被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2012年 9月号(404号)

「被団協」新聞2012年 9月号(404号)

2012年9月号 主な内容
1面 被爆体験談を聞き、見て、中学生が感じ、考えたこと なぜ戦争!なぜ核兵器!
日本被団協広島集会 若者ら130人が参加
2面 被爆者証言の旅=アメリカ= 8月3日〜12日
複数の被爆者で工夫 愛媛の証言活動
韓国の追悼式に参加 日本被団協代表理事 大和忠雄
3・11後の来館者 第五福竜丸展示館
厚労大臣政務官および政党と懇談
原発問題で環境省に要請
アピール 2012年8月5日 日本被団協広島集会
非核水夫の海上通信97
3面 原爆展だより
被爆者肖像画を展示 60周年記念平和美術展
被爆者の思い繋がると確信 「被爆2世108人の肖像」展をみて
受け継ぐための質問部屋
4面 相談のまど

被爆体験談を聞き、見て、中学生が感じ、考えたこと
なぜ戦争!なぜ核兵器!

 兵庫県の加古川市立平岡南中学校2年生が7月に平和学習で、被爆者の話を聞きました。感じ、考えたことを「被爆者の会の皆様へ」につづり、1、3年生は、パネル展で学習したことを記しました。その一部を紹介します。

「被爆者の会の皆様へ」

◆若い世代が伝えたい
 1番いんしょうに残ったのは、1人の女の子が自分1人だけ助かって、3人の小さい女の子をみすててしまったという話です。私は、涙が出てとまりませんでした。戦争というのは、自分が助かるのにひっしという、こんなざんこくなことはないと思いました。戦争をする意味がわからない。戦争が理解できません。若いせだいが、戦争のおそろしさや、こわさを次のせだいにつたえていかなければならないと思いました。(2年女子)
◆被爆国の1人として
 写真は、どれも苦しいものばかりで見ていてつらかったです。こんなにつらいことや悲しいことを写真に残すのは「核兵器をなくしてほしい」という思いが多くの人々の心にあるからだと思いました。被爆者の会の皆様が私たちに悲しい思いをするのがわかっていながら原爆が投下された時の出来事を詳しく語って頂いたことに心から感謝します。唯一の被爆国に住む1人として世界中に伝えていかなければと感じています。(2年男子)
◆新たな決意が生まれた
 お話を聞いて、残酷な現実に驚いたと同時に、新たな決意が生まれました。何よりも考えさせられたのは生き残った方の日記でした。被爆によって変わってしまった人生があまりに正直に書かれていて、原爆の恐ろしさを、半分も分かっていなかったと気付かされ、恥ずかしくなりました。戦争は、核兵器は、今まで築きあげてきたもの、現在、未来までも壊してしまう。私達日本の国民全員が忘れず、伝えていかなければ。(2年女子)

パネル展示を見て

◆ぼくたちの使命
 何の罪もない人たちをあんな状態にさせるのがぼくは絶対許せない。日本はやり返したりせず、新たな被害者をつくらなかったことは良かったけど、この戦争で何百万人もの被害者をつくっている。「生きる」というのは戦争の被害者の思い「戦争をなくし、ずっと世の中が平和であるように」がこめられていて、ぼくたちの背中をおしている。毎日を大切に生きて、世界が平和になるようにするのがぼくたちの使命だ。(1年男子)
◆深く平和を理解したい
 目をおおいたくなる写真は、日本で実際にあったと思うと恐ろしかったし、悲しかったです。私は、何度か平和学習をしてきました。授業のたび戦争をしても何も解決しないと感じてきました。今、日本は平和な状態ですが、いまだに原爆被害に苦しめられている人がいます。今、この瞬間にも紛争や内戦で命の危機におびえている人がいます。もっと深く平和を理解して行きたいと思いました。(3年女子)

日本被団協広島集会 若者ら130人が参加
「ひきつぐ私たちが歴史つくる」

Photo
日本被団協広島集会。後方壁に新「原爆と人間」パネルを展示(8月5日鶴学園広島校舎)

