被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2012年 11月号(406号)

「被団協」新聞2012年 11月号(406号)

2012年11月号 主な内容
1面 原爆被害への国の償い 実現かならず
初の被爆二世交流会 “みんなの意見聞けてよかった”
核兵器非合法化で34カ国が共同声明
放射線起因が焦点 第15回認定制度検討会
2面 「原発のない社会を」 伊方原発稼働差し止め訴訟/原告が訴え
共同行動へ団体と懇談
中央相談所講習会 九州ブロック、熊本で開催
法改正、認定制度改善など求め要請 被団協中央行動
軍縮に力を お金を武器から平和へ
現行法改正 国会議員賛同
非核三原則法制化
非核水夫の海上通信99
3面 すべての戦争被害に国家補償を 第7回浅草ウォーク
故久保山愛吉さん命日 核兵器廃絶訴え行進/静岡
新パネル使い被爆者・二世が証言を朗読 東京都追悼のつどい
小学生が平和学習として参加 島根県慰霊式
室蘭で原爆展
アンケートで被爆二世把握/神戸市原爆被害者の会
被爆者イスラエル派遣に参加して
4面 相談のまど
手帳習得できました
さがしています
こんなこと、聞いてもいいですか…? 受け継ぐための質問部屋

原爆被害への国の償い 実現かならず

Photo

日本被団協 全国都道府県代表者会議

 全国都道府県代表者会議が10月3日〜4日、東京のホテルジュラクで開かれ、原爆被害への国の償い実現運動など活発に議論しました。

 全国空襲連の足立事務局長と日本原水協の安井事務局長が来賓挨拶、原水協から100万円の支援金が坪井代表委員に手渡されました。
 基調報告に続き課題にそって議論しました。
 原爆被害への国の償い実現運動では、被爆70年に当る2015年までの実現にむけて掲げた1千万国会請願署名などの到達が大きく遅れていることが議論になりました。
 「昔のようにはできない」との率直な意見の一方「旗を降ろすわけにはいかない」との決意など高齢化する被爆者としてどう立ち向かうか真剣な議論が交わされました。署名用紙と切手付返信封筒を会員に送り署名を集める“静岡方式”や支援団体との共同行動など活動を交流しました。
 「原爆と人間」新パネルが各地で好評であることが報告され、期限が迫った中央相談所の法人問題が議論になったほか、相談の「しおり」作成や相談事業の交流会を開いて欲しいなどの要望が出されました。2世の活発な発言が目立ちました。
 2つのアピール「国民の皆さんに訴える ― 原爆被害への国の償いを実現させよう」「原発ゼロの決断を直ちに」を採択しました。

原爆被害への国の償いを実現させよう(要旨)
 日本被団協は、結成以来、ふたたび被爆者がつくられないことを願い、核兵器の廃絶と原爆被害への国の償いを求め、たたかってきた。原爆が人間に何をもたらしたかの訴えは、世界の世論を核兵器廃絶に向けて変え、被爆者施策をつくらせ、改善させてきたが、国の償いは実現していない。
 昨年の総会で要求項目と運動目標を決めた。(1)原爆被害への国の償いと核兵器廃絶を法に明記する(2)原爆死没者への償い(3)すべての被爆者への償いである。日本政府は戦争による生命・身体・財産の犠牲はすべての国民がひとしく受忍すべきだとして国の償いをかたくなに拒否してきた。
 被爆70年の2015年までの実現をめざし、1千万国会請願署名、国会議員の賛同署名、地方議会の決議・意見書、2千万円募金を提案した。
 東京電力福島原発事故は、原爆被害と同じ、いのち、からだ、こころ、くらしのすべてにわたる被害をもたらしている。同じ過ちを繰り返させないため、被害に対する補償を実現するよう、皆さんの協力・連帯を願ってやまない。

