆も原発もなくす以外に方法はなく、核廃絶は今を生きている私たちの責任であると締めくくりました。

Photo 東海北陸ブロック

【東海北陸】10月25日〜26日、静岡県静岡市の日本平ホテルで開かれ、富山を除く6県から約130人が参加しました。
 安斎育郎先生の楽しくよく分かる「平和・核問題・原発・放射能について」の講演、伊藤直子中央相談所理事の「被爆者の相談・世話活動と原爆症認定申請について」、田中熙巳日本被団協事務局長の「原爆症認定制度について」、木戸季市同事務局次長の「現行法改正運動について」の報告があり、熱心に聴き、学びました。懇親会では歌、詩吟、大正琴、ピアノなども披露され、参加者は互いに再会を喜び、亡き人を偲び、さらなる活躍を確かめ合いました。

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近畿ブロック

【近畿】11月2日〜3日、兵庫県神戸市の舞子ビラ神戸で開かれ、兵庫の39人が参加しました。
 初日は、まず日本被団協の児玉三智子事務局次長から、日本被団協の活動についての報告がありました。二世や地域の協力団体の力を借りることの大切さや、証言活動の重要性について実践例を示して語られ、福島原発事故について言及もありました。続いて東神戸診療所所長の郷地秀夫医師が講演。「放射線は少量でもその量に比した発がん性がある、若年齢での被曝のリスクが高い」などの話がありました。
 2日目は、兵庫県被団協各支部から活動状況が報告され、高齢化の中でも頑張っている姿が浮き彫りになりました。

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中国ブロック

【中国】11月12日〜13日、岡山県倉敷市の鷲羽ハイランドホテルで開かれ、中国5県から約140人が参加し、講義を熱心に受講しました。
 初日は、「日本被団協の活動について」田中熙巳事務局長と藤森俊希事務局次長が、「被爆者援護制度について」中央相談所の伊藤直子理事がそれぞれ講義し、参加者の質問を受けました。
 2日目は、岡山県の沼田健之南部健康づくりセンター長が「高齢者の健康づくり」についてスライドを交えて講義。休憩後、各県代表が相談活動を報告し交流しました。「分かりやすい講義で良かった」などの感想が寄せられました。


3.11後の来館者 長崎原爆資料館

 長崎原爆資料館で、平和案内人として活動されている中小路弥太郎さんのお話です。

* * *

 昨年3月11日の大震災と福島原発事故以来、核の専門家の話を聞いたりして自己研修を重ね、原子力、放射能汚染の基礎知識を身につけるように努力しています。最近は「放射線による被害」コーナーに足を止める来館者が増え、特に後障害であるガンの説明を食い入るように読んでいる姿をよく見かけます。
 私も放射線・放射能・放射性物質は丁寧に説明しております。修学旅行の小・中学生には、長崎の原子野の写真と津波で破壊された岩手県陸前高田市の写真とを示して説明し、福島で収穫されたホウレン草や牛乳が処分されたことも話します。「長崎では、地面に積もった放射線はどのように処理したのですか」との質問もありました。
 最近は、ファットマンの模型の近くで原発の原理も簡単に説明します。
 さらに自己研修を重ねて、被爆の実相をもっともっとわかり易く伝えたいと考えています。

『50年史』普及 新たに神奈川17セット、千葉9セット

 『日本被団協50年史』の普及が各地で取り組まれています。神奈川県原爆被災者の会では17セットを買い取り、県内各支部が図書館などの公共施設に寄贈。集団訴訟を支援する千葉の会が9セットを買い取り、関係団体に寄贈しました。
 運動の継承のため、積極的に普及しましょう。


『被団協50年史』を子、孫への遺産に

東京 吉田一人
 『ふたたび被爆者をつくるな/日本被団協50年史』は、原爆被害の実状と、「ふたたび被爆者をつくるな」と訴えて続けてきた被爆者運動の姿をリアルに、感動的に描き出しています。子や孫たちに、被爆者である親や祖父、祖母たちが生き、たたかってきた姿を伝える貴重な本です。
 私は3人の息子たちに遺産として渡しました。
 2人のまだ幼い孫たちには、手紙を添えて遺しておくつもりです。いつの日か、この本でおじいちゃんたち被爆者の生き方を知り、受け継いでくれることを信じて。