 日本被団協主催の「ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!」広島集会は、8月5日午後3時半から5時半まで、元安川河畔の鶴学園広島校舎2階会議室で開かれ、会場いっぱいの130人が参加、青年の姿が目立ち活気にあふれました。
 「ヒロシマ・ナガサキは過去のことではない」では、広島被爆の3人が証言。藤井清士さん(広島・15歳被爆)は、在学中の学校の寮で被爆した体験をのべ、ふたたび同じことが起こらないよう力をあわせようと訴えました。木村緋紗子さん(宮城・8歳被爆)は、往診途上被爆し43歳で亡くなった父の無念さと、被爆した祖父の辛かった看病の体験を率直に語り、その時の思いが被爆者運動に駆り立てていると語りました。昨年3月の東日本大震災と福島原発事故にふれ、原爆と原発は人類と共存できないと訴えました。岩佐幹三さん(代表委員・16歳被爆)は、爆風で倒れた家屋の下敷きになった母を、迫る火焔で助けられなかった痛恨の思いをのべました。医師の注射で生きのびた自らの体験と対比して、救援を最も必要とした被爆者を米占領軍、日本政府が12年間も放置したため、多くの被爆者が命を落としたと、原爆投下とその後の対応の非人道性を告発しました。
 田中熙巳事務局長は、1956年8月10日、長崎で開かれた第2回原水爆禁止世界大会を期に結成された日本被団協の56年の歴史を振り返り、歴代政府が拒否し続ける国の償いを求めてたたかう被爆者のいまを明らかにしました。
 「なぜ被爆者は現行法の改正を求めるか」では、藤森俊希事務局次長が現在の「原爆被爆者に対する援護に関する法律」に国家補償の理念がないのは、戦争被害について国民は等しく「受忍」すべきだとの歴代政権の政策が元凶となっていること、ここを正して初めて日本政府が核兵器廃絶の先頭に立つことが出来るとのべました。
 会場の質問に応える時間をはさみ、広島で被爆し孤児となった清水信男さん(神奈川・2歳被爆)が、国の支援が一切ないもとで生き抜いた苦難の半生を証言しました。
 署名など現行法改正運動の到達点について、木戸季市事務局次長が資料をもとに説明し、大きな運動にしていくため、協力・共同を呼びかけました。
 集会は、アピールを拍手で確認しました。
 初参加の10代の女性から、「自分が生きるいまは、多くの歴史の上にあると実感した。その歴史はいま生きつづける私たちがつくっていかなければならないと強く感じた」との感想が寄せられました。

被爆者証言の旅=アメリカ= 8月3日〜12日

Photo
佐藤さん(右)と木村さん(左)

 アメリカの平和団体の要請を受け8月3日から12日、日本被団協代表として神奈川の佐藤良生さんと千葉の木村邦子さんがワシントンDC近郊で証言活動を行ないました。

熱心に聴いてくれました 佐藤良生

 3日午後、ダレス国際空港に到着、ヒロシマ・ナガサキ平和委員会のメンバーの出迎え。4日夕刻から歓迎会を兼ねた集会で証言。5日、オールソウルズ教会で証言、夕刻キング牧師記念館前で広島追悼集会。6日午後小学生のサマーセッションで証言、夜ボルティモアで追悼行事と集会。7日アメリカン大学で証言。8日夜ホワイトハウス前で長崎追悼集会。9日午前ホワイトハウス前の集会、夜メリーランドの女性平和団体の追悼行事、福音改革合同教会で証言。どこでも皆熱心に聴いてくれました。

Photo
ボルティモアの集会

証言活動に手ごたえ 木村邦子
 それぞれの集会への参加者は、私たちの証言に熱心に耳を傾け、率直な質問をされ、時には参加者全員の討論になることもあり、大変有意義な証言活動でした。私は原爆投下時5歳4カ月で当時の記憶は少なく多くを語ることはできませんが、今回アメリカ側の参加者に私と年齢が近い人も多く、わが身に置き換えて聞いてくれました。被爆若年層でも語りべとして活動ができるという手ごたえを持ちました。先輩の方々が築いてきた語りべ活動を、生き残った者の使命として大切に続けたいと思います。