原発ゼロの決断を直ちに(要旨)
 福島第1原発事故から1年半。昨年暮れ、政府は事故収束宣言を出したが、放射性物質による、環境汚染がつづき、避難を余儀なくされている福島県民は、16万人を超えている。7月には夏の電力不足への対応として関西電力大飯原発を再稼働したが“夏の電力不足”は国民への脅しだったことが明白になった。青森の大間原発など着工済み原発の建設再開を容認し原発推進を強化さえしている。原爆による残酷な苦しみを否応なく体験させられた被爆者の訴え、「ふたたび被爆者をつくるな」は、同じ苦しみを地球上に再現してはならないとの決意と心からの叫びである。
 原発稼働で生まれる使用済み核燃料は高濃度の放射性物質で、人類は、無害にする処理能力を持っていない。使用済み核燃料は2万4千トンにもおよび、原発を再稼働させれば、数年で保管しきれなくなる。人類の生存、地球環境の保全、安心、安全に人々がくらせる社会をつくるために、原発の稼働を直ちに中止し、原発ゼロの社会へエネルギー政策の転換を強く求める。

初の被爆二世交流会 “みんなの意見聞けてよかった”

Photo

 被爆2世交流会が10月3日、全国都道府県代表者会議初日の午後6時から8時まで都内のホテルで開かれました。2世の全国交流会が日本被団協主催で開かれるのは初めてで全国から27人の2世があつまり、親世代を含め70人が参加しました。各地の多様な実情や意見が聞けて良かったなどの感想が寄せられました。
 会議の司会は、2世委員で鹿児島の大山正一さん。中村雄子二世委員会責任者が交流会を開くにいたった経過をのべました。岩佐幹三代表委員のあいさつに続いて、田中熙巳事務局長が、写真などまじえ日本被団協のたたかいと歴史を報告しました。概略は承知していたが、細部が分かり理解を深めたなどの感想が寄せられました。
 参加した2世全員が自己紹介をかねて発言。もっと時間が欲しかった、他県の2世の話が聞けて嬉しかった、1人ひとりの強い思いが聞けた、これからの運動に非常に参考になったなどの感想が寄せられました。
 アンケートをとり2世の会発足にとりくんだが成功しなかった体験をもとに、再度の挑戦で参加者が増えている(長崎)や、被爆者の活動を支えるなかで2世の組織化に取り組み、親と同規模に組織している(広島・三次市)など具体的な運動も交流。健康問題では、日本被団協の政府や政党への要請書に被爆2世のがん検診が入っていることが歓迎されました。

運動継承の決意も

 「今2世が動く時だと実感した」「核兵器廃絶などの目的を達成するまで2世、3世へと継続する必要がある」など、2世の役割と活動への決意も寄せられました。

核兵器非合法化で34カ国が共同声明

 スイス、ノルウェーなど34カ国は10月22日(ニューヨーク現地時間)、国連総会第1委員会(軍縮)の議論にかかわって、核兵器の非人道性を告発し「核兵器を非合法化する努力の強化」を促す共同声明を発表しました。
 今春、ウィーンで開かれた2015年核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会での16カ国声明に「核兵器の非合法化」を盛り込んだもので、日本政府は、共同声明に賛同するよう求められたのに対して、自国の核政策と合致しないとして賛同する署名を拒否しました。

政府は核廃絶の先頭に立て日本被団協が声明

 日本被団協は10月23日声明を発表し、34カ国共同声明を歓迎し、核兵器廃絶を求める被爆者の願いを実現するうえで大きな力になることを確信し、その実現に力をつくすと表明しました。
 共同声明への賛同を求められた日本政府が自国の核政策と合致しないとして署名を拒否したことについて強く抗議し、被爆国政府として共同声明に賛同し、核兵器廃絶の先頭に立つよう強く求めています。