声明 日本政府は核兵器の廃絶を求める世界の先頭に立て

 核兵器非合法化を求める34カ国声明への、日本被団協の声明の全文を紹介します。

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 本日(ニューヨーク時間22日午前)、開会中の国連総会第一委員会(軍縮)での議論にかかわって、核兵器の非人道性を告発するとともに、「核兵器を非合法化する努力の強化」を促す34カ国の共同声明が発表された。世界で唯一、原爆の非人道的破壊の被害を受けた被爆者は、共同声明を歓迎する。同声明は、当初、スイス、ノルウェーなど16カ国が提案、日本政府にも賛同を求める打診があったが、日本政府は自国の核政策と合致しない(注)として拒否したことが明らかになっている。被爆者は、その態度に強く抗議し、34カ国共同声明に賛同し、核兵器廃絶実現の先頭に立つことを強く求める。
 核兵器がいったん使用されると、老若男女、戦闘員、非戦闘員にかかわらず無差別殺戮を瞬時に強行するとともに、生き残った者には、爆風、熱線、放射線による長期間にわたる被害をもたらし、人間として死ぬことも生きることも許さない。被爆者が身をもって体験してきたその被害は、子孫にもおよび、時間と空間を超えた被害をもたらすことも明らかになっている。
 被爆者は、その非道さを世界に告発し、核兵器の全面禁止・廃絶を命のかぎり訴えてきた。核兵器廃絶を求める世界の圧倒的世論にもかかわらず地球上には2万発に及ぶ核兵器が存在しつづけている。核兵器を生みだしてしまった人類はまた、核兵器を廃絶する英知を持ちうるはずである。
 34カ国共同声明は被爆者の願いを実現するうえで大きな力になることを確信し、その実現に力をつくすことを表明する。
 〈注〉日本政府は、核兵器を違法とすると、核兵器の保有と使用を容認する核抑止力と核の傘による安全保障が成り立たないと説明している。
10月23日 日本被団協

被爆者運動継承の学習・交流会 被爆二世中心に開催─長崎

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被爆者の思い、どう引き継ぐか 素直にいきいきと交流
 11月17、18日の2日間長崎被災協の講堂で「被爆者運動継承の学習・交流会」が開かれました。これは九州・中国地区(一部近畿を含む)の被爆二世の会が共同でよびかけ、日本被団協、長崎被災協、熊本県被団協の協力で実現したものです。参加者は被爆者、被爆二世あわせて64人(長崎52、佐賀2、福岡4、熊本3、鹿児島1、日本被団協役員2)でした。
 初日は日本被団協の木戸季市事務局次長による「私と被爆者運動、次の世代に託すもの」、長崎被災協の山田拓民事務局長による「原爆被爆者の基本要求、被爆者援護法の闘い」、熊本県被団協の中山高光事務局長による「原爆症認定集団訴訟とは何だったか」の3つの講演で被爆者運動を学びました。

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二世委員会の中村雄二委員長も参加(右から2人目)

 2日目の学習・交流会では「被爆者の思い・被爆者運動をどう継承していくのか」をテーマに、とくに身近な親から被爆体験と被爆者としての思いをどう引き継ぐか、率直な思いが活発に出されました。被爆者の高齢化がいっそう進む今、被爆二世が継承の担い手の一人として奮闘していきたいという熱い思いを、参加した二世が共感しあいました。
 地元の長崎被災協の二世の会が成功のために大奮闘をされ、佐藤直子会長は「参加した会員一人ひとりの表情が生き生きとしてすてきだった」と話していました。(福岡・南嘉久)


70人でなごやかに交流会 北広島町原爆被害者の会

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被爆当日の写真を見て

 10月24日、広島県北広島町では合併前の旧4町の被爆者70人が集まって交流会を開きました。来賓に広島県被団協の坪井理事長を招き、1945年8月6日、広島に原爆が投下された当時の写真を見ながら被爆証言。参加者全員当時の悲惨だった出来事や思い、戦後の苦しかった生活を語り合いました。
 研修活動として箕牧智之会長が日本被団協の活動、中央の情勢を報告しました。そのあと全員で会食し、なごやかな雰囲気の交流会でした。(広島・箕牧智之)