複数の被爆者で工夫 愛媛の証言活動

Photo

 8月7日、新居浜市の泉川小学校で、夏休み中に学童保育に通う児童(小学校1から3年生)約60人を対象に、私を含む4人が被爆証言をしました。
 講演形式で証言を行なう講師の成り手が次第に少なくなっているため、当会では複数の被爆者の参加による進行役のリードによる証言活動に取り組んでいます。
 この日に先立って今治市図書館では、成人を対象に、私が聞き手となって高齢の2人の被爆者へのインタビュー方式で実施しました。


韓国の追悼式に参加 日本被団協代表理事 大和忠雄

Photo
左から2番めが大和代表理事

 韓国人原爆犠牲者追悼式が8月6日、ソウルの赤十字文化会館で行なわれ、日本被団協を代表して参加して追悼の言葉を捧げました。
 式のあと、韓国原爆被害者協会の事務所を訪問(写真)して今後の被団協との交流について話し合いました。


3・11後の来館者 第五福竜丸展示館

 昨年3月の大震災および原発事故のあと、第五福竜丸展示館の来館者にそれ以前との「違い」が現れました。同展示館の学芸員、市田真理さんのお話です。

* * *

 「核のおそろしさを、原発事故で考えるようになってここへ来ました」(埼玉・20代)「核の平和利用はできないと確信。第五福竜丸の記録を遺すことこそ人類が学べる第一歩になると思います」(福岡・30代)
 昨年、東日本大震災の余震もおさまらないなか、修学旅行見学のキャンセルなどもあり、来館者は激減したものの、来館者ノートにはこのような感想がいくつも書かれていました。客観的なものさしでは表現できない、来館者の不安やいらだち、「知ろうとしてこなかった」ことへの反省を、私たちスタッフはずいぶんとぶつけられました。関心が高まると同時に、放射能への不安を身近に感じている子どもたちの姿には、複雑な思いで接しています。
 今年も夏休みの課題をかかえた中高生で館内は連日にぎわいました。閲覧コーナーに置かれた『広島・長崎-原子爆弾の記録』を、長時間かけて読んでいく親子の姿もあります。一人ひとりが、それぞれに核についての思いを深めていると感じます。

厚労大臣政務官および政党と懇談
「在り方検討会」の「中間とりまとめ」への見解を説明

Photo

 日本被団協は7月31日藤田一枝厚生労働大臣政務官と懇談、岩佐代表委員と田中事務局長、山本、木戸、中村、藤森の各事務局次長が出席しました。「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」の「中間とりまとめ」についての日本被団協の見解を説明し、認定制度の抜本的改正にむけた議論が「検討会」で進められるよう要請しました。藤田政務官は「厚労省事務局の姿勢が消極的と見えていると思うが、政権の意思を示すよう、強く言っている」などと述べました。
 また、この問題についての懇談を各政党に申し入れました。8月21日現在、民主党、共産党、社民党との懇談を行ない、協力を要請しました。


原発問題で環境省に要請

Photo

 日本被団協と東友会は8月2日高山智司環境大臣政務官に会い、原発問題などで要請しました。東友会が初鹿明博衆議院議員にお願いし実現したもので、飯田マリ子会長ほか東友会役員とともに日本被団協の田中事務局長、山本事務局次長が参加しました。高山政務官は、原発の再稼働をやめすべて廃炉にとの要請に「安全確保に頑張っている」、原子力基本法の目的条項に「安全保障」の文言を入れる改変を行なったことについては「非核三原則があるから大丈夫」などと述べました。