放射線起因が焦点 第15回認定制度検討会

 第15回原爆症認定制度在り方検討会が9月27日厚労省会議室で開かれました。神野座長らが提起した(1)日本被団協提言(2)山崎泰彦委員提案(3)その他―― の3つの方向性について議論。一般戦争被害者と区別するため原爆症認定にあたって採り入れた放射線起因性の取り扱いが焦点となりました。
 放射線起因性は、行政と司法判断の乖離を生む大きな要因となっています。日本被団協案は、現行の認定制度を定めた現行法第10条、11条の廃止を提起しています。放射線起因性を残す意見も強く、原爆起因性を考える意見やグレーゾーンを設ける意見のほか、いつどんな病気にかかるかの不安や差別を受け苦しい人生を送ってきた被爆者に慰謝する手当が必要との意見が出ています。

「原発のない社会を」 伊方原発稼働差し止め訴訟/原告が訴え

Photo

 9月25日、松山地方裁判所で四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第2回口頭弁論が行われ、3人の原告が意見陳述しました。
 福島原発事故の被災者で南相馬市から伊予市に避難中の渡部寛志さんは、「自ら命を絶った人もいる」と原発事故の悲惨さを訴えました。
 愛媛県原爆被害者の会事務局長の松浦秀人さんは、胎内被爆者の体験から「原爆と原発は双子の兄弟」と原発稼働差し止めを求めました。
 愛媛大教授の村田武さんは、原発事故の農漁業への影響をのべ、伊方原発で事故が起きた場合、愛媛の農漁業が壊滅的打撃を受ける危険を指摘しました。
 四電は、伊方原発で福島と同様の事故が発生するとするのは誤りとしていますが、資料提出には応じていません。


共同行動へ団体と懇談

 10月12日に、原爆被害に国の償いを実現するためのネットワークづくり打ち合わせ会を開きました。原水爆禁止日本国民会議、原水爆禁止日本協議会、全国空襲被害者連絡協議会の3団体の担当者と日本被団協の岩佐代表委員ほか事務局役員が懇談。ネットワークをいつまでに作るということは決められないが、今後共同行動をすすめ、懇談会を適宜開いて、運動に取りくんでいこうと確認しました。

中央相談所講習会 九州ブロック、熊本で開催

 中央相談所九州ブロック講習会が10月14〜15日、熊本県南関町のセキアヒルズで開かれ、九州、沖縄の各県から240人が参加しました。
 初日は全体会で、松浦秀人理事による福島原発事故にからめた放射線被害の話、伊藤直子理事による相談・世話活動の話、田中熙巳日本被団協事務局長による日本被団協の運動についての話がありました。2日目は「相談活動」(助言者・伊藤直子理事)と「現行法改正と二世運動」(助言者・田中熙巳事務局長、中村雄子事務局次長)の二つの分科会で学習。被爆二世の参加も多く、「勉強になった」「楽しかった」などの感想が聞かれました。

法改正、認定制度改善など求め要請 被団協中央行動

Photo Photo
厚労省 経産省
Photo Photo
民主党 共産党
Photo Photo
社民党 国民の生活が第一
Photo
緑の党
 10月5日に、全国の被爆者など約70人が参加して、中央行動を行ないました。被爆二世も多数参加し、要請先に思いを訴えました。
[厚生労働省]被爆者援護対策室の榊原毅室長ほかが対応。要請書の諸項目(認定制度の抜本改善、現行法改正、二世健診の充実、原発事故被災者への手帳の交付)のほか、新厚労大臣と被団協との定期協議を開催するよう申し入れました。
[経済産業省]大飯原発の稼働と他の再稼働の中止、原発に依存しないエネルギー政策を、などを要請しました。福田守企画調整係長と田附千絵子戦略企画係長が対応し、原発稼働の判断は原子力規制委員会でやってもらう、2030年代までに原発ゼロを目指す、などと説明しました。
[政党]事前に各党に面談を申し入れ、この日に会えると回答のあった民主党、日本共産党、社会民主党、国民新党、国民の生活が第一、緑の党にそれぞれ要請しました。