平和のつどい、街頭原爆展で非核の誓い 芦屋市原爆被害者の会

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 芦屋市原爆被害者の会は実行委員会と共催で、芦屋非核平和のつどいを10月13日開きました。シンガーソングライター・橋本美香さんの透き通った歌声は一気に聴衆を引き込みました。直野章子さんの講演「被ばくと補償」では、原爆に対して受忍を強いてきた国が原発による被ばくに対してもあいまいな態度をとり続けていること、国家による補償はどうあらねばならないかを、熱く語ってくださいました。120人余の聴衆は改めて核廃絶・原発ゼロへの行動を誓い合いました。
 28日には、国連軍縮週間に呼応して、JR芦屋駅ラポルテ憩いの広場で街頭原爆展を行ないました。ハロウィンの扮装の子どもたちが足を止め、折り鶴を折ってくれました(写真)。(芦屋・千葉孝子)


ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会
さまざまな取り組み開始

 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は7月15日の設立記念集会以後、会の活動の3つの柱(被爆者の思いの継承、被爆者運動の資料の継承、同じような課題にとりくむ団体や施設のネットワークづくり)にそってさまざまな活動に取り組んでいます。

学習懇談会
 第1回は10月14日「被爆者の戦後史にいかに向き合うか」をテーマに八木良広さんが報告、第2回は10月20日「原爆被災資料の収集・整理・保存の過去・現在と課題」をテーマに宇吹暁さんが報告し、学習しました。第3回は12月8日(土)午後1時半から4時半プラザエフ5階会議室で「被爆者運動がめざしたもの」をテーマに、吉田一人さんが報告します。

資料の収集・整理を開始
 杉並区のアパートの一室を資料準備室として確保し、被団協役員を経験した故人の資料整理を始めています。日本被団協と協力して各都道府県被団協への資料保管の実情に関するアンケートを実施。日本被団協事務所の資料整理も優先課題として取り組んでいます

被爆者の声をきく活動
 7月15日の集会実行委員会に参加した若い人たちを土台に、被爆70年を当面の目標にして被爆者の声を聞き取る活動を具体化する相談が始まっています。11月9日に懇談会を開きました。今後関係団体との協議を重ね、具体化を進めています。

広報活動
 ホームページやブログ、ポータルサイトなど、インターネットを使った広報の進め方について話し合いを重ねています。

資料センター検討委員会
 12月1日に第1回委員会を開き、1年をめどに話し合いを重ねて資料センターの具体像を提案する予定です。

ネットワーク
 10月、11月に相次いで開かれた平和のための博物館・市民ネットワーク、日本平和博物館会議にオブザーバー参加し、会の紹介と交流を行ないました。


映画「〜放射線を浴びた〜X年後」

 1954年にアメリカが行なったビキニ水爆実験により、多くの漁船や貨物船などが被ばく。日米両政府による政治決着で、第五福竜丸以外の被害実態は調査されませんでしたが、地元漁港にもたらされた被害について、高知県の港町で地道な調査を続けた教師や高校生たちがいました。
 南海放送(愛媛県松山市)では、約8年にわたりその足跡を丹念にたどり、取材を重ねて今年1月に全国放送され反響を呼びました。そこに新たな映像を加え映画化、9月15日から東京と愛媛で同時公開されました。
 その後順次地方劇場公開となり、11月から自主上映も始まっています。
 12月は京都市のみなみ会館と札幌市の蠍座で劇場公開、東京・新宿区で自主上映があります。詳しくはホームページを。


相談のまど
原爆症の認定申請に使う診断書について

 【問】現在、前立腺がんの治療中です。原爆症の認定申請をしようと思っています。通院中の病院は、一般疾病医療機関ですが、原爆症の「指定医療機関」ではありません。「指定医療機関」の診断書でないといけませんか。もし認定された時は、治療はどこで受けるのでしょうか。

* * *

 【答】「指定医療機関」というのは、現行法第12条に基づいて厚生労働大臣が「原爆症」と認定した「認定疾病」の治療を行なう機関です。したがって「原爆症」の認定申請に使う診断書は、どこの医療機関のものでもかまいません。
 「原爆症」と認定された場合は、厚生労働大臣が指定した「指定医療機関」で医療を受けることになっています(法第10条)。ただし、緊急その他やむを得ない理由によって、指定医療機関以外で治療を受けたときは、厚生労働大臣は「医療の給付に代えて、医療費を支給することができる」と定められています(法第17条)。
 がんの治療の場合は、簡単に病院を変えられないことが多いと思います。また「原爆症」認定被爆者が少ないこともあり、「指定医療機関」は数が多くありません。そこで「指定医療機関」以外で「原爆症」の認定疾病の治療をした場合も、医療費を支給することになっているのです。
 ちなみに一般疾病医療機関というのは、健康保険が適用される疾病の治療を受けたときに、被爆者健康手帳が使える医療機関のことです。