アピール 2012年8月5日 日本被団協広島集会

 1945年8月6日にアメリカが広島に原爆を投下して67年になるあすを前に、広島につどったわたしたちは、「ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!」「なぜ被爆者は国に償いを求めるのか」と集会を開き、核兵器の残虐さを明らかにし、いまだ終息のめどがたたない福島原発事故を引き起こした原子力発電をふくめ、核分裂エネルギーと人類は共存できないこと、原爆被害への国の償いを求める思いを再確認しあいました。
 「ふたたび被爆者をつくるな」と被爆者が叫びつづけるのは、自分たちの苦しみを、子や孫はもちろん、世界中のだれにも二度と繰り返させてはならないとのつよい願いからです。
 あの日以後、人類は核戦争の危機に何度も直面しました。それを回避できたのは、被爆者の決意とそれを支持した世界の世論でした(2009年ノーベル平和賞受賞者17氏のヒロシマ・ナガサキ宣言)。残念ながら、核兵器廃絶にはいたっていません。核保有国は核兵器を抑止力とする立場に固執し、被爆国である日本政府は、核大国の威を借る立場をとりつづけています
 しかし、私たちは希望をもっています。2010年、NPT再検討会議は、核保有国も含め「核兵器のない世界の平和と安全」を目指すことに合意しました。世界には、反核平和運動が大きく育っています。五つの大陸にまたがる非同盟運動や非核地帯、5000を超える都市の代表があつまる平和市長会議などさまざまな運動が、核保有国に核兵器全面禁止条約の交渉を一日も早く開始するよう求めています。
 アメリカの核の傘に依存する日本政府は、原爆被害は受忍(=がまん)せよとの立場を取りつづけ、原爆被害への国の償いを拒否しています。被爆国政府を核兵器廃絶の先頭に立たせるためには、原爆投下にいたった国の戦争責任を認めさせ、原爆被害への国の償いを実現することが不可欠です。
 きょう、日本被団協集会につどった人々と被爆者は、核兵器や原発による核被害を絶対にださないため、原爆被害への国の償いを1日も早く実現させ、被爆国日本が世界の平和を求める人々と手を携えて、核兵器のない平和な世界実現の先頭に立つよう力をつくすことを宣言します。

原爆展だより

Photo
鹿児島市(7月17日〜20日) Photo
神戸市(8月2日〜7日) Photo
福岡市(8月12日〜15日)

 各地から、原爆展を開催した報告が届いています。今後も、随時掲載していきますので、報告をお寄せください。

【岡山市】7月7日、岡山市原爆被爆者会と市民団体が第31回平和のつどいを北区のオルガホールで開催。新「原爆と人間」パネルを展示し、約300人が参加しました。

【鹿児島市】7月17日から20日、鹿児島市役所市民ギャラリーで県被爆者協議会、二世の会などが主催し「原爆と人間」展を開催。夏休み前で大雨の時期でしたが、毎日100人近い来場者があり、ほとんどの人が立ち止まって見入っていました。

【神戸市】8月2日から7日JR神戸駅地下のギャラリーで神戸市原爆被害者の会主催で「原爆と人間」写真展を開催。4439人が来場しました。

【掛川市】8月4日から12日静岡県掛川市立中央図書館で、掛川市原水協などの主催で「原爆と人間」展を開催。807人が来場し、「原爆も原発も、何を起こすか想像できれば使用することもないはず」「日本でもこんなに残酷なことが起こっていたと知り、戦争がはやくなくなってほしい気持が強まりました」などの感想が寄せられました。

【福岡市】福岡市原爆被害者の会博多区支部は、7月8日博多市民センターで「原爆と人間」展を開き、72人が来場。また8月12日から15日、同区内の浄土宗・西専寺和室大広間で「原爆と人間」展を開催。お盆の法要が行なわれる中、本堂や納骨堂に訪れる家族連れに声をかけ参詣者の半数を超える約130人に見てもらうことができました。

【二戸市】原水爆禁止世界大会二戸市代表団は、市民から寄せられた募金で新「原爆と人間」パネルを購入し、岩手県二戸市に贈呈しました。8月1日から17日、市の主催で市役所市民ホールと市立図書館に展示されました。市のホームページや広報に掲載され、親子での来場者もいました。


被爆者肖像画を展示 60周年記念平和美術展

Photo

 60周年記念平和美術展が8月12日から19日、新装なった東京都美術館(東京・上野)で開かれました。絵や彫塑、書、写真などさまざまなジャンルの627点が展示され、来場者は4000人を大きく超えました。
 1959年の第7回展から取り組まれている原爆死没者肖像画は、今年は8点が制作され、展示されました(写真)。肖像画には、故人の名前とともに遺族から寄せられた思い出がキャプションとしてつけられいて、訪れる人は足を止めて見入っていました。
 なお、美術展での小品売上の中から10万9500円が、日本被団協に寄付されました。