軍縮に力を お金を武器から平和へ

 8月、潘基文国連事務総長は「世界は兵器で溢れ、平和にはお金が来ていない」と題する論説を世界10カ国の主要紙に寄稿した。
 論説は、武器貿易条約の国連交渉が七月に決裂したことに触れ「おそるべき人的犠牲」を生んでいる武器貿易の規制に国際社会が失敗したと指摘。核軍縮の停滞も指摘し、広島・長崎の記念日を機に改めて軍縮に力を入れよと強調した。
 昨年の世界の軍事支出は1.7兆ドルを超えており、1日に換算すると46億ドル。これは国連全体の年間予算の約2倍だという。経済危機の中このような支出を続けることを潘総長は「人間の機会のコスト」と呼び、貧困、不公正、環境悪化、伝染病、組織犯罪など「武器では対処できない問題」に目を向けるよう呼びかけた。
 年4・6兆円の軍事支出をする日本は昨年、武器輸出三原則を緩和し欧米との兵器共同開発に乗り出した。戦争産業育成は経済回復のレシピではない。
川崎哲(ピースボート)

現行法改正 国会議員賛同

現行法改正への国会議員賛同署名、10月の追加分です。衆院議員=高橋千鶴子(共産・東北比例)岡本英子(生活・神奈川3区) 参院議員=福島みずほ(社民・比例)

非核三原則法制化

 意見書採択
 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、追加報告分です。

すべての戦争被害に国家補償を 第7回浅草ウォーク

Photo

 「すべての戦争被害者に国家補償を」のスローガンを掲げた第7回浅草ウオークが10月21日におこなわれ、東京の被爆者と東京空襲被害者、市民80人が、観光客でにぎわう浅草の浅草寺周辺を行進しました。2006年から毎年10月に、東京の被爆者団体・東友会が東京空襲遺族会と市民サークル「和ピースリング」と共催してきたもの。
 ウオークの前に開かれた集会では、全国空襲被害者連絡協議会共同代表の中山武俊弁護士が、原爆被害者への補償をもりこんだ「空襲被害者等援護法案(仮称)」の内容について講演。日本被団協の山本英典事務局次長が、日本被団協の運動方針を紹介しながら、「遺族対策と孤児対策を打ち出した法案に、原爆被爆者も大賛成。力をあわせて、ぜひ、実現させよう」と訴えました。
 1945年の東京大空襲で焼き尽くされた浅草の街とあって、ウオークをする人びとに手を振り頭を下げる地元の商店主や通行人の姿もみられました。ウオークが雷門の前にさしかかると、英語のプラカードを見た外国人や人力車に乗った人たちの声援もありました。


故久保山愛吉さん命日 核兵器廃絶訴え行進/静岡

Photo

 ビキニ水爆実験で被災した久保山愛吉さんの命日の9月23日、核兵器廃絶を訴える墓参行進が焼津市内で行なわれました。小雨の中、平和行進で東京から広島まで歩かれた山口逸郎さん(80)を先頭に白い菊の花を持って行進しました(写真)。
 3・1ビキニデー実行委員会代表の川本司郎県被団協会長が「福島原発事故から1年半過ぎたが多くの人が帰れないままだ。原発依存から脱却して核兵器のない世界を目指そう」と呼びかけました。


新パネル使い被爆者・二世が証言を朗読 東京都追悼のつどい

Photo

 10月7日、東京都の原爆犠牲者慰霊碑が、葛飾区青戸平和公園に移設され、2012年度東京都原爆犠牲者追悼のつどいが挙行されました。
 つどいには、東京都福祉保健局長、都議会副議長、葛飾区長、区議会議長、各党の国会、都議会議員が臨席。都知事、広島・長崎両市長のメッセージが紹介されました。250人の参列者は、都内各地で折られた鶴を献呈し、原爆死没者名簿に記名された5982人の冥福を祈りました。
 遺族を代表して長岡和幸前東友会副会長の次女壬生田清乃さんが、「父が生涯をかけて核兵器廃絶を訴えた思いを、被爆二世の一人として継いでいきたい」とあいさつ。
 「移設した慰霊碑から核兵器廃絶の願いを再び広げよう」と企画した野外原爆展では、日本被団協の新パネル「原爆と人間」の証言を、被爆体験のない昭和20年、21年生まれの被爆者とガンとたたかう22年、24年生まれの被爆二世が朗読し感動をよびました(写真)。