被爆者の思い繋がると確信 「被爆2世108人の肖像」展をみて

中村 絋(千葉)
  被団協新聞8月号の写真家吉田敬三さんのコメント「2世自身が社会に対して堂々と生きる姿を見せる事は…被爆者である親への恩返しにも繋がると思っています」に感動を覚え写真展を見に行きました。生活環境はそれぞれ違うのに「堂々と生きている姿」は、写っている全ての2世の表情から読み取れました。
 見学当日開かれた交流会に飛び入り参加しました。参加者は写真の被写体となられた2世を中心に遠くは九州からも含め30人を超えていました。吉田さんの名司会で、初めて会った人同士とは思えない和やかな雰囲気のなか、自己紹介も含めて参加者全員が発言しました。2時間半の短い時間でしたが、被爆2世同士が素直に意見交換している姿を見たとき、子どもたちに必ず私たち被爆者の思いは繋がると確信しました。
 被爆者のみなさん、話しにくいけれど自分の体験を子どもたちに話しませんか。被爆者も被爆2世も被爆者支援者も分け隔てなく一つにまとまって進む事で、被爆者の思いを持った活動の永続性が保てると思いました。

受け継ぐための質問部屋

証言を聞く前にすべきことは

 この秋、私の所属する平和サークルは原爆展を開きます。会場も予約でき、『原爆と人間』の展示も用意できそうです。当日、被爆した方に話をしてほしいと思い、地元の被爆者の会にお願いしました。この後、私たちはどんなことを勉強・準備しておけばいいでしょうか。(東京・学生・19)

読者からの回答

◆自身の関心を大切に
 あなたが「知りたい」と思うことから学び始めてみてはいかがでしょうか。被爆者や戦争被害者の体験談、本、映画など、戦争に関する資料は、そのつもりで見るとたくさんあります。自分自身の関心や疑問を大切にしながら、勉強を進めてください。(岐阜・長崎被爆・72)

◆歴史に学ぼう
 『ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史』(あけび書房)を手に取ってみてほしいと思います。大きな本ですが、最初から全部読もうと思わずに、どこからでも読み始めてみてください。原爆が人類に何をつきつけたのか、1ページめくるごとに、目が開かれる思いがする--それが私自身の体験でした。生きるとは何か、極限の課題に突き進む思いです。(長野・広島被爆・68)

◆気持ちを伝えて
 当日話をしてくれる被爆者や被爆者の会の人たちと事前に会って、よく話をすることをおすすめします。まず、主催者である「私たち」はどんな仲間で、どんな思いで原爆展を開こうとしているのかを伝えてください。そして、原爆体験を含めて被爆者の思いを語ってもらい、受け止めてほしい。そういった交流の中から、知りたいことや考えなくてはいけないこと、もっと準備したいことなどが、いくつか見えてくるのではないかと思います。(東京・団体職員・50)

 家族に被爆体験を語ったことがないという方がおられて驚き、聞く者の責任を感じました。第三者に対しての方が話しやすいということがありますか。ご家族も、内心では聞きたいと思っておられるのではないでしょうか。(東京・会社員・36)

* * *

 今月号から新しく始まるコーナーです。被爆体験の継承に関する質問と回答を、「質問部屋」係までお寄せください。住所、氏名、職業・学年、年齢、電話番号と、被爆者は被爆地を明記してください。
 隔月で掲載します。次回は11月号の予定です。

相談のまど
長期入院時に請求される「特定療養費」について

 【問】病院に長い間入院していると「特定療養費」というものを支払うことになると聞きました。これは被爆者も負担することになるのでしょうか。

* * *

 【答】「特定療養費制度」というものがあります。「入院する必要性は低いが、患者の事情で入院をしている」場合に、入院費の一部が自己負担になるというものです。「長期」というのは、180日を超えたときを言います。
 この制度は健康保険給付の対象外になりますので、被爆者も負担することになります。
 では、「入院の必要性がある」とはどのようなときかというと、
・悪性腫瘍に対して副作用の強い腫瘍用薬を投薬している状態
・悪性腫瘍に対して放射線治療をしている状態
・末期の悪性腫瘍に対して治療をしている状態
・人工呼吸器を使用している状態
・全身麻酔などの手術後の治療を継続している状態
・重度の肢体不自由者、脊髄損傷等の重度障害者
・常時頻回の喀痰吸引を実施している状態
などです。