小学生が平和学習として参加 島根県慰霊式

Photo
慰霊碑前で小学生が合唱

 島根県原爆被爆者協議会は10月11日、松江市北公園の原爆死没者慰霊碑前で18回目の式典を行ない、約200人が参列しました。数年前から市内の小学校6年生が平和学習の一環として参加。今年は「祈り」の合唱と学習発表があり、参列者に感動を与えました。
 式典の運営は二世の会と合同で行なっています。10年ほど前から自発的に協力してきた二世有志を中心に会が結成されました。


室蘭で原爆展

Photo

 7月27日〜29日、北海道室蘭市のイオン室蘭店で第19回平和のための写真展を開きました。同実行委員会主催。
 4日間で400人が来場し、熱心に見学する子どもや、パネルを涙を流して見入っている人もいました。現行法改正署名45人分が集まりました。「失われていく記憶をいつまでも思い続けなくてはいけない」「戦争はもう起きてほしくない」などの感想が寄せられました。


アンケートで被爆二世把握/神戸市原爆被害者の会

 神戸市原爆被害者の会では、会員の高齢化がすすんだこともあり、今後被爆二世の協力を得たいと考え、2010年に全会員672世帯を対象に被爆二世に関する調査を行ないました。結果、327世帯が「二世がいる」と回答。市内407人、県内85人、県外178人でした。翌11年に二世の住所、氏名等について調査し、市内居住の二世397人と県内居住75人を把握することができました。今後二世との懇談会等を通して、体験の継承や会の存続、二世健診の充実などを協議していきたいと考えています。
 9月20日には県被団協の被爆二世に関する県知事宛要望書提出に参加し、健康対策や健診の充実などを訴えてきました。

被爆者イスラエル派遣に参加して

埼玉 三宅 信雄

 被爆者4人が招かれてイスラエルなど中東を訪ねてきました。ピースボートと地元の市民団体が交流事業として行なったもので、被爆者は私と土田和美さん(埼玉)、永山巌さん(千葉)、杉野信子さん(東京)です。
 9月9日に日本を出発し北京経由で10日未明テルアビブ空港に到着、1週間イスラエルに滞在しました。エルサレム、テルアビブ、ハイファで証言集会を行ないました。参加者は40〜100人、若者の出席も多く、熱心に聞き入っていました。核武装をどう考えるか、イランの核開発にどう対処すべきかなど、直面している現実問題に関する質問がありました。
 ナチスによるホロコーストの生存者4人と会談し、「あの時」からの苦しみ、悲しみについて語り合い、共通する過去をもっていると思いました。
 18日にエジプトのサファラという港からピースボートに乗船。寄港地のエジプト、トルコ、ギリシャの都市、および航海中の船上で、証言と交流活動を行ない、ギリシャのアテネで下船して9月26日に帰国しました。
 ハードなスケジュールで疲れはしましたが、充実した有意な旅でした。ピースボートや現地の方がた、いろいろな面でご協力くださった日本被団協に感謝申し上げます。

相談のまど
生活保護と被爆者の手当との関係は

 【問】私は最近、生活保護を受給することになりました。生活保護と被爆者の手当との関係を教えてください。

* * *

 【答】生活保護と被爆者に支給されている諸手当との関係は、次のようになっています。
 医療特別手当、特別手当は「生活を保障する」という趣旨のために、生活保護法の収入認定の対象になります。その他の健康管理手当、介護手当などは、収入認定はされません。
 医療特別手当は13万6480円のうち、10万670円が収入として認定されます。そのうえで、4万2430円が生活保護の放射線加算として支給されます。
 特別手当は5万400円全額が収入認定されます。放射線加算は2万1220円です。この金額は健康管理手当より低いので、健康管理手当を受給したほうがよいでしょう。
 「生活保護受給者で、健康管理手当を受給している場合、放射線加算があるか」という質問があります。放射線加算は、あくまでも医療特別手当、特別手当を収入認定された場合に支給されるものです。

手帳習得できました

 本紙399号「証人さがし」に掲載の水上正則さんに手帳が交付されました。証人はみつかりませんでしたが、被爆後の健康状態などを詳しく記した申述書を提出し交付となりました。ご協力ありがとうございました。

さがしています

 NHK佐賀放送局が、この夏放映した番組の継続取材として4人の被爆者をさがしています。以下の事実について何らかの情報をお持ちの方は連絡をお願いします。

* * *

 長崎への原爆投下から3日後の1945年8月12日、被爆者約60人が列車で佐賀県鹿島駅に搬送され、鹿島国民学校の講堂に運ばれました。医師と婦人会の女性、子どもたちが救護にあたりました。ほとんどの被爆者が死亡し、学校での救護活動は8月31日に終了しましたが、当時救護にあたった山口梅雄医師の手記に、4人の生存者が町内の織田病院に移送されたと記されています。手記によると4人の当時の年齢、住所などは、Aさん=男・18歳・長崎市浦上・工員 Bさん=女・42歳・長崎市御船町 Cさん=18歳・男・長崎市伊良林・師範学生 Dさん=24歳・男・長崎市坂本町、となっています。
 連絡先=NHK佐賀ディレクター塚原一秀 佐賀市城内2-15-8 電話0952-28-5005 FAX0952-28-5007

こんなこと、聞いてもいいですか…? 受け継ぐための質問部屋

 家族に被爆体験を語ったことがないという方がおられて驚きました。第三者に対しての方が話しやすいということがありますか。ご家族も内心では聞きたいと思っておられるのではないでしょうか。(東京・会社員・35)

読者からの回答

◆家族との対話、大切に
 娘が高校生になったとき「あんたは被爆二世。もしかしたら結婚できないかもしれない」と話したら、涙ぐんで「そんなのいやだ」と言った。それでも、原水禁大会で募金集めを手伝ったこともある。
 その娘に彼氏ができたとき、彼は「娘さんが二世ということは聞いている。支えていく」と言ってくれて、二人は結婚した。今では二人の子ども、二人の孫がいる。そして年に何度か家族の集まりをして、僕たち夫婦を励ましてくれる。被爆二世という状況をそれなりにこなしてくれたのだと思う。
 被爆体験を、聞く人の心に伝わるように語ることは、たやすいことではない。子や孫に語っている人は少ないというのも当然だろう。被爆体験を語っていない人も、自分なりに被爆者としての人生をたたかい続けているのだと思う。
 日本被団協の運動が今あるのは、運動に参加し続けてきた被爆者を、家族が支えてきてくれたからに他ならないことを、被爆者は忘れないでほしい。そして、家族との対話を大切にしてほしいと願っている。
(千葉・広島被爆・83)

◆話すきっかけ
 あまりにもつらく悲惨な体験は我が子に話したくないと、何人かの被爆者の方から聞きました。子どもの頃、若い頃、原爆で親きょうだい、大切な人をなくし、心に大きな傷を受けたこと、そして人生も変わってしまい大変な苦労をしたことなど、身内には話したくないという思いもわかるような気がします。
 それでも高齢になった今、いよいよ誰かに語っておくべきではないかと考えているときに、「被爆体験を話してください」と、平和を願い、聞き取り活動をしている人から声を掛けられたら、嬉しいのではないでしょうか。
 被爆体験を人に話すことで、家族に話すきっかけになると良いですね。
(長崎・団体職員・58)

お答えまっています

 つらい被爆体験を話してくれた方が、その後、悲しくなったり気分が落ち込んだりしないか、いつも心配になります。聞き手の私たちにできることはありませんか。(東京・主婦・40)

 被爆体験の継承に関する質問と回答をお寄せください。住所、氏名、職業・学年、年齢、電話番号と、被爆者は被爆地を明記してください。
 次回は1月号に掲載する予定です。